2018.12.14 Friday
一日1点ずつポストカード大の平面作品を作ることを自分に課しているRECORD。文字通りRECORD(記録)ですが、毎晩制作しているにも関わらず、ペースが追いついていかない困難さを抱えています。下書きだけが先行していて、今月はそれを挽回しようと奮闘中です。12月のRECORDは、今日までの下書きが出来上がっていますが、彩色や仕上げは2週間遅れでやっています。今月のテーマを「跨」にしました。線路にかかる跨線橋に使われるコトバで、またぐという意味があります。今年やっているパターンになった枠を超え、それを跨いでいく形態を作っています。パターンは画面に象徴化したバツ印を設定しました。そこを飛び越えていくカタチは、颯爽としているイメージもあれば、植物の蔓のように畝っていくイメージもあります。枠を超えるところに「跨」をテーマとした構成要素を盛り込もうと考えているのです。今年最後を飾るRECORDとして遅延課題は残さずにやっていこうと決めています。同時に来年のRECORRDをどうするか、イメージをそろそろ固めたいと思います。10年以上の間にいろいろなことをやってきたRECORDですが、まだまだ表現の幅は広げられるのではないかと思っています。成長はスパイラルを描くと誰かが言っていたコトバを思い出しますが、そうであるならアーカイブを見て、同じテーマに挑んだとしてもキャリアの差が出てくるのかなぁと思っています。やり残しているイメージがあって、それを発展させていく方法もあります。来年以降も頑張っていきたいと思っています。
2018.12.13 Thursday
あまりにも世界的に有名になったムンクの「叫び」。全部で4点あるようですが、そのうちの1点が東京都美術館に来ていました。先月、「ムンク展」を見てきましたが、「叫び」の人気で混雑を極めていました。ほとんど日本では「叫び」がキャラクター化していることに違和感を感じながら、改めてこの絵画の背景を探っていきたいと思います。「叫び」に最初に接した時の独特な雰囲気を私は忘れていません。周囲の風景と人物が一体化した構成は、まさに叫びそのもので、私は耳を押えている人物が自ら叫んでいるのではなく、周囲に広がる自然から叫ばれているのを拒絶しているように思えてなりません。彼は孤独に耐えて夢遊病患者のように揺らいで歩いている中で、叫びを聞いているのではないかと勝手に解釈をしています。ムンクは同じ主題の作品を複数制作していますが、それについては図録より引用いたします。この文章は「病める子」に関してですが、「叫び」にも同じようなことが言えるのではないかと思いました。「当時センセーショナルな反応を巻き起こしたこの問題作が注目を集め、発注者が現われるたびに描き、手放すという『現実的な動機』が確かにあったのである。しかし見逃してならないのは、ムンクが作品の『源泉』を自分の生い立ちに求め、何度も同じ作品の制作に取り組んだ点、自身の芸術の独自性を同一主題のヴァリエーションによって伝えようと思考を巡らせた点にこそある。彼にとって再制作とは単なるコピーを意味するものではなく、ある必然性をもった繰り返しなのであった。」(水田有子著)複数ある「叫び」にしてもタブローであったり、版画であったりして、そのバリエーションによって印象が異なります。主題となる魂の源泉を求めて何度も描いた複数の作品は、どれもオリジナル性があって、心に訴えてきます。心情によって風景や人物が蜃気楼のように曲がっている表現も、印象強く記憶に留められ、ムンク自身もイメージの連なりの中で、新たな作品を生み出す手法を考案しているように思えます。そうした一連の作品の中に「叫び」が位置付けられるのが心象動機的にもいいのではないかと本展を見て感じました。
2018.12.12 Wednesday
このところ大きな規模の展覧会が相次いでいて、先月は東京の上野公園によく出かけていました。ノルウエーの画家エドワルド・ムンクの「叫び」が来日していて、私が行った先月末も長蛇の列が幾重にも連なっていました。ちょうどその日は、開館延長日だったので、まず上野の森美術館の「フェルメール展」を見終った後、夜になってから東京都美術館の「ムンク展」に足を運びました。学生時代、ドイツ表現主義が好きだった自分は、ムンクにも特別な思い入れがありました。若い頃、鬱積した心情や欲望を持て余していた自分は、ムンクやドイツ表現派の作品に共感していました。今回の展覧会でもムンクの作品を見て欝々とした当時の思いが甦り、情緒不安定だった自分を顧みる機会を持ちました。図録よりムンク芸術に纏わる箇所を引用いたします。「ムンクの芸術を特徴づけるものに、言語化しにくい人間の感性、感覚、感情を視覚的に表現する才能が挙げられるだろう。彼の芸術は、たとえその表現方法は文化によって異なるとしても、性愛、憂鬱、愛、孤独や悲しみといった、あらゆる人間が共有する本質的な体験と関わっている。~略~ムンクが生涯にわたり取り組み続けたのが、後に〈生命のフリーズ〉と呼ぶことになるプロジェクトである。~略~ムンクによると〈生命のフリーズ〉は『現代の魂の生活』を描写し、それは『生から死までの人生ー愛の始まり、高まり、闘い、消滅、生への不安、死』として解釈される。