2019.04.26 Friday
私たちの職種は暦通りに休日がとれます。休日は勤務を要しない日ですが、全職員のうちの大半が、さまざまな用事で休日出勤をしているのではないかと予想されます。私はもうひとつの仕事があるので、暦通りに休ませていただきます。この10連休の間に少しでも創作活動を進めておかないと、図録用の撮影や個展に間に合わなくなるのです。10連休のうち、一日は美術館に出かけたいと考えています。美術館は千葉県にある美術館と神奈川県平塚にある美術館を車で回りたいと考えていて、連休中の渋滞が心配されるところです。令和元年5月1日になってすぐ声楽家の叔父のリサイタルが予定されています。楽しい音楽鑑賞で迎える令和の時代をお祝いしたいと思っています。連休後半はロフト拡張工事が入るため、作業場に放置してある作品を移動しなければなりません。創作活動とは違う用事が入ってきますが、こればかりは仕方ありません。その中で新作をどこまで進められるのか、これを考えていると気が緩む暇がありません。さしずめ「発掘~曲景~」の完成を目指します。ただし、陶彫部品を窯に入れてしまうと電気の関係で照明等が使えなくなるので、焼成は連休後に行います。個展のために「発掘~双景~」と「発掘~曲景~」の他に小品を何点か作らねばならず、これも始めていこうと思っています。10連休は楽しみでもあり、自分を突き詰めていくため厳しい条件を自分に課す場でもあり、普段の仕事から自由になれる空間でもあるので、時間を大切にして過ごしたいと思っています。体調を崩してしまったら計画は水泡と化してしまうので、無理のない範囲で頑張りたいと思います。
2019.04.25 Thursday
現在制作中のテーブル彫刻に題名をつけました。昨年発表したテーブル彫刻は「発掘~角景~」で、ピラミッド型の陶彫部品をテーブルの下に逆さまにして吊り下げた作品でした。ピラミッド型の陶彫部品には曲面はなく、すべて平らな面で仕上げていたので、今年の作品とはまるで異なります。今年の作品の陶彫部品は、すべて曲がった面で仕上げています。鋭角な部分はどこにもありません。そこで題名を「発掘~曲景~」にしたのです。私はあえて題名を単純で分かりやすいものにしています。そこに詩的なイメージや思索はありません。昨年の「発掘~角景~」と違う部分はまだあります。昨年はテーブル上部には陶彫部品を置きませんでした。テーブルの下に吊るすだけにしたのでした。今年発表する「発掘~曲景~」はテーブルの上下に陶彫部品が接合します。上下で関連した造形になります。前述したとおり陶彫部品は曲面ばかりなので、全体としては丸い形態になります。テーブルの上下にあった方が丸さが強調されるのではないかと考えたため、上下に設置することにしたのでした。テーブルの脚も曲面を使っています。これは柱を木彫していますが、部分的に膨らんだり、細く削り取ったりして、たっぷり彫刻の要素を盛り込んでいます。感覚的な捉えを楽しみつつ作業をしています。今までは造形を制御することが多かったので、時には自由に彫り進んでいくのもいいなぁと思っています。私の作品世界はこのままどんどん曲面を多用し流動的になっていくとは思えず、どこかで振り戻しがあると考えますが、今年に限っては大きな作品である「発掘~双景~」にしても、テーブル彫刻「発掘~曲景~」にしても曲面を全面に出した作品になろうかと思います。テーブル彫刻「発掘~曲景~」はゴールデンウィーク中の完成を目指します。
2019.04.24 Wednesday
「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)の第三章は「日本で装う 仕組と趣向がはずむ」という副題がついていて、前章より引き続いて職人に関する日本独自の視点が述べられています。著者は京都の呉服屋に生まれたそうで、現代日本における和装の衰退を語っていますが、確かに普段から和服を着ている人はほとんど見かけない現状があります。家内は和楽器奏者なので、それでも和服を着る機会が多いのですが、着付けの困難さを考えると、特別の場合以外は和服が敬遠されてしまうのも分かります。現代に和装文化を蘇らせる捉えとして「着物を”できあがった着物”として見るのではなく、たとえば布として、たとえば紐として、たとえば染や織として、さらにテキスタイルデザインやファイバーアートとして、見なおしてみるとという視点です。~略~紐として見るというのは、そこにムスビ(結び)のおもしろさを発見しようということです。~略~また、文様として着物を見れば、これは装飾古墳の内側の意匠、屏風や襖や扇子の文様、文箱や牛車の装飾というふうに連鎖的に広がって、そのなかに着物も入るということになり、むしろ着物を文様群のひとつとしてみなせる余地も出てきます。」という文章がありました。こうした日本独特な文化の傾向をまとめると「日本文化を支えている文物の多くは、構造と部品の機能的な大小関係で成り立っているのではありません。それぞれの部品が自立していながら全体をアソシエイトしたりシンセサイズしているというふうになっている。また全体にも部分にもかかわって、それらを覆っている複数のパラメーターが動いている。