2019.03.14 Thursday
この1週間は来年度を見据えた取り組みが始まって、私は多くの職員と面接を行いました。職場のことを書くのは避けたいところですが、今日は朝から晩まで職員一人ひとりと話をしていました。全員が気持ちよく仕事が出来る環境を作ることが私の役割です。そうすれば仕事はスムーズに回ります。適材適所に人を配置して、その人がもつ能力をフルに生かせるように考えて、理想的な職場を毎年目指していますが、こればかりは来年度が始まってみないと分かりません。この時期はとにかく疲れが溜まります。朝まだ暗いうちに起きてしまって、あれこれ仕事のことを考えてしまう悪癖が私にはあります。他の職場の管理職も同じであることが先日分かって、皆で悩みを吐露し合いました。私たち管理職は人事を行うためにいると言い切る人もいます。確かに年間を通して職員を観察している自分がいて、心が休まることがありません。疲れが取れないのは職場だけに限ったものではなく、創作活動も同じです。私が作る集合彫刻は、陶彫部品を組み立てていきますが、この時期は組み立てながら全体構成を考えることがあって、精神的には圧迫を覚えます。部分を作っているより全体を考える方がシンドいと思っています。疲れが取れない原因はこんなところにもあると思います。毎年この時期はこんなに疲れていたっけ、ひょっとすると加齢のせいかなぁとつい考えてしまう自分が悲しいと感じています。
2019.03.13 Wednesday
陶彫による新作を作るたびに、私はイメージの源泉を遡って、そこから題名を考えています。題名は制作が進んだ頃に考えるようにしています。私のイメージは言葉ではなく、象徴的で視覚的な風景を伴って現れてきます。20代の頃に地中海に広がる遺跡の数々を見て、その具現化に努めてきましたが、既に当時の記憶も薄れがちで、現在では自分の精神世界に新たな風景を構築している感覚を持っています。古代の出土品のような陶彫の装いは、陶土の配合や化粧土によって叶えられた表現で、もう20年も同じ素材で作っています。これをなかなか捨てきれず、この素材があればこそ展開できる「発掘シリーズ」になっていると言っても過言ではありません。新作は2つの塔が繋がるように配置する集合彫刻で、題名を「発掘~双景~」にしました。最近は題名に「景」の文字を入れています。やや小さめのテーブル彫刻も作り始めますが、ここにも「景」の文字を入れる予定です。自分の中で風景を造形化する意識があって、陶彫による複数の部品を集めて、場としての空間を設定するようにしているのです。集合彫刻は組み合わせの角度を微妙に調整することで、作品の雰囲気が変わります。工房で作りながら組み合わせた時の雰囲気と、ギャラリーで展示する時の雰囲気はまるで違います。そこが面白いところです。陶彫は風雨に当たっても問題がないので、野外でも展示できます。将来は広い野外で陶彫部品を点在させる展示が出来ればなぁと願っているところです。
2019.03.12 Tuesday
今日は日曜出勤の代休でしたが、昨日の大きなイベントの疲れが出て、なかなか工房に行く気が起こらず、それでも朝9時には工房で土練りを始めました。少し作業をしては休憩を取り、また作業をする繰り返しで、牛歩のようなゆっくりした制作になりました。今日は5時間ほど工房にいましたが、いつものように制作が捗らず、ぐったりしていました。いろいろな彫刻の素材の中で、粘土は私にとって快い素材で、土練りをしていると心が落ち着いてきます。どんなに疲れていても土に触れていると精神的な安定が得られます。それは彫刻に限ったことではなく、若い頃亡父の手伝いをして造園をやっていた時も、植樹のために穴彫り作業をよくしていましたが、それは苦痛ではありませんでした。誰もが嫌う肉体作業でしたが、私は平気でした。土に触れるということが私と相性が合うのかもしれません。ゆったりした作業の中で、若い頃に見た地中海の大地を思い出していました。そこに風化した石材で出来た遺跡の数々がありました。私の作品イメージの原点がそこにありました。忘れかけていた風景が甦り、それを象徴化することで「発掘シリーズ」が始まったのでした。そろそろ新作にタイトルをつけなければならず、記憶の彼方から甦った風景と現状の作品を見比べながら、タイトルをあれこれ考えました。制作工程を先へ先へと進める日もあれば、今日のような牛歩の制作日があってもいいかなぁと思い、こんな日は立ち止まって、もう一度原点を探る時間を持とうと思いました。嘗てそこで営まれていた古代の生活や建造物を、歴史の事実を解明することではなく、現代の眼を通すことで完全に美的価値として捉え、彫刻に再生すること、これが私の作品と言えます。だから「発掘シリーズ」に学術的根拠はありません。創造的なイメージがあるだけです。あらゆるものから自由に解放されているからこそ芸術なんだと思っている節が、私にはあります。今日はぼんやりした中で、暫し立ち止まり、こんなことを考えていました。
