2019.01.21 Monday
映画「家に帰ろう」は人気がある映画なのでしょうか。先日観に行った常連のミニシアターが満席になっていたのは初めてでした。アルゼンチンのブエノスアイレスに住む88歳の仕立て屋が主人公の映画で、翌朝にも娘たちの手で老人施設に入ることになっていた彼は、自宅兼仕立て屋を出て、生まれ故郷であるポーランドに単身で行こうと決めていたのでした。彼はユダヤ人で、第二次大戦中のホロコーストから逃れてきた過去がありました。彼には風前の灯火だった自分の命を助けてくれたポーランド人の親友がいました。自分が最後に仕立てたスーツを彼に届けに行くのが旅の目的で、これは人生最後を賭する旅とも言えました。ただし、70年以上も会っていない親友は、その消息さえわからないのに、主人公はブエノスアイレスからマドリードに飛び立ち、列車を乗り換えてポーランドへ向かう行程が、物語の重要な位置を占めていました。そこに登場するホテルの女主人やパリで四苦八苦していた主人公を助けるドイツ人女性学者、旅の途中で倒れた主人公の面倒を見る看護師など、さまざまな人々の恩恵に触れて、親友の住む街に辿り着くのでした。そこから先は映画を観てのお楽しみです。図録にこんな一文がありました。「現在、ホロコーストを直接経験した世代は減る一方である。多くのホロコーストからの生存者が暮らしたアルゼンチンでも直接経験を聴く機会は少ない。また主人公がおそらくそうであったように、家族にさえ沈黙を守ることも少なからずあった。とはいえ、主人公の最後の旅のように、今の時代だからこそポーランドや東欧のかつてのユダヤ人の足跡を辿ったり、また文化復興を図ったりする機運も高い。」(宇田川彩著)人生の落日をどんなカタチで迎えるのか、その時になってやり残したことはあるのかを、私にも自問自答する機会がきっと訪れるはずです。この映画は反戦映画でもあり、高齢化社会を迎えた現代を写す映画でもあるのです。故郷とは、瀕死の自分を支えてくれた友がいる場所であり、帰っていけるところはそうした人の懐なのだということを訴えたかった映画なのだと思いました。
2019.01.20 Sunday
日曜日は朝から工房に篭って、夕方まで陶彫制作に明け暮れています。午前9時から午後4時までの7時間、これが今まで私が定番にしてきた制作時間です。陶彫制作に集中してしまうと、7時間はあっという間に過ぎていきます。ウィークディの一日は長く感じるのに、日曜日の制作時間は短いなぁと思うところです。制作は知らないうちに身体を酷使していることがあって、終了時に肩や腰が痛むことがあります。以前NOTE(ブログ)に書いた顎の疲れも無意識に行っているもので、自宅に帰った後にそうした疲労がどっと出てきます。夜になって体調が優れない日もあります。ウィークディの仕事は神経を使うことはあっても、心身ともに動けなくなることはありません。無形なものから有形を作り出す創作活動は、それほど辛いものなのか、自分では分かりませんが、毎週日曜日の夜になると思考が止まったように動けないのはどうしたものでしょうか。私は夏よりも真冬に疲労の蓄積が顕著になる傾向があるようで、これは気候のせいばかりではなく、冬に無理をするのかもしれません。私は真冬生まれなので、暑い夏よりは冬に強いのではないかと自分で勝手に思っていて、実際に制作は冬の方が進むのです。今日は制作ノルマをやや厳しくしていたのですが、多少制作工程を残して作業を終えることにしました。近隣のスポーツ施設に水泳にも出かけました。制作以外のことをやっている方が気が楽になると思ったのでした。水泳をやってみると自らの体調がよく分かります。今日はそれほど体調が悪くなかったのですが、精神面は水泳では分からないので、きっと心が折れそうになっていたのかもしれません。つくづく彫刻という表現媒体は、自分の全てを奪っていくほど大変なものなんだなぁと思います。それでも続けていきます。次の週末を楽しみにしている自分がいるからです。
2019.01.19 Saturday
週末が久しぶりにやってきた感じがしました。それだけウィークディの仕事に負担を感じていたのか、とりわけ今週は疲れていました。副管理職たちの集まりで助言者を引き受けたり、近々やってくる研究会のために慣れないパワーポイントを作成したり、自分の職場以外の仕事が多く、落ち着かない一週間でした。今日は少々寝坊をして、朝9時過ぎに工房に出かけました。まず窯を開けて焼成が終わった作品を取り出すことから始めました。明日の成形のためタタラを複数枚作りました。相変わらず土曜日は身体が動かし難く、いつものように制作サイクルの中に思い切り自分を投じるのは避けたいと思っていました。幸い今日は家内の演奏会がなく2人で出かけるには絶好の機会でもありました。予てから観たい映画があったので、昼前に横浜の下町にあるミニシアターに家内と車で出かけました。このミニシアターは私が常連にしていますが、今までになく混雑していて驚きました。客席はほぼ満席で家内と離れて座ることになりました。エンターティメント系ではない映画なのに不思議な気分にさせられました。観た映画は「家に帰ろう」というアルゼンチン・スペイン共作によるもので、ブエノスアイレスに住む88歳の仕立て屋の男が、自分を施設に入れようとする家族たちから逃れ、自分の生まれ故郷であるポーランドに単身出かけていく、言うなればロードムービーでした。ユダヤ人である彼は第二次大戦でドイツ軍から迫害を受け、収容所を脱走してきたところを、同い年のポーランド人の友人に助けられた過去を持っていました。