2018.11.22 Thursday
横浜で開催している展覧会は、職場外で行う会議等に出るときに、その通勤途中で立ち寄ることが可能です。今回訪れた神奈川近代文学館はそんな場所にあるので、現在開催中の「寺山修司展」を見ることができました。詩人であり演劇実験室天井桟敷を組織していた故寺山修司に、私は特別な思い入れがあります。昔、青森県の恐山に行った折に三沢市にある寺山修司記念館を訪れました。学生時代から彼のコトバや行動に惹かれ、当時流行したアングラ演劇にも足繁く通った思い出があります。渋谷にあった天井桟敷館にも行って、劇団に私も協力したいとお願いしたこともありました。当時、寺山版の市街劇や密室劇を、自分の創作と重ねて考えていて、独自な空間を求めていた私には刺激的だったのでした。そんな寺山修司とはどんな人物だったのか、改めて資料を眺めて、早熟で革新的な才能をもった寺山修司という人物の輪郭を辿ろうとしましたが、私には到底出来ませんでした。図録にこんな一文がありました。「言語は養育者とりわけ母との役割交換によってしか育まれえないからである。『子の身になった母』の身になることが、自分自身になるということなのだ。言語発生のこの演劇的な始原に潜む『優しさ』『懐かしさ』を感じさせない文学など文学ではない。」(三浦雅士著)寺山ワールドの独自性は母との関係にあり、また青森県という風土にもあったと思いますが、何よりも作家がコトバに鋭利な感覚を宿していたことで、その後国際的な活躍を見せる演劇的な活動も、全て文学に収斂されるのではないかと私は考えます。寺山修司の遺したコトバから察すると、彼は究極の際どいところに自分を追いたててコトバを紡いでいたように私には感じられます。文字になった家出や賭博にも寺山流の感性があって、その価値判断に作家自身の個性、いや癖のようなものを私は感じ取ってしまうこともあるのです。享年47歳、今生きていたら、どんな表現活動を見せていたのか、亡くなった時に残念な思いに駆られたのは私だけではないはずです。
2018.11.21 Wednesday
東京上野にある東京国立博物館平成館で開催されている「快慶・定慶のみほとけ」展の隣で、「マルセル・デュシャンと日本美術」展が同時開催されていたので見に行ってきました。隣の仏像展とセットにして見に来ていた人もいたと思われ、鑑賞者は老若男女入り乱れていましたが、そのうち何人がマルセル・デュシャンに興味を感じたのかは定かではありません。デュシャンは作品そのものと言うより、その概念を理解しなければならない芸術家で、既製品(レデイメイド)を芸術作品として美術館に持ち込んだ人なのです。本展は、デュシャンの初期の頃の印象派風の油絵やキュビズムとしての「階段を降りる裸体」を初め、大ガラスの作品「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」、さらに有名なレデイメイド「泉」(レプリカ)や自ら分身となった「ローズ・セラヴィ」、最後の「遺作」に至るまで、フィラデルフィア美術館の所蔵作品が数多く来日していて、デュシャン・ワールドの痕跡を語る上で重要な作品が展示してありました。私は書籍等で知っていても、初めて見るオブジェが多く、デュシャンの資料がこんなにも保管されていることに驚きました。図録を読んでいると興味をそそる部分があったので引用させていただきます。「モダンアートの寓話になっているこのエピソードは、デュシャンがレジェと彫刻家コンスタンティン・ブランクーシとともにパリのグラン・パレで開催された恒例の航空展を訪れた時にまつわるものである。~略~デュシャン、レジェ、ブランクーシの3人を驚愕させたのは、金属色の機体や鮮やかな色で塗られた飛行機、台の上に据えられたエンジン、さらには巨大なプロペラの壮観であった。ブランクーシはプロペラの前で立ち止まり、『これが真の彫刻だ!』と驚きのあまり言い放った。