2019.08.19 Monday
先日の夏季休暇で訪れた大阪の天王寺。東京で見落としてしまった「ギュスターヴ・モロー展」が天王寺のあべのハルカス美術館で開催されていることを知り、早速行ってきました。フランスの象徴派画家ギュスターヴ・モローは神話や宗教をテーマに独特な個性を持って活躍した人で、それは旧態依然とした古典主義とは異なった世界観ではないかと私は解釈しています。モローの油彩表現では線描が際立つものが少なからずあります。一般的には線描は下塗りの上に細部を描き込んだもので、そこに彩色していくのが前提ですが、モローは線描をそのまま残し、しかも下塗りと線描との間にイメージの乖離があるのです。そこには建築装飾としてロマネスク美術の文様が主に描き込まれています。これは敢えて視覚的効果を狙ったものであろうと思います。モローの代表作にサロメの連作があり、その中でも本展に出品されていた「出現」に興味が湧きました。「《出現》の特異性は、何よりもサロメが裸体であること、そしてヨハネの首の幻視を見ていることにある。」と図録にありました。またサロメの裸体に不思議な文様が線描されていて、神秘性が増していました。「聖遺物の匣は聖遺物の隠喩として、そしてサロメのコスチュームはサロメの隠喩として機能するのである。~略~サロメを取り巻く建築空間もまた、衣装と同じくサロメの容器として、サロメの『神秘的』性格の比喩になっている可能性である。」この絵画に線描されたものは、とりわけ私に宗教性を感じさせましたが、図録によればそれは聖遺物の匣で、モローが聖遺物の匣を選んだ動機は何だったのか、これは風土の異なるところに生まれ育った私には皆目分からなかったのです。匣の中に収められた聖遺物は当然見ることは出来ないことは私にも分かりますが、豪華に装飾された外部によって暗示される秘めたるモノが、サロメが登場する絵画の舞台装置に必要と思ったからでしょうか。「モローが残した重層化した画面は、技法的には1880年頃の水彩画における線と色彩の乖離効果に基づいていると考えられるが、そこにコスチュームを通して人物の性格を表わそうとする意味論的方法と、様々なイメージ・ソースを線描で断片化し自由に組み合わせてヴェールのような装飾の線描を作り上げる制作方法とが組み合わさった結果でもあると考えられる。」(引用は全て喜多崎親著)うーん、自由でコラージュ的な扱いもあったのか、と思えばモローの世界はもう少し気軽に解釈できるのかなぁと思った次第です。私にはモローの人間性にも関心があって、パリのど真ん中で引き篭もっていた孤高の画家という先入観があります。そこに2人の女性が関わっていたという下世話な噂を、今回きちんと解明したいと思っています。別稿を起こします。
2019.08.18 Sunday
今日も相変わらず暑い工房でしたが、昨日準備したタタラを使って、3個目の陶彫成形に励みました。暑さに慣れてきたとは言え、額から汗が滴り落ち、シャツはびっしょりになりました。どこまで作業を続けるか考えた挙句、昼過ぎに近隣のスポーツ施設に行って水泳をすることで作業を終えようと思いました。彫り込み加飾は別日に設定することにして、今日は成形が終われば作業終了としたのでした。新作は彫り込み加飾に特徴があって、角張った箇所がないように作っています。ところどころに穿つ穴も大きくならず、彫り込んだ文様の中に同化するようにしています。先月の個展で発表した「発掘~曲景~」が新作のヒントになりました。その時の彫り込み加飾を全体に広げてみようと思ったのでした。新作は屏風と床置きの双方の空間を使う大きな作品です。その全てに同じようなパターンの彫り込み加飾を施す予定でいます。屏風に使用する厚板も同じようなパターンを彫っていきます。集合住宅のように見えるか、またはそんな住居が廃墟になったように見えるか、ともかく都市化された情景を、私は陶彫と木彫で表現しようとしているのです。今日作った3個目の陶彫成形は床置きの一部になります。