Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 存在を消去する彫刻
    先日、夢の中でイエス・キリストの磔刑像が現われたという文章をNOTE(ブログ)に書きました。学生時代に人体塑造を作っていた私が、現在は象徴化された風景を切り取ったような陶彫作品を作るようになっています。人体塑造から離れてかなりの月日が流れていますが、私の中で人体塑造に対する思いがどこかにあって、それがイエス・キリストの磔刑像に繋がっているのではないかと思い至りました。イエス・キリストの磔刑像の様相は、宗教において人間の罪を背負って十字架に磔られた姿が、やがて復活し、人々の罪が神によって許される教えを示したものですが、宗教性のない私は、単純に朽ち果てていく人体像を表現したものだという認識があります。この存在していたものが無くなっていく過程が、私には印象強く残ってしまっているのです。決して不在ではなく、嘗て存在していたものが徐々に無くなっていく過程、そこにあったものが時間をかけて腐り朽ち果てていくことが、一層空間におけるそのものの存在を示しているように思えるのです。さらに、もう一度夢を見る機会があって、それはどこまでも続く壁に沿って歩いている人体が見えました。その先にもう一人の人が歩いているのですが、その人の量感が無くなっていて、さらにその先を歩いている人は、ほとんど骸骨であり、さらに先の人は身体の部分でしかカタチを保っていない状態でした。磔刑像の時に感じた具象彫刻への思いとは少し違う夢に、目覚めた時はこれは具象とか抽象とかのことではなく、存在そのものが自分の中で何かを問いかけているように感じました。精神分析の創始者であるフロイトが言うように夢は欲望充足であるならば、存在を消去する彫刻が私の思索の中で始まりつつあるのかもしれません。
    不安定な心に創作が宿る
    「不安定な心に創作が宿る」という表題を考えた契機は、ウィークデイの仕事にあります。不安定と言うような大袈裟なものではありませんが、ちょっとした心配事によってコトバが浮かんでくることがありました。彫刻やRECORDも、心のバランスを欠いた時に異様な緊張感に支配され、自分の代表作と言える作品が生み出されることがあります。全てが満たされた状態では、何かを訴える作品は生まれないのかもしれません。とりわけコトバは意思を伝達する手段でもあり、感情を吐露する表現として使われることがあるので、なおさら不安定な心の状態に敏感に反応するものだろうと思っています。詩人はそうした心の動きを捉え、言語表現にまで高めていける人たちを言うのだと考えます。さまざまな感情の襞を、肌理の細かいコトバ選びによって、人の心に入ってくる作品にまとめあげること、また異質なコトバとコトバをぶつけることで新しい世界を創出させることが詩人の本領だろうと思っています。不安定な心に創作の魂が宿ることが多いと改めて思いますが、過度な不安定な心では何もできなくなってしまうのではないかと一方で考えていて、傍から安定しているように見られていても、心の中では不安要素が渦巻いている状態が、創作活動にはいいのかもしれません。と言ったら、多くの人が不安を抱えているので、決して創作の魂が宿るのは特殊な状態ではないのではないかと思うのです。そのアンバランスを何とかしたいと望み、心の安定を得るために創作の道に邁進すること、それこそ自分が今までやってきたことかもしれません。
    工房周辺の植木畑について
    自宅から道を挟んで植木畑が広がっています。父は造園業を生業にしていて、市場のセリで購入してきた植木を一時この畑で保管していたのでした。父が亡くなった後、私がこの畑を相続しましたが、この畑に農業用倉庫を建てました。それから10年が経過して、農業用倉庫は工房に様変わりし、今ではすっかり創作活動の拠点として、制作や作品の保管等に活用しています。工房周辺の植木畑は暫く放置していたままでしたが、遠縁にあたる植木職人が1年に何回か植木の手入れや草刈りをしてくれていました。維持する費用のこともあって、今回はかなり大掛かりな手入れをお願いしました。植木の枝を大量に払ったり、枯れ木は伐採して、植木をどれも小さくまとめてくれました。これで当分の間は手をかける必要はないと思いました。工房で窯入れが始まると、私は出勤前に工房に立ち寄り、焼成温度を確認しています。今朝、工房に行ってみたら周辺の植木がさっぱりとして気持ちのいい空間になっていました。昨日パッカー車を入れたらしく、切り落とした枝や草も全てなくなっていました。一体何回パッカー車が往復したのか、かかった費用のことも気になっていますが、仕方のないことだと認識しています。工房のロフト拡張工事もそろそろ始まります。私が公務員管理職として仕事をしているうちに、今後発生する工事は全てやってしまおうと思っていて、退職後は余計なことは考えずに、創作活動に邁進できる環境にしたいと考えているのです。
