2019.02.07 Thursday
「ある日の彫刻家」(酒井忠康著 未知谷刊)を読み始めました。本書は副題に「それぞれの時」とあって、美術評論家酒井忠康氏がそれぞれの時代や場面で関わられた造形作家に対し、その思いを綴られた随筆集になっています。現代の日本を代表する具象彫刻家佐藤忠良、既に故人になってしまった巨匠のインタビューは、この稀有な彫刻家の性格や人生を浮き彫りにする極めて興味深いものでした。私は20代の頃、学校で人体塑造を学んでいた時には、佐藤忠良、船越保武、柳原義達という3人の巨匠がまだ存命で、日本人が作り出す具象彫刻の在り方はこういうものかと思っていました。ただ、自分は具象表現になかなか自己を見い出せず、塑造による空間デッサンが上手になっても、人体に自己表現を突き詰められない力不足を感じていました。本書の中には、そんな自分が塑造を作る一方で、当時その独特な造形世界を構築していた保田春彦、若林奮先生たちに関わる随筆が載せられていて、興味関心が尽きません。本書は彫刻以外の分野で活躍する方々の仕事を紹介していて、これにも興味を感じるところです。現代彫刻は私にとって生涯を賭けるほど刺激的な分野になってしまっています。日本美術史の中では特異な光を放つ分野かなぁと自分勝手に思っていますが、どうでしょうか。通勤の友として本書を楽しみながら読んでいきたいと思います。
2019.02.06 Wednesday
今年のRECORDは「風景シリーズ」を始めています。今までのRECORDにも風景が再三登場してきましたが、改めて風景を取り上げることで、新しい可能性に挑みたいと思っているのです。今月は「梱包の風景」にしましたが、ブルガリア生まれでアメリカで活躍する芸術家クリストの作品を思い浮かべる人も多いのではないかと思います。クリストの作品は言うなれば「風景の梱包」です。歴史的建造物や海に点在する島などを巨大シートで覆い隠すプロジェクトは、度肝を抜く迫力で風景の非日常化を図ったものでした。シートで覆い隠すことで今まで見慣れたものが、日常を離れ、巨大なオブジェになる瞬間に、私たちは用途を暫し忘れて、驚きを隠せなくなってしまうのです。クリストはドローイングや版画でそのアイディアを表現しています。私もそれに近いことをRECORDでやろうとしています。もちろんクリストのように実際に作ることは不可能ですが、梱包に対する不可思議な魅力に贖えない自分がいます。彫刻家若林奮も自らの造形を鉄や鉛で覆い隠すことをやっていました。梱包された内部に何が潜んでいるのか、見えない作品を詮索する面白さ、梱包された外皮に対する印象や美的価値転換など、梱包そのものを芸術として思索するとさまざまな考えが出てきます。今月は「梱包の風景」をテーマに1ヵ月間頑張ってみたいと思います。
2019.02.05 Tuesday
先月末にフッサールが提唱した現象学における現代的な解釈を論じた日本人著者による書籍を読み終えたばかりですが、もう一冊フランスの現象学者が著したカンディンスキー論を同時に読んでいて、こちらの方はまだ読破しておらず、ここでひとつの単元である「フォルムと色」のまとめを行います。現在、とつおいつ読んでいるのは「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)で、改めて私自身でカンディンスキーを通して抽象絵画の見直しを図っているのです。単元の冒頭で「外面的には、色とフォルムは互いに無関係であるように見える。」という問いかけがあり、それに対する答えとしての論理が展開していきます。「もし形象表現的なフォルムと色とが要素であるとすれば、両者が外部の様相においてどんな相違を示そうとも、両者は共通の本質を、おのれの基調色をもつ。基調色は等質であり、それはデカルト的な意味で、主観的な生の、心の形態である。」これは何を意味しているのか、カンディンスキーが述べている「芸術は、感性に働きかけるものであるがゆえに、それは、また、感性を通してしか、働きかけることができないのだ。」という言葉に示されているように、感性の前ではあらゆるものが要素として、外部や内部の様相を伴って存在していることになります。そうした視点で芸術を見ていくと、フォルムや色は究極的に一つの基調色であると言えるのです。さらにそれらの統一性に関する文章もあり、まとめとして引用させていただきます。「この世界の情動的な統一性に関するこうした重要な規範は、そうすると多様性の統一性への単純化につながることになるのだが、後者のために前者を消去するという意味では少しもなく、逆に両者を持続させ共存させるという意味なのである。こうした持続は存在しているのだが、実際には単純化として現われている。つまり、多様性があり得るのは、それの根底にあってそれをまとめあげている統一性の中だけ、統一性にによってだけである。」
