2019.03.27 Wednesday
昨年の3月27日は職場を休んで、家内と埼玉県川越に行って花見を楽しんでいました。ついこの間のような気がしていますが、あれからもう1年過ぎたのかと改めて月日の経つ早さを実感しています。今年度はこの時期に休みが取れません。仕事の残務整理に追われているのです。私はこうした作業が苦手です。自分に褒美を与えないと身体が動かないのです。ちょっと仕事をしてはカフェオレを飲み、またちょっと仕事をしては職員とお喋りをして、勢いよく作業ができる創作活動とはまるで違う顔になっていました。明日も残務整理です。そうしているうちに現実逃避も始まっていて、どこかへ行きたくなってしまうのです。何か面白そうな美術展はあるかなぁ、映画はどんなものを上映しているのだろう、花見もしたいなぁなどと他愛のないことを考えてしまうのです。目の前にパソコンがあって、気軽にいろいろなことが情報として手に入るのも現実逃避を助長するものだなぁと思っています。勤務終了後に自宅に戻って、ぼんやりテレビを見ていたらアニメをやっていて、思わず最後まで見てしまい、おかげで昼間のストレスは解消しました。アニメは「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」。Jポップのミュージックビデオに使われていた映像だったので、緻密な背景の美しさに見惚れながら見ていました。思春期の男女の恋心をIF(もしも)という仮定を用いて紡いでいく物語で、映像作家はこんなシーンを描きたかったのかなぁと思いつつ、技巧を駆使してイメージ世界で遊んでいるように思えました。これは映画の質を問うと、厳しい批評に曝されそうですが、今日の私のように何気なく見ていると、これでもいいのかなぁと感じます。
2019.03.26 Tuesday
私は個人美術館をよく訪ねています。個人美術館で一番感銘を受けたのが、香川県にあるイサム・ノグチ庭園美術館ですが、学生時代に遡ると大学の帰り道にちょっと寄り道のつもりで、友人と新宿から長野県に向かう列車に飛び乗り、車中で仮眠しながら遠路遥々安曇野穂高にある碌山美術館へ行ったことが思い出されます。前日の夕方まで大学で塑造をしていた私たちが、翌朝には荻原碌山の彫刻を鑑賞している奇跡のような瞬間を今でもよく覚えていて、2人で人体の動性や筋肉の動きを嘗め回すように見ていたのでした。あれから40年も経って、ふとその記憶が甦ったのは、先日訪ねた朝倉彫塑館で具象彫刻を見ていた時でした。故朝倉文夫は肖像彫刻でよく知られた巨匠で、私は「墓守」という作品が昔から好きでした。朝倉文夫は猫の彫刻も多く、猫好きの池田宗弘先生とは異なる表現していて、具象的な表現に徹していると感じました。彫塑館そのものも鑑賞の対象になるくらい美しい建造物で、家に囲まれた池のある庭園が見事でした。庭園に配置された巨石は建築する前に運び込まないと不可能と思われるほど迫力があり、いろいろな意味で彫刻的な雰囲気を漂わせていました。応接室も立派で、モデルになった著名な人々が訪ねてきたのかなぁと勝手に思っていました。大きな肖像彫刻が置かれたアトリエは天井が高く、室内に足場を組んで塑造していた朝倉文夫の姿が思い起こされました。彫刻家亡き後も保存され、大切に扱われてきた文化財に、羨ましさを感じる彫刻家は私一人ではないはずです。
2019.03.25 Monday
平成30年度の最終締め括りは今月の31日ですが、職場では今日をもって一旦締めることにしました。私は職員の労をねぎらい、大鍋を使って豚汁を作りました。今年度の残務整理は明日から1週間をかけて行っていきます。職場は今月31日から4月1日にかけて年度が変わっていきますが、創作活動の変わり目は7月個展の時です。二足の草鞋生活を送っている私は、仕事の変わり目が2回あるのです。職場は組織があるので、職員の異動もあります。この時季は出会いと別れがあり、また新たな出発に向けた取り組みがあります。社会人として幾度この時季を過ごしてきたのか、春爛漫の温かさには、ちょっぴり寂しさがあると感じているのは私だけでしょうか。残務整理は明日から金曜日までに行う予定でいます。その間に夜の時間帯に工房に出かけられるといいなぁと思っています。この時間帯でやや小さめのテーブル彫刻に接着する陶彫部品を作りたいと思っているのです。漸く暖かくなってきたので、夜の工房も苦ではなくなると思っています。
