2019.07.20 Saturday
14回目の個展の最終日を迎えました。朝11時にギャラリーせいほうにいると、懐かしい人たちが訪ねてきて、とてもいい時間を持つことができました。毎年のことではありますが、個展というのは旧交を温める絶好の機会だなぁとつくづく思います。何年も私の個展に来ていただいている方が、私の作品の経過観察をしていただいていて、自分でも気づかない創作の変化を指摘してくれました。同じテーマ、同じ素材でシリーズとして作っていると、確かに時間と共に作品が変貌していくのかもしれません。それでも私の作品には大きな変化はありません。ひとつの手法をじっくり煮詰めていくのが大好きという理由が私にはあります。作品が小手先にならないのは、陶彫という難解な技法によって満足できない結果にいつも悩まされているためです。なかなか巧緻になれない己の不器用さもあるでしょう。それがわかっているからこそ手法を変えられないとも言えます。意外に自分は頑固だなぁと思うところですが、幸い自分は20歳の頃に夢見たことに対して軸足を変えずに実現している自負はあります。夢を諦める言い訳が私には存在しません。今回の個展によって齎されたものは継続による指針です。もう来年の個展に向けて新作を作り始めているところです。来年の海の日からの個展開催は、ちょうどオリンピック・パラリンピックが開会を迎える時期に当たると、ギャラリーの田中さんに言われました。オリパライヤーの銀座には人が溢れているのでしょうか。来年は15回目の個展開催、公務員管理職としては再任用満了を迎える年でもあります。自分の足元をしっかり見据えて頑張っていきたいと思っています。夕方の搬出作業は、図録撮影や搬入の時のメンバーがギャラリーに集まってきてくれました。手際よく木箱に陶彫部品を収めて、僅か1時間程度で搬出作業は終了しました。ギャラリーの床に掃除機をかけて照明を落としました。飛ぶ鳥跡を濁さず。作品を積んだトラックは一路横浜の相原工房に向いました。手伝ってくれたスタッフの面々にレストランで夕食を驕り、無事に14回個展を閉じることが出来ました。
2019.07.19 Friday
4月から新しい職場に転勤してきて、最初の大鍋コミュニケーションを行いました。仕事がひと段落して、来週7月22日から8月27日までは職員が夏季休暇を取りやすい環境を職場では作っています。職場の閉庁日を8月8日から15日までのお盆の時期に設定していますが、仕事に支障が出なければ、来週から休むことも可能です。職員はそれぞれ専門分野の研修会等があって、実質的には休める雰囲気ではありませんが、私としては下半期の多忙時期に備えて、充分身体を休めて欲しいと願っています。大鍋コミュニケーションは、私が前の職場で幾度もやっていた重要な職場経営ツールで、鍋を囲んで仲良くなるには絶好の方法なのです。ほとんどの職員は普段は専門職なので他者との協働は少なく、もちろん協働するイベントはありますが、基本は一人で行う職種です。それら職員を繋ぐもの、お互いが休憩を取り易くするもの、それがコミュニケーションです。意思疎通ができていれば、お互いの仕事をカバーしあうことができるし、心地よい職場空間をも獲得できると私は思っています。職場環境を整える方法は管理職によってそれぞれ違います。お互いが夏季休暇を取りやすい環境とは、制度的な環境もありますが、人と人との関係性も無視できないものがあると私は考えています。そこで私が考えたのが大鍋コミュニケーションなのです。昨晩は食材を購入するため近隣のスーパーマーケットに出かけました。職場のために手間暇かける、自分の得意とするところを職場で生かす、そんな思いで朝から鍋を作っていました。幸い職員はよく食べてくれて、私としては幸せに包まれました。自己満足なのかもしれませんが、それでも私は大鍋コミュニケーションを続けていきます。
2019.07.18 Thursday
自分にとって気分が高揚するときはどんな場面だろう。そんな思いを綴ってみたくなりました。現在は東京銀座のギャラリーせいほうで私の個展が開催されていますが、14年前は初めて個展が出来る喜びに包まれて、気分が高揚したことを思い出しました。ギャラリーせいほうは、学生時代から憧れていた画廊だったので誇らしくもありました。2回目の個展から高揚はなくなりました。寧ろ厳しい自分の状況に恥かしい思いをしながら年月が過ぎ、今日を迎えております。不満があるから来年こそ頑張ろうと持ち越すうちに14回目を数えてしまったのが実感です。創作活動で気分が高揚する瞬間は、作品がイメージ通りのカタチになってきた時です。もう少しで完成すると感じた時に気分は上がります。陶彫部品がきちんと焼成できた時も気分は上々です。陶彫作品は図録用撮影日を迎えて、そこで一度組み立てます。そこから心情的には現行作品が自分の中で終わってしまい、個展会場では欠点ばかりに目がいくのが辛いところでもあります。RECORDも色彩とカタチが巧く組み合わされて納得できた時に、ちょっぴりいい気分になります。RECORDは日々新しい作品を作っているので、じっくり鑑賞することもなくケースに仕舞ってしまい、振り返る余裕がありません。RECORDはホームページにアップされた時に複雑な心境になります。気分が高揚する一番の時は鑑賞です。自宅から美術館や映画館に出かける時は、足取りも軽く気持ちは浮かれています。他人の作った作品は心底楽しむことができるし、学びと同時に格好の気分転換でもあるのです。