この友人に会うために旅の道中で、人の優しさに助けられ、人生の最後を賭する物語でしたが、その真意はまさに反戦そのものを描いていました。詳しい感想は後日改めます。その次に向ったのは藤沢市アートスペースという会場で、ここで昔からの友人が個展を開催していたのです。そこは辻堂駅前にありました。最近になって商業施設やマンションが建設され、まったく新しい街が出来ていました。彼は私と同じ二足の草鞋生活を営んでいた画家で、新作は画面全体に海を描いた連作を出品していました。同じ大きさのパネルに水彩絵の具で描かれた微妙に波打つ静かな海面。まるで定点観測のような世界。同じパネルがずらりと並んでいる様子は、まさに彼が筆で海面の状態を探り、また描き込んでは探っていく時間の経過が見て取れました。テーマはシンプルでも雄弁に語る世界観が快く感じられました。
2019.01.18 Friday
私はあまり夢を見る方ではありませんが、イエス・キリストの磔刑像が夢の中で私の前に現れた時がありました。私はキリスト教信者ではなく、また現在は宗教に関する書籍も読んでいないのに、どういうことなのか自分でも分かりません。夢は欲望充足であると説いたのは精神分析学の創始者フロイトでしたが、私はキリスト教を渇望をしていると言うのでしょうか。おそらくそうではなく、若い頃西欧で5年間暮らした際に、どんな小さな町にもあった教会の、そこに安置されていたさまざまなイエス・キリストの磔刑像が、ふと若い頃の記憶と共に甦ったのではないかと察しています。私にとってイエス・キリストの磔刑像は見慣れた存在です。その宗教はともかく仏陀の涅槃像よりも身近なことは間違いありません。師匠の池田宗弘先生がキリスト教に纏わる彫刻を数多く制作していることも私とキリスト教を結び付けている要因のひとつだろうと思います。イエス・キリストの磔刑像は何と残酷な姿をしているのか、人間全体の罪を背負って手足を十字架に磔られているのです。磔刑像の中には血を流すイエス・キリストもありました。西欧で多くのイエス・キリストの磔刑像に接し、私の中ではそれが受け入れ難い表現であったことも事実で、赤ワインをキリストの血に、パンを肉に見立てる考え方にも、自分の成育歴にはないものを感じ取っていたのでした。そんな私自身の中で反発もあった磔刑像が夢に出てくるのは不思議でなりません。私はそこに宗教とは切り離した美を感じ取っていたとでも言うのでしょうか。おそらくそれが正解で、夢の中の磔刑像はその素材までもリアルに示されていたのです。磔刑になったイエス・キリストは木彫で作られていて、彩色はなく鑿跡が残されていました。十字架は錆びた鉄のようでした。白い漆喰の壁に設置されていて、そこは教会だったのでしょうか、ただし、そこに宗教はなく恰も美術館の一室のような按配でした。夢の中ではその木彫のキリストと鉄の十字架による磔刑像は私自身が作ったものという意識がありました。今は具象表現をしていない私が、何故かイエス・キリストの磔刑像を作る、これはどういうことでしょうか。夢が欲望充足と考えるならば、私は具象彫刻をどこかでまた再開したいと願っているということだろうと解釈することにしました。学生時代のようにモデルを立てて塑造することに関心を失っている今は、昔の記憶や師匠の表現の在り方を鑑みて、イエス・キリストの磔刑像の具象表現に辿り着いたというのが、私の出した結論です。
2019.01.17 Thursday
昨日、会議の合間を縫って、横浜の桜木町にある横浜美術館で開催中の「イサム・ノグチと長谷川三郎」展を見てきました。本展は「変わるものと変わらざるもの」という副題がついていて、日本古来の伝統文化とモダンを現代的感覚で繋いだ2人の芸術家が歩んだ道を辿った展覧会であることが分かりました。米国ニューヨークにあるイサム・ノグチ財団・庭園美術館と横浜美術館の共催というのも、珍しい取り組みではないかと思いました。何よりアメリカ国籍のイサム・ノグチと、アメリカで日本文化の伝道者として役割を担った長谷川三郎の作品群が、その抽象化において一致する精神性を持っていると私は自覚しました。こんな一文が目録に掲載されていました。「1950年5月にイサム・ノグチと出会った時、長谷川三郎はふたりの考えが『驚くほど』似通っていることを見出した。西洋の少なからぬ現代美術家が関心を寄せる日本や東洋の古い文化と西洋モダニズムは通底すること、抽象がその両者を結びつけること、そして日本の美術が外国の影響下に自己喪失の危機に瀕していることなどの認識を、ふたりは共有していた。彼らは現代における地域固有の文化とモダニズムの鬩ぎ合いの中で、芸術家の果たすべき役割を共に見出そうと協力したのだった。」(中村尚明著)私は本展を見るまで画家長谷川三郎を知りませんでした。活躍の場を日本よりアメリカに移したために日本での知名度が今一歩だったように思えます。今回の展示作品の中では屏風仕立てになった抽象絵画に興味が湧きました。「蒲鉾板に個別に直彫りされた円形、矩形、二本の棒のモチーフにポスターカラーを塗り、小さな紙に複数捺したものを屏風に構成している。画家の刀跡は凸版刷りによって純化される。版画を小さな紙に限定し、これをコラージュすることで屏風の余白=空間を十二分に活かしている。」(同氏著)と解説されている通り、純化した抽象作品が印象に残りました。イサム・ノグチも余白=空間を見つめ続けた彫刻家でした。その彫刻は置かれた空間によって印象が変わります。言い方を変えれば空間を純化する装置とも言えます。私が惹かれる理由がそこにあります。