2019.03.24 Sunday
朝から工房に籠って陶彫制作に明け暮れていました。昨日と今日とで1点ずつ成形を行い、合計2点の彫り込み加飾は後日に回すことにしました。午後職場にちょっとした用事があったため、彫り込み加飾は無理かなぁと思って、今日は成形のみにしたのでした。思えば学生時代に人体塑造を始めて40年以上が経っています。粘土で専門性が問われる立体を作ったのは10代の終わりでした。工業デザインを大学で学ぼうとしていた自分は、立体構成という実技課題があって、練習用に油土を使って小さなピーマンを作ったのが始まりでした。大学では彫刻を専攻することになったので、人体を作り始めましたが、それは陶彫ではなく、出来上がった塑造習作を石膏に型取りして保存する方法でした。石膏の人体は実家の物置に今も仕舞い込んでありますが、場所を取るので何とかしたいと思っているところです。彫刻とは別に、亡父が造園業を営んでいたので、私は造園施工として土に親しんでいました。学校でも土に触れ、家事手伝いでも土に触れる、つまり私にとって土は日常的に扱う素材となり、それを自己表現に結び付けることは自然の流れだったように感じています。粘土は可塑性があるので造形は容易ですが、それだけに技巧ばかりが先走ってしまう傾向があります。粘土は素材としての抵抗が他の素材に比べると少ないと思っていますが、私が辿り着いた陶彫は、最後に焼成があるため、素材としての抵抗はかなりあると思っています。焼成は神のみぞ知る人の手が及ばない領域ですが、成功させるために計算し、手間をかけることをしなければ、努力は全て無駄になります。そこが面白いところでもあります。私は陶彫という技法は大変気に入っています。土をそのまま焼いて石化させ保存する方法は、私があれこれ探していた方法でした。私は本格的に個展を開催した時から、一貫して陶彫による作品を作り続けています。今日も週末の習慣として陶土に親しんでいました。いつまで陶彫を作り続けるのか、私にも分かりません。しかしながら現在でも素材をコントロール出来ているとは言い難く、その都度発見もあるので、当分陶彫から離れられないのではないかと思っています。
2019.03.23 Saturday
今日の午前中は家内と2箇所の墓参りに出かけました。相原家の菩提寺は自宅近くにあります。雨模様でしたが、墓を掃除して花を手向けてきました。私も家内も墓参りには積極的な方ではないため、最低の儀礼しかやっていません。今まで宗教にもあまり関与せずに生きてきました。先祖より現在の私たちの生活を優先してしまう傾向があります。家内の両親の墓は横浜の街中である久保山墓地にあります。ここは道路が狭く車が留められないため、私は近くのコンビニの駐車場にいて、家内だけが墓参りをしてきました。その後、家内は演奏に出かけ、私は工房に行きました。今日は寒い一日で、工房は冷え込んでいました。ストーブを焚いて過ごしました。一昨日用意しておいたタタラを使って陶彫成形を行いました。これは焼成失敗による作りなおしの作品でした。前作よりやや細めの形態にして、内側からの紐作りによる補強を多くしました。彫り込み加飾は後日に回すことにして、次の成形のためにタタラを数点用意しました。次の成形も焼成失敗による作りなおしで、失敗の原因が確かなうちに矢継ぎ早に作ろうと思っているのです。問題は乾燥具合なので、早めに作っておいて、長く乾燥させたいのです。これ以上失敗すると個展に間に合わなくなります。今後は慎重かつ手早く作っていく必要があります。陶彫制作も慣れが生じて気持ちが緩むと、このような事態になって再度気持ちを引き締めていかなくてはならないと考えます。神の悪戯か戒めか、つくづく陶彫は難しいなぁと思います。明日も継続です。
2019.03.22 Friday
先日、常連になっている横浜のミニシアターに、オーストリア・ハンガリー二重帝国が存在していた20世紀初頭のブダペストが舞台になった映画「サンセット」を観に行って来ました。主人公レイター・イリスの両親が遺した高級帽子店に、彼女は雇ってもらおうとやって来たのでしたが、彼女の知られざる兄が何か問題を起こしたらしく、現在の営業主から追い返されてしまうのでした。彼女が2歳の時に他界した両親のことや初めて知った兄のことが、映画全編を通して謎めいた存在になっていて、イリスは過去にあった事件を追ううちに高級帽子店に隠された闇の部分を暴くことになるのでした。それは貴族社会の退廃的ムードが濃厚になった時代背景があり、実際に皇帝フランツ・ヨーゼフの皇位継承者であるフェルディナント大公や皇妃ゾフィーとともに帽子店を訪ねてくる場面もありました。どうやらオーストリアとハンガリーの支配関係も見えてきて、ハンガリーの伯爵夫人をオーストリア人が暴行するところを兄が助けたのではないか、そこで兄は濡れ衣を着せられて逃亡し、オーストリアに対し集団蜂起を狙っているという謎も匂わせていました。