Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 平成最後の1月を振り返って…
    今年の5月に新しい元号になることから、平成最後という冠があらゆるところで用いられそうですが、平成最後の1月が今日で終わります。光陰矢の如しと言うけれど、本当に今月は時間が経つのが早く感じられました。陶彫部品55個程度で形成する大きな新作は、現在40個が焼成済か、乾燥待ちの状態で何とか見通しが持てそうです。この大きな新作と共に個展に出品予定のやや小さめの陶彫作品はまだ手をつけていない状態で、来月には制作を始めないと間に合わなくなりそうです。今月掲げた制作目標である10個の根の陶彫部品は7個が出来上がり、3個は来月に回すことになりました。根の陶彫部品は大きなものから順次作っているので、3個を含めた残り8個の陶彫部品は、やや小さめになっていくため、負担は多少軽減するかなぁと思っています。毎年のことながら予断を許さない状況は続いています。一日1点ずつ作っているRECORDは、少しずつ下書きの山積みが解消されてきました。毎晩食卓でコツコツ作っていることが効果を生むのでしょう。読書は難解だった現象学の書籍を読み終えました。すぐにでもご本家フッサールの翻訳に手を出したいところですが、ちょっと気分を変えます。美術評論家が書いた現代彫刻に纏わる随筆を読もうかと思っています。今月の鑑賞は美術では「イサム・ノグチと長谷川三郎」展(横浜美術館)のみ、映画は「家に帰ろう」(シネマジャック&ベティ)に行ってきました。やや少なかった気もしますが、その分週末はほとんど陶彫制作に充てていました。風邪やインフルエンザが大流行していて、同僚の管理職が倒れていると聞き及んでいます。私も無理をしないように来月も元気にやっていきたいと思います。
    「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」読後感
    「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)がやっと読み終わりました。まだ完全に理解出来ていない箇所もありますが、こうした書籍に対する語彙力が身につけられれば、近い将来再読もあり得るかなぁと思っています。本書によって私は甚だ雑駁ですが現象学と言う学問の性質が分かったように思います。難解な書籍でしたが、現象学に対する興味関心は益々増してきています。いずれフッサールの著作にも挑もうと思っています。と言うのも本書は最初フッサールの平易な入門書か解説書くらいに思っていて、気楽な気持ちで読み始めたところ、論理の手強さに面食らってしまったのでした。まずは曲がりなりにもフッサールの著作を読んでから本書に進むのが筋道でした。本書では「おわりに 現象学の読解」に書いてあるようにフッサールの引用が恣意的に見えることがあると述べられています。フッサールの主張に正反対の立場を取っていることが見受けられるからです。これにはご本家を知らない私は戸惑いを隠せませんでした。「現象学とは、できあがった教説や体系ではないし、その主題も限定されていない。本書で素描したように、歴史や文化といったものについての現象学も可能だ。現象学に決定的な開始点はない、と以前に述べたが、それは言いかえれば、出発点はどこでもある、ということだ。どこを出発点にしようと、内属性の視点から、分析対象の存在を説明原理とすることなく経験を分析し、自然発生的に生成し自ら形を変えてゆく諸構造のーまるで小動物のようなー手触りを掬い取り、言語化し、それによって日常的思考枠組みや伝統的思考法を超えてゆくこと、それが現象学である。」と述べられています。あとがきでは「現象学は、経験から独立して存在するとされる実在などを前提することなく、経験に『内属』した視点から、知覚や時間、他我などについての経験構造を分析し、それによって実在その他の意味を解明する。」ものであると結論づけています。
    「現象学というシステム」について
    「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)の最終章である第十二章「現象学というシステム」について取り上げます。この章は最終章に相応しく、そもそも現象学というシステムとは何か、それを考えるにあたって、その全体のモデルを提示するところから始まります。「実在経験や世界、感覚その他の連合、時間性、他我、歴史、規範性などそれぞれの場面では、その都度必要なメカニズムが起動し、存続するための独特な構造や現象が取り出された。受動的綜合、時間形式や他我の自然発生性、歴史や規範性における受動的能動性などがその例である。」次に現象学全体像の従来のものを一歩推し進めるカタチで「差延状構造」という概念が登場します。「どの場面をみても、〈可能性がそこに追加されるといわれるその当のものを、可能性が後から生み出す〉根元の補欠、それどころか、カント的意味における理念などに典型的であるように、『可能性がそこに追加されるといわれるその当のものを、実現不可能である当の可能性が後から生み出す』構造が現象学的装置を可能にしている。反復や非現前といった、デリタの言う指標的構造は随所にあらわれる。