2019.04.28 Sunday
昨日は冬が再来したかのような寒さの中で、朝から工房に篭っていました。ストーブを焚こうか迷うほどでしたが、テーブル彫刻「発掘~曲景~」の柱を彫っているうち、身体が温まってきてちょうどよい具合になりました。陶彫部品の彫り込み加飾と柱の木彫の粗彫りという作業が、昨日のノルマでしたが、何とかやり遂げて今日を迎えました。連休2日目の今日は、柱の木彫の仕上げを午前中に行い、午後は次の陶彫成形のために土練りをして、座布団大のタタラを数枚準備することを自分に課していました。木彫は昨日の流れがあって気分が乗りました。今日で3本の柱は全て出来上がり、次にテーブルに砂マチエールを施して油絵の具を染み込ませる作業を残すのみとなりました。砂マチエールと油絵の具による塗装は次回に回すことにしました。午後になって、日差しが出てきて気温が上昇しました。昨日と今日の寒暖の差は相当なもので、私は半袖のシャツになり、土練りを始めました。土錬機を回している最中で、身体がだるくなりました。これはどうしたものかと休憩を取りましたが、果たして寒暖差に身体がついていけず、疲労を覚えたのではないかと思いました。自宅に帰って暫し休もうかと思いましたが、土練りの途中で陶土を放り出すわけにもいかず、ちょっと無理をして土練りを続けました。午前中やっていた木彫もそうですが、午後の大きなタタラも掌で何度も叩いて座布団大に引き伸ばしていくため、かなりパワーを要します。彫刻ならば力仕事は当然なのですが、疲労をしている中で行なう作業は結構厳しいなぁと思いました。何度も経験してきた作業で、今日がとくに厳しいわけではないと思っていましたが、体調に関係してくる時は、作業を休んだ方がいい場合もあります。それでも今日も昨日と同じ7時間くらい頑張ってしまいました。明日は家内と地方の美術館巡りをやってきます。やっと連休の楽しみがやってきた感じです。
2019.04.27 Saturday
10連休が始まりました。連休は展覧会や音楽会の予定もありますが、ほとんどを工房で過ごすことになります。まずは「発掘~曲景~」の完成が目標です。「発掘~曲景~」はテーブル彫刻なので、先日より作っているテーブルの下に吊り下げる陶彫部品2個の彫り込み加飾から制作を開始しました。「発掘~曲景~」は吊り下げる陶彫部品2個、上に置く陶彫部品2個で構成される作品です。まだ上に置く陶彫部品が出来ていないので、これを連休中に仕上げようと思っています。彫り込み加飾には午前中いっぱい時間がかかってしまい、午後はテーブルを支える3本目の柱の木彫を始めました。「発掘~曲景~」は3本の柱でテーブルを支えます。一本ずつ曲面を多用した柱にしていて、1本も同じものがありません。その都度、下書きをしてチェンソーで切り込みを入れ、鑿で削いでいきます。所々くびれを作って変化をもたせています。今日は粗彫りが終わりました。明日は彫り跡を整えていく予定です。明日はさらにテーブルの上に置く陶彫部品の成形のために、土練りをしつつ、大きめのタタラを数枚準備しなければなりません。今日も明日も朝から夕方まで作業時間は7時間くらい取っていて、その日のノルマをきちんと果たしていこうと思っています。そうしないと連休の制作目標達成にはならないのです。10日間の短期集中がどのくらいの成果を生み出すのか、全体のイメージはしているものの実際にはどうなるのか分かりません。根を詰めてしまうと心が保てないので、展覧会や音楽会を適時入れているのです。映画のレイトショーも利用して余裕を作ろうとも思っています。ただ、こうした活動が何より楽しいのは、これが非日常の創作活動だからです。浮世離れした創作の世界は不思議な魔力に満ちていて、人が無駄と思うことが自分には魂が籠められるほど熱中するものなのです。文化とはそういう性格のものでしょうか。自分が突き詰めていく造形のストレス解消が展覧会や音楽会の鑑賞というのも可笑しい話です。明日も継続です。
2019.04.26 Friday
私たちの職種は暦通りに休日がとれます。休日は勤務を要しない日ですが、全職員のうちの大半が、さまざまな用事で休日出勤をしているのではないかと予想されます。私はもうひとつの仕事があるので、暦通りに休ませていただきます。この10連休の間に少しでも創作活動を進めておかないと、図録用の撮影や個展に間に合わなくなるのです。10連休のうち、一日は美術館に出かけたいと考えています。美術館は千葉県にある美術館と神奈川県平塚にある美術館を車で回りたいと考えていて、連休中の渋滞が心配されるところです。令和元年5月1日になってすぐ声楽家の叔父のリサイタルが予定されています。楽しい音楽鑑賞で迎える令和の時代をお祝いしたいと思っています。連休後半はロフト拡張工事が入るため、作業場に放置してある作品を移動しなければなりません。創作活動とは違う用事が入ってきますが、こればかりは仕方ありません。その中で新作をどこまで進められるのか、これを考えていると気が緩む暇がありません。さしずめ「発掘~曲景~」の完成を目指します。ただし、陶彫部品を窯に入れてしまうと電気の関係で照明等が使えなくなるので、焼成は連休後に行います。個展のために「発掘~双景~」と「発掘~曲景~」の他に小品を何点か作らねばならず、これも始めていこうと思っています。10連休は楽しみでもあり、自分を突き詰めていくため厳しい条件を自分に課す場でもあり、普段の仕事から自由になれる空間でもあるので、時間を大切にして過ごしたいと思っています。体調を崩してしまったら計画は水泡と化してしまうので、無理のない範囲で頑張りたいと思います。
