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  • 「基礎平面」について
    「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)の中で、今回は「基礎平面」を取り上げます。カンディンスキーの有名な著作である「点・線・面」の順番から言えば、「点」と「線」の次は「面」がやってきます。本書でもカンディンスキーの平面に関する考え方を著者のアレンジを加えて述べています。カンディンスキーは幾何抽象的な要素の中にも、色彩や音響や文学的な情念を取り入れていると私は以前から感じていて、本書の引用文にもそれが表れています。基礎平面とは「自立的で無垢な実在として、生き生きとした存在として現存する。つまり、それは『呼吸』をしているのであり、仕事にとりかかる前の画家が実際に位置しているのは、秘められた力を宿しているひっそりとした生のすぐ前なのである。」と述べています。基礎平面の成り立ちとして「抽象絵画の原則は、確固とした答えをわれわれに差し出す。基礎平面を切りとる線は、二本の水平線と二本の垂直線である。つまり、一方は静かで(連続的なただひとつの力によって生み出されている以上、直線とは本来静かな緊張なのである)冷たい二つの音色であり、他方では静かで暖かい二つの音色である。対照的な二組のペアにもとづいて配置され分化している四つの基調色、あるいはそれらの微妙なコンポジションから生ずる総合的でニュアンスのある感情、基礎平面を前にしてわれわれが感受するものはこれである。」とありました。そこから著者は本書の主題に結びつく一文に繋げていきます。「われわれは、ここで初めてこの試論の本質的な主張にとりかかり、同時にその最初の証明を行うことになる。その主張とは、抽象絵画があらゆる絵画の本質を規定しているということだ。あきらかに、これこれの特別な主題に対してはこれこれのサイズをよしとする嗜好を説明するのは、基礎平面の抽象的内容、その目に見えない主観的な基調色であるように見える。」まとめにはなりませんが、基礎平面に関してはここまでにしておきます。
    「時間性」について
    「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)の第五章「時間性」について、気になった箇所を引用いたします。本書を読んで章ごとにNOTE(ブログ)にまとめをアップしていますが、前章でも内容が難解故に、しっかりまとめることが出来ず、語彙の何たるかを取り出しているに過ぎません。今回も理解するだけで精一杯で、自分の読解力の乏しさを痛感している次第です。まず時間性とは何か、「時間はさまざまな次元にわたって構造化されるのだから、時間を同一者として扱うべきではなく、『時間性』という多層的構造としてとらえなければならない。」とありました。次に内的時間意識の中に過去把持という言葉がありました。過去把持とは何か、「知覚などにおける志向性が対象についてのもの(対象志向性)であるのに対して、過去把持は体験についての志向性(内的意識)である。」また「内容変化説や統握説においては、過ぎ去った単独の内容についての単独の志向性が問題になっていたのに対し、過去把持においては複数の時間点にまたがる志向性のネットワークが問題になる。」とありました。次に時間の流れを論じている文章に時間論を唱えたメルロ=ポンティが登場してきます。「メルロ=ポンティは、時間を世界や存在と区別して論じることはしない。」としながら「時間を『現在に到来することによって過去へと向かう未来』とするやり方の背後には、時間を分析する際に、流れのダイナミズムを優先させようという戦略が潜んでいる。」と述べています。今章のまとめにはなりませんが「メルロ=ポンティの洞察から明らかになったとおり、時間の流れは、現前と非現前との交替の中で世界や事物の超越が成立するメカニズムだった。また、フッサールの志向的相関理論を見ても、志向的相関は時間的運動を内蔵した構造体だ。」とありました。今日はこのくらいにしておきます。 
    映画「オーケストラ・クラス」雑感
