Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 代休 牛歩のような制作
    今日は日曜出勤の代休でしたが、昨日の大きなイベントの疲れが出て、なかなか工房に行く気が起こらず、それでも朝9時には工房で土練りを始めました。少し作業をしては休憩を取り、また作業をする繰り返しで、牛歩のようなゆっくりした制作になりました。今日は5時間ほど工房にいましたが、いつものように制作が捗らず、ぐったりしていました。いろいろな彫刻の素材の中で、粘土は私にとって快い素材で、土練りをしていると心が落ち着いてきます。どんなに疲れていても土に触れていると精神的な安定が得られます。それは彫刻に限ったことではなく、若い頃亡父の手伝いをして造園をやっていた時も、植樹のために穴彫り作業をよくしていましたが、それは苦痛ではありませんでした。誰もが嫌う肉体作業でしたが、私は平気でした。土に触れるということが私と相性が合うのかもしれません。ゆったりした作業の中で、若い頃に見た地中海の大地を思い出していました。そこに風化した石材で出来た遺跡の数々がありました。私の作品イメージの原点がそこにありました。忘れかけていた風景が甦り、それを象徴化することで「発掘シリーズ」が始まったのでした。そろそろ新作にタイトルをつけなければならず、記憶の彼方から甦った風景と現状の作品を見比べながら、タイトルをあれこれ考えました。制作工程を先へ先へと進める日もあれば、今日のような牛歩の制作日があってもいいかなぁと思い、こんな日は立ち止まって、もう一度原点を探る時間を持とうと思いました。嘗てそこで営まれていた古代の生活や建造物を、歴史の事実を解明することではなく、現代の眼を通すことで完全に美的価値として捉え、彫刻に再生すること、これが私の作品と言えます。だから「発掘シリーズ」に学術的根拠はありません。創造的なイメージがあるだけです。あらゆるものから自由に解放されているからこそ芸術なんだと思っている節が、私にはあります。今日はぼんやりした中で、暫し立ち止まり、こんなことを考えていました。 
    命を繋ぐ思いをこめて…
    今日は3.11です。8年前に未曾有な被害を齎せた東日本大震災。横浜でも大きな揺れがあって、物資の運搬経路が一時ダウンし、自然災害の影響力を感じ取った日々を今でも忘れることが出来ません。もうあれから8年も経ったのかという実感を持ちますが、東日本大震災後もあちらこちらで震災が起こり、今でも熊本城のような歴史的遺産の復元作業が進んでいる最中です。私たちは日本で生活する以上、こうした自然災害と付き合っていくしかないと思っています。私は毎年この日になると職場の放送機器を使って弔意を述べ、1分間の黙祷を捧げてきました。今日は職場では儀礼的なイベントがあり、職場を上げてお祝いをする日になっていました。今日は黙祷や半旗を掲げることはせず、私の式辞の中で東日本大震災に触れ、震災で亡くなった多くの方に報いるために命を繋ぎ、安心できる未来を作っていこうと呼びかけました。内容の導入として、先日わずか268グラムで生まれた赤ちゃんが無事退院したニュースを取上げました。それに関わって朝日新聞の天声人語にこんなことが掲載されました。「人間は誰でも未熟な段階で生まれてくる。それが他の動物との大きな違いである。馬のように生後間もなく駆け出すこともできず、猫のように生まれて数週間後に自分で食べ物を見つけることができない。」という文章でした。これを利用して、人間は親の保護がなければ育つことができず、命を繋ぐことができないと私は話を続けました。その代わり人間には学習に対する伸びしろがあり、言葉を話し、道具を使い、知恵を絞る特長がある、人間が命を繋ぐためには周囲の庇護が必要なのだ、人間は人と関わることで豊かな未来を作っていけるという内容を述べさせていただきました。私は毎年3.11を命のことを考える日と決めています。私がやっている創作活動も鑑賞する人に、私たちが生きている空間とは何か、空間的美意識とは何かを伝えていくもので、命を活性化するもののひとつではないかと自負しています。何もないところから創造して、何かを作りだせる能力は、人間だけに与えられた素晴らしい力だと私は常々思っていて、それが私を突き動かしている原動力なのだろうと考えています。
    週末 休日出勤の日
