Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 週末 RECORDの撮影日
    1年間で1回だけRECORDをカメラマンに頼んで撮影していただいています。昨年の10月から始まり、今年の9月で締め括る1年間365点分のRECORDの撮影です。撮影は照明や角度を決めて、1点ずつ丁寧にやっていただいています。それをホームページにアップしていくのです。オリジナルのRECORDは横浜市民ギャラリーで1年間分だけ額装して発表したことがありますが、365点の展示はあまりにも大変だったために、現在はホームページ上での発表にさせていただいています。私は工房で陶彫の作業をしながら撮影を垣間見ていると、1点ずつ撮影台に乗せられていくRECORDの制作当時の思いがこみ上げてきていました。自分では時間に追われながら難なくやってきたと自覚していましたが、1点ずつを具に見ていくと苦労した跡も思い出されて、毎晩頑張っている自分を褒めてやりたいと思いました。もう10年以上も継続していますが、ここまでくると止めようとは思わなくなりました。陶彫制作も同じです。今日は新作の土台になる最後の11個目の陶彫部品の窯入れを行い、その上段になる陶彫部品4個目の成形と彫り込み加飾をやりました。私は規則正しく制作していくことが大好きです。そこに気分的な情緒はありません。気分が乗る乗らないを標榜する芸術家気質とはつくづく違うなぁと思っています。ウィークディの公務員職と同じで、決まった時間に制作をしているのです。それが自分にとって自然で楽な方法なのです。
    週末 美大の芸祭を訪ねて…
    各美術系の大学が学園祭、美大では芸祭と呼んでいますが、開催する時期になりました。工房に出入りしている美大生がいて、彼女が在籍する女子美術大学の芸祭に行ってきました。これから美術系の大学の進学を考えている3人の女子たちも連れて行きました。私はこの歳で若い10代の女子たちに囲まれる華やいだ雰囲気を味わうことになって、少々戸惑うこともありますが、工房スタッフの若返りを考える時期なのかもしれません。ともあれ私が彼女たちに元気をもらえたことは確かです。芸祭の展示会場で見た美大生の若々しい作品の数々にも元気がもらえますが、課題も少なからず見えてきます。大学での4年間は自己を見つめる珠玉の時間であると私は考えています。上手くいくこともあれば、失敗もありますが、美術を通して自分の生き方を考えられる貴重な時間であることに異論はありません。たまたま絵画科主任教授と知り合えて、その研究室に通され、私の職場との連携を考えるきっかけになったことが、今日の収穫かなぁと思いました。連れて行った若い女子たちの1人は染織、他の2人はビジュアルデザインの作品に興味を示しました。ITでアニメ系のポストカードを制作販売している自主展示の部屋では、女子3人とも盛り上がっていました。その光景に今どきの子の趣向はこういうことかと思いました。中庭にあるステージではコスプレをしたグループが歌や踊りを披露していました。これも日本の現代社会を垣間見るひとコマだったと思いました。国際情勢がどうあれ現在の日本は平和です。この平和の謳歌がいつまでも続くといいなぁと思いました。芸祭や卒業制作展に行った折にいつも感じることですが、美術系の大学を卒業した学生たちは、どんな進路を思い描いて社会に出て行くのでしょうか。アートが夢を追う仕事である以上、社会のニーズに合わないこともあります。立派な施設環境の中で、思い切り自己表現を磨いた学生にとって、社会人生活との差はどう埋め合わせるのでしょうか。学生時代は夢追いの打ち上げ花火として封印してしまうのでしょうか。美術的な自己表現活動が出来なくても精神性を高められた時期として、自分の中で納得してしまう学生も少なからずいるのでしょうか。私のように気持ちの整理が出来ず、諦めの悪かった学生は、二足の草鞋生活を送るのでしょうか。毎年考えさせられることですが、学生時代に刻まれた彫刻の魅力に今も逃れられない自分に重ね合わせて、頑張る学生たちにエールを送りたいと思います。
    HPのGalleryに「発掘~表層~」アップ
    この度、ホームページのGalleryにアップさせていただいた「発掘~表層~」は、当初彫刻的な発想はなく、絵画として制作しようと考えていた作品でした。途中から床置きの彫刻に切り替えたのには理由があります。その頃、自分の中で空間とはどのようなものか、立体が存在する現象を根本から思索していた時期がありました。「発掘~表層~」は2016年に発表した作品でしたが、2014年にハイデガーの「存在と時間」を読んでいて、私には曲がりなりにもモノの存在を問うスタンスが出来ていました。私は「見えているものは全て表層である」と考え、それを知覚した上で、人はモノの成り立ちを考察し、その裏側を予想して、全てのモノを立体として解釈しているという意見を持つに至りました。甚だ雑駁ですが、表層は即ち平面という短絡的な結びつきで、私は絵画を制作していこうと決めていました。それは美術史に於ける写実絵画とは異なり、陰影を伴う立体感を求めず、モノの表層を表現したいと思っていたため、発想途中で方向転換を迫られることになりました。リアルな空間やら存在という発想自体が絵画性とは相入れないものであったことに気づき、結局限りなく平面に近づく彫刻に落ち着いたのでした。「発掘~表層~」はそんな背景を持つ作品です。私のホームページに入るのは左上にある本サイトをクリックしてください。ホームページの扉にGalleryの表示が出てきますので、そこをクリックすれば今回アップした画像を見ることが出来ます。ご高覧くだされば幸いです。
