2019.09.20 Friday
RECORDは一日1点ずつポストカード大の平面作品を作っている総称を言い、文字通り自分にとっては日々創作しているRECORD(記録)なのです。2007年から毎日欠かさず制作していて、現在12年目を迎えています。私はコツコツ継続していくのが得意ですが、当初こんなに長く続くとは思いもせず、そうであれば生涯を賭けてRECORDをやっていこうと決めている次第です。このところ一日1点をノルマにしてきたRECORDが一日では完成せず、下書きだけを終わらせて、食卓に山積みしています。今月はその下書きに彩色し、仕上げを施して、山積みの解消をしようと奮闘しています。少しずつですが、解消の兆しが見えてきて、仕上げに弾みをつけているところです。ホームページのアップにも久しぶりに取り組みました。ホームページにはそれぞれ月毎にコトバを添えていて、2018年のコトバはひらがなを用いています。これは月毎のテーマから発想したコトバで、RECORDの解説ではありません。コトバ作りは私の学生時代からの憧れで、当時は現代詩に傾倒していました。私が目指そうとしたのは難解な語彙を用いる非現実的な世界ではなく、日常の簡単な語彙を使った感情の吐露でした。私にとってそれは大変難しく、造形のように自由に扱えなかったのが、40年も前に詩作を諦めた要因でした。それでもホームページに拙いコトバを連ねて掲載しています。未練がましいのは承知でやっているのです。今回、ホームページに2018年の4月から6月までの3ヶ月をアップしましたので、ご覧いただければ幸いです。私のホームページに入るのは左上にある本サイトをクリックしてください。ホームページの扉にRECORDの表示が出てきますので、そこをクリックすれば今回アップした画像を見ることが出来ます。
2019.09.19 Thursday
昨年のNOTE(ブログ)を見ていると、2018年9月10日付「RECORD奮闘中」という記事を見つけました。その記事をそのまま書き出すと「一日1点ずつポストカード大の平面作品を作ろうと決めたのは、2007年の2月でした。それから10年以上も毎日作り続けていますが、この小さな制作が習慣になっているとは言え、ウィークディの仕事が多忙な時や、旅行している時は厳しいなぁと思います。それでも夜になると場所を選ばず、RECORD用に小さくカットしたイラストボードを取り出しています。私の鞄にRECORD用紙が常に入っていて、出張中の時間潰しに立ち寄るカフェでも、下書きをやっているのです。」とありました。この時も下書きばかりが先行していて、自宅の食卓に山積みされている過去のRECORDがあったはずです。それを懸命に彩色して仕上げていく作業を繰り返していたように記憶しています。1年経った今も状況は同じで、RECORD制作に精を出しています。昨年も9月に山積みが解消していて、10月のRECORDの撮影に間に合わせていたのではないかと思い出しています。今年も毎晩遅くまで彩色や仕上げを行っていて、夕食後の食卓は古新聞の上に絵の具が散乱している状態です。飼い猫のトラ吉をダイニングから締め出しているのも昨年と一緒で、ガラス扉越しにトラ吉はじっとこちらを睨んでいます。昼間の公務員の仕事から解放された夜の時間帯を、毎晩RECORD制作に充てて、しかも過去の作品の仕上げもやっているのは、なかなか厳しいスケジュールですが、ここで頑張らないとRECORDの継続が難しくなります。今年も「RECORD奮闘中」です。来年はそうならないように自分に厳しくありたいと願っています。
2019.09.18 Wednesday
(株)ビジョン企画出版社から発行されている「美じょん新報」は月々の展覧会情報が掲載されていますが、「評壇」欄では美術評論家瀧悌三氏による、端的で歯に衣着せぬ展覧会批評があって、私は常々参考にしています。瀧悌三氏は個展初日に来廊され、お会いすることが出来ました。「発掘~双景~」の前で、制作上の難しかった点などを、私の方から遠慮なく申し上げさせていただきました。私は古代出土品のような装いになる陶土を作り上げることに何年も費やし、それでも焼成によって壊れてしまうことも多々あると正直なことを言わせていただきました。その話を受けて簡潔に書いたいただいた評を掲載いたします。「遺石出土品に擬した陶彫オブジェ。大作は管状のもので繋いだ等身大の塔2体。中品は台状の物体、小品は帯文付けた方形立体。茶褐色の古色を出すのが難しい由。」簡単な文章ですが、きゅっとまとまった文章で表現していただいて感謝申し上げます。「旧盆長期休暇期間は催事閉散だが、前後、結構ある。~略~日本画、彫刻も活発。量は通常の一月分を優に越す。」と「評壇」欄の前置きにこのような文章がありましたが、私の個展も旧盆長期休暇期間の前に当たり、活発な状況を助けているのかもしれません。毎年この時期にギャラリーせいほうを会場に個展をしておりますが、来年のこの時期は東京オリンピック・パラリンピック開会式に当たります。その頃の銀座の街はどうなっているのでしょうか。搬入・搬出は滞りなく出来るのでしょうか。ちょっと心配をしておりますが、もう私自身は来年に向けて新作を作っている最中です。今日は2回の三連休に挟まれたウィークディですので、次の三連休に向けて気合を込めているところです。