要するに、愛との出会い、不安、死という人間の根源的な体験を取り上げることがムンクの芸術的プログラムであった。」(ヨン=オーヴェ・スタイハウグ著)今回の展示作品を見て、ムンクの自画像が多いことに気づきました。ムンクが画学生だった19歳の自画像は完璧な写実絵画で、自信に満ちた自我が現われているように思いました。最後の部屋にある80歳を迎えたムンクの自画像は、時計とベッドを描き、その傍らに立つ老人の姿として自我を表しています。自画像はその時代の画家が被ったあらゆることが表現されていて、画歴として重要な位置を占めるものではないかと感じました。モデルになった女性にもさまざまな思い入れや解釈がありそうで、その関係を調べていくと絵画化した動機が伝わってきます。有名な「叫び」に関しては別稿を起こします。
2018.12.11 Tuesday
先週の金曜日のレイトショーに人気急上昇中の映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観に行きました。映画になったロックバンドのクイーンは私より上の世代の人たちが熱狂したバンドです。当時学生だった私も日本を席巻したクイーンのヒットナンバーはよく知っていました。この映画はドキュメンタリーではありません。俳優が演じるクイーンなのです。でもそこにクイーンの創設メンバーであるブライアン・メイとロジャー・テイラーが音楽総指揮として入っていて、事実に忠実な映画に仕上がっていました。史上最高のエンターテイナーとして知られるリード・ヴォーカルのフレディ・マーキュリーの若い頃の姿がこの映画では印象的で、まだフレディの心が一貫しておらず、また苦しみつつ破天荒な発想を持ち込む資質が、早くもスター性を感じさせる要素になっていました。同性愛に悩み、45歳の若さでエイズ感染により死去したフレディ。映画はクイーンのメンバーが憑依したかのように演じる俳優たちによって、あの頃の精神状態に連れ戻される錯覚が生じました。最後のシーンでライヴ・エイドの会場が映し出され、満員の観衆の前で演奏するクイーンは、まさに映画の観客をも巻き込む興奮の坩堝となっていました。図録にこんな一文がありました。「摩擦、衝突、葛藤、外部からの雑音。そうしたものを蹴散らしながら実験精神と新たな領域への挑戦欲求を失うことなく音楽的ケミストリーを求め続けたクイーンの音楽には、世の平均的ポピュラー・ミュージック像からすれば、特異とさえいえる部分というのが多々ある。」(増田勇一著)特異というのはロックの王道からすれば、クイーンはイロモノという悪評が立っていたことがあり、目立つキャラクター性やオペラの美学を取り入れた楽曲作りが認められていない時代がありました。この倒錯的な感覚は初めに日本で受け入れられて、一躍スターに上りつめたという話を聞いたことがあります。よく来日していたクイーンは親日でもあったということでしょうか。私たち日本人が応援したクイーン。映画でも観客が徐々に増えていることがその証拠なのかもしれません。
2018.12.10 Monday
昨日、横浜のみなとみらい地区にある横浜美術館で開催している「駒井哲郎展」に行ってきました。副題を「煌めく紙上の宇宙」としていて、銅版画のパイオニア的存在だった故駒井哲郎の大掛かりな回顧展になっていました。展示は駒井作品に限らず、彼が感化された画家クレーやルドン、敬愛した岡鹿之助や長谷川潔、恩地孝四郎に加え、瀧口修造の実験工房、詩画集で交流した多くの詩人たちのコトバもあって、戦後の現代美術を概観する内容にもなっていました。わが国では、浮世絵の木版画技法は古くから国際的な水準にあるものの、欧州で栄えた銅版画は歴史が浅く、明治・大正時代になって漸く銅版画技法が齎されたのでした。そんな日本の曙期にあった銅版画に生涯をかけて情熱を注いだのが駒井哲郎でした。展示作品は詩情を湛えたものがある一方で、実験的なものがあり、また他分野のコラボレーションもあって、銅版画の可能性を広げるため果敢に挑んだ作家の側面が見えるものでした。とりわけ詩画集にかける駒井の思いが語られている一文が図録にあります。「『実現しなければならない一冊の書物は象徴的な迄に私の心にせまってくる。…私が書物という言葉で象徴したのは、つまり綜合芸術への憧れなのだ』との発言に注目したい。前述の通り駒井は、西田(武雄)のもとで既に長谷川(潔)の版画集から強い感化を受け、また『本の美術家』恩地(孝四郎)への憧憬もかなり早くから抱いていた。またこの発言に先立ち既に『マルドロオルの歌』を手掛け、詩画集の制作を推奨する瀧口(修造)からの影響も少なからず受けていた。しかし先の発言がちょうど『レスピューグ』の公演直前になされたことを考慮すると、実験工房での活動が、駒井に『総合芸術』への志向をもたらした契機として機能した可能性が十分に考えられる。」(片多祐子著)駒井哲郎が銅版画を通じて、さまざまな創作分野を横断していた経緯が、今回の展示を見てもよく分かりました。展覧会の後半には粟津則雄を初め多くの詩人たちとの詩画集が展示されていて、コトバと版画との豊かなイメージが展開されていました。私にはちょっと羨ましい世界だなぁと思いました。