2019.07.07 Sunday
週末とは言え、今日も昨日とは別のメンバーによる地域会議がありました。私は来週の搬入を控えていて、時間が足りない中で地域会議に出席してきました。その関係で今日も昨日と同じく早朝6時に工房に出かけ、梱包作業に精を出しました。梱包用木箱を構成する横板が無くなり、昨日中に日用大工センターに追加の板材を注文していました。地域会議が終わった後、板材を取りに行って、夕方から工房で作業の続きをやっていました。梱包がほぼ出来上がったのは夜7時を回っていました。それでも最終的なチェックが必要ですが、それは来週の土曜日に行ないます。今回は梱包で右往左往してしまいました。6月の図録用撮影日も陶彫部品がまだ窯に入っていて、作品完成前にジタバタしていましたが、作品が出来上がっても余裕が持てず、結局搬入を予定している次の日曜日まで休む間もなく過ぎていきそうです。搬入前日は一度立ち止まって、あらゆるものに目配りすることが大事です。確認作業を怠ると、とんでもない事態になることは過去の事例から学んでいます。組立ての手順、それに要する電動工具、接合金具、修整用の接着剤など、前日は個展の空間をイメージしながら準備していくのです。図録が出来上がってきたら、ギャラリーせいほうに届けに行かなくてはならず、搬入前にもう一度、東京銀座に足を運ぶことになりそうです。このところ連日の多忙で身体は疲労をしているはずですが、何故か疲労を感じずにいました。しかし今日になって胃腸の具合が悪くなった時間帯がありましたが、それも束の間で、作業をやっているうちに治ってしまいました。気持ちの頑張りが体力を超えたのでしょうか。明日から金曜日までは公務が待っています。まったく違う仕事をしていくのも、搬入に向う切羽詰った気持ちのクールダウンになりそうです。二足の草鞋生活は大変な面もありますが、意識せずに2つの世界のバランスを取っているのかもしれません。
2019.07.06 Saturday
週末になり、個展のために搬入の準備している最中ですが、職場の地域が座談会形式の会議を計画していたため、今日はこれに出席してきました。公務員と彫刻家との二足の草鞋生活では、こうしたことで時間のやり繰りが難しく、ある面では仕方がないところがあります。今週末はまとまった休みが取れないことが予め分かっていたためにウィークディの夜に工房に来て、梱包用木箱をコツコツ作っていたのでした。ウィークディは仕事から帰って1時間程度工房で作業し、さらに自宅の食卓でRECORDを制作している生活が続いていました。木箱作りもRECORD制作も身体が休まる状態ではないので、疲労が溜まっているかもしれないと思うこの頃ですが、何故かいつもより覚醒していて不思議な力が湧いてきています。今日は早朝6時に工房に行って2時間ほど梱包作業を行い、9時前に地域会議に出かけ、昼過ぎに帰ってきて、再び工房にやってきました。そこで1時間くらい梱包作業をやって、午後は家内と常連にしている映画館に出かけました。映画「クリムト」は前から観たかった映画で、今日しか時間が取れなかったので、思い切って出かけたのでした。映画を観終わってから、夜になってからもう一度工房にやってきました。そこで2時間の作業をやりました。今日は早朝2時間、昼に1時間、夜に2時間の通算5時間を費やして飛び石で梱包作業をやりましたが、短期集中で何とか今日のノルマは果たせたかなぁと思っています。実は明日も職場の地域で別会議が組まれていて、また早朝から工房に行こうと思っています。映画「クリムト」は副題が「エゴン・シーレとウィーン黄金時代」とあって、ウィーン分離派時代のクリムトやシーレを巡るドキュメンタリーになっていました。本作の制作はイタリアで、主演男優もイタリア人でした。映画の中ではエゴン・シーレの強烈な画家個人の自己分析とエロティックな世界観が印象に残りました。私は1980年から5年間ウィーンで暮らしていたので、その空気感を思い出し、時折微妙な気分になりました。映像の編集で街の捉えがこんなにもハイセンスでシャープになるのかと感じ、私はこんなにも新旧取り混ぜたヨーロッパの文化が濃厚に詰まった街にいたんだなぁと改めて振り返っていました。映画の詳しい感想は後日改めます。
2019.07.05 Friday
「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)は、カンディンスキーの著書「芸術における精神的なもの」を根拠に、フランスの現象学者が書き表したものです。今回は「音楽と絵画」についてのまとめを試みます。冒頭の文章に「〈壮大な芸術〉という発想は、音楽および音楽と絵画との関係をめぐる考察から生じている。」とありました。特殊な個々の芸術のどこに統一性を見出していくのか、次の一文を引用いたします。「眺めること、聴くこと、触れること、感じることーそれらの体験の多様性が識別されているにもかかわらずーを、〈同じもの〉たらしめているのは何なのか。それは諸感覚の主観性である。」主観性に辿り着くまでにカンディンスキーの造形思考に何があったのか、こんな一文もありました。「抽象の概念の形成において決定的な役割を演じたのは音楽である。重大な『精神的転機』のときに、知の全領域において、とりわけ絵画の領域において、客観性の危機にカンディンスキーが揺さぶられて、新しい『内容』(芸術はこれを表現することを使命としている)について自問したとき、まさしく音楽が、彼の精神に模倣すべきモデルとして現れて来たのであり、入りこんでいる袋小路から絵画がぬけ出ることをー要するにその真の目的性を確認することをー可能にしてくれる道案内として現われて来たのである。」