Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 遅れを取り戻すために…
    昨日は東京の博物館や美術館を巡っていたため、制作時間が充分に取れず、今日はその分制作三昧を決め込みました。遅れを取り戻すため時間を延長し、朝9時から夕方5時までほとんど休憩を取らずに作業をしていました。成形1点、彫り込み加飾2点というのが今日の成果です。さらにもう1点彫り込み加飾が出来れば、予め決めておいた制作工程に追いつけたのですが、集中が保てず今日の作業は終わりにしました。最初の頃は余裕があったはずなのに、今月も半分を過ぎて、そろそろ制作に焦りが出てきました。陶彫は一気呵成に出来ないために、一日でやれる仕事の範囲が決まっているのです。逸る気持ちを抑えて、これを何とかしようと思案中です。もう少し暖かくなれば、ウィークディの夜に工房に通うことも出来るかなぁと思っています。焼成を暫くの間やらなければ、照明を使えるので夜の制作も可能です。今月の週末はあと2日間を残すだけで、根の陶彫部品はこれから4個を作らねばならず、時間に追われる制作工程は厳しくなりそうです。やや小さめのテーブル彫刻はまだ始まってもいないので、これは来月にまわそうと決めました。ウィークディの仕事も骨が折れる場面がありますが、システムがきちんと稼動している分、気持ちは楽に保てます。危機管理さえ意識していれば何とかなると考えています。週末の仕事も独自でシステムを作っているつもりでも、私一人のものなので、容易に箍が外れてしまい、焦ってしまう結果になるのです。組織と個人の違いが如実に表れてしまうことを、私は思い知らされていますが、こればかりはどうにもなりません。創作活動にはそれなりに厳しいスケジュール管理があるのです。ウィークディの仕事で余力が残っていれば、夜の工房に行きたいと思います。
    週末 過密な鑑賞スケジュール
    やっと週末を迎えました。年度末が近づきウィークディの仕事が少しずつ多忙になってくると、週末が楽しみでなりません。今月に入って美術展に行っていないので、今日は行きたい展覧会をチェックして、丸一日かけて東京の博物館や美術館を巡って来ました。合計4つの展覧会、しかも内容の濃いものばかりでした。家内は今後の演奏活動に備えて人混みに出ることは避けたいと言っていたので、今日は私一人で出かけて来ました。過密な鑑賞スケジュールでしたが、気分的には充実した一日を過ごしました。ただし、新作の制作工程があるので、大きなタタラを複数枚作るという最低のノルマをこなす必要があり、朝7時に工房に出かけました。東京へ向けて自宅を出たのは朝8時半になりました。東京上野の東京国立博物館に到着したのは開館時間をやや過ぎたところでしたが、既に平成館の外にまで長蛇の列が出来ていました。開催していたのは「顔真卿」展で、私は実のところ書展をまともに見たことがなかったのでした。「祭姪文稿」に話題が集中しているため、ひと目見ようと出かけたのでしたが、並んでいる鑑賞者のほとんどが中国から来た人々で、「祭姪文稿」が中国の書の変遷史の中で重要な位置を占めていることがよく分かりました。これは台北故宮博物院の所蔵品ですが、なかなか見ることが出来ない作品であること、書体が途中乱れている箇所があるのは感情が迸った痕跡であることも理解できました。「祭姪文稿」を見るまでに70分間じっと並んで待っていたのでした。次に向ったのは東京都美術館で開催中の「奇想の系譜展」。これはNOTE(ブログ)に書いた記憶がありますが、美術史家辻惟雄氏が著した書籍に由来するものです。1970年に書かれた書籍が今も読み継がれ、伊藤若冲ブームの火付け役となりました。日本美術の中に埋もれていた斬新な発想による不可思議な世界、これには私も忽ち魅了され、江戸絵画の虜になったのでした。次に向ったのが奇想の画家と同じ系列の河鍋暁斎の展覧会でした。東京六本木のサントリー美術館で開催されていた「河鍋暁斎」展も、魑魅魍魎が繰り出す非日常の世界があって、思わず引き込まれてしまいました。ここまで巡ってきて、日本絵画の表現の濃さに気分的な疲労を覚えてしまいました。私が若い頃好きだった北欧のボッシュやブリューゲル、ウィーンの幻想絵画を彷彿とさせる表現が、自分が生まれた日本にもあって、しかも身近なことで嬉しくもあり、世界に誇れるのではないかと実感しています。最後に現代日本画の展覧会を見ました。今まで見てきた展覧会と対極にあるかのような美しく清涼な画風でしたが、毒気に当てられてしまった自分にはやや物足りなさを感じました。最後に辿り着いたのは東京中目黒にある郷さくら美術館で開催されていた「竹内浩一の世界」展で、作家が会場にいたため、館内は大変な混みようで、多くの鑑賞者が優美で肌理の細かい表現を堪能していました。最後になって品の良いデザートで料理を終えたような気がして、ほっとした今日の鑑賞スケジュールでした。それぞれの展覧会の詳しい感想は後日改めます。
