Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 「要素の統一性」について
    「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)の中で、「要素の統一性」について取り上げます。冒頭の文章から引用すると「要素の統一性とは絵の統一性にほかならない。それはコンポジションの統一性であり、より正確にいえばそのコンポジション自体である。」というのが、この論文の主旨であって、そこから派生するさまざまな平面上に於ける空間について論じています。それにはまず実在の空間か、想像上の空間かを問いかけています。三次元の錯覚を作り出す古典主義絵画は、こんな一文で表しています。「絵の上では遠近法が錯覚をひき起こすということは、遠近法の構築する空間が想像上の空間であることを意味している。」所謂写実絵画は平面上に静物なり、人物なり、風景なりの描写を通して、平面上に奥行きという錯覚を与えているに過ぎないことが述べられています。では実在の空間とは何でしょうか。「コンポジションの、すなわち絵画の可能性は、今や空間自体の中に、ありのままの外面性の中にあるだろう。」というのがカンディンスキーの分析にあり、絵画的空間を根本的なところから捉え直しているのが、カンディンスキーが提唱するものだろうと私は思いました。こんな一文もありました。「平面はそれ自体ひとつの要素であるということだ。このようなものとして、平面は二つのやり方で現れて来る。つまり、外面性において外面性そのものとして、そして情念的諸様態すなわち生の諸様態にもとづいた内面性において。平面の統一性とは内部の統一性である。その統一性が生の中にあり、生と混ざりあっているからこそ、それは情念であるのだし、潜伏している動的な構造化が、基礎平面を貫いて秘められた拍動を与えるのである。」今日はここまでにしておきます。
    週末 工房ロフト拡張計画
    今日は朝から工房に篭って制作三昧でした。工房は亡父が残してくれた植木畑の中にあります。早朝、畑を歩くと所々に霜がありました。いよいよ寒くなってきたなぁと感じていて、ストーブを焚き始めました。ただし、家電用のストーブなので工房全体が暖かくなることはなく、手を暖めることしか出来ません。陶彫制作は水を使うので、暖が取れるだけでも助かっています。今季初めてのストーブなので灯油の補充をしなければならないと思いました。今日は昨日準備したタタラと紐作りを併用して陶彫成形を行いました。時折ストーブの傍に行って休憩するので、冬の作業は時間がかかるのを思い出しました。午前中に鉄工所の業者が工房にやってきました。実はロフトの拡張を考えていて、天井からのリフトも取り付けようと計画しているのです。作品の置き場所が工房の半分以上を占めている現状を何とかしたいと思っていて、ロフトの拡張工事は私が現職でいるうちに実行したいと思っています。ロフトはいつごろ作ったのか、NOTE(ブログ)によると2015年11月8日付けで「工房の倉庫部分のロフトが完成」という文章がアップされています。ということは2年前に完成したことになります。そんな昔ではないのに、もうロフトは足の踏み場もないほど作品や道具が溢れているのです。ロフトには鉄骨の階段がありますが、陶彫部品を梱包した木箱は階段を人力では上げられず、1階の倉庫部分に置いてあります。今回は工房の半分をロフトにしてしまう計画です。そうなるとロフトには照明も必要になります。現在のロフトでは、昼間でもかなり暗くて整理整頓がやり難いのです。夕方になれば真っ暗でロフトでの作業は出来ません。近いうちに鉄施工業者、リフト取り付け業者、電気施工業者が来て、全体で見積もりを行う予定です。工房が町工場のようになっていくようで、ちょっとしたワクワク感があります。公務員管理職と彫刻家の二束の草鞋生活でいるうちに、作品収納倉庫を万全にしておきたいと思っています。これには多大な費用負担がかかると考えていて、給与を貰えるうちにやっておきたいのです。植木畑の木々も先日業者に思い切りカットしてもらいました。これも同じ理由によるものです。
    週末 制作&シュトレン購入
    週末になると、陶彫制作のみに終わらず、何かの用事を一緒に済ませています。今日は映画館や美術館ではなく、知り合いのパティシエの店に足を運びました。用事があっても制作工程は変わらずにやっているので、朝から工房に行って成形のためのタタラ作りや乾燥した陶彫部品に仕上げや化粧掛けを施しました。工房内の寒さが増し、例年のようにストーブがあった方がいいかなぁと思いました。土曜日はウィークディの疲労が残っていて、思うように作業が捗らないので、休憩を多く取るようにしています。午後2時過ぎに何とか今日の制作ノルマが達成できて、自宅に戻りました。夕方になって家内と川崎市多摩区中野島にある洋菓子店「マリアツェル」まで車で出かけました。「マリアツェル」の店主は、自分の若い頃にオーストリアの首都ウィーンで知り合ったパティシエです。