2019.08.26 Monday
現代社会の問題をいきなり突き付けられたような刺激的なドキュメンタリー映画を観ました。タイトルは「ヒューマン・フロー 大地漂流」。現代美術家であり社会評論にも通じた中国人アイ・ウェイウェイの監督したもので、地球規模で難民を扱っている壮大なものでした。貧困・戦争・宗教・環境などで増え続ける難民たち。昨年は6850万人に上り、増々深刻化していますが、難民の受け入れを拒む国も増えているのです。本作の導入では難民たちが辿り着いたギリシャの海岸から始まり、流離うシリア難民、ガザに封鎖されるパレスチナ人、ロヒンギャの流入が止まらないバングラデシュ、ドイツの空港跡を使った難民施設や、広大な土地に広がる難民テントの群れ、アメリカとメキシコの国境地帯など、ドローンによる空撮やスマホによるリアルな映像が本作のほとんどを占めていて、それだけでも人々が生きていく切羽詰った日常が切り取られていました。図録にこんな文章がありました。「アンデルセン(編集者)は、人間として最も基本的といえる、生きることについて、そして家族への愛情に焦点を当てたと話す。『こういった映画は、とても簡単に感傷的なものになってしまう。映画のなかで、難民たちを被害者としてカメラに収めることだけは避けたかった。私とアイ(監督)は、そのような安っぽい同情を越えて、同じ人間として彼らを認識してもらいたかったのです。人々が作りだす大きな流れを、歴史の一部、そして世界の一部として映し出すのと同時に、《どんな世界を求めるのか》と問いかけてきます。これはとても感動的なことです。』」監督をしたアイ・ウェイウェイの言葉から拾ってみます。「私は生まれて間もない頃に、父が反共産党として国を追放されました。家族全員で人里離れた場所へ強制的に送られ、すべてを諦めねばなりませんでした。私は人間に対する最悪の仕打ちである、差別、虐待を見て育ったのです。~略~難民たちが私たちとなんら変わらない人々であるということを知ってもらうために、努力しなければいけないと感じています。難民はテロリストではなく、そういう考えがテロリスト的なのです。彼らは普通の人間に過ぎず、痛み、喜び、安心感や正義感は私たちのものと全く変わりません。」国を追われたアイ・ウェイウェイだからこそ難民に着目し、撮影できた作品とも言えると私は思いました。私たち日本人も外国籍の人々と接する機会が増えてきました。観光客と違い、生活者である彼らとは、風習や文化の違いによる衝突も多少ありますが、お互いが心地よい関係になれるように努力することは必要だと感じています。漂流した先で漸く辿り着いた日本に愛着を持ってくれたら、地域住民としてこれほど嬉しいことはありません。
2019.08.25 Sunday
今日は朝から工房に篭りました。昨日の午後作業するはずだった成形の最終的な詰めを朝のうちにやりました。陶彫成形の内側から紐状にした陶土を貼りつけて補強をした後、表側から板で叩いて形を整えます。形は立体として納得できるようにあらゆる方向から叩いて自分のイメージに近づけていきます。彫刻的な工程としてはこれが一番楽しい作業なのです。私はイメージをデッサンせず、いきなり彫塑として捉えていく方法を取っています。平面デッサンをすると描写に夢中になってしまい、立体的な捉えが私には今ひとつピンとこないのです。形が納得できたら、表面に彫り込み加飾を施していきます。これは陶土を掻き出しベラで彫っていく工程で、言わばレリーフですが、立体的な捉えというよりは平面性が強いと感じています。全体の形を作っている時のように周囲を回りながら作ることはせず、作品の面から面へ移動しながら彫り込んでいきます。これは我慢を強いる作業で、粘り強く取り組んでいきます。昼ごろになって工房の気温が上昇したので、休憩を兼ねて近隣のスポーツ施設に出かけて水泳をしてきました。1時間程度で工房に帰ってきて、作業を再開しました。夕方4時になると頭がクラクラしてきたので、今日の作業は終了にしました。酷暑の中で7時間、現在の気候を考えるとこれが限界かなぁと思っています。この季節は乾燥が早いので、陶彫部品に水を打ってビニールをかけて陶土の乾燥が緩やかになるように配慮しています。