2019.08.28 Wednesday
夏季休暇を利用して徳島県にある大塚国際美術館に出かけ、大塚グループによる大掛かりな陶板による複製品に接してきました。西洋絵画を環境展示、系統展示、テーマ展示と分けて美術史に残る作品を全て網羅している美術館の全容は、特筆に値すると思いました。数時間で古代から現代まで高水準を誇る美術品を見て回るのは結構辛いと感じましたが、それでも緻密な複製品を前にして、オリジナルと相違が分からないほど技巧的には完成していて、寧ろ絵画的内容に関する感動さえ齎せてくれました。これなら時間の推移や環境風土によって失われていくオリジナルを、陶板に転写することで保存可能となります。そんな同館の取り組みは、世界に類のない素晴らしさではないかと私は感じました。そもそも私たちが美術品を鑑賞できるようになるまでに、人間の歴史にはどんな変遷があったのか、同館で購入してきた資料に興味深い記述がありました。同館で監修に当たった学者の文章です。少々長いのですが、引用いたします。「信仰にかかわる奉納品はタブロー画のようなもち運び可能なものではあっても、その目的と機能を維持するためには納められたところから動かすことのできないものだったのである。このような状況はローマ時代になっても、またキリスト教の時代になっても神殿や教会堂に納められた彫刻・絵画に関する限り変わることはなかった。~略~ヘレニズム時代に入るとギリシャ世界は大きく拡大し、東方との交易などによって活発な経済活動が行われるようになる。人々の生活水準は以前と比べるなら格段に向上し、王侯貴族だけでなく富裕な一般市民も自分たちの住宅を美術品で装飾することが流行した。~略~このような一般市民の需要に応えるために美術工房では複製品が大量に製作されるようになったのであり、そのような現象のなかで複製技術も向上していった。~略~美術品の動産化は、美術品が置かれていた環境のコンテクストから脱却させることであり、美術品の有する造形価値が美術品評価のおもな基準として浮上するようになる。このような状況は18世紀末に勃発するフランス市民革命と無縁ではない。自由、平等、友愛の実現を目指した市民革命は、社会と市民の基本的権利を明確にしており、それは地域や民族がもつ歴史コンテクストの上位にあるものと認識された。それゆえに近代世界においてひろく認知され普及したのである。美術品がその造形価値によってもっぱら評価されるようになった文化状況と、基本的人権が認められるようになった社会状況との関連性を如実に示しているのがルーヴル美術館の一般公開である。」(青柳正規著)複製絵画の意義を歴史を絡めた大きな視点から述べています。同館の環境展示は動産化不可能な壁画に関しても、陶板により複製品を作っていて、心底驚くと同時に貴重な記録であることは疑う余地もなく、ただただこれを複製した人々の努力に敬意を表する次第です。
2019.08.27 Tuesday
今月出かけた兵庫県の姫路城で、その美しさもさることながら、私が注目したのは城郭の石垣でした。これは昔行った九州の熊本城で、石垣の反りの美しさに溜息が出たことを思い出しましたが、姫路城の石垣も多様な相貌を見せてくれていて、美しさの余り暫し疲労を忘れました。若い頃から建築や土木に興味があった私は、父が造園業という生育環境にもその要因があったのかもしれません。姫路城の思い出に城郭石垣についての資料を、彼の地で購入してきました。そこには城郭石垣は接着材料を使用しない空積みで、法(ノリ)という傾斜と反(ソリ)というカーブが特徴と書かれていました。石垣の構成としては表面から順に築石(ツキイシ)、裏込(ウラゴメ)、盛土で構成され、姫路城は小丘陵を削って石垣を築いているため、盛土だけでなく岩盤を利用している箇所もあるそうです。石垣の隅角部分も気になりました。これは長方形の石材を長短交互に組み合わせて強度を高めており、これを算木(サンキ)積みと呼ぶそうです。石垣の分類としては、石材の加工度から自然石を使う野面(ノヅラ)積み、粗加工を施した割り石の打込みハギ、鑿などで整形加工した切込みハギの3種類がありますが、姫路城はそのいずれも見ることが出来て、まさに石積みの博覧会のようです。