2020.01.15 Wednesday
「呪術としてのデザインー芸術民俗学の旅」(中嶋斉著 彩流社)の第3章の3「モダン・デザインと詩的想像力」についてのまとめを行います。前半ではラファエル前派とウイリアム・モリスの関係が述べられていて、後半になるとウイリアム・ブレイクやエドガー・アラン・ポオといった英国の詩人に代表される現代に継承された芸術の意味が解き明かされていました。「たしかにブレイクやポオに見られるような日常世界(の意味)の再現を芸術から排除するとき、浮上してくるのは形式の問題である。この場合想像力は単に空想や幻想といったものではなく、人間や自然をそのまま素材として扱うのではなく、それらが作りあげられている諸々の要素に分析し、新しい形にそれらを組立て、日常にはかくれて知られなかった存在の意味や魅力を現前させる構想力である。~略~ブレイクの精神的営みは、古代ケルトのドルイドやユダヤの信仰の世界にも通じ、錬金術師の呪術に似たものであった。」次に新しい芸術批評家としてオスカー・ワイルドが登場します。「彼(ワイルド)は芸術とは絵空事であり、美しい不実なものを語ることが目的であって、近代芸術は非写実的な装飾芸術でなければならないと言う。嘘をつく力の衰退とは、ギリシャ以来の古典主義的写実(模倣)の芸術の支配によって、芸術からの虚構性、装飾性が失われたことであり、いわば想像力の欠如であるというのである。」アール・ヌーヴォーが登場する素地はそんなところにあったように思います。さて次の時代を象徴するのがバウハウスです。「このバウハウスが果たした役割とは、一つには芸術における批評精神の尊重であり、それ故に優れた人材を招聘して現代芸術のあるべき姿を考えようとしたことであり、その流れの中でデザインの本質をとらえようとしたことであろう。~略~バウハウスという20世紀初頭に起こった総合芸術運動をとりまいて『イズムの時代』が進み、アール・デコ様式は1925年パリで開かれた国際装飾美術博覧会を契機にもたらされた欧米の都市芸術の象徴となった。かつて支配的だった装飾過多のアール・ヌーヴォーに代わって、古典主義的な左右相称的な構図をもち、明るい原色と簡潔な流線や直線を用いて明快さを強調し、スピードとリズム感にあふれた装飾を大衆消費生活の中に浸透させていったのである。」最後にシュール・リアリズムについて触れておきます。「第一次大戦後の世相が個人の欲求を抑圧し、創造性を失わせようとしていることに対して、シュール・リアリストらが『理性の一切の統制なしに純粋な心的自働性(アンドレ・ブルトン)』による芸術創造を企てたが、彼(ブルトン)も無意識や夢の世界の探究とその表現の試みによる人間性の回復と救済を主張した。」
2020.01.14 Tuesday
先日、横浜市中区にあるミニシアターに映画「ゴッホとヘレーネの森」を観に行ってきました。後期印象派の画家フィンセント・ファン・ゴッホは波乱に満ちた生涯を送ったため、特集番組や映画化されることが多く、私にとっては大変馴染みのある芸術家です。この映画はファン・ゴッホの収集家だった女性資産家が残した作品を基に、ファン・ゴッホの絵画世界を読み解いたドキュメンタリーで、私には刺激的な台詞が散りばめられた内容でした。「1890年に自ら命を絶ったファン・ゴッホ。生前は作品が評価される機会も少なく、死後は遺族がほとんどの作品を所有していたため、無名の存在に近かった。そんなファン・ゴッホの作品と出会い、個人収集家としては最大規模の300点(うち油彩は85点)を収集したのは、ある一人の女性だった。」と図録にありましたが、ヘレーネ・クレラ=ミュラーは夫と共に、その後広大な敷地にクレラー=ミュラー美術館を設立しました。また収集品をオランダ国家に寄贈したため、美術館は国立になっています。ファン・ゴッホとヘレーネは直接会ってはいませんが、ファン・ゴッホの多くの作品が守られたのは彼女がいたおかけだったと言えます。