2018.12.19 Wednesday
昨日、一昨日のNOTE(ブログ)に「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)の単元毎のまとめを掲載しました。著者であるミシェル・アンリはフランスの現象学者で、抽象絵画の先駆的役割を担ったカンディンスキーの絵画論を、現象学的視点で論じたものが「見えないものを見る カンディンスキー論」です。本書を読む前に、カンディンスキーに関する文献を読んでいた私は、点・線・面、あるいは色やフォルムを独自な視点で論じている本書に関しては、予備知識も手伝って読解に多くのパワーを費やすことはありません。手強い箇所もありますが、カンディンスキーの絵画を思い浮かべれば、難しい文面も紐解けるような気がしています。それに比べると「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)は、私にとってかなり難解な箇所が多く、読み取りに時間を要します。本書は現象学を提唱したフッサール哲学を平易に解説した書籍ではなく、フッサールの理論を現代にアレンジした発展的な専門書ではないかと思っています。幾度も読み返しながら理解に努めていますが、何しろ御本家フッサールの書籍をまだ読んでいない私は、胸にストンと落ちていかない咀嚼不全を感じています。フッサールの翻訳書籍も持っているのですが、これもなかなか難しくて頁を捲ると腰が引けるような専門用語の羅列が眼に入ります。それは「形式論理学と超越論的論理学」という書籍ですが、これに挑むのは少々先になりそうです。とりあえず、現在読んでいる「見えないものを見る カンディンスキー論」と「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」を冬季休業が終わるまでに読破したい目標があります。2冊同時読破は難しいかもしれませんが、頑張ってみるつもりです。
2018.12.18 Tuesday
昨日に引き続き「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)の単元を取上げます。今回は「目に見えない色」についてです。カンディンスキーの著書「点・線・面」の中では、色彩以外の造形要素の分析がありますが、それでも著者は色についてのカンディンスキーの理論を読み解いています。「われわれは、線の実際の存在とは線を生み出す力であり、最終的にはその力の情念であり、したがって目に見えない存在であることを論証した。色の場合の証明は、同じやり方で、同じくらい明快に行ない得るであろうか?色はいかなる力とも結びついていないように見えるし、主観性の領域の中に自己を同じように組みこんでくれそうな主観的性質を有する媒介物をまったくもちあわせていないように見える。」と色についての否定的な見方を冒頭では標榜していますが、カンディンスキーが展開する色についての情熱的な論考を取上げて、色は目に見えない生の中に感じ取ることができると結論付けています。色を包括的に含んだ絵画論に、私が気に留めた箇所がありました。「絵画は、ことばなしですませる。そのことが抽象絵画によって教示されるのであり、また抽象絵画に表現力をもたらすのである。実際、もし色が外的な関係によってわれわれの心の諸感情とかかわるのではなく、その諸感情の中に真の自己存在ー純粋な感覚としての、純粋な体験としての自己のありようーを見出しているとすれば、色は、ひとつの方法として、目に見えないわれわれの生という抽象的な内容を表す必要はない。色はわれわれの生と一致している。色はわれわれの生の情念、苦しみ、憂い、孤独、喜びとなっている。」これは抽象絵画における色の関わりが示された一文です。次に抽象絵画とは何か、というより一般的な絵画についても生と色との関係を解いています。「生と芸術作品との関係において、対象に意味や価値を与えることのできる眼ざしはまったく存在しない。なぜなら眼ざしや意味や対象は存在しないからであり、たとえば生と色との関係とは、色の主観性、すなわち生それ自体であるからである。」今日はここまでにします。
2018.12.17 Monday
「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)の中で、「要素の統一性」について取り上げます。冒頭の文章から引用すると「要素の統一性とは絵の統一性にほかならない。それはコンポジションの統一性であり、より正確にいえばそのコンポジション自体である。」というのが、この論文の主旨であって、そこから派生するさまざまな平面上に於ける空間について論じています。それにはまず実在の空間か、想像上の空間かを問いかけています。三次元の錯覚を作り出す古典主義絵画は、こんな一文で表しています。「絵の上では遠近法が錯覚をひき起こすということは、遠近法の構築する空間が想像上の空間であることを意味している。」所謂写実絵画は平面上に静物なり、人物なり、風景なりの描写を通して、平面上に奥行きという錯覚を与えているに過ぎないことが述べられています。では実在の空間とは何でしょうか。