2018.11.17 Saturday
今月は美術館や博物館での展覧会が充実していて、鑑賞の機会を多くしたいと考えています。映画も観たい作品が幾つかあります。明日、東京の美術館や博物館へ行く予定にしていて、その分今日は陶彫制作を頑張らなければなりませんでした。土曜日はウィークディの疲れが取れず、身体が思うように動かないのですが、今週末のノルマを今日一日で果たそうと朝から奮闘していました。陶彫成形と彫り込み加飾1点と40キロの土練り、それが今週末でやらなければならない仕事です。しかも夕方は家内と映画を観に行く約束があったため身体を酷使していました。慣れた作業とは言え、次から次へと制作工程を進めていくのは骨が折れます。やっと4時近くになって陶彫成形と彫り込み加飾1点、土練りが出来上がりました。5時まで演奏活動をしていた家内を駅まで迎えに行って、6時半から始まる映画に間に合わせました。常連になっている横浜のミニシアターで上映していたのは中国・オランダ共同制作による「世界で一番ゴッホを描いた男」。驚くべきメイド・イン・チャイナのドキュメンタリーで、オランダの巨匠ゴッホの複製画を大量に複製している「油画村」の実態を映し出していました。ここでは1点1点を手描きで仕上げていて、贋作を機械的に複製にしているのとは異なり、違法ではないことが分かりました。芸術家草間弥生氏の贋作展をやって問題になった中国。徹底した模倣文化に気後れしてしまうのは私だけなのでしょうか。あらゆるゴッホの絵画をタッチまで真似る職人の中のベテランの一人が、オランダのアムステルダムにあるゴッホ美術館を訪れ、そこで見たオリジナルに感銘を受けて、真の創造とは何かを自問自答する場面がありました。この映画の救いはそこにあったと私は感じました。彼は帰国後に故郷に住む母親の肖像画を描き始めました。複製画ではなく自分の制作をするべきだという思いが頭を過ぎったのでした。この映画の詳しい感想は後日改めます。今日は充実した一日を過ごしました。明日は鑑賞だけの一日にする予定です。
2018.11.16 Friday
今朝、職場に届いていた日本経済新聞の小欄が目に留まりました。記事は「来訪神:仮面・仮装の神々」がユネスコの無形文化遺産に登録される見込みになったと伝えていました。日本全国に伝承されている異形の神々、たとえば秋田県のナマハゲもそうですが、正月に家を訪ね歩き無病息災や豊穣を齎す神事です。私が生まれた横浜ではそうした伝統が既に廃れていましたが、幼い頃に祖父母から、悪事を働くと鬼がやってくると言われて怖い思いをした記憶があります。無形文化遺産登録の見通しは8県の神事10件になるそうで、「並べて見ると、その奇抜さやユニークさに驚く。宮古島のパーントゥは泥だらけのつる草をまとい、鹿児島のボゼやメンドンの巨大な顔は、どこが何だかよく分からない。アートの実験場といったふうである。」と記事にありました。10件を調べてみると、「吉浜のスネカ-岩手県大船渡市」「米川の水かぶり-宮城県登米市」「男鹿のナマハゲ-秋田県男鹿市」「遊佐の小正月行事-山形県飽海郡遊佐町」「能登のアマメハギ-石川県輪島市・鳳珠郡能登町」「見島のカセドリ-佐賀県佐賀市」「甑島のトシドン-鹿児島県薩摩川内市(下甑島)」「薩摩硫黄島のメンドン-鹿児島県鹿児島郡三島村(薩摩硫黄島)」「悪石島のボゼ-鹿児島県鹿児島郡十島村(悪石島)」「宮古島のパーントゥ-沖縄県宮古島市(宮古島)」で、九州地方が多いようです。記事にはこうした地域の過疎化や高齢化が進み、後継者不足に悩みがあると書かれていて、また子どもを泣かすのは児童虐待ではないかという意見もあり、ユニークな神事が廃れていく心配や警戒感も示されていました。私は個人的には伝承を残して欲しいと考える一人です。地方には独特な風習が残り、その背景があるからこそ生まれた貴重な文化遺産であろうと思います。地方には地方の事情があって他人が口出しすべきではないと思いますが、アートの観点からしても刺激的な遺産だと考えます。私の仮面好きはこんなところにあると思っていて、時間があればこうした地域を訪ねてみたいと願っているのです。
2018.11.15 Thursday