~略~デュシャンは友人二人に同意して、工業製品は技術分野と美的な性質の両方の基準を有しており、これを芸術家は無視することができないとしたのである。」(マシュー・アフロン著)また本展は、「デュシャンの向こうに日本が見える」と称し、デュシャンが模索したレデイメイドや複製が、既に日本では美的価値を有して存在していたことに着目し、たとえば千利休の「竹ー重切花入」や水墨画の伝承模倣などが展示されていました。「竹ー重切花入」は陶工が造形した器ではなく、傍らにあった竹を切って花入れにしたもので、まさにレデイメイドそのものだと言えます。デュシャンのこうした概念に関しては、もう一度別稿を起こしたいと思います。
2018.11.20 Tuesday
東京上野にある東京国立博物館平成館で開催されている「快慶・定慶のみほとけ」展は、京都の大報恩寺(千本釈迦堂)に所蔵されている慶派の仏像群によって構成された圧巻な展示内容になっていました。鎌倉時代の慶派の写実的な仏像は、美術作品として鑑賞しても大変面白く、彫刻的な形態の捉えに刺激を受けます。毎年、京都に出張している私も大報恩寺には行ったことがなく、年に数回公開する秘仏のため、今まで見る機会がなかったのでした。図録によると「大報恩寺が建てられた1220年代は、新しい時代の表現を切り開いた巨匠、運慶と快慶が相次いで表舞台を去り、次代の湛慶、行快、そして定慶が活躍し始めた時代だった。運慶一門に属していたとみられる定慶は、運慶のずば抜けた立体表現や空間把握能力をよく学び、自分のものとした。~略~快慶の弟子行快は、師匠が生み出した、整えられた仏像の美をよく理解し、それを踏襲しようとした。」とありました。釈迦の十人の偉大な弟子を彫った十大弟子立像は、それぞれの相貌が個性的で写実の極みに達していると感じました。十軀のうち運慶系統と快慶一門の違いがあって私は興味を持ちました。図録より引用します。「(運慶系統の)四軀の頭部には大胆にくぼみやゆがみなどがあり、左右対称でない人体のなまなましさが表現されている。これに対し、快慶一門の六軀の頭部はどちらかといえば球形に単純化されていて、前者とは表現の方向性が異なっている。」展示はさらに六観音菩薩像があって、その美しさに圧倒されました。私が見た時は光背が外されていて、菩薩像の背中まで鑑賞できました。六軀とも背中までしっかり作り込みがしてあって、その立ち姿に惚れ惚れしました。素材について図録にあった一文を引用します。「六観音菩薩像はいずれも針葉樹のカヤが用いられており、表面は彩色や漆箔をせず、木肌を露出したままとする。~略~日本では白檀の代用品とみなされたカヤを用いて多くの木彫像(代用材での檀像)が造られるようになり、平安時代以降の一木彫像の流行につながった。」最後に大報恩寺の尊像構成を書いた図録の一文をもってまとめにしたいと思います。「大報恩寺の尊像構成は、『法華経』序品を典拠にすると考えるのが、もっとも穏当だろう。『法華経』如来寿量品には、釈迦は常に霊鷲山におり、永遠に生きて説法し続けると説かれている。末法の世の中で、義空(大報恩寺創建者)は、釈迦が永遠に存在するという釈迦常住の地、霊鷲山をこの地に生み出そうと考えたのだった。」(引用は全て皿井舞著)本展に並んだ仏像群は、祈りの対象としてではなく、彫刻作品として鑑賞し、その形態や素材に大変な魅力を感じました。私はやはり慶派が大好きで、その姿形に時を忘れるほど佇んでしまうのです。
2018.11.19 Monday