2019.03.11 Monday
今日は3.11です。8年前に未曾有な被害を齎せた東日本大震災。横浜でも大きな揺れがあって、物資の運搬経路が一時ダウンし、自然災害の影響力を感じ取った日々を今でも忘れることが出来ません。もうあれから8年も経ったのかという実感を持ちますが、東日本大震災後もあちらこちらで震災が起こり、今でも熊本城のような歴史的遺産の復元作業が進んでいる最中です。私たちは日本で生活する以上、こうした自然災害と付き合っていくしかないと思っています。私は毎年この日になると職場の放送機器を使って弔意を述べ、1分間の黙祷を捧げてきました。今日は職場では儀礼的なイベントがあり、職場を上げてお祝いをする日になっていました。今日は黙祷や半旗を掲げることはせず、私の式辞の中で東日本大震災に触れ、震災で亡くなった多くの方に報いるために命を繋ぎ、安心できる未来を作っていこうと呼びかけました。内容の導入として、先日わずか268グラムで生まれた赤ちゃんが無事退院したニュースを取上げました。それに関わって朝日新聞の天声人語にこんなことが掲載されました。「人間は誰でも未熟な段階で生まれてくる。それが他の動物との大きな違いである。馬のように生後間もなく駆け出すこともできず、猫のように生まれて数週間後に自分で食べ物を見つけることができない。」という文章でした。これを利用して、人間は親の保護がなければ育つことができず、命を繋ぐことができないと私は話を続けました。その代わり人間には学習に対する伸びしろがあり、言葉を話し、道具を使い、知恵を絞る特長がある、人間が命を繋ぐためには周囲の庇護が必要なのだ、人間は人と関わることで豊かな未来を作っていけるという内容を述べさせていただきました。私は毎年3.11を命のことを考える日と決めています。私がやっている創作活動も鑑賞する人に、私たちが生きている空間とは何か、空間的美意識とは何かを伝えていくもので、命を活性化するもののひとつではないかと自負しています。何もないところから創造して、何かを作りだせる能力は、人間だけに与えられた素晴らしい力だと私は常々思っていて、それが私を突き動かしている原動力なのだろうと考えています。
2019.03.10 Sunday
今日は休日出勤日です。明日は職場として1年間を通して一番重大なイベントがあるため、今日はその準備出勤なのです。このNOTE(ブログ)では、横浜市の公務員管理職としか私の身分を表明していませんが、多くの同僚がNOTE(ブログ)をご覧になってくれているので、既にバレてしまっているところはあります。しかしながら職種の情報の拡散を怖れて、敢えて立場を申し上げていないのです。私をはじめ多くの横浜市職員が、それぞれの職場で明日のイベントを迎えようとしています。職場によっては、今日は休みにしているところも数多くありますが、私の職場では通常勤務にしました。そのため今日はさすがに創作活動は出来ませんでした。代休は火曜日に取っていますが、私は夕方職場に出勤する用事があるため、完全に休めません。日曜日は他の機関からメール等が入ることがないので、私も明日の式典のための準備が出来ました。明日は3.11です。東日本大震災から8年が経とうとしています。あの未曽有の震災のことを思い起こす度に辛い気持ちになります。私は3.11の午後になると職場の放送機器を使って、内外に弔意を示し、黙祷を捧げてきました。今回は職場の式典があるので、例年のような黙祷はしませんが、その代わり私の式辞の中で、命を繋ぐ大切さを訴えていこうと思っています。日本に住んでいる以上、自然災害に見舞われる機会が少なからずあります。そのための防災訓練を毎年やっています。国際的に見れば日本ほど防災訓練を頻繁にやっている国はないのではないかと思っているところです。東日本大震災は8年経っても鮮明に覚えていて、風化できるようなものではありません。その後も自然災害は後を絶たず、自分の身を守る意識は高く持っているつもりです。そんな思いを明日の式典の中で吐露しようと思っています。