2019.01.26 Saturday
やっと週末がやってきました。私はいつものように朝9時に工房に行って、夕方4時までの7時間を陶彫制作に費やします。作業が始まると忽ち時間が過ぎていく感覚を持ちますが、創作活動に邁進する7時間は本当に疲れます。毎週末は特別な用事がない限り、こんな風に過ごしていて既に習慣となっています。制作開始時間と終了時間を自分で決めているのです。これはウィークディの公務員としての勤務時間に影響を受けています。ウィークディは朝8時半には職場に出勤し、夕方は5時に勤務時間が終わりますが、朝夕多少の時間的余裕を持って仕事をやっています。私たちは8時間労働が基本です。管理職になる前からずっとこの勤務時間でやってきましたが、一般職員だった頃の方が残業が多かったと振り返っています。それに倣って制作時間も決めています。自由のはずの創作活動ですが、公務員のように時間を決めてやっているのは、そこに彫刻特有のアプローチがあるからです。気の向くままにやろうと思えば、誰にも咎められることのない制作ですが、敢えて時間の制約を自分に課して行うのには理由があります。私が自己表現に選んだ彫刻は、実材を扱う職人的な技巧が必要なため、素材に向き合う時間を要するのです。彫刻は一般的に一気呵成に出来ない表現で、私はそれを労働の蓄積と呼んでいます。とりわけ陶彫は、土練り、成形、加飾、化粧掛け、乾燥、焼成といった工程があって、順序を踏まなければ作品が出来上がっていかないのです。どうやら私はそうした時間の制約がある方が調子が上がるらしく、公務員的な日常を創作活動に持ち込んでいると言っても差し支えありません。今日は、先日成形を終わらせた陶彫部品に彫り込み加飾を施し、次の制作に備えて土練りやタタラを準備しました。夕方は乾燥した陶彫部品にヤスリで仕上げをし、化粧掛けをして窯に入れました。そこまででちょうど夕方4時になり、作業を切り上げました。窯にスイッチを入れるのは明日の夕方です。明日も7時間の制作を頑張りたいと思います。
2019.01.25 Friday
「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)の第十章「歴史と文化的規範」を読み終えました。まとめをするのは至難の業ですが、現象学と「歴史と文化的規範」の関わりについて冒頭の文章を拾い上げてみます。「現象学的自我にかかわる独我論は、歴史と文化の問題を考慮に入れたとき解消すると述べた。だが、そもそも歴史や文化の現象学などというものは成立しうるのだろうか。現象学が分析対象としてきたのは主として単独の自我による経験や体験であり、相互主観性や世界が扱われるといっても極めて抽象的な形でしかなかった。」そこに第十章で登場する歴史やら文化やらの大きな捉え、これをフッサールがどう扱ったのかが本論になるのです。まず歴史記述の物語理論が登場してきます。次に対象化された歴史と対象化以前の歴史が述べられていました。単元だけ連ねても意味を伝えられないのが残念ですが、一文だけ印象に残った箇所を書き出します。「物語の外部を認めない物語論は、対象化されることなく現在を決定する伝統を、われわれの過去として認める余地を持たない。物語論のこうした限界は、近代哲学固有の誤謬、すなわちハイデガーの指摘する『世界統握』に根をもつと言えるだろう。」ここで登場する伝統という言葉から、伝統形成のメカニズム、自我の受動的能動性などが論理展開上で述べられています。ここも単元だけに終始して申し訳ありませんが、次に文化的規範の現象学に至り「現在の能動的活動を可能にし、制約する文化的規範性を解明するためには、まず『規範性』一般を現象学的に解明しなければならない。」という問題提起の文章がありました。また単元だけを追ってしまいますが、知覚における類型、行為の規範、自他の発生と文化の構築と続き、最後にこんな一文が目に留まりました。「文化の現象学的分析の観点からすれば、物語的歴史記述の新たな位置づけが可能となる。異邦との邂逅によって受動的に際立つ自他の区別が、今度は能動的に構築される際、歴史記述が本質的な役割を果たすとフッサールは述べていた。ある”文化”に属する個人や文脈ごとにさまざまな連関が過去には存し、それが現在を形成するのだが、こうした事情にもかかわらず、すべてを包括する”国民史”を構築することによって”全一性の地平” ”総体的人格性”としての国家、また”国民”として自己同一性が形成される。」まとめになりませんが、ひとまず第十章はここまでにします。
2019.01.24 Thursday
