2018.12.02 Sunday
昨日が休日出勤だったため、仕事から帰ってきた夜に、工房に出かけて陶彫成形のためのタタラを準備していました。今日は朝から工房に籠って、23個目になる陶彫制作をやっていました。朝から夢中になって制作をしていたのは、夕方、家内と映画に行こうと決めていたので、制作工程にあるノルマを何とか果たそうと頑張っていたのでした。創作活動は心ひとつで変わるもので、23個目の陶彫部品は成形と彫り込み加飾を何とか終えることが出来て、さらに乾燥した陶彫部品2個に仕上げと化粧掛けも施し、窯入れもしてしまいました。昼頃には近隣のスポーツ施設に僅か1時間足らずでしたが、水泳や水中歩行にも出かけてきました。濃密な時間を過ごしたなぁと振り返っています。陶彫制作に関しては上手く制作サイクルが回っていて好調な感じを持っています。この調子でいけば昨日立てた制作目標を達成できるかもしれないと思っています。陶土が足りなくなっていて、それは来週にでも栃木県益子町に連絡するつもりです。夕方になって家内と映画「チューリップ・フィーバー」を観に行きました。常連になっている横浜のミニシアターでしたが、夕食を兼ねて車で出かけました。先日「フェルメール展」を見に行って、その感動をそのままに17世紀オランダを舞台にした米英制作による「チューリップ・フィーバー」を観てきたのでしたが、フェルメール絵画から抜け出したような人物たちが、チューリップ投資や絵画収集に富を費やす社会が描かれていて、物語だけではなく映像美にも感心してしまいました。まさにフェルメールが描いた室内そのもののような設定、たとえばに織物の色彩や小道具や衣装に見入っていました。フェルメールが描いたような若い女性が主人公となり、若い画家との不倫が物語の主軸になっていました。詳しい感想は後日改めます。今日は午前中の陶彫制作と午後の映画鑑賞があって充実した一日を過ごしました。
2018.12.01 Saturday
週末ですが、私の職場では今日は休日出勤でした。この代休を12月25日にとる予定で、冬季休業を連続して取得できる環境を作っています。今週は土曜日まで出勤する長い1週間でしたが、年末の休庁期間を含めた冬季休業に創作活動を充てるために、今日頑張って仕事をしていました。今月はどんな1ヵ月にしていこうか、いつものように制作目標を立てていきます。12月の週末は今日を含めて5回ありますが、22日(土)から来年1月6日(日)までの冬季休業中に休庁期間と年休を使えば、16日間の連続した休日が確保できます。こればかりはウィークディの仕事の具合でどうなるかわかりませんが、精一杯陶彫制作に充てられる可能性があります。新作は50個くらいの陶彫部品で成り立つ集合彫刻です。そのうち現在は22個の陶彫部品が焼成済みか、焼成待ちの作品なのです。とりあえず目指すのは33個の仕上げです。残り11個、これを休庁期間を含む冬季休業でやっていきたいと考えています。そうすれば2つの塔が出来上がります。2つの塔の床に迫り出てくる陶彫による根は次の段階で作ろうと思っています。今月中に陶土が足りなくなることもあり、休みに入る前に栃木県益子町の明智鉱業に連絡して取り寄せようと思っています。鑑賞は先月ほど多く出かけられる機会があるかどうかわかりませんが、美術館や映画館には足を運ぼうと思います。RECORDは先月から下書き先行になってしまったので、早く遅れを取り戻したいと思っています。読書は現象学から解放されたい気持ちが出てきていますが、肝心のフッサールの翻訳本は未だ手つかずになっていて、難解な書籍に多少辟易しています。今月も頑張ろうと思います。
2018.11.30 Friday
今日で11月が終わります。昨年のアーカイブを見ると工房で重宝している土錬機は、昨年の11月に滋賀県信楽町から届いたことが書かれていて、新機種になってちょうど1年になるのかぁと思いました。窯のメンテナンスや陶土の追加注文もしていて、昨年の11月は一区切りあったことが思い出されます。今年の11月も陶彫制作、鑑賞ともに充実した1ヵ月でした。新作の陶彫制作は6個作り終えました。当初週末を数えて4個を目標にしていましたが、ウィークディに夜の制作をやっていたので、目標を超える成果になったのでした。その分RECORDが厳しい状況に陥っていて、来月は何とかしたいと考えています。今月の鑑賞は過去最大と言っていいほどの充実ぶりでした。「横山崋山」展(東京ステーションギャラリー)、「EXOTIC×MODERN」展(東京都庭園美術館)、「快慶・定慶のみほとけ」展、「マルセル・デュシャンと日本美術」展(両展とも東京国立博物館平成館)、「ルーベンス展」(国立西洋美術館)、「ジョルジュ・ルオー展」(パナソニック汐留ミュージアム)、「フェルメール展」(上野の森美術館)、「ムンク展」(東京都美術館)の美術展だけで8つ、映画では「オーケストラ・クラス」、「世界で一番ゴッホを描いた男」(両上映ともシネマジャック&ベティ)の2本を見てきました。