2019.08.31 Saturday
週末になり、朝から工房に出かけ、陶彫制作に没頭していましたが、今日が8月の最終日なので、制作や鑑賞が充実していた今月を振り返ってみたいと思います。今月はお盆休みがあったので、職場の仕事を少なくしていて、その分創作活動をしたり、どこかへ鑑賞に出かけるのは絶好の機会になっていました。私は夏季休暇を利用して兵庫県や徳島県に出かけました。その前にまず、今月の陶彫制作のことについて書きます。新作は屏風と床で空間構成する作品ですが、床置きの陶彫部品4点が一塊になる作品を作りました。成形と彫り込み加飾を終えて、現在は4個とも乾燥を待っている状態です。この一塊を私はステーションと呼んでいます。今日は次のステーションについて計画を立てました。次のステーションは10個の陶彫部品で一塊になる予定ですが、背丈を低く設定することにしました。床に広がる大きな蓮の葉のようになるイメージです。ステーションからステーションへ根を這わす予定ですが、これは茎と言った方がいいかもしれません。RECORDは頑張ったつもりですが、下書きの山積み解消は出来ていません。これが今月の反省材料ですが、陶彫制作に関しては及第点かなぁと思っています。鑑賞は充実していました。まず、兵庫県の姫路城、そして徳島県の大塚国際美術館は特筆に価するほど強烈な印象を持ちました。その都度NOTE(ブログ)に感想をまとめているので、参照戴ければ幸いです。その他美術展では「三国志展」(東京国立博物館)、「ギュスターヴ・モロー展」(あべのハルカス美術館)、「北斎展」(そごう美術館)に行きました。映画では「田園の守り人たち」(岩波ホール)、「天気の子」(TOHOシネマズららぽーと横浜)、「ヒューマン・フロー」(シネマジャック&ベティ)に行きました。展覧会3つ、映画3本は1ヶ月としたら多い方で、内容も良かったと振り返っています。読書はヨーロッパ文化を扱った書籍を読み終えて、現在は画家モディリアーニの伝記を読んでいます。来月は職場の仕事に本腰を入れなければなりませんが、創作活動や鑑賞は今月並みに続けられたらいいなぁと願っていますが、果たしてどうでしょうか。
2019.08.30 Friday
「モディリアーニ 夢を守りつづけたボヘミアン」(ジューン・ローズ著 宮下規久朗・橋本啓子訳 西村書店)を読み始めています。ユダヤ系イタリア人の画家アメデオ・モディリアーニは、首が極端に長く、目には瞳を描いていない独特な女性像をテーマに、象徴的な絵画を描いてきた画家で、20世紀初頭のパリで興ったエコール・ド・パリの代表的な人物です。多量に飲酒し、薬物への依存、不摂生で荒廃した生活を続け、享年35歳でパリに散ったことでも有名です。没後、日本でも展覧会が開催され、数多くの絵画が日本の美術館に収納されています。私も幾度となくモディリアーニの絵画を見てきました。最初は彫刻家志望だったモディリアーニは元々病弱で、力仕事や粉塵に耐えられず、彫刻家は諦めたようですが、画家としては夭折したにも関わらず、現在は近代美術史に名を連ねる人物になっています。ただし、私はモディリアーニ本人の成育歴や画歴を知らず、エコール・ド・パリというグループの活躍でしか認識がありません。前にキスリングの展覧会を見に行った折、モディリアーニについても調べてみたくなったのでした。以前どこかの企画展で、私はモディリアーニの彫刻を見ています。その時は単純化された頭部が美しいと感じました。彫刻家ブランクーシとも交流があったようで、抽象化したカーヴィングにはアフリカ民族美術に見られるような生命感溢れるプリミティヴな魅力がありました。この時代の簡潔化した彫刻は、今でも私に刺激を与えてくれています。モディリアーニの絵画は、この時作っていた彫刻より発想した形態にあるのではないかと思っています。ピカソもモディリアーニも愛したアフリカの民族美術。実は私も大好きで、アフリカの木彫の仮面を集めています。そんなモディリアーニの画歴も知りたくなって、本書を読むことにしました。通勤の友には格好の書籍です。楽しみながらモディリアーニの破天荒な生涯を紐解いていきたいと思います。
2019.08.29 Thursday
20代の頃、ウィーンに暮らしていた私は、鉄道を乗り換えてスペインの首都マドリードまで出かけていき、プラド美術館に立ち寄ったことがありました。その時にヒエロニムス・ボスの代表作「快楽の園」を見たはずですが、覚えていないのです。ボスの絵画は、私が当時在籍していたウィーン美術アカデミーの併設美術館にもあって、学校の工房を抜け出して頻繁に見ていたので、プラド美術館の有名な作品を見逃すはずはないと思っているのですが、どうしたものか記憶にありません。もう一度ヨーロッパに行ける機会があれば、ぜひ見たい作品のひとつですが、先日出かけた大塚国際美術館で、陶板による「快楽の園」がありました。これにはちょっと感動しました。「快楽の園」は、中央画面と表裏に描かれた両翼からなり、閉じたときは「天地創造」、開くと左が「エデンの園」、右が「地獄」、そして中央が「快楽の園」になっています。大塚国際美術館ではこの三連祭壇画が自動開閉していて、暫し眺めながら佇んでしまいました。内容としては左から右へ画面を移行すると、人間が堕落に向かっていく過程があって、快楽を貪った結果として地獄に堕ちていく様子が描かれていると、私は解釈しています。資料には「ありえない異種配合と転倒の戯画」や「倒錯した性の含めて、あらゆる種類の官能の快楽が戯画的に描かれている」と解説にありました。そこに私は面白みを感じているのです。「快楽の園」は、当時のネーデルランドに流行した神秘主義の世界観ではないかと推察する説もあり、この時代にしてはあまりに幻想的で空想的な捉えに、現代の眼から見ると新鮮な驚きがあるのです。描かれている摩訶不思議な生物は、西欧的なモンスターの始源かもしれず、現代ではゲームに登場するキャラクターに近いと感じます。いずれにしてもプラド美術館を再訪して、どうしても見たいと思っていた「快楽の園」が、複製品とは言え、思わぬところで見られたことがラッキーでした。