これは4個でひとつのステーションを形成します。そのステーションを2ブロック作る予定です。まだまだ先が長いのですが、コツコツ作るのが私の得意とする方法なので、焦らず休まず頑張っていこうと思っています。今月中には4個で構成するステーションが出来るかなぁと期待しています。同時に厚板を6枚購入して、屏風の下書きを進めたいとも思っています。あれもこれも欲張ると気持ちが上滑りして心を込めた作品が出来ません。じっくりやっていく姿勢は崩さずにいこうと思っています。ただし、この時期のイメージ先行は、新作導入としては良い傾向です。暑さ対策で自分の創作欲求を抑えながら、ゴールを見極めていきたいと思っているのです。
2019.08.17 Saturday
週末になりました。TV報道で気温が体温並みに上昇すると知って、工房に行こうかどうしようか躊躇していました。今日は職場のある地域で、昼ごろに公会堂を使って会合を持つため、工房での制作は午前中の早い時間帯にやることにしました。朝8時に工房に行ったら、窓から風が入ってきて、いつものように蒸し暑く感じることはありませんでした。陶土の塊を掌で叩いて、座布団大のタタラを5枚作りました。明日はこれを使って陶彫成形に入ります。新作の大きな陶彫部品の3個目に取り掛かるつもりです。地域に出かける直前まで作業をしていたら、いつものように汗だくになって自宅に戻りました。シャワーを浴びて着替えをしました。休日でも地域会合が予定されていて、職務的な立場として私は出勤していきます。予め分かっている会合なら、陶彫制作を調整していくのですが、長く集中することは出来ないため、それなりの制作工程を組んでいきます。成形をするための準備であれば、午前中だけで終わらせることが出来ると判断しました。実は明日も地域会合があるのですが、明日は夕方から予定されているので、長く成形に携わることが出来ると思っています。陶彫制作にはさまざまな工程があり、どれも長い時間を必要とするものではありません。陶土の乾燥具合によって、一日置いた方が良い場合があります。それを計算して休日出勤に合わせていくのです。それは出勤だけではなく、工房の気温上昇との兼ね合いもあります。危険な温度に達するようであれば、それを考慮して制作工程に組み込みます。陶彫制作は一気呵成に出来ない辛さはありますが、仕事や環境要因によって工程を分けていくことが可能なのです。今日は地域会合から帰ってきたら、日頃の疲れが出ていたため、休息を取ることにしました。自分の性分だろうと思いますが、夏季休暇を取得してもゆっくり休むことはせず、鑑賞と制作に明け暮れる生活が続いています。のんびり過ごすことが苦手なのかもしれません。その分、一日のうちで休憩を取る時間を設けています。まだお盆の時期なので、仕事に追われることがありません。明日も創作活動に精を出してしまいそうですが、休憩時間は取りたいと考えています。
2019.08.16 Friday
東京上野の国立博物館で中国の歴史を扱った「三国志」展が開催されています。中国史に疎い私でも日本の漫画や人形劇になった三国志は知っていましたが、リアルな部分はよくわからず、この際きちんと調べてみようと先日、この企画展に行ってみました。三国志に登場する魏・蜀・呉の三国争覇の時代は、184年の黄巾の乱から280年の西晋王朝による統一までの僅か百年ほどの群雄割拠の時代だったことを知り、この時に有名な「孫子兵法」などが作られ、武器の開発も活発だったこともあって、現代からすれば魅力的でダイナミックな時代だったと言えそうです。図録には「三国志には多彩な人物が登場し、さまざまな局面に対応しながら時代を生き抜くさまが活写されている。人間味あふれる三国志の物語は、根源的に若年層の嗜好に応え得る要素を含んでいるのである。」とありました。その多彩な人物を挙げれば「蜀の地で皇帝の座につくことを宣言した劉備は、そのなかで自身は前漢の中山靖王劉勝に連なる家柄であるとした。天下を治めるべきは漢の劉氏であって、魏の曹氏や呉の孫氏には天下を治める道理がないことを表明したのである。」