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  • 14冊目の図録作成に向けて
    先日、個展のための図録用の撮影を行いました。毎年多くのスタッフに手伝っていただいて、集合彫刻の組み立てやら分解、そして周囲の片づけや掃除をしています。もう14回目となると撮影は恒例行事のようになっていて、撮影する順番も決まっているのです。その日に撮影した画像を私が選び、その後はカメラマンに編集作業に入っていただきます。何故私は毎年かなり手間のかかる図録を作っているのか、これは自作が組み立てに労力を要する集合彫刻だからです。作品は分解して木箱に詰めて工房の倉庫で保管します。作品を見るためには多くのスタッフの手を借りなければ全体像を提示することが出来ません。そのため作品完成を示す画像が必要なのです。今晩は撮影に立ち会った2人のカメラマンが自宅にやってきて、撮影した多くの画像を見せてくれました。私は自ら作成した図録のレイアウトに従って画像を選びました。画像を通して、初めて私は光や影の立体的効果を知ることになり、アナログな彫刻制作とは違うデジタルな表現に改めて感動を覚えました。毎年のことなのに、自分の作品であって自分の作品ではないデジタルな不思議さに再三驚かされてしまいます。私は映像表現が好きです。映画館に足繁く通うのも、そうした映像好きな私の趣味の反映です。図録を楽しみたい気分も映像好きであるが故のものではないかと思っています。今回の図録の写真はフラットなものにして欲しいとカメラマンに要求しました。今まで光と影を強調したり、周囲の空気までを表現して欲しいと言ってきましたが、今回は真逆で、隅々までクリアな画像が欲しかったのでした。そうしたことがあるため新作の図録は、今までと趣が変わっています。14冊目の図録作成に向けて、カメラマンとの協働作業が始まると言えるのです。
    京都の「若冲と祈りの美」展
    先日行った京都での展覧会の詳しい感想を、昨日のNOTE(ブログ)に引き続いて述べたいと思います。毎年京都に行く度に、私は岡崎公園にある細見美術館を訪れています。細見美術館のコレクションが素晴らしいこともありますが、企画展もなかなか面白くて、つい足を運んでしまうのです。細見美術館の扉の演出も気に入っていて、奥まった所に格納された秘作を見に行く雰囲気があります。室内は照明をやや落としていて、作品の持つ静寂さを際立たせています。「若冲と祈りの美」展は美術館のコレクションである伊藤若冲の絵画と仏教美術の数々で構成されていました。私は久しぶりに若冲の世界に浸れた喜びがありました。スピード感のある墨が颯爽と冴えわたる「鶏図押絵貼屏風」六曲一双は、京都まで来た甲斐があったと私に思わせてくれました。若冲の精密な描写や流麗な色彩に、私は常々惹かれるところですが、無地にさっと描いた水墨画もその抑揚と筆さばきに驚かされています。若冲は庭で鶏を飼い、日々デッサンをしていたと資料で読んだことがあります。鶏の姿態が完全に把握できていたからこそ到達できた水墨画であろうと思いました。解説によると「背景を一切描かず、墨の濃淡とユーモラスな表情は躍動感に富んでいる。一方特に雌鶏には似通った姿も見られ、最晩年の若冲画は形式化が進んでいたこともうかがえる。」とありました。署名には八十二歳画とあり、その年齢を信じれば老いてなお凄まじい表現力を持っていたことになります。若冲は還暦以降、改元の度に一歳加算したという説もあるので、これは1・2年遡る作品である説が有力ですが、それでもこの筆の気迫は常軌を逸しているのではないかと思いました。今回のNOTE(ブログ)は若冲の作品が中心になってしまいましたが、仏教美術の作品の数々も併せて展示されていました。美術品として視点で宗教美術を見ると、祈りの対象から離れて作者が表現しようとした意図が見えてきます。そんな鑑賞もあっていいのではないかと私は思っていて、美術館に限らず寺社に行った時も手を合わせることなく、寧ろ眼で思考するようにしているのです。宗教美術には表現力に富んだ素晴らしい作品があって、心を満足させる瞬間があることを付け加えておきます。
    京都の「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」展