現象学的構造とは一連の差延状構造なのであり、現象学的還元は差延状構造を可視化する装置にほかならない。」次に新たな全体像として第十二章の最後にある文章を書き出します。「実在や自我などにあたるものが現象学的構造において構成され、にもかかわらずそれを実体化しがちな経験の罠が随所に仕掛けられていることを解明することによって、現象学はニーチェの言う『眺望固定症候群』に実質を与える。正義や真理、自我などを、あらかじめ確定した実体とみなすのは、ある時点における眺望を固定して、その背後に恒久的実体を想定する病によるというのがニーチェの言う眺望固定症候群だ。なるほど、現象学的構造それ自体は不変であり、その構造だけは実体化されていると思われるかもしれない。けれども、目的論や伝統の構造が示す土台としての伝統と将来の世代の同意への依拠という事情は、現象学の分析成果についてもあてはまる。」以上が本書「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」の最終引用になりますが、私自身は章毎にキーワードになる文章を探そうと今まで躍起になっていました。しかしながら理解が及ばない箇所が多すぎて、NOTE(ブログ)では伝えきれていない勉強不足に、自己嫌悪に陥りそうです。再度チャレンジしようとも思いますが、嘗て読んだ哲学書にも同じような後悔があるため、ともかく時間を置こうと思っています。最後に「おわりに 現象学の読解」という著者の振り返りがあったので、明日はこれをもってまとめにしたいと思います。
    「反省論と自我論的構図」について
    いよいよ「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)も残り僅かになってきました。今回は第十一章「反省論と自我論的構図」について取り上げます。この章は3つの単元に分かれているので、ひとつずつ気に留まった箇所を引用していきます。まず「反省論の困難」。これは経験構造を反省によって分析することが現象学そのものを危うくするところから、存在者化と時間化に関する文章を取り上げます。「反省は、対象化であるため、反復的同一化であり、したがってそれによって繰り返し同一化可能な対象、すなわち存在者が成立する。それゆえ反省は存在者化だ。一方、時間意識は過去へと脱現在化する運動であるため、その都度遂行される作用や体験は、時間意識の流れによって失われてゆくだけだが、それが反省によって対象化され、繰り返し同一化可能な存在者となることによって、時間位置系列に位置づけられ、『時間化』される。」反省を現象学的に位置づける論理ですが、一度読んだだけでは咀嚼できない歯痒さがあります。次に「”わたし”という場所」。これは「”自我”や”わたし”は、経験のさまざまなシステムを外皮としてまとう核のようなもの、諸システムを外皮のように脱ぎ捨てても自存しうる実体的存在者ではなく、外皮に屈折した光が結ぶ虚焦点、システムの流れにおいて浮かび上がる形である。」という一文を選びましたが、前後の脈絡がないので、ここも理解困難ですが、簡単にまとめられないほど論理が込み入っていることをご容赦願います。最後に「純粋自我なき自我論としての現象学」で、この文章がまとめと言えるかどうか分かりませんが掲載しておきます。「自我の現象学的実質は、さまざまなダイナミズムの転轍機、諸力の交点、時間意識やパースペクティブの構造から成立する『今ここ』という時間的空間的被制約性の場所だ。さまざまな現象学的経験構造の結節点として、自我はまさに現象学的に構成される。『自我』は現象学的構造の前提ではなく、結果なのだ。」ここまで本書を読んできて、残すは最終章のみとなりました。
    週末 1月最後の週末に…
    早いもので今日が1月最後の週末になりました。2つの塔が連結する新作では、今日の陶彫制作をもって、ちょうど40個の陶彫部品が出来ました。2つの塔を形成する33個の陶彫部品と2つを繋ぐ陶彫部品が7個出来ました。計画では残り8個になりますが、組み立てた時の調整があるので、多少部品が増えるかもしれません。今日の夕方は窯入れもしました。乾燥した陶彫部品に仕上げを施して化粧掛けをして、順次窯に入れていかないと、焼成も間に合わなくなることもあります。工程が多いのが陶彫制作の特徴ですが、これがあるためにモチベーションを下げずに制作が出来ているとも言えます。最近、保管する作品数が増えてきて、制作場所の確保が難しくなる懸念があります。そこで、ロフトの拡張と昇降機の設置を考えていて、今日の午後、業者が見積もりを持ってやってきました。自分の予想金額をはるかに上回る見積もりでしたが、これをどこから捻出するのか、家内と相談することになりました。自分が現職でいるうちに費用を何とかしたいと思っているのです。収入源のなくなる退職後には、大きな工事は出来ません。頭を抱えるところです。今日も作業は7時間に及び、夜になって自宅に戻ると身体が動かなくなりました。体感する寒さと作業に集中する精神力、これが昨日と今日の合計14時間が影響するところの身体に応えた疲労の原因です。明日からは職場に出勤して、もうひとつの仕事に従事しますが、この仕事は神経は使っても肉体そのものの酷使はありません。バランスが取れていると言ったらいいのか、背伸びをしている意識はないので、これが自分の身の丈に合っているのかもしれません。