2019.12.11 Wednesday
今晩の窯出しで新作の床置きになる第1ステーション4点、第2ステーション10点、合計14点の焼成が終わりました。ステーションの陶彫部品に関しては罅割れが少なく、まずまずの出来上がりだったなぁと思っています。第1・第2ステーションはそれぞれ設計通りの造形のため、組み合わせに新鮮な驚きはありません。それでも手間暇かけて作った分、それなりの迫力は感じます。自作の世界観を集合彫刻によって提示したいという意図は、今までも鑑賞者に伝わっていると自負していますが、組み合わせの妙が効果を上げて、寧ろ意図しない面白みが出ることを期待している私は、第1・第2ステーションの存在よりは、ステーション同士や屏風を繋ぐ根の陶彫部品に賭けていくしかないかなぁと思っているところです。昨年も根の陶彫部品を多めに作っておいて組み合わせによる面白みを狙いました。結局余分に作った陶彫部品は使わなかったのですが、それでも良いと考えています。現在は屏風に接合する陶彫部品を作っていますが、ステーション同士を繋ぐ陶彫部品も作らなければならず、意図しない意外性は今後の制作にかかっていると自覚しています。それは予め頭にある設計ではなく、その場凌ぎで思いついた感覚さえも取り入れていく余裕が齎すものではないかと思います。思いつきはさまざまな時や場面で訪れるもので、イメージの遊戯性とも言えるものです。そればかりでは作品は成立しないので、骨格を持ったイメージがまず存在して、その上で退屈なイメージを弄って壊していくような感覚です。構築と破壊の絶妙なバランスが頭の中でぐるぐる巡って、ギリギリに決着するのが最終作品になるのです。こんな発想が出来るようになった自分に多少の進歩を感じますが、それだけに着実性が失われていく危険も同時に感じます。ピカソのように破壊が常に隣り合わせなのは羨ましい限りですが、まだ自分はどうやらイメージの堂々巡りに陥ってしまっているようです。構築よりも破壊は数百倍も困難を極めます。自作の組み合わせによる新鮮な驚きは、鑑賞者ではなく、まず作者である自分が感じたいものなのです。
2019.12.10 Tuesday
「呪術としてのデザインー芸術民俗学の旅」(中嶋斉著 彩流社)の第2章の2「三保の羽車」についてのまとめを行います。静岡県にある三保の松原を有する海岸線は昔からの景勝地で、2013年に富士山世界文化遺産に登録されています。私は幼い頃に両親に連れられて、三保の松原を見に行った記憶があります。羽衣伝説で天女が羽衣を脱ぎ掛けた松は、柵に囲まれていて羽車磯田祠が立っていました。子どもの頃抱いていた漠然としたロマンが、本書によって伝説から伝承に至る文章で説明されていて興味が湧きました。「出雲の神は縁結びの神である。両性具有の蛇神は男と女、あの世とこの世を結ぶ神である。そして古来の呪術的信仰を、いち早く密教的観音信仰に結びつけた神であった。それは補陀落即ち印度の南の海に浮かぶ聖山の信仰を通してである。熊野からその地をさして船出する補陀落渡海は余りにも有名だが、五来重は、『修験道入門』(角川書店)で日本人のもつこの海上他界の観念にふれて、古来死霊や祖霊の集まる山上を霊場としてそこに修験道が発生したが、それに対して海の彼方にも祖霊が集まる世界(常世)があって、そこから人間界の救済に訪れる精霊を祀る海の修験道があったと書いている。その神霊や祖霊が海上を照らしながら寄りくる御崎の一つが美保の浦である。~略~いまこの美保の関を清水の三保に移して考えるならば、三保の浜辺でこの竜燈を焚くのは大山修験に代わる秋葉修験たちである。」こうしたことに興味が湧くのは、これが私たち日本人の土着から発生したものだからでしょうか。