    存在を消去する彫刻
    先日、夢の中でイエス・キリストの磔刑像が現われたという文章をNOTE(ブログ)に書きました。学生時代に人体塑造を作っていた私が、現在は象徴化された風景を切り取ったような陶彫作品を作るようになっています。人体塑造から離れてかなりの月日が流れていますが、私の中で人体塑造に対する思いがどこかにあって、それがイエス・キリストの磔刑像に繋がっているのではないかと思い至りました。イエス・キリストの磔刑像の様相は、宗教において人間の罪を背負って十字架に磔られた姿が、やがて復活し、人々の罪が神によって許される教えを示したものですが、宗教性のない私は、単純に朽ち果てていく人体像を表現したものだという認識があります。この存在していたものが無くなっていく過程が、私には印象強く残ってしまっているのです。決して不在ではなく、嘗て存在していたものが徐々に無くなっていく過程、そこにあったものが時間をかけて腐り朽ち果てていくことが、一層空間におけるそのものの存在を示しているように思えるのです。さらに、もう一度夢を見る機会があって、それはどこまでも続く壁に沿って歩いている人体が見えました。その先にもう一人の人が歩いているのですが、その人の量感が無くなっていて、さらにその先を歩いている人は、ほとんど骸骨であり、さらに先の人は身体の部分でしかカタチを保っていない状態でした。磔刑像の時に感じた具象彫刻への思いとは少し違う夢に、目覚めた時はこれは具象とか抽象とかのことではなく、存在そのものが自分の中で何かを問いかけているように感じました。精神分析の創始者であるフロイトが言うように夢は欲望充足であるならば、存在を消去する彫刻が私の思索の中で始まりつつあるのかもしれません。
    不安定な心に創作が宿る
    「不安定な心に創作が宿る」という表題を考えた契機は、ウィークデイの仕事にあります。不安定と言うような大袈裟なものではありませんが、ちょっとした心配事によってコトバが浮かんでくることがありました。彫刻やRECORDも、心のバランスを欠いた時に異様な緊張感に支配され、自分の代表作と言える作品が生み出されることがあります。全てが満たされた状態では、何かを訴える作品は生まれないのかもしれません。とりわけコトバは意思を伝達する手段でもあり、感情を吐露する表現として使われることがあるので、なおさら不安定な心の状態に敏感に反応するものだろうと思っています。詩人はそうした心の動きを捉え、言語表現にまで高めていける人たちを言うのだと考えます。さまざまな感情の襞を、肌理の細かいコトバ選びによって、人の心に入ってくる作品にまとめあげること、また異質なコトバとコトバをぶつけることで新しい世界を創出させることが詩人の本領だろうと思っています。不安定な心に創作の魂が宿ることが多いと改めて思いますが、過度な不安定な心では何もできなくなってしまうのではないかと一方で考えていて、傍から安定しているように見られていても、心の中では不安要素が渦巻いている状態が、創作活動にはいいのかもしれません。と言ったら、多くの人が不安を抱えているので、決して創作の魂が宿るのは特殊な状態ではないのではないかと思うのです。そのアンバランスを何とかしたいと望み、心の安定を得るために創作の道に邁進すること、それこそ自分が今までやってきたことかもしれません。
    工房周辺の植木畑について
    自宅から道を挟んで植木畑が広がっています。父は造園業を生業にしていて、市場のセリで購入してきた植木を一時この畑で保管していたのでした。父が亡くなった後、私がこの畑を相続しましたが、この畑に農業用倉庫を建てました。それから10年が経過して、農業用倉庫は工房に様変わりし、今ではすっかり創作活動の拠点として、制作や作品の保管等に活用しています。工房周辺の植木畑は暫く放置していたままでしたが、遠縁にあたる植木職人が1年に何回か植木の手入れや草刈りをしてくれていました。維持する費用のこともあって、今回はかなり大掛かりな手入れをお願いしました。植木の枝を大量に払ったり、枯れ木は伐採して、植木をどれも小さくまとめてくれました。これで当分の間は手をかける必要はないと思いました。工房で窯入れが始まると、私は出勤前に工房に立ち寄り、焼成温度を確認しています。今朝、工房に行ってみたら周辺の植木がさっぱりとして気持ちのいい空間になっていました。昨日パッカー車を入れたらしく、切り落とした枝や草も全てなくなっていました。一体何回パッカー車が往復したのか、かかった費用のことも気になっていますが、仕方のないことだと認識しています。工房のロフト拡張工事もそろそろ始まります。私が公務員管理職として仕事をしているうちに、今後発生する工事は全てやってしまおうと思っていて、退職後は余計なことは考えずに、創作活動に邁進できる環境にしたいと考えているのです。