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  • 8月RECORDは「遊戯の風景」
    三連休の中日です。「山の日」が日曜日と重なったため、明日は振り替え休日になります。今日も朝から蒸し暑い工房に篭って陶彫制作を行なっていました。若いスタッフも工房に来ていました。昨日決めた制作目標通り、大きな陶彫部品の2個目となる彫り込み加飾をやっていました。夕方3時には作業を終えて、スタッフを車で送りました。自宅に帰って、早めの時間帯からRECORDをやっています。過去の作品の彩色や仕上げを以前のイメージを思い出しながら進めていますが、今日の分のRECORDをまずやってから、山積みされた過去の作品に取り組んでいるのです。8月のRECORDは「遊戯の風景」というテーマでやっています。何か遊んでいるような戯れているようなモノの情景を描きたいと思っていたので、こんなテーマにしました。6月のRECORDをやっていた時に、絵の具をRECORD用紙に滲み込ませてから、そこから導き出されるイメージをカタチにしていました。それまでは下書きをしてから絵の具を塗っていましたが、何もない白紙の上に絵の具を垂らしていく行為が楽しくて、今月も絵の具を優先にすることにしたのでした。私はついカタチに本腰が入ってしまう傾向があって、色彩は付加要素の扱いになっていました。でも絵画においてはカタチと色彩の比重は同じはずで、色彩の可能性を広げていくことは自分にとって必要ではないかと思い始めているのです。高校生の頃にデザインの勉強を始めましたが、自分の色彩感覚に絶望していました。その頃の平面構成の課題は最悪でした。工業デザインから思い切って彫刻に専攻を変えたのは、色彩コンプレックスがあったせいだと自分では思っていましたが、RECORDを作り始めて、漸く色彩の面白さに気づいたのでした。色彩に関してはカンディンスキーの理論も頭を過ぎりました。そんな色彩の冒険をやってみたくて、今月はテーマを「遊戯の風景」にしたのです。日々コツコツと頑張って作っていこうと思っています。
    夏の三連休の具体的目標
    職場は今日から始まる三連休を含めて休庁期間にしてあり、全職員が年休を取得し易い環境を作っています。私もこの休庁期間に夏季休暇の残りの3日間を取ろうと決めています。仕事にはオンとオフが必要ですが、創作活動は公務員の仕事がオフの時にオンに切り替えるのです。公務員と彫刻家の二足の草鞋生活は、そのいずれも仕事と考えればずっとオン状態が続くわけですが、仕事の質が違うので何とかやっていけるのです。さて、今日から始まる三連休ですが、具体的な目標を設定することにしました。新作の陶彫制作では屏風と床を使って陶彫部品を配置していくのですが、床に配置する陶彫部品に大きめな作品を数点作ろうと決めていて、やや手間のかかるそれら部品をこの三連休で作ることにしました。連続して休める機会がないと、中心をなす作品群は作れないのです。当初は屏風の全体構成も考えていました。どっちつかずになるよりは、それは別の機会にやるとして、今回の三連休は陶彫制作だけに集中しようと決めました。いつもなら朝9時から始めて夕方の4時までの7時間を作業に当てています。梅雨明けした後の気温の上昇を考えると、7時間の作業には無理があると判断しました。午前2時間、午後2時間が適当なのかなぁと思っています。工房は空調がないので、蒸し風呂のような暑さに見舞われ、熱中症を心配する事態になりかねません。昼食は近くのファミリーレストランに駆け込み、涼を取りながら休憩することにしました。若いスタッフが来ているので、昼食時の話し相手にはちょうどいいのです。工房に長く留まれない分、早めに帰宅し、自宅でRECORDの過去の作品の仕上げを行なうことにしました。RECORDも日々制作していて、下書きが数週間分も山積みされている状態です。この三連休で何とかなるものではありませんが、少しでも解消できればと思っています。
    映画「天気の子」雑感
    昨日のNOTE(ブログ)に続いて再び映画の感想を述べさせていただきます。岩波ホールで観た「田園の守り人たち」とはまるで異なる映画を、横浜の鴨居にあるエンターティメント系の映画館に観に行きました。どちらもレイトショーでしたが、「天気の子」はそれでもかなり観客が入っていました。新海誠監督によるアニメ映画と言えば「君の名は。」で、あの大ヒットの後でどんな作品をやろうとしたのか、注目していた人は多いのではないかと思っています。観終った印象としては「君の名は。」とは違う世界観を描いていたこと、前作とは異なる冒険を忍ばせていて、現代の風潮を切り取って描いていたこと、など上映中にも関わらず、さまざまな考えが私の頭を駆け巡りました。少年と少女の出会いがあるのは前作と同じですが、「天気の子」はお互い貧乏であり、都会の片隅で保護者不在のまま暮らしていて、生活スタイルが社会的にも不安な要素満載であることが挙げられます。これは少なくとも現在の貧困家庭の状況を描いているように感じました。少女が天気を操るという荒唐無稽な能力は、新海ワールドの最骨頂である細密な風景描写によって、その美しさ故の説得力を持ち、都会の雑踏から空に広がる積乱雲の彼方へ、私たちを連れて行ってくれるのです。