2019.04.06 Saturday
横浜市瀬谷区の職場に転勤してきて最初の週末ですが、職場周辺の地域行事があって午前中は職場に出勤しました。地域住民と一緒に近隣を散策するイベントで、「安全散歩の会」と称されていました。瀬谷区には瀬谷八福神めぐりがありますが、その一部になっているお寺を出発して、また最初のお寺に戻るコースでした。散歩道の中に大きな桜があり、満開の花をつけていて見事でした。好天に恵まれ、汗ばむような陽気でしたが、1時間程度を只管歩いて来ました。午後は家内と東京上野の美術館と博物館に行って来ました。東京都美術館で開催されていたのは「モダンアート展」で、昨年度まで私がいた職場の人が同展に出品していて、毎年招待券をいただいているのです。私も同じですが、仕事をしながら創作活動をやっていくのはなかなか大変です。彼は抽象絵画を描いていて、銅箔を貼り付けた画面と強烈な青の色面が特徴的な作風です。1年間に団体展やグループ展など数回の展示機会を得ています。時間が許す限り、私は彼の平面世界の展開を見にいこうと思っています。次に向ったのは東京国立博物館平成館で開催中の「国宝 東寺」展でした。私は職場の関係で1年に1回は京都を訪れています。昨年度は偶然にも東寺に行って、講堂に設置された立体曼荼羅を見てきました。東寺講堂で見る仏像群と博物館で見る仏像群は同じものとはいえ、印象はまるで異なります。一体ずつ丁寧に照明を当たられた仏像、しかも360度周囲を回りながら見られるのは、仏像に美術的価値を見出そうとしている私には有難い展示空間です。京都で見た時はじっくり鑑賞する暇もなく、空海が齎せた密教や曼荼羅のことを考えることもできませんでした。本展には立派な図録が用意されていて、曼荼羅の理解には欠かせない存在です。私は展覧会の図録を必ず購入します。学生時代、お金がなくて図録が買えなかった反動ですが、図録はしっかり読み込んでいきます。私は滅多に音声ガイドは利用しません。解説なしのファースト・コンタクトを大切にしていて、そこで受けた印象を、後になって図録で確認していくのです。鑑賞は、眼で見た印象と図録にある論評の双方で成し遂げるものだと私は考えていて、論評を踏まえた感想はこのNOTE(ブログ)に書いていきます。「国宝 東寺」展の詳しい感想は後日改めます。帰り道に上野公園の桜並木を見てきました。よくテレビで報道される場所ですが、土曜日ということもあって大勢の人が訪れていました。マナーを守るように大きなゴミ箱が設置されていて、救急車や消防車も待機していました。春の宵、多くの外国人観光客が目につきました。
2019.04.05 Friday
4月1日に転勤してきて、職場の雰囲気にまだ慣れていないのに、今日は大きなイベントを迎えることになりました。このイベントで一気に職場の仲間たちと親しくなれた気がしました。私は自分の職種をNOTE(ブログ)に書いていませんが、多くの同業者がNOTE(ブログ)を読んでくれているので、イベントの雰囲気は伝わるのかなぁと思っています。イベントはどこの職場でも流れが似ています。私は大きな混乱もなく、滞りなく今日の予定をこなしましたが、周囲への気遣いの疲れが出たようです。この1週間はあっという間に過ぎたように感じています。慣れない分かなり疲れているはずですが、実際のところ疲れた感じはしないのです。ただ、何となく気分がすぐれないので、今週は残業をしないで帰ることを心がけました。自宅ではぐったりしてしまうので、これを解消するためには、この職場に一刻も早く慣れて、肩肘張らずに仕事をしたいなぁと願うばかりです。通勤途中のコンビニで見つけた生ハムを挟んだパンや酢漬けのサラダがあります。昼食に買っていきますが、こうしたちょっとした楽しみが気分を楽にしてくれます。休憩時間には読書も出来るので、自分を失うことはありません。おまけに今日のイベントが過ぎれば、益々職場を身近に感じることができるので、私は大きなストレスを抱えずに済みそうです。職員は至って前向きな人が多いのに気がついてきました。これも嬉しい限りです。あとはチームワークはどうなのか、しっかり見ていきたいと思っています。明日は職場のある地域での取り組みがあって、週末ですが午前中出勤です。午後は家内と美術館散策でもしようかと話し合っているところです。
2019.04.04 Thursday
「対峙」とは相対して聳え立つことで、両雄が睨んでいる状態をイメージして、今月のタイトルにしました。最近のRECORDでは「対」というタイトルで、相対するモノを具現化して表現したことがありましたが、似たような表現になることは否めません。同じ要素でも作品は異なると私は考えていて、コトバのニュアンスの微妙な違いが造形に表れるのではないかと思っているのです。造形的なイメージを持ち易いコトバを選ぶと、過去のテーマに似てしまうのです。「対」や「対峙」は私が取っつき易いコトバのひとつで、私にしてみれば造形のバリエーションも豊富なのです。感情的なコトバは一見良さそうで、実は造形化する時に大変苦労することがあります。大きな意味を持つコトバも避けてしまいます。