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  • 長梅雨だった7月を振り返る
    今日は8月1日ですが、昨日まで旅行に出ていた関係で、7月の振り返りが出来ていません。今日振り返りを行い、8月の制作目標を明日立てることにしました。今年は長梅雨で夏を待ち焦がれていました。7月の終盤にやっと梅雨明けした途端に、昨年のような蒸し暑い夏がやってきました。体調を悪くした人も多いのではないかと察するところです。7月は恒例になった東京銀座のギャラリーせいほうでの個展がありました。個展は自分にとって1年間のターニングポイントになっていて、ここから来年に向けた創作活動が始まっていくのです。1年間の成果の集大成とも言えます。個展が終わるとちょっと気持ちが解放されて、展覧会に足を運んだり、夏季休暇を取って旅行しようという余裕が生まれます。7月の美術展では「ウィーン・モダン」展(国立新美術館)、「加守田章二の陶芸」展(菊池寛美記念 智美術館)、「メスキータ展」(東京駅ステーションギャラリー)、その他では新潟県魚沼市を旅行し、永林寺や西福寺開山堂、穴地十二大明神、龍谷寺で見た石川雲蝶の木彫りの数々、越後妻有「大地の芸術祭」で常設展示されている清津峡渓谷トンネルを鑑賞してきました。映画では「クリムト」(シネマジャック&ベティ)を観ました。個展があって多忙だった割には、鑑賞は充実していたように思います。とりわけ越後のミケランジェロと呼ばれる石川雲蝶の造形美には圧倒されました。鑿一本で彫り出した超絶技巧は、一見に値すると思っています。幕末の地方に凄い彫刻家がいたこと、彼が生涯をかけた作品を寺院が大切に扱っていることが誇らしく思えました。RECORDは食卓に山積みされた過去の下書きの仕上げ作業に、7月は熱中していました。まだまだ追いつきませんが、今月で遅れを取り戻す予定です。公務員管理職の仕事が軽減している今、RECORDを頑張ろうと思っています。読書は西欧関係を論じた書籍を読み終えました。まとめを次々にNOTE(ブログ)にアップしていきます。私にとって強烈な7月が終わりました。モチベーションはそのままで8月を過ごしたいと願っています。
    夏季休暇② 「大地の芸術祭」の里を訪ねて
    昨日から新潟県に来ています。昨日は石川雲蝶の巨大な欄間を幾つか見て度肝を抜かされ、また十日町に立ち寄って博物館に所蔵された縄文土器を見てきました。今日は現代アートに触れる旅をしようと決めていました。ここで3年に一度開催される越後妻有トリエンナーレに関しては2009年8月5日のNOTE(ブログ)に掲載があります。私は10年前にここに来ていて、「大地の芸術祭」の里をいろいろな展示作品を見ながら堪能していたのでした。今はトリエンナーレ期間でもなく、常設展示があるだけでしたが、トンネルに水を張った場面がポスターになっている箇所が知りたくて、この作品を目標に車を走らせました。その前に10年前にはなかった森の学校「キョロロ」に立ち寄りました。錆鉄の構築物が現代彫刻のようでいて、外観はかなり気に入りました。夏休みなので子供向けに昆虫の展示がありました。目標にしていた例のトンネルは清津峡渓谷にありました。制作者は中国人建築家のマ・ヤンソン氏。全長750mのトンネルは渓谷に沿って掘られ、途中に三か所の見晴所が設けられていました。見晴所から見る渓谷の美は素晴らしく、最後にあったパノラマステーションに「大地の芸術祭」のポスターになった水を張った見晴所がありました。水深は浅くて歩くことが可能で、トンネルの先端に行くと渓谷を背景に自分のシルエットが映し出され、所謂インスタ映えのする画像が撮影できます。水が鏡面になっているため、幻想的な世界が現れてきます。風景がアートによってさらに楽しめるものになっているのを大変心地よく感じました。トンネルには鏡面仕立てのトイレがありました。私はここを使わせてもらいましたが、不思議な感覚になりました。「大地の芸術祭」が行われている越後妻有は、まるで箱庭のような田園の美しい風景が広がっていて、ここに野外作品を展示すれば、風景との対話は面白いものになるだろうなぁと思った次第です。夕方、越後湯沢から上越新幹線に乗って東京まで帰ってきました。夏季休暇の2日間は充実していました。あっという間に過ぎてしまい、次の夏季休暇3日間に期待をしているところです。