この描写なくして、この世界観は生まれなかったと私は思いました。そぼ降る雨の表現には目を見張るものがあり、また雨に煙る都会の高層ビルのシルエットが美しいと感じたのは私だけではないでしょう。その都会を上空から俯瞰する画像に一条の光が射す場面は、この映画の見所のひとつです。人の心理は天気によって左右されることをよく物語っている場面ではないかと思いました。最近ではゲリラ豪雨によって甚大な被害が齎されることがニュースになっています。環境問題が国際レベルで話題になる時勢です。人が日常生活を送る上で自然環境に与える影響は、今となっては測り知れないものがありますが、私の含めて日常の快適な暮らしぶりを、だからと言って改めることをしていません。こんな時代を生きる私たちは、今後どうなってしまうのか、天候が狂っていると分かっていながら、受け入れていくしかないのかぁと感じるこの頃ですが、新海監督が図録の中でこんなことを述べています。「そこから思いついたのが、主人公である少年が『天気なんて、狂ったままでいいんだ!』と叫ぶ話だったんです。そのセリフが、企画書の最初の柱になりました。やりたかったのは、少年が自分自身で狂った世界を選び取る話。別の言い方をすれば、調和を取り戻す物語はやめようと思ったんです。」人の創作する物語は最後に調和が成され、平和を謳歌して終わるのが定番ですが、現実はそんなことはなく、大きな課題を抱えたまま時代が移り変わっていくものです。現代を生きるストレス社会の中では、物語の中だけでもハッピーエンドにして現実逃避をしたい観客も多いのはないかと察しますが、観終った後、すっきりした感覚がないなぁと思っていたら、近くの観客が「誰も幸せにならないんだよね」と呟いていたのが印象的でした。
    映画「田園の守り人たち」雑感
    東京神保町にある岩波ホールを、私は今に至るまで幾度訪れたことでしょう。最近は横浜のミニシアターに通うことが多くなりましたが、岩波ホールで上映された映画は鮮やかに記憶に留めています。フランス映画「田園の守り人たち」は岩波ホールのネットで知り、最終上映時間に合わせて横浜からやってきたのでした。私はミレーの絵画のような美しい田園風景を味わいたかったのですが、これは戦闘シーンが少なくても歴然とした戦争映画で、第一次世界大戦下のフランスの田園に生きた人々の暮らしぶりと、戦争に駆り出された男たちや銃後で生活を支えた女たちのリアルな日常を描いていました。図録に物語そのものの描写があったので引用いたします。「戦場に向かう若者、農園には母が残され、妻が残され、年老いた男が残される。女たちは種を蒔き、畑を耕し、乳を搾り、家畜に餌をやる。いつ戦場から恐れている知らせがくるかもしれない不安はみじんも見せず、男たちの帰還を心待ちにしながらも感情を押し殺し、女たちはただひたすら農作業を続ける。彼女たちが感情を露わにするのは、まるで悪魔の訪れのようにやってくる突然の訃報に慟哭する時だけだ。だが、日常は続く。」(斉藤綾子著)この映画で柱となっているのは田園の守り人たる母親で、彼女の息子や娘を見る物憂げな眼差しに私は惹かれていきました。そこに絡んでくるのは雇われた若い女で、最終的に田園から離れられない母とは別の生き方を彼女はしていくことになります。図録よりその個所を引用すると、「オルタンス(母)が男は決めたしきたりや約束を守ろうとする過去に生きる女とすれば、ソランジュ(娘)が現在、そしてフランシーヌ(雇われ人)は自立を欲する未来の女性を鮮やかに描き出す。」とありました。農業器具にも時代の移り変わりを感じさせる場面があり、また人の生き方にも現代に通じるものが伺える映画でした。
    TV放映「ヒロシマの画家」に感銘
    先日、NHKのBS番組で放映された「ヒロシマの画家」に感銘を受けました。番組は、広島生まれの画家四國五郎の生涯を描いた内容で、第二次世界大戦の原爆投下後の広島市街の惨状を、画家の活動を通じて雄弁に語っていました。この時まで私は画家四國五郎を知りませんでした。番組に登場するガタロさんは、清掃員をしながら原爆ドームを描いている画家として、嘗てTV放映があったので、こんな人もいるのかと知りましたが、故人になった四國五郎とガタロさんは師弟関係にあったようです。第二次世界大戦が終わる頃、四國五郎はシベリアに拘留されていたため、原爆の広島投下に出会っていません。日本に引き揚げてきた時に故郷の惨状を知り、とりわけ彼にとって実弟の死が衝撃だったようで、その面影をいつまでも大切にしていたのでした。画家は原爆投下を直接知らなかったため、ヒロシマを語り継ぐのには葛藤があったと紹介されていましたが、それでも大戦前の広島の在りし日の風景を絵画化し、大戦後のヒロシマを象徴として描いて見せました。番組内で私の心を揺さぶった1点の絵画があります。死んだ母が横たわる背後で呆然としている子どもを描いた絵画です。広島の美術館に収納されている絵画で、アメリカの研究者が訪れていました。アメリカでは著名な人たちが画家四國五郎の絵画に込められた思いを研究対象にしていて、核兵器が齎す人類への圧迫と警鐘を、アメリカの大学の講義等で扱っていることが分かりました。広島や長崎に原爆が投下されて早74年、核の脅威を私たちは永遠に忘れてはならないと痛感いたします。