収集品の中にはデッサンが沢山含まれますが、私は高校生の頃から、木炭や鉛筆で農民を描いたファン・ゴッホのデッサンが大好きで、自分の受験勉強の励みにしていました。その後の鬼気迫る油彩にも若い頃は憧れました。常軌を逸した精神状態が、うねるような筆致と歪んだカタチに表れていて、20代の私を表現主義へと誘ったのでした。心が病まないと人の気持ちを抉るような世界を表現できないと私は今でも信じているせいか、スケールこそ違えど工房に立て籠っている私を家内が時折心配しているのです。でも、私は天才じゃないし、フロー状態になっても水泳で気晴らしをしているので、常識的な範疇にいることは確かです。映画「ゴッホとヘレーネの森」は私にいろいろな示唆を与えてくれました。面白いドキュメンタリー映画だったと思っています。
2020.01.13 Monday
三連休最終日です。今日は成人の日で穏やかな天気になりました。数年前は大雪に見舞われ、とんでもない事態になったことを成人の日になると思い出します。その日私は工房で木彫をやっていました。積りに積もった雪を横目に、演奏に出かけた家内の帰宅を心配して二俣川駅まで迎えに行きました。車の運転が無理だったので、長靴を履いて山坂を歩いて行ったのでした。あの日に比べれば今日は天候に恵まれた素晴らしい一日だったと思っています。さて、この3日間とも私は陶彫制作に明け暮れました。一昨日は自宅リフォームの打合せ、昨日は映画鑑賞と、夕方になってさまざまな用事を済ませてきましたが、今日は陶彫制作一辺倒で朝から工房に篭りました。新作の屏風に接合する最後の陶彫部品2点の彫り込み加飾をやっていました。午後になって乾燥が進んだ陶彫部品3点に対し、ヤスリをかけて化粧掛けを施し、久しぶりに窯に入れました。これは令和2年の初窯だと思いながら、今年も焼成による事故がないように祈りました。今日の作業で屏風に接合する陶彫部品が全て終了したことになります。ほぼ予定通りですが、屏風の制作はその先を見通しておこうと考えました。次なる作業は屏風に描いた格子模様をひとつずつ彫り込んでいく作業です。完全に刳り貫いてしまう格子模様もあれば、一定の深さまで彫る模様もあります。厳密にデザインしているわけではありませんが、全体構成を見ながら追加のデザインとして決めていこうと思います。格子も微妙に波打つ場所もあるとイメージしており、それは接合する陶彫部品との関係性で決めていこうと思っています。屏風に接合する陶彫部品は、焼成が終わった部品から順次厚板に配置して、格子模様の木彫を進めていくつもりです。ドリル、ジグソー、それに何と言っても平鑿や丸鑿の点検が必要になります。まず一枚目の屏風を彫ってみて、どのくらいの時間が必要なのか確認しながら作業をしていこうと思います。明日から職場の公務が始まりますが、陶彫から木彫へ移行するため頭を冷やすのにはいい機会かもしれません。
2020.01.12 Sunday
三連休の中日です。今日は工房に若いスタッフがやってきました。美大受験生である彼女は平面構成をやっていました。一所懸命に彩色している彼女に私は背中を押されて、私も陶彫制作を頑張っていました。屏風に接合する陶彫部品の最後となる2点の成形をやっていて、一瞬フロー状態にも入りました。それは時間を忘れて無我夢中になっている状態で、精神的には充実している証拠ですが、我に返った時に近隣のスポーツ施設に水泳に行って気晴らしをしてきました。自分を必要以上に追い込まないように、自分で調整してしまう癖が私にはあって、陶彫制作には長距離ランナーのような行程(工程)があるため、常に自分の精神状態を一定に保っているのです。若いスタッフも面相筆の先を何時間も見つめ続けて、只管彩色していたようで、彼女もフロー状態にあったらしく夕方にはクタクタに疲れていました。制作時の集中力を研ぎ澄ますのは、私も10代の受験勉強で身につけたものでした。