Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 図録用撮影日
    今日は日曜日ですが、横浜では開港記念日の祝日でもありました。天気は曇りで、ときより晴れ間が覗いていました。図録用の作品撮影には暑くもなく寒くもない、作業をするのに最適な日だったと思いました。朝9時に学生2人が工房にやってきました。彼女たちには野外工房の車の轍跡を消すために、コンクリート床に水を撒いてデッキブラシで擦ってもらいました。10時に多摩美大の助手2人が来てくれました。それから後輩の彫刻家がやってきて、まず「発掘~双景~」の陶彫部品を野外に持ち出しました。10時半ごろにカメラマン2人がやって来ました。家内と私を加えると、陶彫作品の移動や組み立て人数は7人、撮影のカメラマン2人の総勢9人で、今日の撮影イベントを過ごすことになりました。撮影は野外から始まり、「発掘~双景~」と「発掘~曲景~」の2点を組立てました。組立て途中にスタッフと私の作業現場を撮影しました。これは図録の最初の頁に使うもので、毎年恒例になっているものです。次に工房室内の作業台を片隅に移動し、空間を大きく開けて、そこに野外で展示した作品を移動してきました。野外と室内、2回の分解と組み立てを繰り返すので、この時ばかりは複数のスタッフが必要なのです。「陶紋」5点は流れる水を背景に撮影をしてもらいました。私としては今日来てくれたスタッフたちに感謝したいと思います。私の作品は一人ではどうにもならない組立作業があり、運搬も一人では厳しい面があります。毎年のことですが、スタッフの支援は本当に有難いのです。撮影後の作業台等の現状復帰作業もスムーズに出来ました。私は個人的には作品が完成した安堵感が広がり、同時に何とも言えない疲労感に襲われました。これは毎年同じですが、今年は転勤があった故か、とりわけ疲労が例年より厳しいと感じています。夕方スタッフを車で送り、自宅に帰ってきたらソファに倒れるように横になり、そのまま眠ってしまいました。力仕事は若いスタッフに任せていたのに、どういうわけか私もクタクタになって身体の節々が痛くなっていました。おそらく精神的な面が疲労の大半を占めているのだろうと思っています。ともかく今日は無事撮影が終わって良かったと思っています。個展のイメージが見えてきました。
    週末 6月になって…
    いよいよ明日が図録撮影日になりました。今日は6月に入っての最初の週末ですが、明日の準備のために早朝6時過ぎに工房に行きました。早い時間帯に作業をもってきたのは、9時半から12時までの2時間半、職場のある地域で防災会議が組まれていて、そこに出席するために、早朝の1時間程度の作業をやったのでした。「発掘~曲景~」のテーブルに陶彫部品設置のためドリルで穴を開けました。ボルトナットを使って陶彫部品をテーブルに接着させるのです。8時に工房から帰宅して作業着から仕事用のスーツに着替え、地域の会議に出席してきました。お昼過ぎに自宅に帰った後、また作業着になり、再び工房にやってきました。午後は「発掘~双景~」の陶彫部品が窯に入っているため、窯を開けて最終部品の確認をしました。焼成は何とか成功し、これで全ての完成した陶彫部品が出揃いました。追加で焼成した陶彫部品に印と番号を貼り付けて、そこの部分だけ組み立ててみました。これで明日の撮影は何とかなりそうです。午後の作業時間は4時間でしたが、工房の床や野外の車の轍跡は、明日スタッフと共に清掃を行なう予定です。夕方、再び職場のある地域での懇親会が組まれていたため、また仕事用のスーツに着替え直して出かけました。今日は午前中と夕方に地域会合があったため、工房と職場を出たり入ったりしました。二足の草鞋生活の多忙な一面が垣間見えましたが、自分で選んだ道なので、こればかりは仕方ありません。今日はあっという間に過ぎた一日でした。今日は6月の最初の日なので本来なら今月の制作目標を考えるところですが、今日はそんな余裕がありませんでした。明日の図録用撮影が終わったら、制作目標を考えようと思っています。6月はほとんど搬入用の梱包で過ぎてしまいそうですが、次なるイメージが湧いてきているので、梱包と併行して来年の新作に取り掛かれるといいなぁと思っています。
    令和になった5月を振り返って
    今月1日から令和元年がスタートしました。アメリカのトランプ大統領が令和初の国賓として天皇陛下を訪ねて来られました。私は新しい職場に徐々に慣れてきましたが、外会議が多くて落ち着かない日々を送っています。落ち着かなかったのは職場だけではなく創作活動も同じでした。工房のロフト拡張工事があって、今月の制作工程がしっかり進められるのかどうか内心焦っていました。今は何とかなりそうなので安堵していますが、図録撮影日が目前に迫っているので予断は許せません。それでは今日は今月の最終日なので制作を振り返ってみようと思います。まず新作の状況ですが、「発掘~双景~」と「発掘~曲景~」と「陶紋」5点、これが個展に出す作品です。そのうち窯内にある陶彫部品が2点あるので、新作は完全に出来上がったことにはなっていない現状があります。ですが、作品を完成近くまでもってくるのに今月は無我夢中で取り組んだことは確かです。