    夏季休暇① 越後のミケランジェロを訪ねて
    5日間ある夏季休暇の2日を取得して、上越新幹線で新潟県魚沼市に家内とやってきました。目的は彫り物師石川雲蝶が残した木彫りの数々や水墨画を見て回ること。石川雲蝶の名を知ったのはテレビ番組だったように記憶していますが、西福寺開山堂の天井一面に施された彫刻「道元禅師猛虎調伏の図」をテレビ画面で見て、ただならぬ気配を感じていました。自分なりに石川雲蝶を調べていくうちに、ひとたび鑿を握れば「彫りの鬼」と化したという雲蝶が、越後のミケランジェロと称される由縁もわかった気がして、どうしても実物が見たくなったのでした。新幹線の越後湯沢駅からレンタカーを借りて、関越道を走り、堀ノ内ICで降りました。そこから数分で曹洞宗の名刹である永林寺に到着、さっそく天女が彫られた欄間が私たちを迎えてくれました。1855年から13年という歳月をかけて、永林寺に保存される作品を数々を制作した雲蝶でしたが、その時の逸話も有名で、博打好きな雲蝶が弁成和尚と賭けをしたようで「雲蝶が勝ったら金銭を支払い、弁成和尚が勝ったら永林寺の本堂一杯に力作を手間暇惜しまず制作する」というものでした。この勝負は和尚が勝って、後世に残る作品の数々が生まれたのでした。次に向ったのはこれも曹洞宗の名刹である西福寺で、ここの開山堂には「越後日光」と呼ばれている天井彫刻「道元禅師猛虎調伏の図」がありました。これには私は心底圧倒されて、暫し形容する言葉を失いました。この作品を保存するために開山堂の外観をさらに木造建築が覆っていたのでした。西福寺を最初に見た時は二重構造の何とも不思議な寺の作りだなぁと思っていて、その理由が分かりました。西福寺には雲蝶による襖絵「孔雀遊戯の図」が残されていました。木彫だけでなく、絵画にも力量をもっていた石川雲蝶。さらに次の場所へ私たちは出向いたのでしたが、穴地十二大明神を見つけることが出来ずに、住所のある周囲を車でぐるぐる回っていました。え?あの小さな神社がそうなの?と近づくと勝手に扉を開けて中に入るよう指示がありました。確かにそこにも雲蝶の浮き彫りがありました。ひょっとして未完成と思わしき作品があって、それはそれで興味が湧きました。最後に向ったのは龍谷寺で、ここの観音堂はインドグプタ王朝様式が取り入れられた独特な雰囲気の寺院でした。そこには獏や麒麟などが緻密に彫られた完成度の高い雲蝶の欄間がありました。これら石川雲蝶の数々の作品に関する考察や感想は別稿を起こそうと思っています。宿泊場所である越後湯沢に帰る途中に十日町市博物館に立ち寄りました。10年前に一度来たことのある博物館で、縄文土器のコレクションが有名なのです。もう一度縄文土器が見たくなってやってきたのですが、もう間もなくしたら新館が完成するらしく、そのせいか展示会場はやや狭くなっていました。それでも目指す土器を見つけて嬉しくなりました。
    彫刻家飯田善國によるピカソ評