何でもありのテーマでは、そもそもタイトルを決める必要があったのか疑問を抱いてしまうからです。月々のタイトルは結構時間をかけて考えています。1ヶ月分を保つために、どのくらいイメージを展開できるのか、途中で苦しくなったりしないか、さまざまな場面を想定しながらコトバを選んでいます。現在のRECORDは下書きばかりが先行していますが、何かが対峙している風景を模索しながら、鉛筆と消しゴムを使って描いたり消したりしています。この線が気に入らないとか、ここをもう少し省いてみようとか、描き進めていくと対峙する風景とはお世辞にも言えない画面になってしまったり、1時間ほど奮闘しているうちに睡魔がやってくるのです。脇の棚に絵の具が仕舞ってあるのですが、そこを横目で見ながら、今日はここまでにしようと裏面に日付を記して、卓上にRECORD用紙を積んでしまいます。最近は山積みが次第に増えています。RECORDと自分、まさに対峙している風景だなぁと思っています。
2019.04.03 Wednesday
今月の制作目標を考えました。最初に19’とつけたのは過去に同じタイトルがあるかもしれず、敢えて西暦を入れたのでした。4月は職場としては多忙です。年度初めにやらなくてはならないことがたくさんあって、気持ちが落ち着きません。私は新しい職場に転勤してきましたが、前の職場との若干の違いを感じ取って戸惑っています。日々慣れてきていますが、今月は創作活動に気持ちが向くかどうか心配です。そうは言っていられない状況もあるので、制作目標だけは決めておきたいと考えました。大作「発掘~双景~」は何とか目途が立ちました。それ以外のテーブル彫刻と小品数点を今月から始めようと思っています。テーブル彫刻は2個同時に作っていて、テーブルの天板は既にカット済みです。無理をせずに2個のうちの一つを完成させていこうと思っています。曲面のある陶彫部品を配置するテーブル彫刻にしようかと考えていて、あたかも動き出すような動物的な造形がイメージにあります。4本足の架空の動物というわけです。私は有機的な形態が結構好きなので、時に植物的であったり、また動物的であったり、動きを表現する立体を作ろうと心がけている節があります。なかなか作り出せなかったテーブル彫刻は、実は私に面白みを感じさせる要素が一杯詰まっているのです。今月はテーブルの木の脚を彫ること、テ-ブルに設置する陶彫部品を作ることに集中して取り組みたいと考えています。幸い4月末から5月にかけて長い連休があります。この連休でテーブル彫刻を完成させれば、個展出品予定の作品全貌が見えてきます。陶彫制作はそんな目標を掲げてやっていきますが、一日1点ずつ作っているRECORDがかなり厳しい状況に追い込まれています。新しい職場から自宅に帰って、RECORD用紙を取り出して、何かを描き始めると睡魔に襲われて耐えられなくなるのです。これはどうしたものか、お茶を飲んだり、音楽を聴いたりして何とか下書きだけでも終わらせようと必死です。まずは下書きを描き溜めておくことが精一杯で、仕上げにはほど遠い状態です。もう少し落ち着いたら猛然と仕上げに取り掛かれるのでしょうか。甚だ心もとないRECORDですが、それでも諦めずにやっていきたいと思っています。
2019.04.02 Tuesday
先日、常連になっている横浜のミニシアターにイタリア映画「エマの瞳」を観に行ってきました。主人公は盲目の女性エマと仕事漬けでプレイボーイのテオ。この2人の恋愛が中心になる物語ですが、境遇が対照的な2人がどうして惹かれあうようになったのか、お互いを補填しあう関係によって、生きること、愛し合うことの真実が見える映画になっているように私には感じられました。図録にこんな文章がありました。「これまでの作品にありがちな、障がい者の能力を称賛したり、彼らの境遇へ同情を向けるようなものではない。~略~わたしたちにとっては”特別な”彼らの日常を、わたしたちの恋愛という”ありがちな”日常と交差させ、わたしたちにとっても”特別”でないものにさせること。~略~身体的に盲目を病むエマと、心の盲目を病むテオ。盲目に捉われず、実質的に正常で充足した生活を送っているエマ。”見えない”心を患うテオは、エマに好意を抱きながらも、保守的な固定観念に縛られ、そこから中々脱却することができないでいる。」(ジュゼッペ・コッツォリーノ著)この文章が示す通り、お互いが不器用になってしまうほどの大恋愛を通して、それぞれが内面と向き合い、自己を問う場面もありました。とりわけテオは仕事に奔走する外見とは違い、母親や妹には距離をおく臆病な男として描かれていました。変化を受け入れるとはどういうことか、愛しいと思う感情にはさまざまなニュアンスが含まれていることを、この映画は語っていました。映画の冒頭に「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の体験場面が出てきました。これはドイツの学者が提唱したもので、暗闇の空間で、日常生活のさまざまな事柄を聴覚や臭覚など、視覚以外の感覚で体験するワークショップです。盲目のエマとテオが体験を通して出会う場面ですが、よく練られた動機づけになっていると思いました。