夜は7月個展のお礼状に宛名印刷をしました。芳名帳を見ていると、ギャラリーせいほうが案内状を送った人たちは住所や氏名が判断できず、申し訳ないことですが、私の知り合いだけにお礼状を送ることにしました。このNOTE(ブログ)を読んでいらっしゃる方で、お礼状が届かなかった方がいましたら、御容赦いただけると幸いです。早いものでギャラリーせいほうの個展から1ヶ月以上が過ぎました。今日も精を出して新作に取り込んでいましたが、創作活動が未来永劫続けられるとしたら、こんなに幸せなことはないなぁと思っています。また、来年もよろしくお願いいたします。
2019.08.24 Saturday
週末になりました。今月は夏季休暇を取ったので鑑賞が充実していますが、今日も陶彫制作の後で横浜のミニシアターに出かけました。朝8時に工房に出かけ、予め準備しておいたタタラを使って、4個目の陶彫成形を行ないました。昼頃、自宅に戻ったら母親がいる介護施設から電話があって、母が転倒して顔が腫れているとのことで、家内も私も急遽午後の予定を空けて介護施設に向いました。近くの病院が見てくれる手筈になっていると施設の職員が言うので、母を車椅子に乗せて病院に向いました。CTスキャン等やっていただいて骨には異常なしと医者に判断されて、ホッと胸を撫でおろしました。90代の母は何があっても不思議ではないと思っていたので、これは想定内ではあったのですが、心穏やかでなくなったのは確かでした。午後は工房に行って明日の作業の準備をして、今日は陶彫制作を終えることにしました。本来なら夕方まで作業をしようと思っていたのですが、出鼻を挫かれた感じになってしまいました。家内も午後の演奏活動を休みました。家内は明日も演奏活動があるので、自宅でゆっくり休んでいたいと言っていました。そこで私一人で常連のミニシアターに出かけることにしました。観たかった映画は「ヒューマン・フロー 大地漂流」で、現代美術家であり社会運動家としても知られる中国人アイ・ウェイウェイが監督をしています。テーマは世界中の難民が置かれている現状を浮き彫りにする刺激的なドキュメンタリーでした。私たち日本人は難民の困難な状況に直面することなく、普通のことを普通に出来る平和な日常を過ごしています。これがどんなに貴重なことか、戦火を避けて母国を捨てざるを得ない多くの難民の映像を見ていて、改めて感じた次第です。多くの庶民は、どの民族であっても家族と共に平和に暮らしたいのです。宗教や文化の違いはあっても平和に対する願いは一緒です。「これは”難民の危機”ではなく、”人類の危機”なのだ。この映画が人間性、社会の真意を理解するのに役立つことを願う。」ウェイウェイ監督の言葉が全編を通して重く圧し掛かりました。ウェイウェイ監督自身も反共産党として中国を追われている立場です。ドキュメンタリーはありのままの現実を描き出しますが、あくまでも映像なので、耐え難いような体験も映像を通してしか語ることは出来ません。それでも世界各地で起こっている事実に眼を向けることは出来るはずだと私は感じました。そんなことを思いながら2時間20分の映像を目を凝らして観ていました。詳しい感想は後日改めます。
2019.08.23 Friday
「ヨーロッパの形 螺旋の文化史」(篠田知和基著 八坂書房)の第五部「螺旋の文化史」についてのまとめを行います。この第五部が本書の最後の部分になり、全体のまとめにもなっているので、読後感も合わせて書いていきます。最後は宗教と愛の表現でヨーロッパの形を締め括っています。まず、聖性の形として教会の塔を扱っているところに留意しました。「ヨーロッパでも教会の鐘塔などはまっすぐな造形が多く、ただ、屋根を急勾配にしてさらに尖塔をつけている。そのまっすぐな塔を昇ってゆくのに螺旋階段がある。樹木や柱に蛇や蔦が絡まるのが本来の自然の形である。そして柱は下が太く、上へゆくと細くなる。日本では法隆寺の五重塔でも下の階がそれほど違わない。そして中に階段はない。ヨーロッパではまっすぐな塔をつくって、その中に螺旋を隠した。内部で螺旋が回っていく円筒である。そとからは内部の回転運動は見えない。」