新作は撮影日に初めて組み立てるので、そこまでは心配の種が尽きないのです。それでも創作活動は頑張っていたのではないかと自分なりに評価しています。鑑賞では美術展に行った日は皆無でしたが、音楽鑑賞では叔父のコンサートに行きました。親戚に声楽家がいることは幸せなことだなぁと改めて思います。映画鑑賞は「キングダム」(TOHOシネマズららぽーと)と「グリーンブック」(シネマジャック&ベティ)を観に行きました。美術の展覧会にしても映画にしても、さらに行きたいものはあったのに、陶彫による新作に邁進してしまったのは、図録撮影を控えているためでした。今月は職場で体育的なイベントがあったり、新旧職場や自分が関わった団体の歓送迎会が複数あったり、各種総会も多く、日々慌しく過ごしていました。その分、RECORDが犠牲になってしまいました。下書きばかりが先行している現状を何とかしなければならないと毎晩思っているのですが、加齢とは思いたくない蓄積疲労と睡魔に勝てずにいます。読書では「日本流」を読み終えて「ヨーロッパの形」に移行しました。日本から西欧へ私の大好きな文化論は止め処も尽きず、まだまだ楽しめそうです。
    「ヨーロッパの形」を読み始める
    先日まで読んでいた「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)の後は、真逆に位置する西欧の文化史に触れたくなって、「ヨーロッパの形 螺旋の文化史」(篠田知和基著 八坂書房)を読み始めました。私は1980年から5年間ヨーロッパに住んでいました。彼の地の美術アカデミーに通っていましたが、旧市街を彷徨い歩くことが好きで、学校よりも散策によってヨーロッパを体感することが、今も印象強く心に残っています。ヨーロッパの旧市街は階段が多いなぁと当時感じていて、年老いた人が杖を支えに階段を登っていく姿をよく見かけました。街の景観としては、平面的に広がる日本の農村風景より、石材で構築されたヨーロッパの立体的な風景の方に私は惹かれていて、これはないものねだりの異文化憧憬なのだろうと思っています。本書のはじめの言葉を引用いたします。「なぜ螺旋階段なのかといえば、まっすぐな梯子ではどこかに支えがなければ立たないが、螺旋階段で、それも螺旋の半径がおおきいものであれば支えがなくともそれだけで立つのである。先のほうは雲間に消えているが、ぐるぐる回っていればそのうち天につく。ネジの原理である。日本に種子島銃が渡来したとき、さっそくそれを分解して模倣しようとして、一番苦労したのがはじめて見るネジというものだったという話は有名だし、咸臨丸のころでさえ、アメリカに渡った使節たちが荒物屋でネジを買ってきたという話もある。」成程、西欧の文化史は螺旋から始まると言ってもいいかもしれません。螺旋文様は私が大好きな形のひとつです。植物の生長に限らず、人間の筋肉のつき方も螺旋になっていると、彫刻を学び始めた頃に学校で教わりました。立体は直に立っているより捻ることで構造は強くなる、そんな立体感覚を持ったのもその頃でした。今回はそんな自分の興味関心を受け止めてくれそうな書籍に出会うことが出来ました。通勤の友として楽しんで読んでいきたいと思います。
    「日本流」読後感
    「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)を読み終えました。著者松岡正剛氏はネット上の「千夜千冊」で知りました。「千夜千冊」は、所謂書籍のナビゲーションのことで、これを眺めていると氏の幅広い教養だけでなく、内容を語る視点のユニークさに特筆すべきものがあると思います。本書「日本流」もその路線を辿っていて、日本人としての「あるある」を浮かび上がらせていましたが、我が国の文化継承に一石投じているように思われます。あとがきから引用すると「読みすすむうちに何が見えてくるかという点については、最初は多様な一対の文様を追うように進み、そこでいったん失われたものに思いをいたし、ついではしだいに日本の文化の奥に眠る『スサビの動向』を浮上させるという曲想にした。~略~主題や引用のしかたや言葉づかいについては、いろいろな輻湊関係が丹念にくみこまれている。できればデュアルでポリリズムな音楽を聞くように読んでもらえるとありがたい。」とありました。私も多様な日本流について自分なりに思いを馳せ、祖父が宮大工、父が造園業という職人家庭に育った自分だからこそ思いつくことがあるのかもしれないという考えに至りました。本書の解説から文章を拾います。「『日本流』とはあくまで『日本の流儀』のことで、その現れは多様であふれんばかりだ。『日本流』とは、歴史上と今日とに現実に存在する、多様さに対応する言葉として初めて『発明』された表現であり、新たな視点なのだ。~略~本書に通っている隠れたテーマは、その、『質』である。日本らしさが重要ならば、ただそれだけのことなのだが、実は問題は質なのだと、本書は隅々で言っている。~略~『キワ』という言葉も本書の柱である。感覚をハシやキワにもっていって、ツメてゆく感覚である。その果てに『スサビ』があり、寂しさもある。寂しさや切なさの無い遊びは『ツマらない』のだ。」(田中優子著)