2019.04.25 Thursday
現在制作中のテーブル彫刻に題名をつけました。昨年発表したテーブル彫刻は「発掘~角景~」で、ピラミッド型の陶彫部品をテーブルの下に逆さまにして吊り下げた作品でした。ピラミッド型の陶彫部品には曲面はなく、すべて平らな面で仕上げていたので、今年の作品とはまるで異なります。今年の作品の陶彫部品は、すべて曲がった面で仕上げています。鋭角な部分はどこにもありません。そこで題名を「発掘~曲景~」にしたのです。私はあえて題名を単純で分かりやすいものにしています。そこに詩的なイメージや思索はありません。昨年の「発掘~角景~」と違う部分はまだあります。昨年はテーブル上部には陶彫部品を置きませんでした。テーブルの下に吊るすだけにしたのでした。今年発表する「発掘~曲景~」はテーブルの上下に陶彫部品が接合します。上下で関連した造形になります。前述したとおり陶彫部品は曲面ばかりなので、全体としては丸い形態になります。テーブルの上下にあった方が丸さが強調されるのではないかと考えたため、上下に設置することにしたのでした。テーブルの脚も曲面を使っています。これは柱を木彫していますが、部分的に膨らんだり、細く削り取ったりして、たっぷり彫刻の要素を盛り込んでいます。感覚的な捉えを楽しみつつ作業をしています。今までは造形を制御することが多かったので、時には自由に彫り進んでいくのもいいなぁと思っています。私の作品世界はこのままどんどん曲面を多用し流動的になっていくとは思えず、どこかで振り戻しがあると考えますが、今年に限っては大きな作品である「発掘~双景~」にしても、テーブル彫刻「発掘~曲景~」にしても曲面を全面に出した作品になろうかと思います。テーブル彫刻「発掘~曲景~」はゴールデンウィーク中の完成を目指します。
2019.04.24 Wednesday
「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)の第三章は「日本で装う 仕組と趣向がはずむ」という副題がついていて、前章より引き続いて職人に関する日本独自の視点が述べられています。著者は京都の呉服屋に生まれたそうで、現代日本における和装の衰退を語っていますが、確かに普段から和服を着ている人はほとんど見かけない現状があります。家内は和楽器奏者なので、それでも和服を着る機会が多いのですが、着付けの困難さを考えると、特別の場合以外は和服が敬遠されてしまうのも分かります。現代に和装文化を蘇らせる捉えとして「着物を”できあがった着物”として見るのではなく、たとえば布として、たとえば紐として、たとえば染や織として、さらにテキスタイルデザインやファイバーアートとして、見なおしてみるとという視点です。~略~紐として見るというのは、そこにムスビ(結び)のおもしろさを発見しようということです。~略~また、文様として着物を見れば、これは装飾古墳の内側の意匠、屏風や襖や扇子の文様、文箱や牛車の装飾というふうに連鎖的に広がって、そのなかに着物も入るということになり、むしろ着物を文様群のひとつとしてみなせる余地も出てきます。」という文章がありました。こうした日本独特な文化の傾向をまとめると「日本文化を支えている文物の多くは、構造と部品の機能的な大小関係で成り立っているのではありません。それぞれの部品が自立していながら全体をアソシエイトしたりシンセサイズしているというふうになっている。また全体にも部分にもかかわって、それらを覆っている複数のパラメーターが動いている。全体と部分のあいだに所属関係や従属関係があるようで、ないのです。」となります。次にこの章では仕組という言葉が登場してきます。仕組はシステムとも思われますが、著者は仕組はもっと柔らかいものだと述べています。システムは体系で、仕組は体系ではないのです。日本の建築を引用して、こんな言葉を発しています。「こういう仕組と仕事の関係が柔らかいからといって、そこに法則がないというのではありません。能や歌舞伎に序破急があるように、そこには独特の『矩』というものがあり、『矩尺』というものがある。矩とは寸法についての考えかたのことです。したがってこの矩や矩尺はけっして法則的な理論とか標準的な1メートルの物差しというものではなくて、素材や場面や相手にあうようにつくられていく。どんな調整もつくようになっているわけです。そこも柔らかい。」著者の感覚的な捉えも面白くて柔らかいなぁと思いました。