2019.07.17 Wednesday
昨日に続いて、通勤中に読んでいる「ヨーロッパの形 螺旋の文化史」(篠田知和基著 八坂書房)の第三部「衣食住の形」の後半のまとめを行います。この単元では食文化と住まいの形について取上げます。まず食文化では典型的なパスタを例に取ります。「ヨーロッパの汁物はだいたい、よく掻き回す。パスタの場合は十分に掻き回さないとパスタ同士がくっついてしまう。そしてそれを食べるときはスパゲティならフォークにくるくると巻きとって食べる。この『回す』作法は日本料理でやったら嫌がられる。『回す』というしぐさと『食べる』ことのあいだに距離がある文化と距離のない文化の差である。~略~ねじりドーナッツ、ひねりパスタなどから、マヨネーズの混ぜ方にまで及んだが、実はヨーロッパでは穀物生産とその加工でも『回す』ことが重要なのである。麦を刈り取るときは大鎌を腰にあてて回転させて刈る。直系2メートルから3メートルの円状の面積の麦が鎌の1回転で刈り取られる。」食文化はここまでにして、住まいの形に進みます。「ロータリー方式の都市は、本来、領主が城館がロータリーの中にあって、そこから放射線状に街路が出ていて、領主が城の天主へ上がれば、領内の動静が一挙に見渡せる構造だったが、円形の刑務所があって、中央広場にあたるところに望楼があって、ぐるりに円形に配置された部屋を見渡すようになっているものもある。劇場とは別の発想だが、管理のための円形構造なのである。~略~そもそも人が集まって形成した形が円形競技場であれ、円形劇場であれ、円いと同時に階段式で、立体的だったのである。広場がそもそも階段だった。ギリシャの場合には日本と同じく土地が狭く、人が集まる広場でも水平面を大きく取ることが難しかったという事情はあるだろう。しかしそれでも、擂り鉢状の広場に人々が集まって議論をかわすのが、ギリシャの、そしてヨーロッパの民主主義の形だったのである。」私はヨーロッパに住み、20代の頃に憧れた異文化は、螺旋形や渦巻きとともに脳裏に刷り込まれたのではないかと振り返っています。最後にまとめとなる文章を引用いたします。「衣食住の形をもってヨーロッパの形を求めると、頭上に渦を巻くかつら、食卓に重ねられるねじりパンや螺旋形の栓抜き、そしてベッドのコイルスプリングから始まってヨーロッパの家屋の構造を決定する螺旋階段まで、終始一貫して螺旋という形が存在するといえる。直線より曲線、ロココや世紀末の唐草模様、それが集約されて天へ昇る螺旋の形になるのである。」
2019.07.16 Tuesday
通勤中に読んでいる「ヨーロッパの形 螺旋の文化史」(篠田知和基著 八坂書房)の第三部「衣食住の形」の前半のまとめを行います。テーマが衣食住のためか、本書の中では一番ボリュームのある単元なので2回に分けます。冒頭の文章から引用していきます。「人間という動物は単に食べて寝るだけのものではなく、政治、法律、軍事などにおいて特有の形を形成しながら発展してきたものだというなら、制度や発想法の形を考えなければならないともいえるのである。しかし、それはまた、何らかの形で衣食住にあらわれているのだという考えもあり、住まいにしても着るものにしても、自然条件に対する保護の装置としてだけではなく、敵から体や財産を守る軍事的な機能を持った装置としての意味も無視できないともいえるのである。」勿論政治面だけではなく、時代の世相や流行にも衣食住が反映されることもあります。次に衣装に関する文章で、気に留まった箇所を書き出します。「一概にヨーロッパ人といっても色々だが、おおむね金髪でも栗色でもやわらかく細い髪が軽くウエーヴをしている人が多い。そのウエーヴを鏝で強調してくるくると巻いて顔の両面にたらす形が19世紀中頃にフランスで流行したが、日本の平安時代の宮廷の女房たちが長い黒髪をまっすぐに伸ばして床に垂れるくらいにしていたものと比べると、ヨーロッパ女性の髪型は昔から巻き髪で、螺旋形にするか、でなければ、三つ編みにして、それを頭の周りに巻くことが多かった。」これは髪型に関する文章ですが、衣装に関する製造工程に触れた文章にも興味を持ちました。「糸つむぎをするのに、つむぎ竿に羊毛をからげ、そこから引き出した糸を紡錘を回しながら、巻き取ってゆくという作業、そのプロセスの一部、あるいはそのあとのプロセスとしてつむぎ車を使うこと、そしてその車の形状、それらは別にどうということもなく、羊毛と木綿の違いもさして影響せず、かなりな地方で同じようにおこなわれ、どこでも女性の仕事とされてきたことはその通りなのだが、それを絵にしてみると、羊毛をぐるぐるとからげて、螺旋形にしたものを片手に持ち、もう一方の手で紡錘をくるくると回しているヨーロッパの農家の女たちの姿は確かに『ヨーロッパの形』をあらわしているように思われる。」後半は食文化と住まいの形を扱います。