物語に関して多くを語らない手法と、監督が前作「サウルの息子」で見せた主人公の後姿をカメラが執拗に追いかける撮影方法が多用され、主人公の限られた視覚でしか画像を見せないところが、非常な緊迫感を観客に齎せていると私は感じました。イリスが兄の足跡を探し、真実を捉えようとする場面が、大きな歴史の変換を意図的に物語っているようにも思えました。図録にこんな問いかけがありました。「今から、ちょうど100年前。再び世界の歴史は、どう動いていくのか?なぜ、私たちは不安に揺れ動くのか?100年前も人々は同じ予感で、当時を生きたのか?主題は、過去の不安や退廃、政治的不満だけではないのを強く訴える。」(秦早穂子著)この時代の混沌とした状況は、現在の世界情勢に似ていないでしょうか。サンセット(日没)というタイトルに籠められたイメージは何を意味しているのでしょうか。貴族を顧客にして店の針子をウィーンのシェーンブルン宮殿に仕えさせる甘美な口実のもので、組織的に売春紛いなことをやっていた荒廃した状況、その窓口になっていた高級帽子店は、何を比喩したものでしょうか。そこに舞い降りたジャンヌ・ダルクならぬ主人公レイター・イリス。一人ではどうすることも出来ない社会状況の中、彼女の鋭い眼光が印象に残った映画でした。
2019.03.21 Thursday
今日は春分の日で、勤務を要さない休日になります。陶彫の焼成失敗がありましたが、気を取り直して今日から制作を再開しました。午前中はタタラを数枚用意しました。陶土を掌で叩いていると気持ちが安定してきます。工房のロフト拡張工事のために鉄工所を運営する旧知の業者がやってきて、寸法を測っていました。鉄骨の搬入が決まったら連絡をくれるそうで、今から楽しみにしています。タタラは一日置いて明後日から成形に入ります。まずやり直しの2点の陶彫部品を作ります。割れた前作の反省を生かして、形態を少し変えることと補強部分を考え直します。午後は家内を誘って映画に行くことにしました。常連の横浜のミニシアターでハンガリー映画「サンセット」を観ました。本作はネメシュ・ラースロー監督による最新作で、私は同監督の「サウルの息子」を観て衝撃を受けていたので、この映画も楽しみにしていました。映画に登場する時代はオーストリア・ハンガリー帝国が隆盛から没落に移行する時代を、貴族や庶民の生活を中心に描いていて、まさにサンセット(日没)に相応しい背景を感じました。20代の頃、ウィーンに暮らしていた自分には、映画に出てくる街の情緒が身近で親しみを感じました。全てを語らせない物語に、謎を秘めながらあれこれ詮索する楽しみと独特な緊張感がありました。詳しい感想は後日改めます。
2019.03.20 Wednesday
先日訪れた埼玉県立近代美術館で開催中の「インポッシブル・アーキテクチャー」展で、入り口にあったウラジミール・タトリンによる「第3インターナショナル記念塔」に思わず足が止まりました。展覧会の最初の作品にインパクトの強さを感じてしまったわけですが、斜めに立ち上がった鉄塔に自分好みのアートな雰囲気を読み取って、まさに彫刻的なイメージを重ねていました。私は集合彫刻による塔を幾つか作っています。現在作っている「発掘~双景~」も2つの塔が繋がっている作品です。図録によると「《第3インターナショナル記念塔》は、ソビエトの人民教育委員会のメンバーであったアーティスト、ウラジミール・タトリンが構想した革命政府のモニュメントである。~略~ロシア構成主義を代表するこのプランは図面と模型のみで終わったが、興味深いのは、それがピーター・ブリューゲルやギュスターヴ・ドレが描く螺旋形の《バベルの塔》を髣髴とさせなくもないことだ。~略~シンボリックな塔の思想には、時としてそれを崩壊に導く(もしくは実現を阻む)要因があらかじめ装填されているのである。」(建畠晢著)とありました。「第3インターナショナル記念塔」はロシア革命及びロシア・アヴァンギャルドの象徴的プロジェクトでした。鉄製の二重螺旋の内部にはガラスの建造物が4つあり、国際会議が出来る立方体のブロック、行政機関が入る三角錐のブロック、情報センターが入る円柱のブロック、最後にラジオ局の入る半円形のブロックが計画されていたようです。螺旋の構造は地軸の傾きと同じ23.5°あって、それに関する説明が図録にありました。「引力を克服したいという目論見を形態が帯びており、螺旋は解放された人間の運動の軌跡であると解釈している。」引力の克服というのは、言葉を変えれば重力への挑戦として捉えられます。それはまさに彫刻的な考え方であって、それ故に独特な形状に自分が惹かれた由縁かもしれません。日本人の映像作家が「第3インターナショナル記念塔」をロシアの街中に画像処理をして作り上げていました。突如現れた怪物のような構造物に目を見張りました。架空の風景は「インポッシブル・アーキテクチャー」展の本領としての発表に相応しく、その存在感は忘れられない印象を残しました。