2019.03.17 Sunday
今日は工房での作業は中止しました。昨日の焼成の失敗が後を引いていて、今日一日は制作を中断したのでした。その代わり今日は家内と都心の美術館に鑑賞に出かけました。朝9時に自宅を出て、向ったのは北浦和にある埼玉県立近代美術館でした。横浜から遠い位置にある美術館のために、到着した頃には昼食の時間帯になっていました。家内は美術館併設のレストランで食事を取るのが好きです。ガラス越しに野外彫刻を眺めながら食事を取るのは、なかなか興趣に富んでいいものだなぁと思いました。開催中の展覧会は「インポッシブル・アーキテクチャー」展で、所謂実現に至らなかった建築物の設計図や模型を並べて、その可能性を探る試みと言える展覧会でした。建築が好きな私には格別に楽しい展示内容で、暫し興奮を覚えました。ザハ・ハディド案による新国立競技場の模型や図面もありました。コスト増によって頓挫した企画でしたが、UFOが降り立ったような流線型の外見に未来建築のあり方を見たように思いました。詳しい感想は後日改めます。次に東京の日暮里に移動して、朝倉彫塑館を訪れました。日本を代表する具象彫刻家朝倉文夫の邸宅を美術館にした朝倉彫塑館を、私は一度見てみたくて、漸く今日ここに来たのでした。故朝倉文夫は肖像彫刻で有名な人でしたが、可愛らしい猫の彫刻も数多くあって楽しめました。それにしても古木や巨石を配置した池を有する庭園や、菜園が出来る屋上もあって、朝倉彫塑館の環境に驚きました。朝倉文夫ワールドに関しても感想は後日に改めます。朝倉彫塑館からちょっと歩くと谷中銀座があり、多くの観光客がいました。私たちもこの商店街をブラブラと散策しました。猫グッズを売っている店が目立ち、私たちも猫のしっぽと名付けられた焼き菓子を食べながら、店を冷かして回りました。ここは「夕焼けだんだん」と呼ばれている階段があります。野良猫や飼い猫も多くいて、下町情緒があり、テレビの情報番組で取上げられたことで人気スポットになったようです。揚げ物も買って食べ歩きを楽しみました。ちょうど夕方になっていたので、まさに夕焼けだんだんの雰囲気に浸りながら、谷中銀座を後にしました。
2019.03.16 Saturday
やっと週末になりました。この1週間は来年度に向けての取り組みが始まり、私は来年度の職場運営の構想を練りつつ全職員と面接を行いました。少しずつ疲労が溜まってきていたので、今日は週末の有難味を感じます。今日の午前中は介護施設にいる母の通院に付き添うことになりました。普段は家内がやってくれていますが、朝から工房に行く気になれず、母の用事を優先することにしたのでした。母は93歳になります。介護施設から病院までは歩いていける距離で、私が母の車椅子を押して、家内と3人で病院に向いました。途中の道には花が咲いていて、春先の雰囲気に満ちていました。昼ごろに病院から介護施設に戻って来ました。そこから家内を邦楽器の練習場に送り、午後は工房に行きました。工房ではショックなことが私を待ち受けていました。先日窯入れした2個の陶彫部品が、窯の扉を開けてみると大きく割れていたのでした。これは修整不可能で2個とも作り直しになります。原因は陶土の乾燥がすっかり出来ていなかったのではないかと思いました。以前にもこうした失敗がありました。陶彫を始めて間もない頃は、何度もあった初歩的な失敗でしたが、今回はつい焦って先を急いだ結果でした。ウィークディの仕事の疲れが残っている時に、追い討ちをかけるような失敗に内心落ち込みましたが、こればかりは気を取り直して頑張るしかありません。気持ちをリセットするために時間をおくことにしました。そうしたこともあって、夕方私一人で映画に行くことにしました。家内は演奏からまだ帰っていなかったので、一人で出かけました。常連にしている横浜のミニシアターではなく、今回はそこからちょっと離れたミニシアターに行きました。観た映画は「ヨーゼフ・ボイスは挑発する」。ドイツが生んだ現代美術の革命家ヨーゼフ・ボイスの表現行為をドキュメンタリーにまとめたもので、嘗てボイスの書籍を貪り読んでいた私にとって、これは必見だなぁと思っていました。ボイスの社会彫刻という考え方に共感するとともに、64歳でこの世を去るまで創作活動に邁進したボイスの生涯を見て、私は創作への飽くなき挑戦という勇気をいただきました。詳しい感想は後日改めます。
2019.03.15 Friday
