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  • 三連休 制作サイクル前倒し
    三連休の中日です。今日は朝から夕方まで制作三昧でした。気候も凌ぎ易くなり制作に拍車がかかりました。2日間の週末で1個の陶彫部品を作るというのが現在の制作サイクルになっていて、今月は4回週末がやってくるので、4個の陶彫部品が出来上がる予定でいました。土練りとタタラを初日で行い、翌日に成形と彫り込み加飾を行うもので、無理のないところで目標を立てましたが、三連休が2回あったおかげで、その制作サイクルを前倒しして早めることが可能になりました。三連休の一日は鑑賞に充てていましたが、鑑賞で東京に出かけた日にも早朝や夕方に制作を入れたため、制作サイクルが早まったのでした。今日は土練りとタタラを行う予定が、9個目の陶彫部品の成形を行うことが出来ました。夕方になって追加の土練りとタタラを準備したので、明日は連続して成形を行うことが出来ます。成形した後に施す彫り込み加飾をどうするか、明日中に出来るのか否か、後日に回すとすれば焼成の終わった後のウィークディの夜の工房に通わなければなりません。全て明日次第です。制作工程からすれば、まだ完成を焦る時期ではありません。気候が良くなり気分が充実してきていると感じていて、この時にやれることはやってしまおうと思っているのです。新作は2つの塔が床で連結していくイメージで制作していて、現在は2つの塔の床に接する土台の部分を作っているのです。塔の土台は全部で11個の陶彫部品で形成していきます。ひとつ目の塔が6個、ふたつ目の塔が5個です。この制作サイクルを前倒していけば、今月中に土台の11個は出来上がることになります。ちょっと気合が入ってきました。明日も頑張ろうと思います。
    三連休 映画館&グループ展へ
    先週に引き続き2回目の三連休がやってきました。先週と同じように3日間のうち1日を鑑賞に充てましたが、完全に制作を休むわけにはいかず、早朝と夕方は工房に行きました。鑑賞に出かける時間を考慮し、朝6時半に工房に行き、乾燥した陶彫部品にヤスリで仕上げを行い、化粧掛けを施して窯に入れました。新作では2回目の焼成になりますが、実際の窯のスイッチを入れるのは三連休の最終日になります。家内が演奏活動があったため、今日は私一人で映画館や画廊を回りました。朝8時には自宅を出て、横浜の中心街にあるミニシアターに行きました。観たい映画が8時50分から始まるので、これに合わせたのでした。観た映画は「スターリンの葬送狂騒曲」。実話に基づくブラックコメディというのは、こういう映画を言うのでしょうか。ともかくこれは究極な面白さ満載の映画でした。数々の粛清を行ってきた独裁者スターリンの突然死。厳粛な国葬の裏で最高権力者の座を巡り、首脳陣が滑稽なほど異常な椅子取りゲームを始めるのです。これはイギリス映画で俳優は全て英米人、全編英語によるものでしたが、当のロシアはこの映画をどう見ていたのか、私はとても気になりました。図録の解説によると、やはりロシアでは政府によって上映禁止になっていました。ひょっとして映画があまりにも現実味を帯びていたからかなぁと疑ってしまうほど、巧妙に出来たコメディだと思いました。詳しい感想は後日改めます。次に向ったのは東京銀座で開催している画家と彫刻家によるグループ展でした。職場に絵画制作をしている職員がいて、私と同じ二足の草鞋を履いているのです。いつも招待状をいただいているので見てきました。彼は白く厚塗りされた画面に所々青い痕跡を残した抽象作風の絵画を描いています。青い痕跡の上に僅かながら箔も貼ってあって、描画素材とのコントラストに趣を感じます。本人なりの発展深化があるのでしょうが、5年間にわたって作品を見せていただいた私にはそれを認識することが出来ず、申し訳ないと感じます。画面の前で難しいなぁと思うばかりです。会場は美術家連盟画廊で、会員である私には馴染みのある画廊でした。東京から帰ってきて、再び工房に篭りました。夕方4時から6時までの2時間、陶土を掌で叩いて6枚の大きなタタラを作りました。明日の成形のための準備です。今日は鑑賞だけでなく朝夕と制作を入れました。慌しい一日になりましたが、充実はしていました。
    藤田嗣治流「戦争画」について