そこから迷宮や渦巻き模様に発展し、次のような文章が続きます。「鉄の手すりや、格子、門扉などに渦巻きが配されているのは、ヨーロッパではごく普通だが、日本ではそれほど普通ではない。ヨーロッパの模様なのである。渦巻きの唐草模様は十二世紀フランスのロマネスク教会でも鉄格子などにおおいに使われた。クストゥージュの教会やリスボン大聖堂の鉄格子に見られる。もしかしたらアラビアの唐草模様の影響かもしれない。」確かにヨーロッパではあらゆる場所で凝った渦巻き装飾を多く見かけます。彫刻を学んだ私にしてみれば、立体的に捉えた装飾に瀟洒な空間を感じるのです。勿論彫刻の概念はヨーロッパ発祥ですが…。最後に愛について書かれた部分を取上げます。「ヨーロッパの墓地にゆくと、亡き妻をしのぶのか、夫への愛情を断ち切れないのか、墓石に上に置かれた抱擁像で、かたく接吻をかわしているカップルが描かれているのを目にすることがある。口づけがもっとも確かな愛情の印なのだ。~略~男女の愛情や、人間同士のスキンシップを大事にする文化のせいかもしれない。」20代の頃、ヨーロッパで5年間暮らしていた私がついに馴染めなかった習慣が、こうした友人同士で交わすスキンシップでした。日本人なら誤解をしてしまいそうな身体の擦り合せ方が、人との距離感を失わせてしまうのでした。だからと言って若かった私は、通っていた美術学校でとても解放的になれず、寧ろ内なる世界に閉じ篭りそうになっていました。そんな異文化でのギクシャクした生活体験を、本書を読み進んでいくうちに思い出してしまいました。帰国してから漸く私はヨーロッパを受け入れたように感じています。その結果として私なりの彫刻作品が生まれました。私に創作の扉を開いてくれたのが、他ならぬヨーロッパの形だったと今でも思っています。
2019.08.22 Thursday
「ヨーロッパの形 螺旋の文化史」(篠田知和基著 八坂書房)の第四部「技術の中の形」についてのまとめを行います。まず、冒頭の文章を引用いたします。「技術の基本は車であり、ヨーロッパはすでに述べたとおり、基本的に車両文化である。しかしその車輪も単に定位置で回転するだけではなく、プロペラであれば空へ舞い上がり、工作機械であれば複雑な8の字を描きながらネジや歯車をつくっていく。」何かモノを作るなら回転させることに注目したヨーロッパ人の発明は、他の文明より先んじて発達した要因になりました。「(ネジとしての螺旋は)より少ない力で圧迫力を加えて、ものを接着しているのである。叩き込むかわりにねじ込んでいるが、これは逆に回せばはずれるので、叩き込んだ場合ははずすには壊す以外にないのに比べればずっとましである。」ヨーロッパではネジの他にバネの発明もありました。「バネの機能はショックの緩衡か、ドアの自動開閉、物体の発射などだろう。」こうした道具類を駆使して運搬のために車や船や飛行機を発明した人々は、やがて時刻や長さを測ることにも拘り、時間や空間の概念を見つけていきました。それは哲学であり、数学であり、古代から近代に到るまで人類史を牽引する文化や伝統を作ることになりました。「ローマ人にとって『時間』とは円い文字盤の上でくるくると回転する針の動きだった。以来、二千年のあいだ、ヨーロッパ人はそのような円環型の時間認識を持っていた。~略~はかることは、デジタルでは数値化することであり、アナログでは円盤状の針の角度であらわすことである。長さのようにはじめから数値化されて認識されるものはともかく、速さ、あるいは圧力、さらに強さであっても、そのままでは数値であらわされえないものもヨーロッパでは度量衡に準じて計測し、数値であらわしたのである。」この進歩こそが現代の私たちの生活を作っている基盤だと言えるでしょう。現代社会ではヨーロッパはEU諸国として、世界のひとつの地域になっていますが、人類史を紐解けば、文明発達において多大な貢献をしたことになります。私がやっている造形美術でも、つい最近まで先輩たちが挙ってヨーロッパに出かけ、その文化を摂取してきていたのでした。日本美術の概念はヨーロッパなしには語れないほどです。本書を読むと改めてヨーロッパの存在の大きさに気づかされます。