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  • 箱の内部に展開する世界
    箱の内部に展開する世界と言えば、アメリカの造形作家J・コーネルですが、私にもそうした世界で遊びたい欲求があります。箱に把手をつけて鞄として持ち歩けば、これは20世紀を代表する芸術家M・デュシャンの作品「トランクの中の箱」があり、自分の作品のミニチュアを作り、箱詰めした有名な作品になります。箱という小宇宙は何とも魅力的な空間を秘めていて、将来は箱の内部に展開する世界を作りたいと私も考えています。箱は広がる空間に限定を与えることで、内に向って凝縮する要素が強くなり、自らの造形主訴がより鮮明に深層化できるのではないかと考えます。外枠の箱は何の変哲もないものにして、鑑賞者の眼を内側の世界に誘導するのです。私が考える箱の内部に展開する世界は、前述したM・デュシャンの作品「トランクの中の箱」とは異なり、作品のミニチュアではありません。れっきとした作品として示すものです。箱はひとつだけではなく、連作としてイメージしています。さらに開いたり閉じたりできる蝶番を付けたいと思っています。秘めたるものという雰囲気を纏わせるために、たとえばキリスト教のイコンのように扉を開けて、そこに描かれた画像に神秘性を与えるような演出をしたいのです。箱の内部に展開する世界はその大きさにもよりますが、蔵書や版画のように個人が楽しむ要素もあります。パブリックではなく、プライベートな作品。しかも自分だけが深層に辿り着き、そこで詩的世界を味わい、自らを解放できる世界。鑑賞者に広い視野を提供するのは、何も大きな空間の中に置かれた作品ではなく、小宇宙の中にも大きな世界観が存在すると私は考えます。掌に収めて眺める作品でも、その主張する世界は、大きなイメージを髣髴とさせるものがあるはずです。私はそういう作品が作れたらいいなぁと考えていて、現在それが作れているわけではありません。自分の理想を語っただけに過ぎませんが、まずイメージ優先で、作品が生まれていくのです。箱の内部に展開する世界を、近い将来作っていきたいと思っています。
    春の宵 いざ工房へ
    工房のロフト拡張工事を請け負っている鉄工業者から連絡が入り、夜6時過ぎに天井の寸法を再度測りに来るというので、私は勤務時間終了後に工房に行きました。桜が咲いて春爛漫な季節ですが、夜はまだ冷えるため、今まで夜の工房に行かずにいましたが、いざ工房に行ってみると、思っていたほど寒くはなく、作業がやり易い気温になっていました。業者は30分程度ロフトに上がってメジャーを当てていました。私は彫り込み加飾を始めました。このところ昼間の仕事は残務整理ばかりで、意欲が湧かない時間を過ごしてきましたが、陶土に触れると気持ちが変わりました。身体中に元気が充満してきました。夜の工房での制作は独特な雰囲気があります。業者が帰った後、周囲は暗くなり、陶彫部品が置かれた空間だけ蛍光灯に照らされていて、まるでステージにスポットライトが当たっているような錯覚に陥ります。立体の陰影が昼間の太陽光線とは明らかに違うのです。改めて人工の光も悪くないなぁと思っています。精神的な集中が得られるのは、こうした光が要因なのかもしれません。私は週末の昼間に陶彫制作をやっているので、夜の制作は快適な季節の時にしかやっていません。おまけにウィークディの仕事が苦しい時は、夜の工房に行く意欲が出ません。彫刻は昼間の仕事で、とりわけ野外での制作は夜明けと共に始まり、日没には終了するという習慣が学生時代から身についてしまっているのです。それに比べて絵画やデザインの制作は夜の照明の中でやっている人が多く、昼夜が逆転している画家やデザイナーもいるのではないかと思っています。しかし、彫刻制作も夜の人工的な光の中で集中してやることもいいのではないかと思えることもあります。彫刻家ジャコメッティは夕方から夜更け過ぎまで制作をやっていたようで、制作時間をどの時間帯に設定するのかは人それぞれなのかなぁと考えます。今のような二足の草鞋生活がなくなったら、私はどんな時間帯を選ぶのでしょうか。春の宵もなかなか捨て難い制作時間帯ではあるなぁと思っているところです。
    残務整理の日々