それでも「蜀は魏に滅ぼされ、魏と呉は西晋によって平定された。」という確かな歴史が物語っています。前日した兵法で言えば「孫権の父である孫堅は、戦国時代の孫武を祖とすると史書は記す。『孫子兵法』の作者である。曹操もその注釈をしたことで知られる『孫子兵法』は武将たちの必携の書であった。」(引用は全て市元塁著)三国志は「語り多く物少なし」と言われる時代だそうですが、それでも展示されていたものは貴重で重要な文化財ではないかと思いました。私は三国志に入る前の時代である後漢の墓に副葬品として埋葬された土製彩色による穀倉楼の構造が面白く、こんな高層楼閣が立つほど豊かな土地もあったんだなぁと思いました。邸宅のミニチュアもあって楽しめました。横浜の中華街に「関帝廟」がありますが、関帝とは神格化された関羽のことで、劉備に仕えた英雄として「一万人の兵に匹敵する」と言われたようです。本展にはほぼ等身大と思われる関羽像が出品されていましたが、武将らしく力の漲った像でした。これを契機に中国の歴史を紐解くのも面白いと思いましたが、歴史の厚みやスケールの大きさに圧倒されて、自分の残り僅かな人生を考えると、下手に中国史は齧らない方が良いと思いました。何と言っても三国志の時代は、我が国で言えば弥生時代から古墳時代前期に当たります。四大文明から取り残された島国の人間からすれば、途方もない世界観を持っているわけです。今回の「三国志」展は、その一端を垣間見た程度なのかもしれません。
2019.08.15 Thursday
今日はどこかへ出かけることはしないで、今年の夏季休暇を振り返る一日にしました。7月末に2日間の夏季休暇を取りました。ここでは新潟県魚沼市を訪れて、江戸時代の彫工石川雲蝶のダイナミックな木彫に触れました。「越後のミケランジェロ」と呼ばれた木彫家の作品は、現在も寺院で大切に保管されていました。翌日は「大地の芸術祭」常設作品である清津峡渓谷トンネルに行き、自然の景観を生かした現代アートを堪能して来ました。8月に入って3日間の夏季休暇を取りました。初日は兵庫県姫路に出かけ、世界文化遺産である姫路城を見て歩きました。夕方は大阪にあるあべのハルカス美術館で開催されている「ギュスターヴ・モロー展」に出かけました。翌日は徳島県鳴門市にある大塚国際美術館に行き、陶板による名作の数々を見て回りました。「越後のミケランジェロ」ならぬ本物のミケランジェロの「天地創造」の陶による再現があって、システィーナ礼拝堂を模した環境展示と相俟って、圧倒的な迫力を感じました。昨晩遅くに横浜の自宅に帰ってきましたが、今回の夏季休暇は美術と建築を徹底的に味わい尽くすものだったなぁと振り返っています。陶による名作の数々は、たとえオリジナルでなくても精巧に出来たものであれば、芸術家の息吹を感じさせることを体験してきました。西洋美術史に刻印された作品は、いずれも芸術家が命を削って表現したものばかりで、人間が生きて刻んできた魂を、静かで力強く感じさせるものがありました。一堂に名作を見渡して感じたことは、私たち人間の内面に宿る豊かさだったように思います。石川雲蝶然り、ギュスターヴ・モロー然り、建築で言えば姫路城を作った名もない職人集団然り、清津峡渓谷トンネルにアートを設置した芸術家然りで、それぞれが命懸けで取り組んだモノだったことが後世になって伝わってきています。作者はいなくなっても生きた証として後世に残っていくものが、こうした芸術なのでしょうか。しかも後世の人の心を揺さぶる感動は、何処から湧いてくるのでしょうか。そんなことを考えされられた夏季休暇だったと思いながら、午後になって久しぶりに工房に行きました。私も精魂込めて陶彫制作をやっていますが、手前味噌ながら今まで見てきた名作に負けていないぞと思いました。微力を積み上げていけば、きっと人を惹きつけられるモノができると信じることにしました。今回の夏季休暇では創作意欲だけは人一倍もらえた気がしています。