「近年三保の海辺で薪能が催されて、その地に因む『羽衣』が演じられる由だが、日本の芸能の多くは、伝統的に『松ばやし』の芸能であった。松に宿る精霊を松の木と共に迎え、その蘇生をはやし立てることが芸能の本義であった。今日の薪能は光の演出に重点をおいている。しかし本来薪は焼木で、松明は焼木の明かりであって、薪能は焼火の能である。松に宿る精霊の明かり(=出現)の芸能であろう。」最後にこんな一文がありました。「松ばやしの中に生まれた芸能にうたわれる『羽衣』は御崎の小島の松原に休らう弁財天にまつわる物語であったが、時と所に従って物語の筋も内容も変容を重ねていくように、神も仏も精霊もまたさまざまに変容をとげて、漁夫と契りを結ぶ比丘陀はいつしか竜宮に住む乙姫となり、またほのかな紅を白い裸体ににじませ、音曲の女神として江の島に祀られる。」ここから浦島太郎伝説を読み取ることが出来ました。
2019.12.09 Monday
「呪術としてのデザインー芸術民俗学の旅」(中嶋斉著 彩流社)の第2章の1「『花の時』を巡る」についてのまとめを行います。第2章から舞台は日本に移ります。しかも古代から受け継がれる祭りをテーマにしています。副題には「熊野に見るホトの祭り」とあって神話も含めた太古の遺物が登場してきます。初めの文章に「元来、椿は山茶花をさしていたらしい。それは春の始まりをことふれて歩く比丘尼の採物であった。大和や豊後に残る海石榴市の名は、彼女らが椿の枝をたずさえて魂ふりをしたことに由来すると折口信夫は推論する。」とありました。題名にある花の時と由縁のある霊場を訪ねるうち、こんな文章が目に留まりました。「『《日本書紀》にイザナミノミコトが火神を産んだとき、産道が焼けて死んだとある。また一書に、火神を産むとき、熱のためになやんで吐いたが、その吐いたものが金山彦となったとある。こうしてみると、このイザナミの出産の様子は、たたら炉から溶けた金属をとりだすときの光景と似ている。たたら炉の炎の色を見る穴をホド穴という。また鍛冶屋でも炭をくべてカネを焼くところをホド(火処)という。火神を産むときにイザナミがホト(女陰)を焼いて死んだと《古事記》の伝えるのは、これらと関連があるにちがいない』と谷川健一は『青銅の神の足跡』(集英社)で書いている。ホトは陰所であり、火処である。そこはクナドでカマドである。関西では火の神を荒神としいて祀り、そこをおクドさんと呼ぶ。家事では食物を煮たきする所であり、鍛冶では刀剣をきたえつくり出す所である。熊野は中央政権からはなれた陰所であり、難所で距てられた来名戸であったが、そこには山の陰所に住んで砂どりし、また、たたらを踏む鍛冶師の集団があったのだろう。スサノオがオロチを退治したが、オロチは鍛冶師の隠語であるというから、それを退治するのはその集団を支配することであった。」比丘尼に関した文章にも注目しました。「熊野比丘尼はミサキの神をいただいて歩く熊野信仰の尖兵であった。~略~彼女らは小さな神の祠を拝しながら、王子の死に自分たちの飢えに死なせた子供らのことを思い浮かべたり、死後の地獄の世界を思い合わせたであろうし、巨巌を仰いでは世の子らを慈しむ慈母観音を想像していたかも知れない。そして今日の不運や不安が明日の幸せにとって代わられることを祈り歌いながら、またそれを土地の人びとに説いて聞かせたにちがいない。その時花の窟は仏の姿となり、また旅立つ物の無事を祈る道祖の神となり、あるいは山に住むものにとっては来名戸の神として火処の守神となって、世を継いで祀られてきたのであろう。」
2019.12.08 Sunday