    時間刻みの生活について
    芸術家は自由な時間の中からインスピレーションを得て、それを具現化する仕事だという認識が、私は学生時代からありました。亡父は造園業、祖父も先代も大工の棟梁という職人家庭に育った自分は、自ら決めた時間で仕事をすることが当たり前な環境だったのですが、何故か私が選んだ職業は公務員でした。ウィークディは勤務時間が決められていて、内容も全体の奉仕者と謳われているため、自分自身の能力を最大限発揮する仕事内容は少ないと感じています。50代で管理職になりましたが、自分が経験したキャリアで仕事をしていることが多く、何か判断を迫られても、大きな間違いはないと思っています。判断が危うい時は、仲間に相談して無難な舵取りをしつつ、それでも職場の活性化のために創意工夫はしています。自分ための仕事は週末に限られていて、そこでは自由を謳歌していると言いたいところですが、創作活動においてもウィークディの仕事の時間管理の影響が大きく、時間刻みの生活になっているのは否めません。それでインスピレーションが得られるのかという疑問も湧きますが、それは時間の問題ではなく、心の問題であろうと私は思っています。確かに創作世界に集中すると時間の観念から解放され、心身ともよく分からない状態になってしまいますが、集中が醒めると再び現実世界に戻ってきます。それを時間刻みの生活の中で私はやっているのです。二足の草鞋生活を送っているうちに創作世界と現実世界を素早く行き来できるようになったことが、私にとって救いでした。これは訓練の賜物だろうと私は思っています。ウィークディの仕事には退職があり、そのうち時間刻みの生活を見直す機会が訪れるのではないかと思います。長い間、二足の草鞋生活を送ってきた私には、何の制約のない自由な時間がイメージ出来ませんが、その時が何度目かの人生の転機になるだろうことは分かっています。
    三連休 根の陶彫部品の焼成開始
    三連休の最終日です。今日は昨日に比べて冷え込みが厳しく、工房での作業は辛いものがありました。制作ノルマは完全に達成できたとは言えず、彫り込み加飾は別日に設定しようと思います。あと2時間やろうと思えば出来たのですが、身体が冷えて動きが緩慢になってきたので、夕方3時に工房を後にしました。冷え込みによる身体の負担は、後になって影響が出てきます。これを警戒して今日は少し早めに終わりました。自宅で休んでいると胃腸の具合が悪くなったので、う~ん、大丈夫かなぁと思いつつ、ゆっくり風呂に浸かっているうちに回復しました。私の場合、身体の冷えには風呂が最適です。制作工程では、完全ではないにしても一応ノルマはやりました。大きな新作は、2つの塔が床を根のように這っていく陶彫部品によって連結されていく構成になっていて、今日は根の陶彫部品を2個窯に入れました。根の陶彫部品は過去に作ったものよりやや大きめで、窯には上段と下段にひとつずつしか入りませんでした。根の前後に凸面と凹面があって、それが連結の部分になります。現在の計算では15個くらい作れば、全て完成となるのですが、実際に作品を床に置いてみないと分かりません。陶彫は計算通りにいかないこともあるので、余裕を見て終わりたいのですが、毎年締め切り間際になってしまいます。根の陶彫部品の焼成が始まったところで、三連休が終わりましたが、制作では充分に成果を上げたのではないかと自負しています。三連休は寒さとの闘いで、初日に雪も降りました。工房に篭っていると体調を悪くするので、健康に気を留めていたつもりが今日になって少々体調を崩しました。明日から職場での仕事が待っていますが、職場は気温管理をしているので、この三連休のような過酷な状況の中で作業をすることはないと思います。