彼はホテルで働いていたため金銭に不自由がなく、逆に私は貧乏学生だったため、彼に遊びに誘われたことが結構ありました。彼が帰国して、ドイツ・オーストリア菓子を作る店を川崎の実家にオープンしたところ、よく売れたようです。「マリアツェル」は原料をヨーロッパから仕入れていることもあって、日本の洋菓子とは一味違うものになっていて、当時から本物志向が高まっていたことから、時代に合っていたのではないかと思っています。この時期に私は「マリアツェル」にシュトレンを買いに出かけます。シュトレンとは、クリスマスにドイツ・オーストリアでよく食べられている、ドライフルーツや胡桃、マジパン等が入った重量のあるパンのことを言います。ドイツのドレスデンが発祥だそうで、毎年コンクールが行われていると聞きました。「マリアツェル」の店主もつい先日までドレスデンに数日間行っていたそうで、帰国したら作り置きしていたシュトレンの在庫が少なくなってしまって、大急ぎで追加したという話を聞きました。シュトレンは幼子イエス・キリストのお包みの形に似せているところからキリスト教との関連もあるそうです。私は今の職場や彫刻の師匠や先輩を初めとする知り合いに贈るため、たくさん購入してきました。私自身も懐かしさも手伝ってシュトレンを愛する一人です。
    12月RECORDは「跨」
    一日1点ずつポストカード大の平面作品を作ることを自分に課しているRECORD。文字通りRECORD(記録)ですが、毎晩制作しているにも関わらず、ペースが追いついていかない困難さを抱えています。下書きだけが先行していて、今月はそれを挽回しようと奮闘中です。12月のRECORDは、今日までの下書きが出来上がっていますが、彩色や仕上げは2週間遅れでやっています。今月のテーマを「跨」にしました。線路にかかる跨線橋に使われるコトバで、またぐという意味があります。今年やっているパターンになった枠を超え、それを跨いでいく形態を作っています。パターンは画面に象徴化したバツ印を設定しました。そこを飛び越えていくカタチは、颯爽としているイメージもあれば、植物の蔓のように畝っていくイメージもあります。枠を超えるところに「跨」をテーマとした構成要素を盛り込もうと考えているのです。今年最後を飾るRECORDとして遅延課題は残さずにやっていこうと決めています。同時に来年のRECORRDをどうするか、イメージをそろそろ固めたいと思います。10年以上の間にいろいろなことをやってきたRECORDですが、まだまだ表現の幅は広げられるのではないかと思っています。成長はスパイラルを描くと誰かが言っていたコトバを思い出しますが、そうであるならアーカイブを見て、同じテーマに挑んだとしてもキャリアの差が出てくるのかなぁと思っています。やり残しているイメージがあって、それを発展させていく方法もあります。来年以降も頑張っていきたいと思っています。  
    ムンクの「叫び」について
    あまりにも世界的に有名になったムンクの「叫び」。全部で4点あるようですが、そのうちの1点が東京都美術館に来ていました。先月、「ムンク展」を見てきましたが、「叫び」の人気で混雑を極めていました。ほとんど日本では「叫び」がキャラクター化していることに違和感を感じながら、改めてこの絵画の背景を探っていきたいと思います。「叫び」に最初に接した時の独特な雰囲気を私は忘れていません。周囲の風景と人物が一体化した構成は、まさに叫びそのもので、私は耳を押えている人物が自ら叫んでいるのではなく、周囲に広がる自然から叫ばれているのを拒絶しているように思えてなりません。彼は孤独に耐えて夢遊病患者のように揺らいで歩いている中で、叫びを聞いているのではないかと勝手に解釈をしています。ムンクは同じ主題の作品を複数制作していますが、それについては図録より引用いたします。この文章は「病める子」に関してですが、「叫び」にも同じようなことが言えるのではないかと思いました。「当時センセーショナルな反応を巻き起こしたこの問題作が注目を集め、発注者が現われるたびに描き、手放すという『現実的な動機』が確かにあったのである。しかし見逃してならないのは、ムンクが作品の『源泉』を自分の生い立ちに求め、何度も同じ作品の制作に取り組んだ点、自身の芸術の独自性を同一主題のヴァリエーションによって伝えようと思考を巡らせた点にこそある。彼にとって再制作とは単なるコピーを意味するものではなく、ある必然性をもった繰り返しなのであった。」(水田有子著)複数ある「叫び」にしてもタブローであったり、版画であったりして、そのバリエーションによって印象が異なります。主題となる魂の源泉を求めて何度も描いた複数の作品は、どれもオリジナル性があって、心に訴えてきます。心情によって風景や人物が蜃気楼のように曲がっている表現も、印象強く記憶に留められ、ムンク自身もイメージの連なりの中で、新たな作品を生み出す手法を考案しているように思えます。そうした一連の作品の中に「叫び」が位置付けられるのが心象動機的にもいいのではないかと本展を見て感じました。