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  • 「体験流の構成」について
    「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)の第七章「体験流の構成」を読み終えました。体験流の構成とは何か、冒頭の文章に述べられていた箇所を引用いたします。「体験流の構成とは、過去の体験を想起し、そこから現在にいたるまでの体験の『流れ』を『再』構成することである。」とありましたが、まず想起について書かれた文章を拾い上げていきます。「連合によって想起が可能となるからといって、体験流の過去が間違いなくすべて自由に直観可能となるわけではない。」というのは、記憶を思いだす場合に、確実なものではなく錯誤してしまうことは充分ありうると言っていて、私もそう思います。続く文章には「初めに想起された過去と、それとは無関係な別の過去の想起の触発能力が競合状態に到ったり、ふたつの過去が混同・融合されてしまう。」とありました。それでは現在知覚されている経験と、連合的想起はどう異なるのか、こんな一文もありました。「現在の知覚経験と、連合的想起は現象学的にどのように違うのか。志向的相関構造にもとづくか、連合にもとづくかという違いのほか、両者には時間構造の相違もある。それは、『生きられて』いるか、対象化されているかの相違だ。知覚や判断が遂行される現在は『根源的印象』『過去把持』などによって構造化される時間性をもつが、この時間性は『生きられる』ものであって、対象化はされない。」想起という言葉ひとつ取っても、現象学的に論考すると、こんな感じになってしまいます。何かのコマーシャルを見て、旅行した時の記憶が甦り、そういえばこんな食事をした、あんな買い物をしたっけと思い出す時、それは決して正確とは言えず、別々の記憶を繋ぎ合わせている場合もあります。日常茶飯として何気なく行っている行為を厳密に学問として洞察し、根本となるものを探っていけば、「体験流の構成」で述べられているような論考になると思います。
    フェルメール「牛乳を注ぐ女」について
    画家フェルメールの「牛乳を注ぐ女」は世界的に有名な名画です。フェルメールの傑作はまだ他にもありますが、上野の森美術館で開催されている「フェルメール展」のラストを飾っていた「牛乳を注ぐ女」は、やはり自分の心を捉える傑作だったと改めて認識しました。フェルメールの部屋に入った途端、遠くから射貫かれたような構図と色彩の明快さ、小さい画面ながら圧倒的な光を放つ存在感につい吸い寄せられてしまいました。「牛乳を注ぐ女」は以前も来日していますが、今回は数々のフェルメール作品と並んで鑑賞できたので、本作の凄さに目を奪われました。図録から構図や光について書かれた箇所を拾います。「透視図法、光の処理、個々の描写対象の配置、これらはすべて慎重に考え抜かれている。女性像と机と右側の床にある木製足温器は、古典的な三角形構図を形成している。フェルメールは、透視図法の消失線を女性の右手の真上にある消失点に向かって集中させることによって、絵を見る人の視線をさりげなく絵の中心要素に導いている。カンヴァスのその箇所にある小さな穴は、フェルメールが17世紀のアトリエでよく行われていた方法を用いていたことを物語っている。画家は、消失点となる場所にピンを刺し、透視図法の消失線を定めるためにそこから絵の端まで糸を張ったのである。」安定した構図を得るために画家が工夫した痕跡が見えますが、美術史家の中には写真機の先駆けとなったカメラ・オブスクラを用いていたのではないかという説も聞かれます。その件に関して図録から引用いたします。「光の反射を観察するために、フェルメールはカメラ・オブスクラを使ったに違いないという説が唱えられてきた。フェルメールがこの機器をよく知っていた可能性は高いが、この《牛乳を注ぐ女》を描く際にカメラ・オブスクラを利用したとは考えられない。何よりも、光の斑点や飛沫はおもにパンやウールの布のような低反射素材上にあるが、これらはまさにカメラ・オブスクラでは感知されない部分なのである。」(作品解説より)この神がかった写実性はどこからくるのか、私はロダンの彫刻「青年時代」が本物から型を取ったのではないかという俗説と共通するものを感じてしまいます。芸術家の眼が、写実を捉える時の、肉薄していく対象に迫る魂を感じるのは私だけでしょうか。単に緻密に計算された写実絵画ならば、「牛乳を注ぐ女」の絵画的主張の強さは現れないと思っています。
    上野の「フェルメール展」