今日は朝から夕方まで工房に篭りました。若いスタッフもやってきて基礎的なデッサンに勤しんでいました。工房内は寒くなってきてストーブを出しましたが、家庭用のストーブは周辺を温めるだけで、工房全体は暖かくなりません。若いスタッフはストーブの近くで作業していて、私はそこからかなり離れた場所で、陶彫制作をしています。そろそろ手が悴む季節になったなぁと思います。現在取り組んでいる陶彫部品は、屏風に接合する比較的小さめのものですが、なかなか成形が難しいところがあって、神経を使います。何回かやり直すと陶土に僅かな皹が入り、土の新鮮さが失われます。陶土は最初の一回で成形を決めなければならないと痛感するところですが、上手くいかない箇所はどうしてもやり直しをしてしまうのです。最終的に叩き板で調子を見ながら表面を叩き、金属ヘラで摩って皺を補いますが、焼成中に割れが生じるのはこんなところが原因かもしれません。成形で誤魔化すことが出来ない箇所は、罅割れを覚悟して、イメージ通りのカタチを優先していきます。陶芸とは異なり、かなり無理なカタチを造形しているために、陶彫は技法に慣れることがありません。何度やっても陶土を上手くコントロールできない自分に嫌気がさしています。午前中は成形に神経を尖らせていたので、昼頃に近隣のスポーツ施設に行ってクールダウンのために水泳をしてきました。午後は成形を継続していたら、いくら休憩を取っても困難さは変わることがないなぁと実感しました。今日は夕方4時には作業を終えました。若いスタッフを車で送りながら、週末はいつも疲れているなぁと溜息をつきました。世の中の雑念を一切忘れられる創作活動は、幸せであると同時に何か別世界の苦しさに襲われて、自分の無力を思い知るのです。己の人間性を推し量るとすれば、ウィークディの仕事は役職上、私は職員の仕事を監督しているために、ともすれば自分の力を過信してしまうような誤解を生みます。そこへいくと創作活動は自分の力の及ばないところがいっぱいあって、自分がちっぽけな存在であることを自覚させられるのです。そんなバランスで私は生きているのかもしれません。
2019.12.07 Saturday
職場絡みの用事が週末に予定されることが多く、終日陶彫制作を行うことが出来ないことがあります。今日は昼から午後3時くらいまで職場の用事で横浜駅周辺に出かけたので、制作工程のノルマをどう達成しようか考えていました。早朝から工房に籠って、午前中は3時間くらい制作していました。用事が済んだ後、再び工房に行って制作を続行しました。今日は少ない時間の中で何をするべきか、予め決めておいて集中して作業をする気構えでいました。こんなことが日常茶飯にあるので、工房ではのんびり作業することがありません。その結果工房では、ウィークディの勤務より慌ただしい時間を過ごしています。不思議と時間が設定されている方が集中力が増すことがあって、時間がたくさんあればいいというものではないなぁと思いました。私の陶彫制作は工程において、まずタタラを立ち上げるため、タタラがやや硬くなったところで作業をします。成形や彫り込み加飾が終わると、陶土を乾燥させるために相当な時間を使います。最後は窯に入れて焼成を行います。こんなふうに陶彫は作業を休んで暫し待つ時間があるため、職場の用事を組み込むことが出来て、さらに上手に調整を行えば何とかノルマを果たすことも可能なのです。そもそも私が二足の草鞋生活を送ることが出来るのは、陶彫という特異な素材があればこそと思っています。午前と午後に分けた実際の作業はかなり充実しましたが、今日が土曜日であるため、ウィークディの仕事の疲れが残っていて、夜にノルマを達成した後、疲労で身体が動かなくなりました。若い頃は怠け者だったはずの自分が、歳を重ねるごとに勤勉になり、再任用管理職でいる今が一番多忙を極めているなんて、若い頃は誰が想像できたでしょうか。陶彫制作は明日も継続です。休日をゆっくり過ごす発想が近頃の自分にはなくなっています。