さらにここでショーペンハウワーの哲学が登場します。私は著作「意志と表象としての世界」を既読していたので、言わんとする内容は理解できました。「ショーペンハウワーは、この世界は、二次的な表象、見せかけの模写でしかなく、対象化し得ない隠された内的な実在である〈存在〉という真の実在の対象化でしかないと主張していた。-彼が〈意志〉と呼ぶものはこれであり、生を指し示す名称にほかならない。」主観性や内的なものに関する哲学的視点を示したところで、次の一文を本章のまとめにしたいと思います。「絵と音楽は、情念的な主観性とこの世界に関心をもたないその内的な移り変わりとに両者とも準拠することによって、〈同一のもの〉となっているのである。抽象絵画の発展のすべては音楽の発展をモデルとしており、フォルムと色が諸物への自己の帰属を、外面的な自己の現われをうち捨てて、どのようにして生の情念の中に再び組み入れられているかを、われわれにはっきり見せてくれたのだった。」
2019.07.04 Thursday
通勤中に読んでいる「ヨーロッパの形 螺旋の文化史」(篠田知和基著 八坂書房)の第二部「蛇の絡まる木」のまとめを行います。ヨーロッパで紋章に多く見られる蛇の図像には、どんな由来があるのか、本書から紐解いていきたいと思います。「キリスト教が生まれた中近東でも蛇や竜は信仰されていた。その痕跡は『聖書』にも随所に見られる。まずは創世記のエデンの園である。~略~蛇としても冥界を指し示しはしても、地上においては豊穣や、あるいは沈黙の知恵、慎重さなどをあらわしていた。ヘブライ世界でも、もっとも価値あるもの、ここでは『知恵』を守る番人だった。それを『食べるな』という禁忌は、美しい女神の裸身を『見るな』という禁忌と同じもので、人間の知りたい欲求をむしろあらわしたものである。」続いて古代の蛇伝承を取り上げます。「ヨーロッパの蛇女神として有名なのはフランスのメリュジーヌで、下半身が蛇だったという。メリュジーヌ以外にも『マムシの女王』として知られるヴイーヴルの伝承があり、似た形象の人魚型妖精はギリシャからいて、下半身が魚の場合も、それが二股に分かれて絡み合っている形で想像されることが多かった。~略~ギリシャ神話はエジプトのような動物神の性格は持たず、人間的な行動をする人文神の世界のように思われているが、実はよく見るとそうでもなく、たとえばゼウスが戦った相手のギガンテース族は蛇だった。~略~蛇はヨーロッパではもうひとつ別な機能をあらわしている。特に蛇の絡まるカドゥケウスというものが、ヘルメスの持つ杖で商業の象徴であり、アスクレピオスが持っていれば医学をあらわす。アスクレピオスの娘のヒュギエが蛇を飼っていて、その毒液から薬を作っていた。」蛇は裸女とも関係が深いようです。「蛇をまといつかせていたのはクレオパトラだけではない。アレクサンドロスの母オリンピアの寝床にはいつも大蛇がいたという。蛇がいなくとも、裸の女性は蛇そのもののように描かれた。妖艶に裸身をひねるヨーロッパの女神たちは蛇である。」とぐろを巻く蛇から渦巻く形に象徴化されたヨーロッパ文様ですが、近代絵画などの例もあげています。「絵の世界ではゴッホの《星月夜》の渦を巻く天体である。合理的機械文明であるヨーロッパで、何でもないところに、意味のない渦巻きが付け足される。それをねじり柱の延長として考えてみる。遊びなのか、過剰なのか、蛇の尻尾のように余計なものなのか、あるいはゴッホの世界に見られるように、狂い出す精神の風景なのか、漱石が『あらゆるものがぐるぐると回り出す』と『それから』の終わらない結末で世界を幻視したときは、多分にそれに近かった。」まとめになりませんが、今日はこのくらいにしておきます。
2019.07.03 Wednesday
「エコール・ド・パリ」とは、20世紀初頭にフランスの首都パリに集った異邦人芸術家たちのことを指しています。先日、東京都庭園美術館に「キスリング展」を見に行った折、「エコール・ド・パリ」の芸術家たちに興味が湧きました。当時のパリは芸術の中心であり、芸術家にとっては憧れの都市でした。ポーランドからやってきたキスリングもその一人で、パリの華やかさを体感しながら、彼は民族に纏わる事情も抱えていたことが図録で分かりました。図録から引用します。「ユダヤの血を引く者たちにとって、第一次世界大戦前から第二次世界大戦へと続く厳しい迫害の時代は、ルーツへの思いの深さとは裏腹に否定せざるを得ないという、辛い相克に苛まれた受難の世紀であった。モディリアーニやパスキンらと同じくユダヤの家系に、ポーランドの古都クラクフで生まれたキスリングの人生を振り返ってみると、そこには時代の折々にユダヤの血への葛藤に揺れ動いた心情が吐露されている。~略~このような時代状況のもと、キスリングは早い時期からユダヤ的なものから自己を切り離して、フランスに同化しようとしている。1910年代からキスリングは『モイーズ』というユダヤの偉大な指導者モーゼを想起させる名前を使うことを好まず、終生、絵のサインには姓のキスリングだけを使っていた。」(村上哲著)フランスへの同化、それは戦意高揚のための戦争画を描いた藤田嗣治にも言えることで、日本画壇の暴挙に嫌気の指した藤田は、レオナール・フジタとしてフランスに帰化してしまいます。いろいろな場面で「エコール・ド・パリ」の芸術家たちは祖国や民族が抱える諸問題も抱えていたと言えます。ただし芸術は、国籍や民族を超えて、美の価値観を共有する人々に認められることが証明されていて、私は芸術の素晴らしさを感じざるを得ません。