2019.03.24 Sunday
朝から工房に籠って陶彫制作に明け暮れていました。昨日と今日とで1点ずつ成形を行い、合計2点の彫り込み加飾は後日に回すことにしました。午後職場にちょっとした用事があったため、彫り込み加飾は無理かなぁと思って、今日は成形のみにしたのでした。思えば学生時代に人体塑造を始めて40年以上が経っています。粘土で専門性が問われる立体を作ったのは10代の終わりでした。工業デザインを大学で学ぼうとしていた自分は、立体構成という実技課題があって、練習用に油土を使って小さなピーマンを作ったのが始まりでした。大学では彫刻を専攻することになったので、人体を作り始めましたが、それは陶彫ではなく、出来上がった塑造習作を石膏に型取りして保存する方法でした。石膏の人体は実家の物置に今も仕舞い込んでありますが、場所を取るので何とかしたいと思っているところです。彫刻とは別に、亡父が造園業を営んでいたので、私は造園施工として土に親しんでいました。学校でも土に触れ、家事手伝いでも土に触れる、つまり私にとって土は日常的に扱う素材となり、それを自己表現に結び付けることは自然の流れだったように感じています。粘土は可塑性があるので造形は容易ですが、それだけに技巧ばかりが先走ってしまう傾向があります。粘土は素材としての抵抗が他の素材に比べると少ないと思っていますが、私が辿り着いた陶彫は、最後に焼成があるため、素材としての抵抗はかなりあると思っています。焼成は神のみぞ知る人の手が及ばない領域ですが、成功させるために計算し、手間をかけることをしなければ、努力は全て無駄になります。そこが面白いところでもあります。私は陶彫という技法は大変気に入っています。土をそのまま焼いて石化させ保存する方法は、私があれこれ探していた方法でした。私は本格的に個展を開催した時から、一貫して陶彫による作品を作り続けています。今日も週末の習慣として陶土に親しんでいました。いつまで陶彫を作り続けるのか、私にも分かりません。しかしながら現在でも素材をコントロール出来ているとは言い難く、その都度発見もあるので、当分陶彫から離れられないのではないかと思っています。
2019.03.23 Saturday
今日の午前中は家内と2箇所の墓参りに出かけました。相原家の菩提寺は自宅近くにあります。雨模様でしたが、墓を掃除して花を手向けてきました。私も家内も墓参りには積極的な方ではないため、最低の儀礼しかやっていません。今まで宗教にもあまり関与せずに生きてきました。先祖より現在の私たちの生活を優先してしまう傾向があります。家内の両親の墓は横浜の街中である久保山墓地にあります。ここは道路が狭く車が留められないため、私は近くのコンビニの駐車場にいて、家内だけが墓参りをしてきました。その後、家内は演奏に出かけ、私は工房に行きました。今日は寒い一日で、工房は冷え込んでいました。ストーブを焚いて過ごしました。一昨日用意しておいたタタラを使って陶彫成形を行いました。これは焼成失敗による作りなおしの作品でした。前作よりやや細めの形態にして、内側からの紐作りによる補強を多くしました。彫り込み加飾は後日に回すことにして、次の成形のためにタタラを数点用意しました。次の成形も焼成失敗による作りなおしで、失敗の原因が確かなうちに矢継ぎ早に作ろうと思っているのです。問題は乾燥具合なので、早めに作っておいて、長く乾燥させたいのです。これ以上失敗すると個展に間に合わなくなります。今後は慎重かつ手早く作っていく必要があります。陶彫制作も慣れが生じて気持ちが緩むと、このような事態になって再度気持ちを引き締めていかなくてはならないと考えます。神の悪戯か戒めか、つくづく陶彫は難しいなぁと思います。明日も継続です。