スタッフを車で送り届け、今日は午後4時に工房を閉めました。自宅に戻って暫し休憩した後、家内を誘って映画のレイトショーに行くことにしました。常連にしている横浜市中区にあるミニシアターは割と混んでいて、三連休の中日なので映画を観る人も多いのかなぁと思いました。観た映画は「ゴッホとヘレーネの森」というイタリア映画でした。ヘレーネ・クレラ=ミュラーというオランダ有数の女流資産家が収集したファン・ゴッホの絵画作品。個人収集家としては最大規模の300点(うち油彩85点)を、まだファン・ゴッホが無名の存在だった頃に、いち早くその斬新な世界を見抜き、夫妻で美術館まで設立してしまったことをドキュメンタリーとしてまとめたのがこの映画の内容でした。映画の中でファン・ゴッホの研究家が解き明かすファン・ゴッホの絵画に賭けた精神的な魅力が、今日の工房での私のフロー状態に重なってしまい、その脚本が私の心に刺さってきました。単なる映画としてみれば、これは鑑賞者によっては面白味のないものであったでしょうか。私にとっては創作における魂の在り処に共感してしまう強烈な映画であったと思えています。この映画の詳しい感想は後日改めます。
2020.01.11 Saturday
年末年始の閉庁日(休庁期間)が終わり、成人の日を含む三連休がやってきました。当然私は陶彫制作に明け暮れる三連休を過ごしますが、三連休中にいろいろな予定も組まれています。まず、今日の陶彫制作ですが、屏風に接合する陶彫部品としては最後となる2点の成形を行うつもりで、タタラを数枚準備しました。当初、屏風に接合する陶彫部品は22点と勘案していましたが、結局20点で済みそうで、それを確かめるため、屏風にする厚板6枚に対し陶彫部品をどのように配置するかの下書きを行ないました。厚板には既に格子模様をベースにした下書きがあって、その上に陶彫部品を乗せて配置を決めました。陶彫部品は焼成が終わっているものから成形や彫り込み加飾が終わったばかりで乾燥が進んでいないものまであって、厳密な下書きが出来なかったのですが、それでも一応アタリをつけておきたかったのでした。この全体構成で屏風のゴールが見えました。この三連休で屏風に接合する陶彫部品を終わらせたいと考えていて、次の週末からは厚板の格子模様を彫っていく作業に入りたいと思っています。夕方には自宅のリフォームに関する業者との打合せがありました。昨年暮れに外壁工事を終えたばかりの自宅ですが、その際同じ業者に内装のリフォームをお願いしていました。築30年の自宅は断捨離を兼ねてリフォームする必要があると以前から思っていたのでしたが、なかなか決断できず、今に至ってしまいました。私がまだ定期収入のある現職でいるうちにリフォームをやってしまうのがベストと思っていて、いよいよ準備に入ることになりました。30年前に自宅を新築した時は、私はまだ公務員の一般職で、超過勤務時間が定番化した激務だったと振り返っています。当時は働き方改革などという発想はなかったのでした。それでも仕事は結構楽しかったし、いい仲間に恵まれていたので何とか乗り越えてきたのでした。今は管理職になって仕事の質が変わりましたが、退職前に自宅をリフォームしたいなぁと望んでいたので、これは自然の流れかなと思っています。リフォームの1つ目はダイニングの隣にある和室を無くしてダイニングと一体化させ、そこに大きな収納空間を作ること、2つ目はキッチンを変えること、新築した時から体面キッチンを採用していましたが、時代と共に新しいシステム・キッチンが登場し、これも収納の多いキッチンに作り変えることにしたのです。3つ目は2階のリビングにある書棚の増設です。書籍が増えてきたので一気に壁一面を作りつけの書棚にすることにしました。この3つのリフォームが今回の計画ですが、現在の自宅は収納空間が少ないので、居住空間を収納に変えることが目的なのです。ちょっと楽しみになりました。