先日、横浜にあるミニシアターで上映されていた「世界で一番ゴッホを描いた男」を観てきました。これは中国深圳市大芬(ダーフェン)にある世界最大の油画村を舞台としたドキュメンタリー映画でした。油画村では街全体が複製画制作工房になっていて、約1万人の画工がいると言われています。私はまずこの環境に驚きました。図録によると「複製画のみを手がける絵描きは『画工』と呼ばれ、『画家』と呼ばれるには公募展に3回入選しなければならない。『画家』になると専用の住居に格安で入れるなど優遇政策がとられている。1万を超える絵描きが暮らす大芬で、『画家』の称号を手に入れたものは300人もいないという。」とありました。映画の焦点はゴッホの複製画を20年も描き続けた画工に当てていて、その暮らしぶりも紹介していました。評論家の一文によると「一枚一枚が〈オリジナルな〉複製の大量生産という奇妙で独自の形式が人的資源膨大な中国の底知れなさだ。かれらの複製画産業が、従来の〈贋作〉の概念自体を変えてしまった。本来は闇の中でひそやかにおこなわれていたものが、キッチュな過剰な光のもとに産業化され、オープンなものとなってしまったのである。」(滝本誠著)ベテランの画工は、まだ一度も見たことのないオリジナルのゴッホ絵画を見たいと切望し、オランダのアムステルダムにあるゴッホ美術館に出かけることになります。そこで見た本物に衝撃を受け、さらに自分の複製画が高級な画廊ではなく、観光客相手の安っぽい土産物屋で売られていた事実を知り、愕然とする場面がありました。彼はゴッホの魂に憑かれたようにゴッホが滞在した病院やカフェや墓を訪れ、ゴッホのように自分だけの絵を描こうと決心したのでした。中国に帰国した画工は、故郷の風景や祖母を描き始めました。でも画風は相変わらずゴッホ流で、オリジナリティはそう簡単に身につくものではないことは私も実感しています。それでも遅まきながら始めた自己表現に私は不思議な安堵を感じました。映画では画工の娘が親の都市戸籍問題で、父の田舎に残され、そこの方言が分からず学校で苦労している様子が描かれていて、現代中国社会が抱える課題が垣間見える場面もありました。画工であれ何であれ、制作を通じて無垢な魂を持った人々に心を打たれた映画であったことは確かでした。
2018.11.18 Sunday
今日は工房での制作を止めて、家内と東京の博物館・美術館巡りをしてきました。朝8時に自宅を出て、東京上野に向いました。東京国立博物館平成館で左右の部屋を使って、コンセプトの違う2つの展覧会が開催されていました。ひとつは「快慶・定慶のみほとけ」と題された展覧会で、京都の大報恩寺(千本釈迦堂)に安置された鎌倉時代の慶派による仏像が並んでいました。慶派は写実的な作風があり、博物館の照明が当てられた仏像には、祈りの対象ではなく、美術作品としての鑑賞が意識されていて、迫力満点の展示空間でした。次は隣の部屋でやっていた「マルセル・デュシャンと日本美術」展に行きました。隣同士で全く異なる展覧会に戸惑いましたが、デュシャンの芸術に対する考え方が、実は日本に古くから存在する茶の湯等の考え方に近いことを示す展示内容でした。その意外な発想や企画に私は感心してしまいました。これは学芸員の力でしょうか。その次に向かったのが国立西洋美術館で開催されていた「ルーベンス展」で、「バロックの誕生」という副題が示す通り、ヨーロッパの巨大な宗教絵画が並んでいました。ルーべンスは自ら工房を組織して、幾多の依頼に応えていた巨匠で、ヨーロッパの美術館には部屋ごとルーベンス絵画一色のところもあります。見ていて懐かしい感じを持ったのは自分が滞欧していた頃を思い出したのかなぁと思いました。最後に向かったのは上野から新橋までJRで移動したところにある汐留ミュージアムでした。ここはパナソニックが経営する美術館として高層ビルの中にあります。フランスの画家ルオーの所蔵品で知られる美術館ですが、今回はバチカン等から集めたルオーが数多く展示された「ジョルジュ・ルオー展」が開催されていたので見てきました。私にとってルオーは理解し難い巨匠でしたが、今回の展示を見て漸くルオーの良さが理解できました。今日巡った4つの展覧会に関する細かい感想は、後日順次記していきたいと思います。それにしても家内がよく一緒についてきてくれたものだと思いました。休憩したカフェで家内は私のパワーに感心していましたが…。昼食は家内の助言で国立西洋美術館レストランでとりました。ここが美術館レストランの中で一番美味しいと言っていました。