あっという間に読んでしまった「近代美術史テキスト」(中ザワヒデキ著 トムズボックス)は、私にとって極めて興味深かった内容があり、また手書きの文章から発する独特な感覚に、密かなメモ書きに似た雰囲気を感じさせる書籍でした。あぁ、これっていいなぁと思ったのは、第8章のフォンタナを扱った箇所で、イラストで描かれた画布に本当に切り込みが入っていたところでした。もうひとつは第13章「シュミレーション100%:ジェフ・クーンの『芸術?』」という箇所で、現在のアートが孕む課題をも含めた予見が、ここに示唆されているように思えます。そこを引用いたします。「クーンの『ピンク・パンサー』は芸術ではないと私は思います。クーンが今回”芸術として”提出したのは便器(デュシャンの作品)ではなく、ハイパーリアルな人形だったからです。精巧でカワイイ人形は世俗的なシアワセを演出するものです。クーンが明らかにしたのは、この今の時代にあっては芸術のシアワセより世俗のシアワセの方が説得力を持つということなのかもしれません。~略~『美術が不要になる日』がそのうちきっと来ると思います。あらゆる視覚表現はいずれ美術からイラストレーションにとってかわられることでしょう。クーンのピンク・パンサーが芸術であるとするならば、それは美術の”制度”を逆手にとった表現だったからです。私は美術という概念は、未視感の時代の産物である”美術の制度”によって支えられてきたものだと考えます。”美術の制度”とは未視感の視覚表現を追求するための場であります。そして既視感の時代にはこの制度はすでにナンセンスです。そこのところをうまくついたのが今回のクーンの『非芸術』だったのでしょう。」美術の存在を未視感と捉え、それを信じてずっと制作を続けていた私にとって、現在のアートの動きは気になるところです。いずれにしても面白い書籍でした。
2019.01.23 Wednesday
現在読んでいる現象学の書籍を横において、美術に関わる不思議な書籍を手に取りました。ちょっと一服のつもりが読み始めたら、面白過ぎる内容に惹きこまれて、忽ち半分くらいまで読み進めてしまいました。それにしてもこれは文庫本くらいのサイズの全て手書きによる独特な書籍で、どこかの美術館のアートショップで購入した記憶があります。「近代美術史テキスト」(中ザワヒデキ著 トムズボックス)はヘタうまのイラストレーターとして活躍する中ザワヒデキ氏による著作で、印象派から始まり、現在進行形のアーティストまで取り上げた、大変分かり易い解説書としても楽しめる書籍です。まず「序」にあった中ザワ氏の歴史観に注目しました。「そもそも”歴史”とは何かと言いますと、それは過去の事実を受動的に記述する行為のことを指すのではなく、現在の目をもって、過去の本質を能動的に読み取る行為のことをいう筈です。~略~歴史とは、あるいはすべての人間の行為は、本来このように徹頭徹尾『現在の自分』から端を発するのだという視点に立って、本書を読んでいただければ幸甚です。」美術史を振り返る際に、たとえば印象派や野獣主義、立体主義等は当時どんな受け入れ方をされたのか、本書に「『これは絵ではない』と言われてまでも前進しなければならないという明確なヴィジョンを得た」という一文があります。現在の自分からすれば、こうして旧態依然とした体質を壊してきた芸術が新しい時代を作ってきたと認識していて、確かに過去の本質を能動的に読み取ることで、現在の自分の立ち位置を決めていると私も考えています。あっという間に読み終えてしまいそうな勢いで本書を読んでいます。近々感想を書きたいと思います。
2019.01.22 Tuesday
私は陶彫作品にもRECORDにも捺印をしていて、それが作品の完成を示すものという証明を与えています。新作が出来る度に、私は石材に新しい印を彫ります。RECORDは年ごとに新しい印を作っています。RECORDはポストカード大の小さな画面なので印も小さくします。そのため最近では印のデザインは陽刻よりも陰刻になる傾向があります。印は篆書など中国の古い文字を使うことが多いのですが、私の場合はほとんど抽象絵画のような扱いをしています。RECORDの印は私の氏名ではなく、デザイン化されたマークのようなものです。今回新しくデザインした印は暘刻ですが、文字として読み取れることが出来ないほど単純化したものにしてしまいました。文字はアルファベットの相原の「A」を抽象絵画のように線と点だけで表現しました。落款としての制約を外したため、印は私にとって楽しい世界になり、自由度も増しました。ただし、陶彫部品に貼り付ける印はアルファベットではなく漢字の氏名を用いています。前には篆書を用いた印を彫ったこともありました。従来の方法から自由な方法までさまざまな試みが出来る印を、今後も楽しみながら作っていきたいと思っています。