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  • 横浜の「北斎展」
    横浜のそごう美術館で「北斎展」が開催されています。私は外会議で関内に行った昨日の夕方、「北斎展」を見てきました。関内ホールの帰り道になる横浜駅に美術館があるというのは大変都合が良く、ちょっと得をした気分になります。そごう美術館はデパート併設の美術館で、「北斎展」は児童生徒の夏休みを当て込んで企画されたものだろうと思いました。子ども目線で捉えた展示方法で、国際的に認められた浮世絵師葛飾北斎の代表作が並べられていました。絵の内容では、どこに注目したらいいのか、またどのように浮世絵は作られたものなのか、極めて分かりやすい子ども向けの解説は、疲れた大人の頭にも清涼な風を吹き込ませてくれました。私は有名な「富嶽三十六景」もさることながら、モノクロの「富嶽百景」に注目しました。画想や構図の面白さに暫し時間を忘れました。「鳥越の不二」に出てくる幾何学的な球体は何でしょうか。幕府の天文観測所浅草司天台という解説がありましたが、屋敷の屋上に巨大な渾天儀が設けられていたことが他の資料で判明しています。「富嶽百景」の解説書によると「『富嶽百景』は、この『霊峰不二』という画題一点を軸として、自然の風物とその周辺で生きとし生ける人々の営みを巧みに交え、ありとあらゆる富士山の諸相を北斎の全精力を傾注して描いています。単なる風景としての『不二』を表現するばかりでなく、北斎自身が捉えた独特のアングルでその魅力を描き切っています。芸術的に描かれた富士山の図像百科事典と言ってもよいでしょう。」(版元 芸艸堂しるす)と書かれていました。仕事の帰り道に何気なく立ち寄った「北斎展」でしたが、とても良質な作品に触れた感触が残り、いい気分になりました。
    モローを取り囲む2人の女性
    フランスの象徴派画家ギュスターヴ・モローは、19世紀末に72歳で没しましたが、70歳前後にパリにある自宅を個人美術館にする準備を始めていました。モローは65歳で国立美術学校の教授職に就いたようですが、私の先入観ではモローは室内に一人佇んで絵画制作に没頭した孤高の画家としてイメージしていました。生い立ちを追ううちに、モローはイタリアに旅行したり、また2人の女性が重要なポジションにいたことが分かりました。一人は母親で、モローは献身的な愛情を注がれていたようです。もう一人は内縁の妻とでも言っていいのでしょうか、モローに27年間寄り添った女性がいたようです。デッサンを教えたことでその女性と知り合い、彼女はやがてモローの最大の理解者になったようです。図録から2人の女性たちのことを綴った箇所を引用いたします。「モローは母へ親愛の表現をしきりに繰り返し、異国にいる自分にとって母との文通が言いようのない幸福の源であると、また、愛され過ぎて、芸術への情熱にとらわれた自分が十分応えられず苦しいと述べている。~略~返信で母は排他的なまでのわが子への愛情を再度強調した。また、息子について『彼の健康、幸せ、満足以外に何の興味もありません』とも書いた。このやりとりは、娘の死による女親の悲しみを慰める重責を負った一子と、母の激情的な愛の苦しみを浮き彫りにしている。」モローの妹はモロー1歳の時に亡くなっているので、まさに母の愛情はモローだけに注がれ、母から精神的にも経済的にも援助を受けていたようです。親子はモローが幼い頃から思春期に至るまで母子一体となっていて、モロー自身は母親の元を決して離れようとしなかったと図録にありました。12歳で入学した寄宿制中学校では同年代の子たちとの交流に苦しんだとも書いてありました。とは言えモローはさまざまな恋愛もして、ついに33歳で生涯を共にする女性アレクサンドリーヌ・デュルーと知り合ったのでした。モローは彼女の可愛いカリカチュア(漫画)を描いているので、彼女のことを相当愛しく想っていたことは間違いないでしょう。「母没後2年の1886年1月10日、自分が重病または瀕死に陥った場合の指示として、モローはアレクサンドリーヌ宛てに二つのメモをしたためた。27年間連れ添った伴侶である彼女の看病以外受けないこと、また、母の死後、苦悩の日々に彼女が限りない献身を尽くしたことを述べている。」(引用は全てマリー=セシル・フォレスト著)彼女に看取られるはずが、モロー64歳の時にアレクサンドリーヌは54歳で亡くなってしまいました。母親と伴侶、この2人に先立たれたにも関わらず、献身的に支えられてもいた画家の人生。私は幸福な人生だったのではないかと思っていますが、どうでしょうか。
    大阪天王寺の「ギュスターヴ・モロー展」
    先日の夏季休暇で訪れた大阪の天王寺。東京で見落としてしまった「ギュスターヴ・モロー展」が天王寺のあべのハルカス美術館で開催されていることを知り、早速行ってきました。フランスの象徴派画家ギュスターヴ・モローは神話や宗教をテーマに独特な個性を持って活躍した人で、それは旧態依然とした古典主義とは異なった世界観ではないかと私は解釈しています。モローの油彩表現では線描が際立つものが少なからずあります。一般的には線描は下塗りの上に細部を描き込んだもので、そこに彩色していくのが前提ですが、モローは線描をそのまま残し、しかも下塗りと線描との間にイメージの乖離があるのです。そこには建築装飾としてロマネスク美術の文様が主に描き込まれています。これは敢えて視覚的効果を狙ったものであろうと思います。モローの代表作にサロメの連作があり、その中でも本展に出品されていた「出現」に興味が湧きました。「《出現》の特異性は、何よりもサロメが裸体であること、そしてヨハネの首の幻視を見ていることにある。」と図録にありました。