宗教の違いはともかく人が何かを祈る場面で、凛とした空気を感じるのは私だけでしょうか。私は特定な宗教は持ちませんが、祈りの空間にある静謐な空気の感触が大好きです。西欧で暮らしていた若い頃は、よく教会を訪れていました。キリストの磔刑像やステンドグラスを見るのが好きで、時間によって刻々と変化する光陰の効果を味わっていました。西欧のゴシック建築は上へ伸びる複数の石柱が、魂を天に導くように演出していて、ある種の快さを感じさせてくれました。パイプオルガンも荘厳な響きがあって空間と音響が織り成す非日常的で、極めて西欧的な感覚に基づいた昇天気分を齎せてくれます。それはキリスト教を、私が知識ではなく皮膚感覚で知った瞬間でした。日本では石作りの教会が少ないため、そうした皮膚感覚はありません。日本独特の小さな母屋の中で聴く合唱や祈りの言葉に接して、信者はキリスト教を受け入れている感覚を私は持っています。日本での荘厳な祈りの空間は何と言っても仏教の寺院です。そこにある複数の木柱は、教会とは異なり魂を天に導く感覚はなく、どこか異界に魂を収めていく感覚を私は持っています。西欧は気候が乾燥しているのに比べ、日本の気候は湿潤に包まれているためなのか、若しくは石作りと木作りの素材文化の違いのためなのか、祈りの空間はまるで異なる雰囲気があって、日本ではそうした仏教伽藍の中にいるのも、私にはある種の快さを感じさせてくれます。祈りの空間とは一体何なのでしょうか。聖書や経典による教えを紐解くだけではない何かがそこにあるように思えてならないのです。宗教とは縁のない人たちが教会や寺院を訪れた時に敬虔な気持ちになってしまうのは何故でしょうか。私は美術的な興味関心があるだけですが、教会や寺院は美術館とは異質な空間があり、そこに敬意を払う気持ちにさせられます。そこに漂う濃密な空間をどう説明するのか難しいところですが、祈る行為は宗教とは関係なく存在していて、人々の思いがそこに凝縮されているとでも言ったらいいのでしょうか。祈りの空間は東西を問わず、特別な空間であることに変わりはなさそうです。
2019.03.14 Thursday
この1週間は来年度を見据えた取り組みが始まって、私は多くの職員と面接を行いました。職場のことを書くのは避けたいところですが、今日は朝から晩まで職員一人ひとりと話をしていました。全員が気持ちよく仕事が出来る環境を作ることが私の役割です。そうすれば仕事はスムーズに回ります。適材適所に人を配置して、その人がもつ能力をフルに生かせるように考えて、理想的な職場を毎年目指していますが、こればかりは来年度が始まってみないと分かりません。この時期はとにかく疲れが溜まります。朝まだ暗いうちに起きてしまって、あれこれ仕事のことを考えてしまう悪癖が私にはあります。他の職場の管理職も同じであることが先日分かって、皆で悩みを吐露し合いました。私たち管理職は人事を行うためにいると言い切る人もいます。確かに年間を通して職員を観察している自分がいて、心が休まることがありません。疲れが取れないのは職場だけに限ったものではなく、創作活動も同じです。私が作る集合彫刻は、陶彫部品を組み立てていきますが、この時期は組み立てながら全体構成を考えることがあって、精神的には圧迫を覚えます。部分を作っているより全体を考える方がシンドいと思っています。疲れが取れない原因はこんなところにもあると思います。毎年この時期はこんなに疲れていたっけ、ひょっとすると加齢のせいかなぁとつい考えてしまう自分が悲しいと感じています。
2019.03.13 Wednesday
陶彫による新作を作るたびに、私はイメージの源泉を遡って、そこから題名を考えています。題名は制作が進んだ頃に考えるようにしています。私のイメージは言葉ではなく、象徴的で視覚的な風景を伴って現れてきます。20代の頃に地中海に広がる遺跡の数々を見て、その具現化に努めてきましたが、既に当時の記憶も薄れがちで、現在では自分の精神世界に新たな風景を構築している感覚を持っています。古代の出土品のような陶彫の装いは、陶土の配合や化粧土によって叶えられた表現で、もう20年も同じ素材で作っています。これをなかなか捨てきれず、この素材があればこそ展開できる「発掘シリーズ」になっていると言っても過言ではありません。新作は2つの塔が繋がるように配置する集合彫刻で、題名を「発掘~双景~」にしました。最近は題名に「景」の文字を入れています。やや小さめのテーブル彫刻も作り始めますが、ここにも「景」の文字を入れる予定です。自分の中で風景を造形化する意識があって、陶彫による複数の部品を集めて、場としての空間を設定するようにしているのです。集合彫刻は組み合わせの角度を微妙に調整することで、作品の雰囲気が変わります。工房で作りながら組み合わせた時の雰囲気と、ギャラリーで展示する時の雰囲気はまるで違います。そこが面白いところです。陶彫は風雨に当たっても問題がないので、野外でも展示できます。将来は広い野外で陶彫部品を点在させる展示が出来ればなぁと願っているところです。