    先日、常連になっている横浜のミニシアターにフランス映画「オーケストラ・クラス」を観に行ってきました。フランスの音楽教育プログラムを題材にした人間ドラマと銘を打っていましたが、厳しい環境に育った移民の子どもたちが次第に音楽に目覚めていく様子を描いていて、心に宿る美に対する枯渇が見事に表出する映画だったと思いました。妻と別れ、娘とも疎遠になった中年のバイオリニストのダウドが、パリ郊外にある小学校の音楽クラスに足を踏み入れる場面から映画は始まりました。やんちゃな子どもたちは楽器を遊び道具にして騒ぎ続け、ダウドに失望させますが、それでも担任教師の支えもあって、何とか演奏のカタチになっていきました。練習中も子どもたちのトラブルは絶えず、思わず体罰をしてしまったダウドは、両親に謝罪をする場面がありました。またアフリカ系の児童に才能を見出してソリストとして任命するなどの日常を描く中で、ダウドと子どもたちは信頼し合う関係になりました。他校との合同練習では散々な結果となった子どもたちでしたが、フィルハーモニー・ド・パリのメインホールに立つという目標達成のため、自主練習を始めていきました。一緒に観ていた家内が映画の演出で指摘した箇所があります。まず、ソリストになった児童にダウドが渡すバイオリンです。娘が使っていたものだと言っていましたが、演習用のバイオリンではどんなに努力しても音響に限界があると家内は言うのです。楽器は高価なものでなければならないそうです。もうひとつは本番前に子どもたちや親たちが一緒に食事を楽しむ場面です。冗談を言い合うくらいの仲にならなければ、演奏を通して心がひとつになれないと言っていました。私は映画の中で大した場面と思わなかった箇所が、胡弓奏者である家内には納得いく演出であったことに、私は思わず頷いてしまいました。図録によると、主演のダウドも子どもたちもバイオリン演奏は素人だったようで、本番の演奏は別の演出があったのではないかと家内は言っていました。バイオリンはそんなに簡単な楽器ではないというのが家内の感想で、数か月であれほど上達することはあり得ないそうです。
    週末 17個目の陶彫制作
    土曜日はウィークディの疲れが残って、なかなか制作が捗らない日ですが、昨日は過密スケジュールの中を動いてしまったので、疲れは今日に持ち越されていました。朝から工房に篭っていたのですが、身体が思うように動かず、楽しいはずの成形や彫り込み加飾も辛いと感じました。いつもの日曜日なら作業が進むところなので、少々焦りました。それでも夕方には17個目の陶彫部品の成形や彫り込み加飾を終わらせることが出来ました。以前、創作活動は信仰だと書きましたが、次第に無心になっていくのは感情を通り越して、まさに何かに憑かれたように動いてしまうのが不思議なところです。焼成が終わって完成した新作の土台を見ていると、ウキウキした気持ちになりますが、実際の作業は面白くも退屈でもなく只管身体を動かしているだけで一日が過ぎていきます。今作っている陶彫部品の1つが、全体の中でどう効果を齎すか、それを頭の隅で考えてはいますが、それでもこの部品のみに全精力をかけてやっています。全体を考えると精神的にはきつくなるので、その時期が来るまでは部品1つだけに関わっている方が健康的なのです。今月はもう2個か3個ばかり陶彫部品を作ろうと思っています。幸い3連休があるので、それも可能と思っています。
    週末 過密スケジュールの日
    週末になりました。今日一日を振り返ってみれば過密スケジュールをこなした一日になってしまいました。予め時間をきちんと決めていたので、慌てることはありませんでしたが、今日は休日をゆっくり過ごすことはなく、3つのスケジュールを順番にこなしていきました。まず、午前中は常連になっている横浜のミニシアターに出かけました。映画の上映が9時5分から始まり、終了が10時45分でした。前から家内が観たいと言っていたフランス映画「オーケストラ・クラス」はこの時間帯しか上映していないので、朝一で映画鑑賞をしたのでした。移民の子供たちが通うパリ郊外の小学校に音楽クラスがあり、そこに10数人の児童がいました。バイオリンに触れたこともなく、クラシック音楽も知らない問題児たちを、一人の音楽家が演奏でまとめ上げていく苦難さを映画では描いていて、最後はフィルハーモニー・ド・パリのメインホールでの演奏を見事に仕上げていく物語でした。これは言うなればサクセスストーリーです。家内は胡弓奏者ですが、幼少の頃にバイオリンを習っていました。バイオリンの難しさを人一倍わかっていたので、演出の細かい箇所にも気を留めていました。家内は映画のストーリーを予想していたにも関わらず、観終わった後になっても、話題が尽きないほど面白かったようです。詳しい感想は後日に回します。帰宅したのは午前11時半ごろでしたが、私は午後1時半から管理職の研修会が組まれていて、スーツに着替えて家を出ました。横浜駅で軽めの昼食をとり、桜木町に向いました。研修会が終わったのが午後4時半でした。すぐ帰宅して作業着になり、夜の工房に行きました。時間としては夕方6時くらいだったかなぁと思っています。明日は陶彫成形と彫り込み加飾をやるために、今日のうちに大きなタタラを6枚用意しなければならず、これが私にとっての最後のスケジュールになりました。今日は映画鑑賞、管理職研修会、陶彫制作のための準備と、朝昼晩に分けて3つのスケジュールをこなしましたが、全て終了したのは夜8時を過ぎていました。やれやれ。今日は些か疲れました。明日は工房に篭ります。