一日1点ずつポストカード大の平面作品を作り続けているRECORD。10月までは順調にやっていたRECORDでしたが、また悪い癖が出て、下書きばかりが先行する状況に陥っています。下書きが自宅の食卓に山積みされていますが、今のところまだ数日程度の遅れが生じているだけです。ここで頑張らないといけないと思っています。最近、家内が咳き込む日が多く、通院して投薬をしていたところ、咳は治ってきました。次は私の番になっているようで、時々咳が出ています。昼間はそれほど体調で気になるところはなく、仕事から帰ってくると疲労とも何とも説明のつかない体調不良があります。この脱力感は何なのか、自分ではよくわかりません。私は夜の時間帯をRECORD制作やNOTE(ブログ)を書いて過ごしています。時に工房に出かけていく夜もあります。それなのに力が湧かないことにもどかしさを感じています。このNOTE(ブログ)を書き、RECORDの下書きをやるのがやっとで、ここ数日間の体調不良を何とかしたいと思っています。陶彫制作にしてもRECORD制作にしても健康体であることが基本です。今は無理をしないように過ごそうと思っています。やはり一日1点ずつ作っていくRECORDは、いざ体調を崩すと苦境に立たされます。それでも止める気になれないので、まだまだ大丈夫だと自分に言い聞かせています。
2018.11.14 Wednesday
「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)の中で、今回は「基礎平面」を取り上げます。カンディンスキーの有名な著作である「点・線・面」の順番から言えば、「点」と「線」の次は「面」がやってきます。本書でもカンディンスキーの平面に関する考え方を著者のアレンジを加えて述べています。カンディンスキーは幾何抽象的な要素の中にも、色彩や音響や文学的な情念を取り入れていると私は以前から感じていて、本書の引用文にもそれが表れています。基礎平面とは「自立的で無垢な実在として、生き生きとした存在として現存する。つまり、それは『呼吸』をしているのであり、仕事にとりかかる前の画家が実際に位置しているのは、秘められた力を宿しているひっそりとした生のすぐ前なのである。」と述べています。基礎平面の成り立ちとして「抽象絵画の原則は、確固とした答えをわれわれに差し出す。基礎平面を切りとる線は、二本の水平線と二本の垂直線である。つまり、一方は静かで(連続的なただひとつの力によって生み出されている以上、直線とは本来静かな緊張なのである)冷たい二つの音色であり、他方では静かで暖かい二つの音色である。対照的な二組のペアにもとづいて配置され分化している四つの基調色、あるいはそれらの微妙なコンポジションから生ずる総合的でニュアンスのある感情、基礎平面を前にしてわれわれが感受するものはこれである。」とありました。そこから著者は本書の主題に結びつく一文に繋げていきます。「われわれは、ここで初めてこの試論の本質的な主張にとりかかり、同時にその最初の証明を行うことになる。その主張とは、抽象絵画があらゆる絵画の本質を規定しているということだ。あきらかに、これこれの特別な主題に対してはこれこれのサイズをよしとする嗜好を説明するのは、基礎平面の抽象的内容、その目に見えない主観的な基調色であるように見える。」まとめにはなりませんが、基礎平面に関してはここまでにしておきます。
2018.11.13 Tuesday
「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)の第五章「時間性」について、気になった箇所を引用いたします。本書を読んで章ごとにNOTE(ブログ)にまとめをアップしていますが、前章でも内容が難解故に、しっかりまとめることが出来ず、語彙の何たるかを取り出しているに過ぎません。今回も理解するだけで精一杯で、自分の読解力の乏しさを痛感している次第です。まず時間性とは何か、「時間はさまざまな次元にわたって構造化されるのだから、時間を同一者として扱うべきではなく、『時間性』という多層的構造としてとらえなければならない。」とありました。次に内的時間意識の中に過去把持という言葉がありました。過去把持とは何か、「知覚などにおける志向性が対象についてのもの(対象志向性)であるのに対して、過去把持は体験についての志向性(内的意識)である。」また「内容変化説や統握説においては、過ぎ去った単独の内容についての単独の志向性が問題になっていたのに対し、過去把持においては複数の時間点にまたがる志向性のネットワークが問題になる。」とありました。次に時間の流れを論じている文章に時間論を唱えたメルロ=ポンティが登場してきます。「メルロ=ポンティは、時間を世界や存在と区別して論じることはしない。」としながら「時間を『現在に到来することによって過去へと向かう未来』とするやり方の背後には、時間を分析する際に、流れのダイナミズムを優先させようという戦略が潜んでいる。」と述べています。今章のまとめにはなりませんが「メルロ=ポンティの洞察から明らかになったとおり、時間の流れは、現前と非現前との交替の中で世界や事物の超越が成立するメカニズムだった。また、フッサールの志向的相関理論を見ても、志向的相関は時間的運動を内蔵した構造体だ。」とありました。今日はこのくらいにしておきます。