2019.09.17 Tuesday
「モディリアーニ 夢を守りつづけたボヘミアン」(ジューン・ローズ著 宮下規久朗・橋本啓子訳 西村書店)の第3章「パリでの苛立ち」の続きをまとめます。この章ではモディリアーニらしい絵画表現に辿り着く重要なポイントがあり、さらに彫刻家ブランクーシとの関係が述べられているので、敢えてNOTE(ブログ)に取り上げました。私は彫刻家としてブランクーシの形態の本質に迫る簡潔性を信奉しています。若い頃、私はルーマニアを旅して、農村に残る建築柱の木彫に注目したのも少なからずルーマニア出身のブランクーシのことが頭にあったのでした。モディリアーニの世界にも共通する要素を認めるのですが、ブランクーシは生活や精神の在り方が彼と異なっていて、そこにモディリアーニは魅力を感じていたようです。まず、モディリアーニが自己表現を探り当てた箇所を引用します。「伝説によると、モディリアーニは麻薬で皆が躁状態になっているパーティーで紙と鉛筆をひっつかむと熱に浮かされたように描き始め、『ついに正しい道を見つけたぞ』と叫んだ。描き終えると、彼は白鳥のように長い首をした女性の頭部のスケッチを見せびらかしたという。」次はモディリアーニが未練のあった彫刻制作のエピソードを拾ってみます。「パリの地下鉄は拡張工事をしており、~略~モディは開け放たれた倉庫にオーク材の枕木が保管されているのを発見した。~略~夜遅く地下鉄の駅の柵を乗り越えると数本の枕木を盗んだ。」というわけで、モディリアーニの彫刻に枕木と同じ寸法の木彫作品があるそうです。さらにブランクーシのことを記した文章を引用します。「気持ちのうえでは彼は彫刻家になる決意をいまだ捨てておらず、ポール・アレクサンドルに頼んでルーマニアの彫刻家コンスタンチン・ブランクーシを紹介してもらった。ブランクーシは完全性と洗練された簡潔性をその芸術と生き方において達成した芸術家であり、それはモディリアーニにとって大きな魅力であった。彼はさまざまな形態、ヌードや飛んでいる鳥や接吻している男女などをその本質まで還元した。彼の作品の評判を聞いたロダンは助手として彼を雇おうとしたが、ブランクーシは『大樹の下には何ものも育たない』といって断ったという。青い仕事着に木靴をはき、がっしりした髭面の彼は、自己完結した世界をアトリエに作っていた。家具も自分で作っており、客はくぼんだ丸太に座らされ、食事は自作の石のかまどで自分で作った。またサロン・ドートンヌにその作品が展示されたことがあっても、美術界の派閥や陰謀には頑として近づかなかった。哲学的で神秘的な気質と正直で暖かい人柄を持つブランクーシは、ちゃらちゃらして気取ったモンマントルの人間に比べて、思慮深く頼りがいのある人物であり、モディリアーニを強く引きつけた。モディリアーニは何ら正式な彫刻の教育を受けていないために、ブランクーシが彼に力を貸し、勇気づけたのは確かである。」モディリアーニに限らず、私もそんなブランクーシにずっと魅せられています。
2019.09.16 Monday
今月、三連休が2回あります。今回の三連休は2回のうち前半に当たります。前半の成果は第2ステーションの陶彫部品を4個制作したことです。まだ彫り込み加飾が出来ていませんが、何とか4個の成形を立ち上げることが出来ました。第2ステーションは残り6個で、今月中の完成は無理があるかなぁと思っています。今日も昨日に続き、朝7時に工房に出向きました。早朝の制作は意外にも集中して行うことが出来ることを発見しました。私は朝が強いのかもしれません。ウィークディの公務員の仕事も午前中に仕事の大半を終える仕事ではないかと思っているところがあって、長い間に自分の体質が変わり、朝に強くなっていたのかもしれません。学生時代は朝が苦手で、眠い目を擦りながら学校に行っていました。社会人になって自分は変わったのだろうと思っています。その分、夜更かしは出来なくなりました。日照とともに起きて仕事をして、日没とともに床につくという始原的生活が自分には合っていると思うようになりました。私は度々NOTE(ブログ)に書いてきましたが、規則的な生活を好みます。ウィークディの仕事は勤務時間が決まっているので、私には向いているのではないかと思うのですが、週末の創作活動も自分で時間を決めてやっています。今読書中のエコール・ド・パリの画家モディリアーニのような生活をすることは、私には到底出来ません。気分が乗れば何時間でも制作をして、気分が乗らなければ何もしないという生活は、あるいは芸術家気質を物語っているのかもしれませんが、私は公務員の気質を持った芸術家だと自分で吹聴しています。これは彫刻家であっても芸術家ではないのかもしれませんが、気分をコントロールして創作活動に打ち込んでいるのです。今日は夕方になって若いスタッフと話し込んでしまいましたが、たまにはそういうこともあるかなぁと思って容認しました。また、次の後半の三連休で頑張りたいと思っています。