2019.02.04 Monday
先日、常連になっている横浜のミニシアターに行って「ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪」を観てきました。伯父にあたるソロモンが経営するアメリカのグッゲンハイム美術館やイタリアにあるペギーの収集品を展示した邸宅美術館は、世界的によく知られた存在ですが、私はまだ行ったことがありません。図録によると「20世紀を代表するアートコレクションをたった一人で築き上げ、華麗な恋愛遍歴とともに、多くの伝説を生んだ女性の痛快な一生。」とあって、ペギー・グッゲンハイムの生涯は波乱万丈なものだったのかなぁと思い至っています。この映画で私自身が楽しかったのは、現代美術を綺羅星の如く彩った芸術家たちが、ペギーと関係を持ったり、生活の援助を受けたりしていたことで、かなり身近に感じられたことでした。デュシャンを師と仰ぎ、イケメンなエルンストと結婚し、ポロックを発掘し、その他大勢の芸術家たちを擁護したペギーでしたが、ミューズと呼ぶには余りにも骨太な女性だったようです。最後にヴリーランド監督のインタビューから引用いたします。「ペギーは19世紀にニューヨークに移住したドイツ・バイエルン州の伝統的なユダヤ人家庭で育ちました。彼らの暮らしぶりはロックフェラー家のようでした。ペギーは若い頃から、自分の周りに余りに多くの『しきたり』があると感じていて、それを破ってしまいたいと思っていました。~略~実際、彼女は恵まれた環境の中にいましたが、出会う多くのアーティストたちを援助したことは驚くべきことです。それは彼女でしか成し得なかったことでした。ペギーは自らの願望をかなえるため、一歩先の世界を常に考えていたように思えます。そして、アートこそが彼女の人生を動かす純然たる動機だったのです。」
2019.02.03 Sunday
今日は朝から工房に籠って、新作の陶彫成形と彫り込み加飾を行っていました。2月にしては暖かく作業がやり易い一日でした。このまま暖かくなっていくとは思えませんが、気温が僅かに違うと制作進度に影響が出ることを実感しました。大きな新作は残すところ7個の陶彫部品が出来れば終了になります。ただし、NOTE(ブログ)で何度も言っているように陶彫は、焼成があって初めて完成となるので、最後まで気が許せない状態が続くのです。今日も作業が終わる夕方になって窯入れを行いました。このところ毎週末に窯入れを行っています。先週は週2回の窯入れを行いました。無事焼成が終わるのを祈るばかりです。工房を出るといつものように疲労でぐったりしてしまうのですが、夜になって何気なく見ていたテレビ番組に惹きこまれて、深夜0時近くまでテレビ画面に釘付けになりました。番組はNHKのBS番組「ヒトラー演説の魔力 沈黙を破る証言者たち」で、見ているうちに眠気が吹き飛びました。演説のデータを解析している日本人学者がいて、150万語のビッグデータを演説毎に、ヒトラーの用いる言葉の変化を気にかけていました。何故ヒトラーは独裁者になり得たのか、演説の口調、語彙の変化、遊説の行動力などを取り上げて、人々を熱狂させる演出に長けたこの人物の特異性を炙り出していました。親衛隊だった人たちは、その影響から逃れられないくらい骨身に沁みこんだヒトラーの主張を唱えていました。沈黙を破る証言者は、今の時代だからこそ話せるのだろうと理解しました。ヒトラーはドイツ人の優位性を説き、自国ファーストの立場を強調しました。自国ファーストは現在の国際社会にも通じるもので、正義や平和を盛り込んだ演説の裏側には何が潜んでいるのか、私たちも対岸の火事とは思えない事態に、今こそ注意深さが必要なのかもしれないと思ったのでした。