2019.08.28 Wednesday
夏季休暇を利用して徳島県にある大塚国際美術館に出かけ、大塚グループによる大掛かりな陶板による複製品に接してきました。西洋絵画を環境展示、系統展示、テーマ展示と分けて美術史に残る作品を全て網羅している美術館の全容は、特筆に値すると思いました。数時間で古代から現代まで高水準を誇る美術品を見て回るのは結構辛いと感じましたが、それでも緻密な複製品を前にして、オリジナルと相違が分からないほど技巧的には完成していて、寧ろ絵画的内容に関する感動さえ齎せてくれました。これなら時間の推移や環境風土によって失われていくオリジナルを、陶板に転写することで保存可能となります。そんな同館の取り組みは、世界に類のない素晴らしさではないかと私は感じました。そもそも私たちが美術品を鑑賞できるようになるまでに、人間の歴史にはどんな変遷があったのか、同館で購入してきた資料に興味深い記述がありました。同館で監修に当たった学者の文章です。少々長いのですが、引用いたします。「信仰にかかわる奉納品はタブロー画のようなもち運び可能なものではあっても、その目的と機能を維持するためには納められたところから動かすことのできないものだったのである。このような状況はローマ時代になっても、またキリスト教の時代になっても神殿や教会堂に納められた彫刻・絵画に関する限り変わることはなかった。~略~ヘレニズム時代に入るとギリシャ世界は大きく拡大し、東方との交易などによって活発な経済活動が行われるようになる。人々の生活水準は以前と比べるなら格段に向上し、王侯貴族だけでなく富裕な一般市民も自分たちの住宅を美術品で装飾することが流行した。~略~このような一般市民の需要に応えるために美術工房では複製品が大量に製作されるようになったのであり、そのような現象のなかで複製技術も向上していった。~略~美術品の動産化は、美術品が置かれていた環境のコンテクストから脱却させることであり、美術品の有する造形価値が美術品評価のおもな基準として浮上するようになる。このような状況は18世紀末に勃発するフランス市民革命と無縁ではない。自由、平等、友愛の実現を目指した市民革命は、社会と市民の基本的権利を明確にしており、それは地域や民族がもつ歴史コンテクストの上位にあるものと認識された。それゆえに近代世界においてひろく認知され普及したのである。美術品がその造形価値によってもっぱら評価されるようになった文化状況と、基本的人権が認められるようになった社会状況との関連性を如実に示しているのがルーヴル美術館の一般公開である。」(青柳正規著)複製絵画の意義を歴史を絡めた大きな視点から述べています。同館の環境展示は動産化不可能な壁画に関しても、陶板により複製品を作っていて、心底驚くと同時に貴重な記録であることは疑う余地もなく、ただただこれを複製した人々の努力に敬意を表する次第です。
2019.08.27 Tuesday
今月出かけた兵庫県の姫路城で、その美しさもさることながら、私が注目したのは城郭の石垣でした。これは昔行った九州の熊本城で、石垣の反りの美しさに溜息が出たことを思い出しましたが、姫路城の石垣も多様な相貌を見せてくれていて、美しさの余り暫し疲労を忘れました。若い頃から建築や土木に興味があった私は、父が造園業という生育環境にもその要因があったのかもしれません。姫路城の思い出に城郭石垣についての資料を、彼の地で購入してきました。そこには城郭石垣は接着材料を使用しない空積みで、法(ノリ)という傾斜と反(ソリ)というカーブが特徴と書かれていました。石垣の構成としては表面から順に築石(ツキイシ)、裏込(ウラゴメ)、盛土で構成され、姫路城は小丘陵を削って石垣を築いているため、盛土だけでなく岩盤を利用している箇所もあるそうです。石垣の隅角部分も気になりました。これは長方形の石材を長短交互に組み合わせて強度を高めており、これを算木(サンキ)積みと呼ぶそうです。石垣の分類としては、石材の加工度から自然石を使う野面(ノヅラ)積み、粗加工を施した割り石の打込みハギ、鑿などで整形加工した切込みハギの3種類がありますが、姫路城はそのいずれも見ることが出来て、まさに石積みの博覧会のようです。資料には石垣の歴史に触れた部分がありました。弥生時代の墳丘墓や古墳の石室など、石積み技術の歴史は古いのですが、城郭に用いられるのは7世紀以後で、姫路城に見られる近世城郭の石垣は、織田信長から豊臣秀吉へ続く「織豊系(ショクホウケイ)城郭」の石垣技術が全国へ広まったものだそうで、ここにも石垣技術の博覧会があって鑑賞者を楽しませてくれました。関が原合戦後には、石材が自然石から加工石材へと変化し、高くなる石垣に合わせて傾斜も急になり、反りの発生と算木積みの発達が進んだのでした。城郭石垣を鑑賞の切り口にして眺める各地の城も面白いのではないかと、私はこの時思いました。石垣に使用する石材、城の建築に使用する木材、屋根の瓦や漆喰に使用する土、どれも日本の風土が齎せてくれる素材ばかりです。そこに最高の職人技があって完成する城は、私たちの文化の誇りとするものではないかと考えます。その城の中でも白鷺に喩えられる姫路城を、今夏鑑賞できて良かったと思いました。