    7月27日付の朝日新聞「折々のことば」欄に、彫刻家飯田善國によるピカソ評が掲載されていて、目に留まりました。「十歳で どんな大人より上手に 描けた 子供の ように描けるまで一生 かかった 飯田善國」とありました。まずこのコトバに惹かれてしまいました。鷲田清一氏の解説が続きます。「ピカソが生涯をつうじて追い求めたのは文明の〈外〉に出ること、すなわち『名を与えられる以前の事物の記憶』であり、『憧れながら文明人がもう二度と手に入れることのできない』荒々しい野生的な生命力だったと、彫刻家・詩人は言う。ピカソは安住と眠りと怠惰を嫌ったが、それは『同じ所にじっとしていられない』から。思えばこれこそ子供の真骨頂。『ピカソ』から。」とありましたが、ピカソについての詩人飯田善國のコトバは言い得て妙なところがあって、私の心を捉えてしまいました。ピカソはあらゆるものから子供のように解放されたいと願っていたのでしょう。ピカソは芸術家に成るべくして成ったと思っています。「安住と眠りと怠惰を嫌った」ピカソが生涯を通じて創作活動に励んだことはよく知られています。生きて呼吸をするように創作活動をしたのでしょうか。ピカソは目に見えたもの全てに創作を入れたくなって、食卓に並んだ魚さえも作品にしています。彫刻家で詩人だった飯田善國は、ご自身の立体造形ではステンレスを使ったモビールがありますが、それよりも私は詩人西脇順三郎のコトバに帯状のラインで結んだ平面作品に興味を覚えたことを思い出しました。彼の評論も秀逸で、「見えない彫刻」(飯田善國著 小沢書店)は学生時代の私の愛読書でした。ピカソを筆頭に現代美術の潮流をその書籍より学び、その中でも飯田善國が実際に滞在したウィーンの美術家の話は貪るように読んでいて、私もその後ウィーンに滞在することになったのでした。既に故人になってしまった飯田善國には生前一度もお会いしたことがありませんでした。因みに「見えない彫刻」には画家オスカー・ココシュカへの会見記があって、今も私の脳裏に刻まれています。時代が移って私ならフンデルトワッサー会見記が書けそうですが、そんな依頼があるはずもなく、昔のNOTE(ブログ)に書いた記憶があるくらいです。
    週末 土練りから始めよう
    朝から工房に篭りました。私は陶土を単身では使わず、計量器にそれぞれの陶土を乗せ、割合を決めて混合しています。前作の混合陶土はかなり余っていたのですが、時間を置いたため、やや硬くなってしまったので、もう一度余った陶土も含めて練り直しをすることにしました。新しく混ぜ合わせる陶土と残った陶土は2回目の土練りで土錬機に一緒に入れることにしました。土錬機に陶土を通すのは通常では最低3回行い、その間多少水分を補給しながら、混合状態の様子をみていきます。これは成形をやり易くするために、細心の注意を払っていく工程のひとつです。今回は気温が高い中で陶土を保管したため、乾燥しないように気を使ったつもりでしたが、結局3回ではなく4回目の土練りをして良好な状態に陶土を戻しました。新作の陶彫部品も基本的には今まで通り、タタラと紐作りを併行して成形する方法をとります。土錬機から出てきた陶土を最後に手で菊練りをして、小分けにしてビニール袋に包むか、タタラに引き伸ばしてそのまま成形するか、その日の作業時間を見ながら判断します。今日は土練りの時間を長く取ったため、タタラにしたのは2つだけ、成形をするには少し時間を置いた方がよいと判断しました。いよいよ横浜も梅雨明けした模様で、空調のない工房は大変な暑さに見舞われました。額から汗が流れ、シャツは汗でびっしょりになりました。こうした蒸し暑い中で、今まで20年以上も制作を続けてきました。工房がなかった時代も、借りた施設で私は暑さや寒さと戦ってきました。最近は熱中症を心配して水分補給はこまめにやっています。工事用扇風機もロフトから下ろしてきました。今日の工房には若い世代のスタッフが2人来ていました。工房スタッフも若返り、10代の女子がやってきています。美術系の大学はまだ夏休みに入っておらず、課題提出日が迫っているようで、彼女たちは炎暑の中で真剣に課題制作に取り組んでいました。夕方4時に私たち全員が体力の限界になり、私は車で彼女たちをそれぞれの家の前まで送っていきました。工房に来るときは電車を使ってきても、帰りは身も心もボロボロになっていて、汗と絵の具だらけになった彼女たちを電車で帰すわけにはいかず、車で送っているのです。