    今日は休日出勤日です。明日は職場として1年間を通して一番重大なイベントがあるため、今日はその準備出勤なのです。このNOTE(ブログ)では、横浜市の公務員管理職としか私の身分を表明していませんが、多くの同僚がNOTE(ブログ)をご覧になってくれているので、既にバレてしまっているところはあります。しかしながら職種の情報の拡散を怖れて、敢えて立場を申し上げていないのです。私をはじめ多くの横浜市職員が、それぞれの職場で明日のイベントを迎えようとしています。職場によっては、今日は休みにしているところも数多くありますが、私の職場では通常勤務にしました。そのため今日はさすがに創作活動は出来ませんでした。代休は火曜日に取っていますが、私は夕方職場に出勤する用事があるため、完全に休めません。日曜日は他の機関からメール等が入ることがないので、私も明日の式典のための準備が出来ました。明日は3.11です。東日本大震災から8年が経とうとしています。あの未曽有の震災のことを思い起こす度に辛い気持ちになります。私は3.11の午後になると職場の放送機器を使って、内外に弔意を示し、黙祷を捧げてきました。今回は職場の式典があるので、例年のような黙祷はしませんが、その代わり私の式辞の中で、命を繋ぐ大切さを訴えていこうと思っています。日本に住んでいる以上、自然災害に見舞われる機会が少なからずあります。そのための防災訓練を毎年やっています。国際的に見れば日本ほど防災訓練を頻繁にやっている国はないのではないかと思っているところです。東日本大震災は8年経っても鮮明に覚えていて、風化できるようなものではありません。その後も自然災害は後を絶たず、自分の身を守る意識は高く持っているつもりです。そんな思いを明日の式典の中で吐露しようと思っています。
    週末 一日だけの制作日
    明日は職場で休日出勤する日になっていて、週末の休日は今日しか取れません。週末が2日取れれば、陶彫制作が順調に進むのですが、一日だけとなれば、制作サイクルを少々遅らせて足踏みすることになります。今日は彫り込み加飾2個と、乾燥した陶彫部品に仕上げと化粧掛けを施しました。通常の制作サイクルなら明日の成形のために大きなタタラを数枚用意するところですが、今日は止めました。今日は久しぶりに若いスタッフが工房にやって来ました。彼女は中国籍のアーティストで、グラフィックデザインを大学院で専攻していました。現在はその大学で助手をやっています。入試の業務が無事終わり、次は新入生を迎える準備があるそうです。毎年中国人留学生が増えているので、彼女の仕事は多忙になっているのではないかと思っています。いつも笑顔でいるので、彼女の辛さが分かりませんが、グローバルな教育には欠かせない人材であることには変わりはないでしょう。今日は早めに彼女を最寄の駅まで車で送りました。今日は花粉症が気になりました。若い頃に比べれば、花粉症が多少改善されていると自分では思っていましたが、今日はクシャミが止まらず、作業が度々中断しました。次回は制作を先に進めなければならないと思いました。
    コトバと彫刻について
    私は彫刻に関わるようになったのは大学の1年生からで、それまで工業デザインを専攻するつもりだった私が、極端な方向転換をして初めて彫刻に出会ったのでした。本格的な立体表現を知らなかった私は結構混乱して、そこから半ば自嘲的で内密なメモ書きをノートに残すようになりました。立体把握に困難を感じていた私は、そもそも自分に彫刻は向かないのではないかとさえ思っていました。今もその感覚は忘れていません。立体把握が面白くなりかけた時期になると、素材を扱う困難さに直面していました。粘土、木材、石材、金属、どれをとっても自分のものにならず、おまけに表現の自由を奪っているものは、何といっても素材の重力でした。当時のメモ書きはそんな不満や不安が綴られていたのではないかと述懐しています。大学卒業時に焚火にしてしまったメモなので、今では私の記憶が頼りですが、そこには詩らしきものも書いてありました。その中で「蝙蝠」という詩の題名は覚えていますが、内容は思い出せません。母方の祖母に見せたらクスっと笑われました。詩への関心は高校1年生の現代国語の教科書に掲載されていた詩が契機になり、そこから詩作する試みが始まりました。草野心平、谷川俊太郎、黒田三郎、西脇順三郎の詩から始まり、書店に出入りするうちに寺山修司、白石かず子、富岡多美子などに興味が移り、自宅の書棚に詩集が増えていきました。言うなれば私の関心は海外の詩人よりも日本人の現代詩から始ったのでした。大学に入ると美術評論を書いている大岡信、瀧口修造の著作が増えていきました。詩と彫刻双方の分野に足跡を残した芸術家となれば、お馴染みの高村光太郎がいます。私は彼が生きた環境が知りたくて、晩年の光太郎と智恵子が住んだ岩手県の寒村を訪ねています。私自身は詩の創作が出来ているとは言えません。詩は彫刻よりも早く芽生えた創作分野でしたが、彫刻の方がいち早く自己表現の方向性を定め、個展を開催できるまでになりました。彫刻をイメージする際に詩心が必要なのは言うまでもなく、私が密かに育んだ詩は、造形の中に生きているのではないかと思うこの頃です。