2019.10.08 Tuesday
一日1点ずつポストカード大の平面作品を作っているRECORD。先日、1年間分の撮影が終わりました。それまで山積みされていた下書きだけのRECORDを焦って完成させ、撮影日に間に合わせました。毎晩何時間もRECORDに取り組み、絵の具が飛び散る食卓で睡魔に襲われながら頑張ってきました。現在は今日までの分をきちんと仕上げていて順調な滑り出しです。RECORDは日々制作しているので、その日によってイメージを変えてもいいのですが、時間がないにも関わらず発想から完成までを一日で成し遂げるので、5日間でひとつのイメージを展開していく方法を採っています。初日にイメージを決めると5日間は同じイメージを展開していくのです。新たなイメージが湧いた時は先送りして、まず連作を続けることに専念します。言うなればその日のうちにまとまらない図柄にもなってしまい、寧ろ考え方としては連続されたものを日々作っている状況です。その上、その月によって大きなテーマを決めていて手枷足枷を強いていますが、寧ろ限定されたものがあった方が楽に作れるのです。今月は「分離の風景」に決めました。区別されたり、仕分けされていくものを以前からイメージしていて、これをどこの月でやろうか思案していました。差別のような人権に絡む微妙な内容は今回止めておきました。職場では度々考えさせられる人権上の問題もありますが、RECORDはもっと単純な内容に絞りました。浅い内容の効率的な展開が果たしていいものかどうか、悩むところではありますが、日々の制作時間帯を考えると、疲れた頭に単純作業は癒し効果もあるのかなぁと思えるのです。
2019.10.07 Monday
「モディリアーニ 夢を守りつづけたボヘミアン」(ジューン・ローズ著 宮下規久朗・橋本啓子訳 西村書店)の第5章「大戦下のパリでの出会い」をまとめます。冒頭の文章に「モンパルナスの芸術界の人間で、モディリアーニのことを知らなかったり、彼と酒を飲んだり、彼にスケッチされたことのないものは誰一人としていなかった。」とありました。それほどモディリアーニの行動は評判になっていたようですが、こんな一文もありました。「彼はその頃でさえ自分がパリでは門外漢であることを意識していた。彼は友人や恋人たちに対しては、常にユダヤ人であることを明らかにしていたが、そうすることで、あらかじめ拒絶されるのを制しようとしたのであろう。批評家たちは、彼が純粋に新しい才能を求めて躍起になっている芸術家の一人であることに気づいていた。『彼は自作を発表することについて決して悩んだりしなかったし、周囲の作家のやり方を盗むようなことも決してしなかった。彼は自分一人で、自分自身のために生きていたのだ』」さらにこの章では重要な人物との出会いが語られています。その人は批評家で詩人だったベアトリス・ヘイスティングスでした。「『パリに行けばいい。モディリアーニという美男で天才の画家がそこにいるよ』35歳のベアトリスは豊かな胸に小さい頭、華奢な体つきといったモダン女性の容貌を備えていたが、実際彼女はモダンな女性であった。」ピカソはベアトリスのことを女性詩人、モディリアーニのことを酔っ払いと評していましたが、ベアトリスのこんな語りがモディリアーニとの出会いを表しています。「複雑な性格の持ち主。豚に真珠。1914年に安レストラン(ロザリーのこと)で出会う。私は彼の向かい側に座っていた。ハッシシを吸い、ブランデーを飲んでいた。彼にはまったく興味を覚えなかったし、一体誰なのかもわからなかった。酷く、残忍で強欲な人間にしか見えなかった。カフェ・ロトンドでふたたび会う。鬚を剃っていて、魅力的だった。可愛らしい仕種で帽子を取ったかと思うと、恥ずかしそうな目つきをして自分の作品を見にきてくれといった」その後の2人は蜜月状態が暫し続きます。「この頃のベアトリスはモディリアーニのすばらしい伴侶であった。彼女は趣味がよく、機知に富み、文学に精通しているだけでなく哲学にも興味を持っていた。それらはすべてモディリアーニの好みに合致していた。彼女は『ニュー・エイジ』の編集主幹として、新進の詩人や作家たちを奨励し、彼らを積極的に取り上げた。彼女がモディリアーニをよくも悪くも刺激し、彼の制作活動の触媒のような役割を果たしていたことは確かなようだ。」それから2人の関係がギクシャクしてきますが、モディリアーニの代表作はこの時期に制作されているのでした。
2019.10.06 Sunday
以前、相原工房で染色を基盤にしたアート作品を制作していた子が、久しぶりに顔を出しました。彼女は暫く中国に留学していて、そこの大学で染めのワークショップをやったり、自らの作品を作って発表していたのでした。海外で暮らして得たものを土産に彼女は帰国しましたが、今後どのように作品が展開していくのか、私は楽しみになりました。留学は他国の思考や技法だけでなく、伝承されているものや文化を学んでくるもので、ネットが発達し世界の情報が瞬時に手に入ったとしても、実際に肌で感じて得るものがあると私は思っています。私自身のことで言えば、今ほど情報がなかった時代でしたが、ヨーロッパに5年間暮らしていて、そこで自分の成育歴を振り返り、外国人との比較の中で自分が何をしたいのか、どんな表現手段が自分に相応しいのか、根源から自問自答する機会がありました。