またサロメの裸体に不思議な文様が線描されていて、神秘性が増していました。「聖遺物の匣は聖遺物の隠喩として、そしてサロメのコスチュームはサロメの隠喩として機能するのである。~略~サロメを取り巻く建築空間もまた、衣装と同じくサロメの容器として、サロメの『神秘的』性格の比喩になっている可能性である。」この絵画に線描されたものは、とりわけ私に宗教性を感じさせましたが、図録によればそれは聖遺物の匣で、モローが聖遺物の匣を選んだ動機は何だったのか、これは風土の異なるところに生まれ育った私には皆目分からなかったのです。匣の中に収められた聖遺物は当然見ることは出来ないことは私にも分かりますが、豪華に装飾された外部によって暗示される秘めたるモノが、サロメが登場する絵画の舞台装置に必要と思ったからでしょうか。「モローが残した重層化した画面は、技法的には1880年頃の水彩画における線と色彩の乖離効果に基づいていると考えられるが、そこにコスチュームを通して人物の性格を表わそうとする意味論的方法と、様々なイメージ・ソースを線描で断片化し自由に組み合わせてヴェールのような装飾の線描を作り上げる制作方法とが組み合わさった結果でもあると考えられる。」(引用は全て喜多崎親著)うーん、自由でコラージュ的な扱いもあったのか、と思えばモローの世界はもう少し気軽に解釈できるのかなぁと思った次第です。私にはモローの人間性にも関心があって、パリのど真ん中で引き篭もっていた孤高の画家という先入観があります。そこに2人の女性が関わっていたという下世話な噂を、今回きちんと解明したいと思っています。別稿を起こします。
    週末 3個目の陶彫成形
    今日も相変わらず暑い工房でしたが、昨日準備したタタラを使って、3個目の陶彫成形に励みました。暑さに慣れてきたとは言え、額から汗が滴り落ち、シャツはびっしょりになりました。どこまで作業を続けるか考えた挙句、昼過ぎに近隣のスポーツ施設に行って水泳をすることで作業を終えようと思いました。彫り込み加飾は別日に設定することにして、今日は成形が終われば作業終了としたのでした。新作は彫り込み加飾に特徴があって、角張った箇所がないように作っています。ところどころに穿つ穴も大きくならず、彫り込んだ文様の中に同化するようにしています。先月の個展で発表した「発掘~曲景~」が新作のヒントになりました。その時の彫り込み加飾を全体に広げてみようと思ったのでした。新作は屏風と床置きの双方の空間を使う大きな作品です。その全てに同じようなパターンの彫り込み加飾を施す予定でいます。屏風に使用する厚板も同じようなパターンを彫っていきます。集合住宅のように見えるか、またはそんな住居が廃墟になったように見えるか、ともかく都市化された情景を、私は陶彫と木彫で表現しようとしているのです。今日作った3個目の陶彫成形は床置きの一部になります。これは4個でひとつのステーションを形成します。そのステーションを2ブロック作る予定です。まだまだ先が長いのですが、コツコツ作るのが私の得意とする方法なので、焦らず休まず頑張っていこうと思っています。今月中には4個で構成するステーションが出来るかなぁと期待しています。同時に厚板を6枚購入して、屏風の下書きを進めたいとも思っています。あれもこれも欲張ると気持ちが上滑りして心を込めた作品が出来ません。じっくりやっていく姿勢は崩さずにいこうと思っています。ただし、この時期のイメージ先行は、新作導入としては良い傾向です。暑さ対策で自分の創作欲求を抑えながら、ゴールを見極めていきたいと思っているのです。
    週末 陶彫制作&地域会合
    週末になりました。TV報道で気温が体温並みに上昇すると知って、工房に行こうかどうしようか躊躇していました。今日は職場のある地域で、昼ごろに公会堂を使って会合を持つため、工房での制作は午前中の早い時間帯にやることにしました。朝8時に工房に行ったら、窓から風が入ってきて、いつものように蒸し暑く感じることはありませんでした。陶土の塊を掌で叩いて、座布団大のタタラを5枚作りました。明日はこれを使って陶彫成形に入ります。新作の大きな陶彫部品の3個目に取り掛かるつもりです。地域に出かける直前まで作業をしていたら、いつものように汗だくになって自宅に戻りました。シャワーを浴びて着替えをしました。休日でも地域会合が予定されていて、職務的な立場として私は出勤していきます。予め分かっている会合なら、陶彫制作を調整していくのですが、長く集中することは出来ないため、それなりの制作工程を組んでいきます。成形をするための準備であれば、午前中だけで終わらせることが出来ると判断しました。実は明日も地域会合があるのですが、明日は夕方から予定されているので、長く成形に携わることが出来ると思っています。陶彫制作にはさまざまな工程があり、どれも長い時間を必要とするものではありません。陶土の乾燥具合によって、一日置いた方が良い場合があります。それを計算して休日出勤に合わせていくのです。それは出勤だけではなく、工房の気温上昇との兼ね合いもあります。危険な温度に達するようであれば、それを考慮して制作工程に組み込みます。陶彫制作は一気呵成に出来ない辛さはありますが、仕事や環境要因によって工程を分けていくことが可能なのです。今日は地域会合から帰ってきたら、日頃の疲れが出ていたため、休息を取ることにしました。自分の性分だろうと思いますが、夏季休暇を取得してもゆっくり休むことはせず、鑑賞と制作に明け暮れる生活が続いています。のんびり過ごすことが苦手なのかもしれません。その分、一日のうちで休憩を取る時間を設けています。まだお盆の時期なので、仕事に追われることがありません。明日も創作活動に精を出してしまいそうですが、休憩時間は取りたいと考えています。