    シュマイサーの連作版画について
    「私の作品を流れている主題は、変化ー人間に、物あるいは風景に、あるいは私に繰り返し起こった変化だ。版画がもつ可能性のうちで、最も魅力的なもののひとつがステートだ:版を刷り、さらに手を加え、変更し、また刷ってまた変える…。これはまるで変化の経過に応えるかのようなプロセスだ。」これはドイツの版画家ヨルク・シュマイサーが述べた言葉です。東京町田市にある町田市立国際版画美術館で開催中の「ヨルク・シュマイサー 終わりなき旅」展では、シュマイサー自身の言葉通りの作品が並んでいました。展覧会の図録に掲載された一文は、この銅版画家が変化の経過にどう向き合っていたのかが分かります。1979年から80年にかけて制作された「京都清水寺」は、清水寺を全面に描いた銅版に4つの四季を重ねて4点の作品とした連作です。重ねた版はそれぞれ四季を象徴化した図像があって見応えがありました。女性を描いた1967年から68年制作の「彼女は老いていく」や1977年から最終的には94年まで制作をつづけた「変化Ⅰ~Ⅲ」までの作品に、同じ版をベースに変化に富んだ版を重ねていく連作があり、1点1点が異なる世界観を秘めていて、同一ベースとは言え、印象はまるで違う作品に仕上がっていました。イメージというものは、時を経て展開していくものであると私は思っています。なぜなら、周囲が時に静謐に、時に荒々しい情景に変わっていくのは、同じ風景や人間を起点とした時間や時代の変遷があると考えているからです。銅版画を得意とした画家にウィーン幻想派のエルンスト・フックスがいます。私が彼の地にいた頃、街角のギャラリーでシュマイサーと同じ展開を見せるフックスの版画を見て、宗教性の強いテーマにさまざまなイメージを加えた連作に注目しました。そこが版画の成せる特異なところだろうと思っています。こうした連作を見て、もうひとつ、私がシュマイサーの画面構成で気になったところがありました。1点の版画作品の中に重複するイメージが描き込まれているのは前述した通りですが、その空間の厚みに表現の深淵なるものを感じたのでした。その自論については後日改めたいと思います。
    町田の「ヨルク・シュマイサー 終わりなき旅」展
    ドイツの版画家ヨルク・シュマイサーの作品を知ったのは、今を遡ること40年も前になります。シュマイサーが暫く京都に滞在していたこと、奥様が日本人で、私が学生だった頃は、オーストラリアに行ってしまったことが情報として入っていました。その頃、私が見ていた作品は1960年代の銅版画で、図解の様な構図の中にモチーフが繰り返し描かれていました。先日見てきた東京町田市にある町田市立国際版画美術館で開催中の「ヨルク・シュマイサー 終わりなき旅」展では、世界各地を旅した銅版画家が残した夥しい作品が展示されており、その質量の凄さに驚かされました。そこには私が嘗て見た作品も含まれていました。図録によると「生涯に渡って、ヨルクは遠く離れた場所に旅すること、その芸術にあって極限の風景に向き合うことを強く望んでいた。きわめて小さなものから巨大なものまで、有機物も無機物も等しく扱った。時には版に何行ものテキストを記した。これらの言葉は(もちろん、刷った時に正しい向きになるように、鏡文字で書かれている)その時その場所での彼の感情や思考の日記をなしている。」(R・パルバース著)という一文がありました。シュマイサーの銅版画にある百科事典の解説のような細かい文章の塊は、感情や思考の記録だったのかと改めて見つめ直すと、彼は旅先で考えたことや感じたことをモチーフと一体化した表現として、画面に取り入れていたことになります。文字群が版画の構成要素になっているのです。また図録の別の文章に「シュマイサーは異なった複数の作品に対して、同一の版を加筆修正しながら繰り返し活用することで、前作のイメージやマチエールの痕跡を残しながらも、新たに写し出される作品として、その内容を変化させる手法を確立させた。」(小野修平著)とあり、これもシュマイサー独特の技法で、同一版を用いてイメージを変化させていく連作は、版画ならではの方法で生み出されたものと思いました。個々の作品を見れば、私の感覚を擽る作品もあり、これに関しての別稿を起こしてみようとも思います。