具体的にはそれまで日本で作っていた人体塑造が西洋に依存していたことで、その見直しを自分に迫り、日本人として生きてきた過程で、何が自分にとって必然なのか、彫刻そのものの実践を疑ってみることもしていました。彫刻の概念は西洋からきたものでしたが、私たち日本人は明治時代以来、学制が教育法令によって定められると西洋版の美術教育が入ってきた経緯を持っています。子どもの頃から疑うこともなく、西洋風の描画道具や絵の具を使って作品を作り、それらを教室に飾っていた環境に慣れ親しんできたため、西洋美術は極めて身近なのでした。ただし、留学によってその本流に触れると感覚的についていくことが出来ない拒否反応もありました。私の現在の立体造形のスタイルはそこから出発したと言っても過言ではありません。留学について話し合いながら、彼女にとって中国はどんな影響を内面に及ぼしたのか、自分自身に問いかける機会はあったのか、それは今後制作されるであろう彼女の作品が物語るのではないかと察しています。帰国した彼女は心機一転して工房で何かを始めました。私は8点目の陶彫成形をやって、彫り込み加飾を途中まで行なったところで夕方4時になりました。彼女を車で送りながら、私自身も20代の頃の不甲斐ない留学生活を思い出していました。
2019.10.05 Saturday
やっと週末になりました。数日前に栃木県益子町にある明智鉱業に陶土注文のFAXを送っていました。私が使用する陶土は2種類で、それぞれ割合を決めて土錬機にかけて、最後は手で菊練りをして使います。明智鉱業で扱っている陶土は20kgが1包になっていて、日本各地の陶土が販売されています。以前は益子町に出かけて、私は直接購入していましたが、ここ数年は横浜まで運送していただくことにしています。陶土を混合する実験を繰り返していた時代は、さまざまな種類の陶土を使ってみて、焼成によるテストピースを作っていました。「発掘」シリーズの陶土が決まってくると、購入する陶土の種類も限定されたものになりました。私の作品は釉掛けもしないし、陶土のバリエーションを見せることもしません。イメージに合った陶土があればそれでいいのです。いつも私は20kgの陶土を20包、それを2種類注文しているので、合計40包で総重量800kgの陶土が毎年必要になっていて、それらが今日工房に届きました。この陶土を大切にして、これからの1年余りの間に使っていくのです。今日は昨年購入した残っている陶土を土錬機にかけて土練りを行ないました。菊練りをした際、掌で叩いて座布団大のタタラを数枚作りました。明日の陶彫成形のための準備です。今日は夏が再来したような暑さで、汗が頬を伝って流れました。第2ステーションの陶彫部品は7点完成して乾燥を待っています。明日8点目になる部品を作ります。制作工程が少しずつ着実に動いています。週末がきちんと創作活動に充てられる時は、朝から夕方まで最低7時間は工房に篭ろうと思っています。今日は朝7時から工房にやってきたので9時間くらいやっていましたが、途中若いスタッフが顔を出しました。夕方4時に彼女を車で送って工房を後にしました。
2019.10.04 Friday
昨日、東京六本木にある国立新美術館で開催している「自由美術展」に出かけ、師匠の彫刻作品を鑑賞してきました。池田宗弘先生から私は学生時代に彫塑の指導を受け、その時に東京都美術館の大規模な企画展に出品されていた池田先生の作品を見て、彫刻を始めたばかりの私はその作品がずっと印象に残っていました。あちらこちらから痩せた猫が魚の骨を目指して忍び寄る大きな作品は、今も長野県東筑摩郡麻績村にある先生の工房兼住居「エルミタ」に置かれています。「エルミタ」にお邪魔する度に、私は当時の思い出が甦り、長く彫刻の道を歩んでいる自分のことを振り返る機会にもなっているのです。今回出品されていた「旅の絵師は悪魔と出会った」は、先生がデビューの頃から続けられていた真鍮直付けによる人物像を含む風景彫刻で、私にとっては馴染みのある技法を駆使した作品でした。悪魔が登場する契機になったのは、あるキリスト教会の神父の心に棲む邪悪を、先生が悪魔に見立てたのが始まりでした。連作を続けて見させていただいて、悪魔が徐々に可愛らしくなっているのに気づきました。親しげに近づく者に注意をするように先生に促されているようにも思えました。先生の彫刻は細長くて、一見するとジャコメッティのようですが、内容はかなり違います。ジャコメッティは対象を正確に捉えようとした結果、あんなに針金のように細くなっていったわけですが、先生は構造の面白さを示すために量感を削り取っていったように思えます。それは人物だけではなく、周囲の情景さえも構造そのもののような風景になっています。であるからこそ、照明に当てられた彫刻の陰影が美しく映えていると私は感じています。また素材だけを提示しているのではなく、そこに物語性を盛りこんでいます。労働者の憩いや公園に集う人々、猫の生態やら宗教性の強いテーマもあります。社会風刺や日常を切り取って、あたかもスケッチでもするように彫刻するのが池田宗弘ワールドなのです。陶の素材感を全面に出し、抽象化を図る私の世界とは異なりますが、私の作り出す世界も先生に認めていただいていることに感謝しています。先生にはいつまでも作品を作り続けていただけるよう願うばかりです。