    先日、関西出張の折に京都国立博物館で開催されている「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」展を見てきました。まず時宗(じしゅう)とは何か、鎌倉時代に全国を遊行し念仏札を配り続けた一遍上人が開祖となる仏教の宗派です。一遍は浄土門系の念仏僧で、本展に出品されている「一遍聖絵」の中心的な僧として、私の頭の片隅にもありました。図録に「一遍聖絵」の記載がありましたので引用いたします。「宗祖一遍の生涯を、阿弥陀仏の光明(智慧や慈愛)を讃えた十二の名である十二光仏と、『仏説無量寿経』『正宗分』に説かれる弥陀の四十八願(十却の昔、法蔵菩薩は優れた仏国土を作り上げる為に立てた四十八種の願いを成就させ、阿弥陀仏となり『西方極楽浄土』を作り上げたこと)にちなみ、全十二巻四十八段で構成される。」(遠山元浩著)とあり、十二巻ある絵巻物にも謂れがあることを知りました。ともかく「一遍聖絵」は圧巻でした。絵師は色鮮やかな大和絵様式を基に水墨画の技法を取り入れていますが、作者とされている法眼円伊は今も謎に包まれた絵師だそうです。開祖にはどんな機会が訪れて、宗教に覚醒するのか、私が興味を感じるのはそんな場面です。図録にあった一遍の不思議な体験を拾ってみます。「目を閉じてうとうとしている所に御殿の御戸が押し開いて、白髪なる山臥の長頭巾をかけた権現が現れ、一遍の前に歩みよって言う。『融通念仏すすむる聖、いかに念仏をばあしくすすめらるるぞ。御房のすすめによりて一切衆はじめて往生すべきにあらず、阿弥陀仏の十却正覚に一切衆生の往生は南無阿弥陀仏と決定するところ也。信不信をえらばず、浄不浄をきらはずその札をくばるべし』と。後に目を開いて見ると、十二三ばかりなる童子百人ほどがやって来て、手をささげて『その念仏をうけむ』と言って札を受け取り南無阿弥陀仏と唱えていづ方ともなく去った。」(有賀祥隆著)本展の出品作は、美術的な見方も出来ますが、時宗のことを齧ってみると、かなり面白くなることが分かりました。因みに私の菩提寺も浄土宗で、法事には南無阿弥陀仏を唱えているため身近に感じた展覧会でした。
    週末 新しい陶彫制作へ向けて
    関西出張の疲労が多少回復してきました。今日は朝から若いスタッフが2人来て、工房でそれぞれの課題に向き合っていました。私は電動タッカーを手に入れたものの板材をまだ購入していないため、梱包用の木箱作りは来週に持ち越しになりました。そこで今日の作業では、以前からイメージしていた来年に向けての新作への第一歩を踏み出すことにしました。2020年の新作です。まず集合彫刻の最初の陶彫部品を作っていくのですが、新作と言えどもコンセプトは現在の作品の延長上にあり、それを踏まえて新たな方法を試していくのです。新作は既存の彫刻作品で定番になった根の陶彫の発展形です。基本は蒲鉾型の成形ですが、いろいろなバリエーションを考えています。そのうちのひとつを今日試してみました。何とかこれでいけそうかなぁと思っています。若い女性スタッフ2人が工房に来てくれているのも私には心の支えになっています。疲労を言い訳にして制作から逃避してしまうところを、2人がいることで、私はぐっと我慢して陶彫に向き合えるからです。2人にとっても工房は作業をやるには適した環境なので、お互いの利害関係が一致しているとも言えます。7月予定の個展用作品の梱包と新作の準備、これが今月の大きな仕事ですが、今年の作品がほぼ出来上がっているので、だいぶ気が楽になっています。新作の滑り出しもまずまずかなと思っています。
    週末 梱包用木箱作り準備
    昨日の夜に関西出張から帰ってきました。2泊3日の出張で疲労も溜まっているだろうと予想していましたが、思っていた通り、午前中は身体が動かず自宅でボンヤリしていました。とりあえず工房に行きましたが、先日の図録撮影をしたままの状態になっていた空間を、梱包作業が出来るように少しずつ配置を換えました。今日から個展搬入用の梱包用木箱作りと決めていました。懇意にしている業者が本格的な木箱のモデルを作っておいてくれたので、その構造を確かめました。午後になってその業者に連絡を入れ、電動釘打機を見に連れて行ってもらいました。手ごろな中古の電動タッカーがあったのでその場で購入しました。その足で業者が懇意にしている材木店にも行きました。残念ながら店は午前中で閉まっていましたが、材木店の場所は分かりました。次は私一人で出かけて、板材を購入してこようと思っています。材料や道具をどこで手に入れるのか、これは彫刻をやっている者にとっては重要なことです。今までは日曜大工センターで購入していた梱包材でしたが、専門店のほうが何かと相談に乗ってくれるのではないかと思います。例年木箱作りに時間がかかっていましたが、材料や道具類、さらに協力してくれる業者がいれば、時間短縮も可能ではないかと思いました。今日は何か作業をしたわけではなく、道具を揃えたところで終わりにしました。夕方は家内と亡き義母の法事用の品々を注文するためデパートに出かけました。関西出張の疲労を紛らわせるためにいろいろな用事を済ませながら一日を過ごしました。明日は朝から工房で作業を行ないます。