資料には石垣の歴史に触れた部分がありました。弥生時代の墳丘墓や古墳の石室など、石積み技術の歴史は古いのですが、城郭に用いられるのは7世紀以後で、姫路城に見られる近世城郭の石垣は、織田信長から豊臣秀吉へ続く「織豊系(ショクホウケイ)城郭」の石垣技術が全国へ広まったものだそうで、ここにも石垣技術の博覧会があって鑑賞者を楽しませてくれました。関が原合戦後には、石材が自然石から加工石材へと変化し、高くなる石垣に合わせて傾斜も急になり、反りの発生と算木積みの発達が進んだのでした。城郭石垣を鑑賞の切り口にして眺める各地の城も面白いのではないかと、私はこの時思いました。石垣に使用する石材、城の建築に使用する木材、屋根の瓦や漆喰に使用する土、どれも日本の風土が齎せてくれる素材ばかりです。そこに最高の職人技があって完成する城は、私たちの文化の誇りとするものではないかと考えます。その城の中でも白鷺に喩えられる姫路城を、今夏鑑賞できて良かったと思いました。
2019.08.26 Monday
現代社会の問題をいきなり突き付けられたような刺激的なドキュメンタリー映画を観ました。タイトルは「ヒューマン・フロー 大地漂流」。現代美術家であり社会評論にも通じた中国人アイ・ウェイウェイの監督したもので、地球規模で難民を扱っている壮大なものでした。貧困・戦争・宗教・環境などで増え続ける難民たち。昨年は6850万人に上り、増々深刻化していますが、難民の受け入れを拒む国も増えているのです。本作の導入では難民たちが辿り着いたギリシャの海岸から始まり、流離うシリア難民、ガザに封鎖されるパレスチナ人、ロヒンギャの流入が止まらないバングラデシュ、ドイツの空港跡を使った難民施設や、広大な土地に広がる難民テントの群れ、アメリカとメキシコの国境地帯など、ドローンによる空撮やスマホによるリアルな映像が本作のほとんどを占めていて、それだけでも人々が生きていく切羽詰った日常が切り取られていました。図録にこんな文章がありました。「アンデルセン(編集者)は、人間として最も基本的といえる、生きることについて、そして家族への愛情に焦点を当てたと話す。『こういった映画は、とても簡単に感傷的なものになってしまう。映画のなかで、難民たちを被害者としてカメラに収めることだけは避けたかった。私とアイ(監督)は、そのような安っぽい同情を越えて、同じ人間として彼らを認識してもらいたかったのです。人々が作りだす大きな流れを、歴史の一部、そして世界の一部として映し出すのと同時に、《どんな世界を求めるのか》と問いかけてきます。これはとても感動的なことです。』」監督をしたアイ・ウェイウェイの言葉から拾ってみます。「私は生まれて間もない頃に、父が反共産党として国を追放されました。家族全員で人里離れた場所へ強制的に送られ、すべてを諦めねばなりませんでした。私は人間に対する最悪の仕打ちである、差別、虐待を見て育ったのです。~略~難民たちが私たちとなんら変わらない人々であるということを知ってもらうために、努力しなければいけないと感じています。難民はテロリストではなく、そういう考えがテロリスト的なのです。彼らは普通の人間に過ぎず、痛み、喜び、安心感や正義感は私たちのものと全く変わりません。」国を追われたアイ・ウェイウェイだからこそ難民に着目し、撮影できた作品とも言えると私は思いました。私たち日本人も外国籍の人々と接する機会が増えてきました。観光客と違い、生活者である彼らとは、風習や文化の違いによる衝突も多少ありますが、お互いが心地よい関係になれるように努力することは必要だと感じています。漂流した先で漸く辿り着いた日本に愛着を持ってくれたら、地域住民としてこれほど嬉しいことはありません。
2019.08.25 Sunday