    先日、東京上野の東京都美術館で開催している「藤田嗣治展」に行ってきました。昨日のNOTE(ブログ)で全体の感想を述べさせていただきましたが、藤田ワールドは乳白色の裸婦像に留まらず、さまざまな絵画表現に踏み込んでいるため、別稿を起こすことにしました。今日は戦争画を取り上げます。「《アッツ島玉砕》は当初、陸軍が出品に難色を示したと伝えられるほど、戦争画としては異色であった。~略~『日本にドラクロア、ベラスケス、の様な戦争畫の巨匠を生まなければ成らぬ』という藤田の言葉は理解できる。ただ、『戦争畫といふものは、始めたら面白くて止められないですね』と語る藤田と、この《アッツ島玉砕》を重ね合わせた時、藤田にとって戦争画とは何なのかと疑問に思わざるをえない。~略~絵の女神に魅入られ、踏み越えてはいけない一線を越えてしまった藤田の姿が、《アッツ島玉砕》には窺われるように思われてならない。」(尾﨑正明著)これは図録に掲載されている戦争画に関する文章です。第二次大戦中に盛んに描かれた戦争画とは何だったのか、まったく戦争画に縁がない私には語れない分野です。私は戦後生まれで戦争の実態を知らずに育っているから、創作活動のテーマを戦争にしようという発想もないのです。当時の戦争画に多少嫌悪感を持っているに過ぎず、当時の世相や社会問題さえ理解できませんが、戦意高揚のために描かれた絵画と「アッツ島玉砕」は確かに異質なことは分かります。藤田は言葉通り、西欧の美術館に収まっている油彩による巨大な歴史画や戦争画を意識して「アッツ島玉砕」を描いたのではないかと察するところです。これが面白いと言っているのは絵画的な面白さであって、題材に対してではないと考えますが、不謹慎とも取れる発言に当時は反感を買ったのではないでしょうか。「アッツ島玉砕」は西欧の巨大絵画に比べても遜色のない表現力を持ちますが、テーマがテーマだけに複雑な思いに駆られるのは、戦後生まれの私にも感じるところです。
    上野の「藤田嗣治展」
    日本とフランスで活躍した画家藤田嗣治。今までも幾度となく展覧会で藤田ワールドに接してきました。おかっぱ頭にロイド眼鏡、そんなファッションでエコール・ド・パリの寵児となり、乳白色の下地に繊細な線描で表現した裸婦像で、パリ画壇に存在感を示した唯一の日本人画家、これが藤田嗣治です。また、第二次大戦時に戦争画を描き、その責任を一身に背負って、再びパリに赴き、とうとう国籍まで変えて祖国に帰らなかった画家です。まさに波乱万丈の人生ですが、常に注目される存在だったことは確かです。そこに日本画壇の羨望もあったのではないかと察するところですが、藤田の長い画業を概観してみると、それらの思いが頭を巡る今回の没後50年「藤田嗣治展」でした。藤田特有の乳白色の人物像はどこかギリシャの彫像を思わせるところがあると私は感じていました。図録にこんな箇所がありました。「ギリシャ・ダンスについて『ダンスの形が昔の画、昔の彫刻となってて、つまり線の尤も美しいもの許りで出来てるダンス、これを知らねば本当の画は出来ぬ』と、故国に残した妻に書き送っている。」(高階秀爾著)やはり藤田は絵のためにパリでダンスを習っていたようです。これは最初の妻とみに送っていた手紙ですが、藤田は伴侶をよく替え、父を初めとする理解者にも恵まれていたようです。「藤田は80余年の生涯を父→とみ→フェルナンド→ユキ→マドレーヌ→君代に伴走された、つねに家族に支えられた人生、創作活動に恵まれたといえる。~略~藤田の画作をあらためて見直すと、家族に限らず、二人の人物像が思いのほかあることに気づく。藤田とフェルナンドという男女の組み合わせはむしろ例外で、大半は女性二人である。~略~両大戦間のパリの先鋭的な芸術家たちが共有していた『同性愛』のテーマがある。藤田の二人の女の表象では、いずれも手を握り合ったり、肩を組んだり、『距離』が親密である。」(林洋子著)これも藤田ワールドで私が気になっていたところです。現代になって漸く同性愛は稀有なものではなくなりましたが、こうした頽廃的な雰囲気を感じさせるのも藤田の特徴かなぁとも思いました。戦争画や宗教画については稿を改めます。
    ドキュメンタリー番組で知る闇の世界
    昨日、職場に送られてきている朝日新聞のテレビ欄の記事に注目しました。衛星放送で「馬三家からの手紙」を放映するというもので、その内容に戦慄を覚えました。私は中国の労働教養所の存在を知らず、21世紀になった今も前時代的な拷問や強制労働が行われていることに驚きを隠せませんでした。ネットで調べてみると、収容された人からの実態を伝える手紙の掲載があって、信じられないような人権蹂躙の事実が明らかにされていました。中国は共産党支配の国家で、思想的な統制があることは分かっていましたが、これほどまでに激しい弾圧があることに、民主国家に生まれた自分は異質な感覚を覚えます。確かに30年前に欧州で暮らしていた私は、東欧を訪ねる度に一党独裁国家を眼のあたりにしてきました。旅行者であった当時の自分には本当の実態は分からなかったのかもしれません。BS1で放映されたドキュメンタリーは午前0時の深夜番組でしたが、中国政府が弾圧する「法輪功」という気功集団のメンバーである一人の男性が、遼寧省の馬三家労働教養所に収容され、そこで受けた拷問を手紙にして、所内で製造される玩具の飾りに忍ばせて、外部に発信するというものでした。その手紙をアメリカ人女性がたまたま発見し、それが世界的に広がっていく状況を番組は捉えていました。男性は施設を出た後、労働教養所の実態をアニメーションにしていました。番組の終盤で衝撃的な結末が待っていましたが、カナダ発のドキュメンタリーは闇の世界をどんな思いで取材し続けたのか、取材スタッフが危険な目に遭うことはなかったのか、見終わった後でそこが気になる番組でした。