全体と部分のあいだに所属関係や従属関係があるようで、ないのです。」となります。次にこの章では仕組という言葉が登場してきます。仕組はシステムとも思われますが、著者は仕組はもっと柔らかいものだと述べています。システムは体系で、仕組は体系ではないのです。日本の建築を引用して、こんな言葉を発しています。「こういう仕組と仕事の関係が柔らかいからといって、そこに法則がないというのではありません。能や歌舞伎に序破急があるように、そこには独特の『矩』というものがあり、『矩尺』というものがある。矩とは寸法についての考えかたのことです。したがってこの矩や矩尺はけっして法則的な理論とか標準的な1メートルの物差しというものではなくて、素材や場面や相手にあうようにつくられていく。どんな調整もつくようになっているわけです。そこも柔らかい。」著者の感覚的な捉えも面白くて柔らかいなぁと思いました。
2019.04.23 Tuesday
「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)の第二章は「日本も動く 職人とネットワーカー」について述べられています。日本の職人が持つ「キワ」(際)とか「ハシ」(端)の考察です。私の祖父は宮大工、父は造園業を営んでいたため、私は職人家庭に育ちました。職人を巡る内容には、前述したコトバを含めて納得できる箇所が多く、現代では職人ならではの技が失われる残念さも課題として残されています。本章ではもうひとつ、日本の多重性をネットワークの視点から論じている箇所があり、ここにも興味関心が湧きました。本文から引用いたします。「日本を大きく変えてしまったのは、中世のネットワーカーたちでした。この人々のことを、漂流者とか遊行民とか『道々の人』とかいいます。最近のハヤリの言葉でいえばノマド(遊牧民)です。一所不在の人々であり、無住の人々である。」著者はこのネットワーカーを3つのグループに分けています。一つ目は出家遁世したネットワーカーたちで、有名な人では西行がいます。二つ目は職人と芸能者の群れです。三つめは前述に重なるところもありますが、遊行者の動向です。本文より「遊行者は本来ならば仏教者のことで、平安時代の空也のような念仏上人か、ないしは修験者(山伏)や密教僧が多いはずなのですが、そうではない多くの民衆たちもまじっています。~略~かれらをまとめて阿弥たちとよぶとすると、この阿弥たちはさまざまな人々と交流することを大事な使命としていたのですから、さまざまな職芸にもかかわりました。」とありました。ここに有名な世阿弥が登場してきます。「世阿弥のばあいは将軍義満がとりたてたことがよく知られていますが、そういう記録がのこっていない阿弥たちのなかでも同朋衆になったり、それに比肩するディレクターとして活躍した者たちも少なくなかったのです。」最後にこんな文章がありました。「あらためてふりかえってみると、ネットワーカーの出現は何も中世にかぎったことではありません。日本の神々の伝承には、最初から遍歴的であり、彷徨していた神がたくさん動きまわっていました。そういう神々もネットワーカーでした。~略~日本では神の仮の姿を『蓑笠つけて道を駆け抜けていく姿』に求める見方が多くあったのですが、その姿は中世の遍歴遊行のネットワーカーと似ているばかりか、近世の博徒や無法者や無宿者などの、つまりは任侠でヤクザな者たちが『カッパからげて三度笠』の姿で街道を駆け抜けていくアウトローの姿とも似ているということです。」
2019.04.22 Monday
今日は土曜日にあった休日出勤の代休で、一日中工房に篭っていました。来週から連休が始まりますが、その前に乾燥した陶彫部品の窯入れを行おうと思っていました。先週くらいから陶彫と併行して木彫を始めましたが、今日は木彫を休んで 陶彫一辺倒にしました。陶彫は成形と彫り込み加飾が終わった後、乾燥させるため暫く放置します。そこが木彫とは違います。木彫は待ちの時間がないため、計算どおりに制作が進みます。陶彫は自然乾燥という待ちの時間が必要です。公務員との二足の草鞋生活で作品を放置しなければならないことが、昔から都合が良かったのでした。加えて陶土の土質が自分には向いていると思っています。可塑性のある素材に学生時代から親しんできて、膨らませたり、削ったりする行為が自分は好きなんだと思います。今日は朝からテーブル彫刻に接合する陶彫部品を作っていました。曲面の多い立体造形のため彫り込み加飾も曲線を多く使いました。作品の骨格はテーブルとしての構築性がありますが、表面的にはグニャグニャした作品になりそうです。極論で言えば陶彫は曲面が作れるからこそ効果的なのかもしれません。直線的な造形ならば金属でも構わないのです。金属で自由な曲面を得ようとすると鋳物でなければ出来ないのではないかと思うところです。そこへいくと陶土は容易に曲面が得られます。私の作品は焼成すると錆びた鉄のような雰囲気を纏います。鉄で作るとなると、これはどうやって作るのだろうと考えるところですが、陶土を鉄のように見せているだけなので、種明かしは簡単です。午後は錆びた鉄を装うために、陶彫に化粧掛けを施して窯に入れました。窯出しは木曜日になる予定です。