今日は朝から工房に篭りました。昨日の午後作業するはずだった成形の最終的な詰めを朝のうちにやりました。陶彫成形の内側から紐状にした陶土を貼りつけて補強をした後、表側から板で叩いて形を整えます。形は立体として納得できるようにあらゆる方向から叩いて自分のイメージに近づけていきます。彫刻的な工程としてはこれが一番楽しい作業なのです。私はイメージをデッサンせず、いきなり彫塑として捉えていく方法を取っています。平面デッサンをすると描写に夢中になってしまい、立体的な捉えが私には今ひとつピンとこないのです。形が納得できたら、表面に彫り込み加飾を施していきます。これは陶土を掻き出しベラで彫っていく工程で、言わばレリーフですが、立体的な捉えというよりは平面性が強いと感じています。全体の形を作っている時のように周囲を回りながら作ることはせず、作品の面から面へ移動しながら彫り込んでいきます。これは我慢を強いる作業で、粘り強く取り組んでいきます。昼ごろになって工房の気温が上昇したので、休憩を兼ねて近隣のスポーツ施設に出かけて水泳をしてきました。1時間程度で工房に帰ってきて、作業を再開しました。夕方4時になると頭がクラクラしてきたので、今日の作業は終了にしました。酷暑の中で7時間、現在の気候を考えるとこれが限界かなぁと思っています。この季節は乾燥が早いので、陶彫部品に水を打ってビニールをかけて陶土の乾燥が緩やかになるように配慮しています。夜は7月個展のお礼状に宛名印刷をしました。芳名帳を見ていると、ギャラリーせいほうが案内状を送った人たちは住所や氏名が判断できず、申し訳ないことですが、私の知り合いだけにお礼状を送ることにしました。このNOTE(ブログ)を読んでいらっしゃる方で、お礼状が届かなかった方がいましたら、御容赦いただけると幸いです。早いものでギャラリーせいほうの個展から1ヶ月以上が過ぎました。今日も精を出して新作に取り込んでいましたが、創作活動が未来永劫続けられるとしたら、こんなに幸せなことはないなぁと思っています。また、来年もよろしくお願いいたします。
2019.08.24 Saturday
週末になりました。今月は夏季休暇を取ったので鑑賞が充実していますが、今日も陶彫制作の後で横浜のミニシアターに出かけました。朝8時に工房に出かけ、予め準備しておいたタタラを使って、4個目の陶彫成形を行ないました。昼頃、自宅に戻ったら母親がいる介護施設から電話があって、母が転倒して顔が腫れているとのことで、家内も私も急遽午後の予定を空けて介護施設に向いました。近くの病院が見てくれる手筈になっていると施設の職員が言うので、母を車椅子に乗せて病院に向いました。CTスキャン等やっていただいて骨には異常なしと医者に判断されて、ホッと胸を撫でおろしました。90代の母は何があっても不思議ではないと思っていたので、これは想定内ではあったのですが、心穏やかでなくなったのは確かでした。午後は工房に行って明日の作業の準備をして、今日は陶彫制作を終えることにしました。本来なら夕方まで作業をしようと思っていたのですが、出鼻を挫かれた感じになってしまいました。家内も午後の演奏活動を休みました。家内は明日も演奏活動があるので、自宅でゆっくり休んでいたいと言っていました。そこで私一人で常連のミニシアターに出かけることにしました。観たかった映画は「ヒューマン・フロー 大地漂流」で、現代美術家であり社会運動家としても知られる中国人アイ・ウェイウェイが監督をしています。テーマは世界中の難民が置かれている現状を浮き彫りにする刺激的なドキュメンタリーでした。私たち日本人は難民の困難な状況に直面することなく、普通のことを普通に出来る平和な日常を過ごしています。これがどんなに貴重なことか、戦火を避けて母国を捨てざるを得ない多くの難民の映像を見ていて、改めて感じた次第です。多くの庶民は、どの民族であっても家族と共に平和に暮らしたいのです。宗教や文化の違いはあっても平和に対する願いは一緒です。「これは”難民の危機”ではなく、”人類の危機”なのだ。この映画が人間性、社会の真意を理解するのに役立つことを願う。」ウェイウェイ監督の言葉が全編を通して重く圧し掛かりました。ウェイウェイ監督自身も反共産党として中国を追われている立場です。ドキュメンタリーはありのままの現実を描き出しますが、あくまでも映像なので、耐え難いような体験も映像を通してしか語ることは出来ません。それでも世界各地で起こっている事実に眼を向けることは出来るはずだと私は感じました。そんなことを思いながら2時間20分の映像を目を凝らして観ていました。詳しい感想は後日改めます。