とりわけ「フェルメール展」は事前予約が必要で、前売り券を持った鑑賞者しか入れない状況でしたが、それでも時間設定があった入場前には長蛇の列ができるほど混雑を極めていました。今月鑑賞した作品の詳しい感想が、今月中のNOTE(ブログ)に書ききれないこともあり、11月の充実を示すものだなぁと思っています。読書は現象学者による2冊の書籍を交互に読んでいますが、随分長いこと鞄に携帯していて、次の書籍に手が出せないのです。ウィークディやっているもうひとつの仕事は来年度を見据えた逼迫した取り組みがあり、シンドい思いをしています。毎年のことですが、職場での立場を自分は改めて実感する時期でもあります。さすがに体調が芳しくない時もあり、漢方薬を服用しながら日々過ごしてきました。来月はどうなるのか、健康に気遣いながらやっていきたいと思います。
2018.11.29 Thursday
「経験の構造 フッサール現象学の新しい全体像」(貫茂人著 勁草書房)の第六章「『時間形式ー時間内容』図式の解明」を読み終えたので、同章についてまとめをしたいと思いますが、毎回述べているように私は難解な論文を解釈するだけで精一杯な有様で、到底まとめには至りません。そうした中で「時間形式ー時間内容」の図式を解明している一文に目が留まりました。「喚起と触発という連合関係がまず発動して、現在の項が際立ち、そして最後に、過去の項が現れる。」これは何を意味しているのかというと、過去、現在、未来に流れていく時間の中の事象を現象学的に捉えようとする部分です。その後に続く例題が分かり易いと思いました。狂言「鬼瓦」のストーリーで「京に上っていた田舎侍が、帰郷直前に寺見物をする。何気なしに建物を見ていた彼の目が、ふとなにかに釘付けになる。それは屋根の鬼瓦だった。はじめ彼は、なぜ自分の目がそこに釘付けになるかわからない。やがてかれは、それが『何かに』似ていることに気づく。しばしの煩悶の後ようやくかれは、それが田舎に残してきた女房にそっくりであることに気づくのだ。ここでもまず喚起的連合というわたしを巻き込む力が発動し、その後で現在の項、それが未知のなにものかともつ類似関係、そして過去の項が分節される。」とありました。私たちが普段日常生活の中で感受している事象を、現象学では分析と定義づけを行っていて、平易な例題を出されると、あぁ、そういうことかと思うことが暫しあります。同章では他に古典的諸心理学と現象学が対峙している論考がありますが、ここは流していきたいと思います。現象学が扱うもの自体は、それほど難解ではないと改めて思いますが、語彙のあやを読み解くのに労力を費やしてしまって、論考に取っつき難いのは確かです。学問としての現象学は、哲学の領域であるため、語彙の選び方にも根本性が問われるので仕方ないのかなぁと思うこの頃です。
2018.11.28 Wednesday
東京新橋で下車し、地下道を歩いていくと汐留の現代的な高層ビル群が見えてきます。パナソニック汐留ミュージアムはそんなビルの4階にあります。先日、同館で開催されている「ジョルジュ・ルオー展」に行ってきました。フランスの画家ルオーは、私にとって理解し難い画風をもつ巨匠でしたが、今回の展覧会でルオー芸術の神髄に触れたような気がして興味関心が高まりました。キリスト教の教会を彩る宗教画は、祈りの対象となることが基本であって、美術作品としての鑑賞は芸術概念が出来上がった時代の新しい視点だろうと思っています。それでもミケランジェロを初め、優れた宗教芸術が昔から存在し、キリスト教信者でない私たちが美術的な感銘を受ける場面も少なからずあります。日本の仏像然り、美的観点から眺めても心を打つ作品は、宗教を超えて確かに私たちに迫ってくると感じています。ルオーの「聖顔」シリーズを見ると、幾度も絵の具を塗り重ね、堅牢なマチエールを作っていて、敬虔な信仰心が生んだ作品であることが私にも伝わりました。図録によると、20世紀のカトリック復興運動と連携した「聖なる芸術」についてこんな一文がありました。「『聖なる芸術など存在しない。しかし信じる人々によって作られる聖なる芸術は存在する』とあくまでも信仰の重要性を訴えたルオーが、批判的であった当の『聖なる芸術』運動そのものによって結果的に戦後ヨーロッパを代表するカトリック画家となりえたのはなんとも皮肉である。」(後藤新治著)戦後、退廃芸術家の烙印を押されたユダヤ人を初めとした現代芸術家の名誉回復のために興った「聖なる芸術」運動。これによる礼拝価値と展示価値が同居する「礼拝堂=美術館」構想は、一部を除いて今もって定着していないようです。もう一文、図録より引用いたします。「ルオーは、栄誉のためではなく、自身の芸術を信じ、神の真実を追求し、労働者や職人のごとくただひたすら描くという行為に徹した。そして、キリスト教主題でありながらも、過去や伝統や古典に依拠するのではなく、同時代の社会や人々(現代人)に訴えかける芸術を貫いた。」(萩原敦子著)私がルオー芸術を理解した要因は、「労働者や職人のごとくただひたすら描くという行為」によって深遠な世界観が覗き見えたことによります。信仰を表現にすることに妥協がなかった芸術家がルオーと改めて思っています。