    事前予約が必要な美術展に行ったのは、私は初めてだったかもしれません。それほど上野の森美術館で開催されている「フェルメール展」には国際的に見ても貴重な作品が多数来日していると言っても過言ではありません。鑑賞したのは先月でしたが、改めて詳しい感想を述べます。17世紀ネーデルランド(オランダ)の画家ヨハネス・フェルメールは全世界で確認されている絵画作品が37点、そのうち10点(実際は9点)が日本で見られるのは今後とも不可能なことかもしれません。展覧会出口付近に設置された部屋がフェルメールだけが展示されているスペシャルルームでした。フェルメールは有名な絵画ばかりなので作品は図版によって知っていましたが、私は実物を見るのは初めてで、まずそのサイズの小ささに驚きました。初期の大きめな宗教画が1点、残りは風俗画で女性が登場するものばかりでした。その女性の仕草にドラマを感じさせる情景があり、1点ずつ立ち止まって空想してしまうこと頻り、当時の人々の営みが感じられて、鑑賞者たちは時代を洞察しながらの会話を楽しんでいました。図録から引用いたします。「フェルメールは、歴史画のみならず同時代の生活においても道徳的な関心事が重要であることを理解していて、注意深く構想された風俗画においても、私たちが日常生活の中で分かちあう価値観や関心事を反映した人物像の時を超越したイメージをつくりだすことによって、それを伝えようとしたのである。」(アーサー・K・ウィーロックJr.著)たとえば若い女性を誘惑しようとする男性のいる室内に、節制を意味するステンドグラスの絵柄がある作品がそれに当たります。こうした作品はどんな環境で描かれたのか、これも図録より拾ってみます。「わずか43年の生涯を通じてフェルメールは、アムステルダムの南西48kmに位置し、およそ2万人が住む中規模の都市デルフトで制作活動を行った。~略~デルフトの町とその周辺環境は、フェルメールと妻カタリーナ・ボルネスや彼らの多くの子どもたちが必要とするものすべて、たとえば家や仕事、顧客や収入などを与えてくれた。一家が暮らしていたのはカタリーナの裕福な母親の近所であった。彼女は、娘とその義理の息子、たくさんの孫たちに対して、十分な額の資金援助をたびたび行っていた。~略~彼には当時、デルフト近郊に住む人々から成るごく小さな顧客のグループが付いていた。画家は、限られた愛好者の集団のために特別に作品を制作していたと思われる。」(ピーテル・ルーロフス著)フェルメールの個別作品に関しては別稿を起こします。
    HPに2017’10月~12月分RECORDをアップ
    10月28日(日)に2017年の10月から2018年の9月までの1年間分のRECORDの撮影をカメラマンにしていただきました。一日1点ずつポストカード大の平面作品を作っているRECORDは、文字通りRECORD(記録)であって、仕事から帰った後、毎晩食卓で作っています。時間的な厳しさは勿論、精神的な苦しさもあり、RECORDは自分にとって自己との闘いであると思っています。2007年の2月からRECORDは始まっていて、既に10年以上やっていることになります。その時のNOTE(ブログ)からこんな一文を引用いたします。「陶彫や木彫で日々どちらかといえばモニュメンタルな作品を作っているのですが、これはそうした立体作品の対極にあるポケットサイズの作品で日記のようにやっていくつもりです。事象の捉え、思弁的なもの、技法の実験など普段やりたかったことを全てやってみようと思います。テーマの一貫性はありません。発表するかどうかも微妙です。」と当時は考えていたようですが、その後テーマの一貫性を決めました。さらに発表する機会も得ました。その発表する機会がこのホームページで、撮影によるデジタル画像に変えてアップしているのです。今回アップしたRECORDは、2017年最後の3か月分で、記憶の彼方にいってしまっている作品だなぁと思いました。私のホームページに入るのは左上にある本サイトをクリックしてください。ホームページの扉にRECORDの表示が出てきますので、そこをクリックすれば今回アップした画像を見ることが出来ます。ご高覧くだされば幸いです。
    映画「チューリップ・フィーバー」雑感
    昨晩、常連にしている横浜のミニシアターに「チューリップ・フィーバー」を観に行ってきました。先日、東京上野にある上野の森美術館で開催されている「フェルメール展」に行ったばかりで、私は17世紀オランダの風俗に気持ちが浸りきっていて、フェルメールの絵画から抜け出したような映像が売りの「チューリップ・フィーバー」を観てみたくなったのでした。物語は孤児のため修道院で育った若い女性ソフィアと、初老で裕福なコルネリアスが結婚するところから始まり、その後なかなか跡継ぎが出来ずにいた夫婦生活に、肖像画を頼まれた若い画家ヤンが登場してきます。ヤンとソフィアが不倫に走るのと並行して、当家に仕えるメイドのマリアは魚売りと密通し、妊娠が発覚するのでした。ソフィアはマリアの妊娠を利用してある計画を思い立つのですが…。そんな主軸の物語に加えて人々が一攫千金に狂気するチューリップ・バブルがもうひとつの物語を牽引します。貴重な縞模様のチューリップの品種は高値で取引され、取引場所となった酒場の奥は、投機家たちの興奮の坩堝と化していたのでした。マリアのために財産を作りたい魚売り、ソフィアを強奪したい画家のヤンを初め、チューリップの球根に翻弄される男たちの野望が渦巻く場面がありました。17世紀ネーデルランド(オランダ)はスペインから独立し、経済的な繁栄を極め、黄金時代に突入します。その中で投資の対象となったチューリップと絵画が大流行した背景が本作にはありました。レンブラントやフェルメールが活躍した時代は、こんな感じだったのかなぁと思わせる演出があり、映像はまさにフェルメール絵画を意識していて、室内に差し込む光や、窓辺で手紙を読む若い女性がフェルメールの描いた世界そのものに感じました。「フェルメール展」を既に見ていた私は、あの絵画のシーンが動画になっていることに夢中になりました。きっと絵画ファンも映画に惹きつけたくて、監督は「チューリップ・フィーバー」を制作したのだろうと思います。