    昨年の3月27日は職場を休んで、家内と埼玉県川越に行って花見を楽しんでいました。ついこの間のような気がしていますが、あれからもう1年過ぎたのかと改めて月日の経つ早さを実感しています。今年度はこの時期に休みが取れません。仕事の残務整理に追われているのです。私はこうした作業が苦手です。自分に褒美を与えないと身体が動かないのです。ちょっと仕事をしてはカフェオレを飲み、またちょっと仕事をしては職員とお喋りをして、勢いよく作業ができる創作活動とはまるで違う顔になっていました。明日も残務整理です。そうしているうちに現実逃避も始まっていて、どこかへ行きたくなってしまうのです。何か面白そうな美術展はあるかなぁ、映画はどんなものを上映しているのだろう、花見もしたいなぁなどと他愛のないことを考えてしまうのです。目の前にパソコンがあって、気軽にいろいろなことが情報として手に入るのも現実逃避を助長するものだなぁと思っています。勤務終了後に自宅に戻って、ぼんやりテレビを見ていたらアニメをやっていて、思わず最後まで見てしまい、おかげで昼間のストレスは解消しました。アニメは「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」。Jポップのミュージックビデオに使われていた映像だったので、緻密な背景の美しさに見惚れながら見ていました。思春期の男女の恋心をIF(もしも)という仮定を用いて紡いでいく物語で、映像作家はこんなシーンを描きたかったのかなぁと思いつつ、技巧を駆使してイメージ世界で遊んでいるように思えました。これは映画の質を問うと、厳しい批評に曝されそうですが、今日の私のように何気なく見ていると、これでもいいのかなぁと感じます。
    日暮里の「朝倉彫塑館」雑感
    私は個人美術館をよく訪ねています。個人美術館で一番感銘を受けたのが、香川県にあるイサム・ノグチ庭園美術館ですが、学生時代に遡ると大学の帰り道にちょっと寄り道のつもりで、友人と新宿から長野県に向かう列車に飛び乗り、車中で仮眠しながら遠路遥々安曇野穂高にある碌山美術館へ行ったことが思い出されます。前日の夕方まで大学で塑造をしていた私たちが、翌朝には荻原碌山の彫刻を鑑賞している奇跡のような瞬間を今でもよく覚えていて、2人で人体の動性や筋肉の動きを嘗め回すように見ていたのでした。あれから40年も経って、ふとその記憶が甦ったのは、先日訪ねた朝倉彫塑館で具象彫刻を見ていた時でした。故朝倉文夫は肖像彫刻でよく知られた巨匠で、私は「墓守」という作品が昔から好きでした。朝倉文夫は猫の彫刻も多く、猫好きの池田宗弘先生とは異なる表現していて、具象的な表現に徹していると感じました。彫塑館そのものも鑑賞の対象になるくらい美しい建造物で、家に囲まれた池のある庭園が見事でした。庭園に配置された巨石は建築する前に運び込まないと不可能と思われるほど迫力があり、いろいろな意味で彫刻的な雰囲気を漂わせていました。応接室も立派で、モデルになった著名な人々が訪ねてきたのかなぁと勝手に思っていました。大きな肖像彫刻が置かれたアトリエは天井が高く、室内に足場を組んで塑造していた朝倉文夫の姿が思い起こされました。彫刻家亡き後も保存され、大切に扱われてきた文化財に、羨ましさを感じる彫刻家は私一人ではないはずです。
    平成30年度の締め括り
    平成30年度の最終締め括りは今月の31日ですが、職場では今日をもって一旦締めることにしました。私は職員の労をねぎらい、大鍋を使って豚汁を作りました。今年度の残務整理は明日から1週間をかけて行っていきます。職場は今月31日から4月1日にかけて年度が変わっていきますが、創作活動の変わり目は7月個展の時です。二足の草鞋生活を送っている私は、仕事の変わり目が2回あるのです。職場は組織があるので、職員の異動もあります。この時季は出会いと別れがあり、また新たな出発に向けた取り組みがあります。社会人として幾度この時季を過ごしてきたのか、春爛漫の温かさには、ちょっぴり寂しさがあると感じているのは私だけでしょうか。残務整理は明日から金曜日までに行う予定でいます。その間に夜の時間帯に工房に出かけられるといいなぁと思っています。この時間帯でやや小さめのテーブル彫刻に接着する陶彫部品を作りたいと思っているのです。漸く暖かくなってきたので、夜の工房も苦ではなくなると思っています。