「コンポジションの、すなわち絵画の可能性は、今や空間自体の中に、ありのままの外面性の中にあるだろう。」というのがカンディンスキーの分析にあり、絵画的空間を根本的なところから捉え直しているのが、カンディンスキーが提唱するものだろうと私は思いました。こんな一文もありました。「平面はそれ自体ひとつの要素であるということだ。このようなものとして、平面は二つのやり方で現れて来る。つまり、外面性において外面性そのものとして、そして情念的諸様態すなわち生の諸様態にもとづいた内面性において。平面の統一性とは内部の統一性である。その統一性が生の中にあり、生と混ざりあっているからこそ、それは情念であるのだし、潜伏している動的な構造化が、基礎平面を貫いて秘められた拍動を与えるのである。」今日はここまでにしておきます。
2018.12.16 Sunday
今日は朝から工房に篭って制作三昧でした。工房は亡父が残してくれた植木畑の中にあります。早朝、畑を歩くと所々に霜がありました。いよいよ寒くなってきたなぁと感じていて、ストーブを焚き始めました。ただし、家電用のストーブなので工房全体が暖かくなることはなく、手を暖めることしか出来ません。陶彫制作は水を使うので、暖が取れるだけでも助かっています。今季初めてのストーブなので灯油の補充をしなければならないと思いました。今日は昨日準備したタタラと紐作りを併用して陶彫成形を行いました。時折ストーブの傍に行って休憩するので、冬の作業は時間がかかるのを思い出しました。午前中に鉄工所の業者が工房にやってきました。実はロフトの拡張を考えていて、天井からのリフトも取り付けようと計画しているのです。作品の置き場所が工房の半分以上を占めている現状を何とかしたいと思っていて、ロフトの拡張工事は私が現職でいるうちに実行したいと思っています。ロフトはいつごろ作ったのか、NOTE(ブログ)によると2015年11月8日付けで「工房の倉庫部分のロフトが完成」という文章がアップされています。ということは2年前に完成したことになります。そんな昔ではないのに、もうロフトは足の踏み場もないほど作品や道具が溢れているのです。ロフトには鉄骨の階段がありますが、陶彫部品を梱包した木箱は階段を人力では上げられず、1階の倉庫部分に置いてあります。今回は工房の半分をロフトにしてしまう計画です。そうなるとロフトには照明も必要になります。現在のロフトでは、昼間でもかなり暗くて整理整頓がやり難いのです。夕方になれば真っ暗でロフトでの作業は出来ません。近いうちに鉄施工業者、リフト取り付け業者、電気施工業者が来て、全体で見積もりを行う予定です。工房が町工場のようになっていくようで、ちょっとしたワクワク感があります。公務員管理職と彫刻家の二束の草鞋生活でいるうちに、作品収納倉庫を万全にしておきたいと思っています。これには多大な費用負担がかかると考えていて、給与を貰えるうちにやっておきたいのです。植木畑の木々も先日業者に思い切りカットしてもらいました。これも同じ理由によるものです。
2018.12.15 Saturday
週末になると、陶彫制作のみに終わらず、何かの用事を一緒に済ませています。今日は映画館や美術館ではなく、知り合いのパティシエの店に足を運びました。用事があっても制作工程は変わらずにやっているので、朝から工房に行って成形のためのタタラ作りや乾燥した陶彫部品に仕上げや化粧掛けを施しました。工房内の寒さが増し、例年のようにストーブがあった方がいいかなぁと思いました。土曜日はウィークディの疲労が残っていて、思うように作業が捗らないので、休憩を多く取るようにしています。午後2時過ぎに何とか今日の制作ノルマが達成できて、自宅に戻りました。夕方になって家内と川崎市多摩区中野島にある洋菓子店「マリアツェル」まで車で出かけました。「マリアツェル」の店主は、自分の若い頃にオーストリアの首都ウィーンで知り合ったパティシエです。彼はホテルで働いていたため金銭に不自由がなく、逆に私は貧乏学生だったため、彼に遊びに誘われたことが結構ありました。彼が帰国して、ドイツ・オーストリア菓子を作る店を川崎の実家にオープンしたところ、よく売れたようです。「マリアツェル」は原料をヨーロッパから仕入れていることもあって、日本の洋菓子とは一味違うものになっていて、当時から本物志向が高まっていたことから、時代に合っていたのではないかと思っています。この時期に私は「マリアツェル」にシュトレンを買いに出かけます。シュトレンとは、クリスマスにドイツ・オーストリアでよく食べられている、ドライフルーツや胡桃、マジパン等が入った重量のあるパンのことを言います。ドイツのドレスデンが発祥だそうで、毎年コンクールが行われていると聞きました。「マリアツェル」の店主もつい先日までドレスデンに数日間行っていたそうで、帰国したら作り置きしていたシュトレンの在庫が少なくなってしまって、大急ぎで追加したという話を聞きました。シュトレンは幼子イエス・キリストのお包みの形に似せているところからキリスト教との関連もあるそうです。私は今の職場や彫刻の師匠や先輩を初めとする知り合いに贈るため、たくさん購入してきました。私自身も懐かしさも手伝ってシュトレンを愛する一人です。