Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 職員旅行から帰って…
    昨夜、職場ではイベント終了時から皆で慰安を兼ねて箱根に旅行に出かけました。私は家の用事があるため、自分の自家用車を使って箱根に向かいましたが、職員は大型ワンボックスカーに乗って行きました。湯に浸かったり、美味しい料理に舌鼓を打ったり、若手職員が仕込んできたレクリェーションをやって、全員で楽しく一夜を過ごしました。私たちは研修好きな職員が多いため、二次会はベテラン職員から若手職員に対する人材育成のような会になってしまいましたが、それでも和気あいあいとした雰囲気はありました。1年に一度はこういった機会があった方がよいと私は思っています。今日は箱根から帰ってきました。午後は工房で作業を行いましたが、早々に切り上げて、家内と買い物に出ました。実は2つある私の眼鏡のうちひとつが壊れてしまい、視力も最近衰えてきたので、新しい眼鏡を購入したいと前から思っていたのでした。私の行きつけの眼科は横浜駅にあるスカイビルです。そこで検眼をやってもらい、隣接された眼鏡店でフレームを選びました。私は二足の草鞋生活を送っているため、横浜市公務員としての顔と彫刻家としての顔を変えたいと思っていて、眼鏡はそのための重要なアイテムなのです。今回購入した眼鏡は彫刻家用です。ちょっと芸術家風に見えるお洒落なフレームにしました。形振り構わずやってきた二足の草鞋生活ですが、ちょっぴり眼鏡でカッコつけたいと思ったひと時でした。
    イベントを盛り上げる映像
    私の職場は年間に何回か、職場全体をあげて大きなイベントを企画しています。昨日と今日は連続してイベントを行いました。それが何のイベントなのか、同業者の中には察する方もいらっしゃいます。NOTE(ブログ)は拡散するので、具体的に職業を申し上げられないのが残念ですが、そのイベントの中で使った映像媒体がとても効果的なので、私はいろいろな場面で宣伝をしていて、このNOTE(ブログ)でも広報している次第です。映像媒体とはプロジェクション・マッピングのことです。横浜のみなとみらい地区にあるドッグヤード・ガーデンや東京ディズニーランドでも、建造物に映像を映し出して見事な演出を行っています。それを私の職場では、大きな室内を使って行っているのです。昨年は初めての試みだったため、成功するかどうかわからなかったので、近隣にしか知らせませんでした。今年は神奈川新聞社を呼んで取材を依頼しました。昨年は大学の映像研究室から借りた機材で行っていたプロジェクション・マッピングでしたが、今年は予算の中で強力なプロジェクターを購入し、昨年に続いて映像専攻の大学生にも手伝ってもらい、自分たちの手で作り上げたのでした。プロジェクション・マッピングはまだまだ可能性のある映像媒体だと私は思っています。演劇やショービジネスの中では一般的な方法になってきたプロジェクション・マッピングですが、私たちの職種ではなかなか浸透しない媒体です。イベントの達成感は充分あるので、試したいとお考えのある職場の方であれば連絡をください。と言っても同業者でなければ分からない連絡先なので、このNOTE(ブログ)を読んでいただいている多くの方々には失礼を申し上げますが、そのうちプロジェクション・マッピングを使った本職場のイベント状況が神奈川新聞に掲載されますので、そこで情報を仕入れていただければ幸いです。
    「住吉の長屋」建築の原点
    先日より「安藤忠雄展」について書いています。個展会場である東京六本木の国立新美術館には、実寸大の「光の教会」を初め、多くの巨大な展示が後半部分の空間を占めていて、まさに壮観な感じがします。ヨーロッパの古都では歴史的建造物をそのままにして、内部にコンクリートの壁で囲まれた空間を挿入して、現代美術館に再生したプロジェクトがありましたが、街の景観を残すコンセプトに、私は賛同いたします。豊かな自然を取り入れた建造物も、立地を生かす工夫が凝らされていて、未来の建築のあり方を見ているようで、その発想に驚いてしまいます。その原点は、安藤氏がまだ駆け出しの頃にデザインした、狭い路地に建つ長屋の再生ではなかったかと思います。図録の中にある本人の文章を引用します。「私の建築活動は、都市住宅の設計からスタートしました。そのひとつひとつの仕事に無我夢中で取り組み、試行錯誤する中で『徹底して単純な幾何形態の内に、複雑多様な空間のシーンを展開させる』あるいは『コンクリートという現代において最もありふれた素材をもって、どこにもないような個性的な空間をつくりだす』といった、今日に至るまでこだわり続けている、私なりの建築のテーマが見つかりました。その意味で、私にとって住宅こそが建築の原点です。」安藤氏は大阪の三軒長屋の中央の一軒をコンクリート打ち放しのコートハウスにしました。中庭があるため、雨天の日の部屋から部屋への移動には傘が必要となる住宅ですが、そこに住む人が多少の不便を抱えても、「住吉の長屋」に住みたいと思うのは空間の美しさ故でしょうか。建築家の個性に惚れぬいた人なら、それも可能でしょうが、生活雑貨に溢れた無秩序な生活ぶりになってしまう可能性がある人は、自分を律することの方が厳しいかもしれません。
    「光の教会」室内にて
    先日見に行った東京六本木の国立新美術館の「安藤忠雄展」。建築家の展覧会としては破格の規模で、作品をひとつずつ丁寧に見ていくと、どのくらいの時間がかかるのだろうと思わせる充実した内容でした。安藤氏が命がけで取り組んできた大小建築物の数々に思わず引き込まれて、安藤氏の人生そのものが魅力的に感じられたのは私だけではないはずです。私は高校時代に一時建築家を志しましたが、安藤氏が実践した「都市ゲリラ住居」は、私の発想になくそのパワーに脱帽しました。その頃の私は大学の建築科に入って、有名建築家の事務所に就職するという定番な人生選択を考えていたのでした。展覧会で度肝を抜かれた作品に、野外設置された実物の「光の教会」がありました。建築は図面があればどこでも実物を建てることが可能ということを改めて知った次第です。「光の教会」は最小の建築資材を使って、教会内部に最大の効果が得られる工夫が凝らされています。コンクリートの壁一面に十字の穴をあけて、そこから差し込む光によって厳粛な宗教空間が浮かび上がってくるのです。私は「光の教会」の室内に暫し留まって、その空気に触れ、光の十字架に手をかざしました。宗教観は別として、光の恩恵に私は崇高なる神とも言うべき何者かの存在を感じました。そんな演出をシンプルな構造体の中で体験できるのは、建築のもつ強さではなかろうかと思いました。それに関して安藤氏による図録の文章を拾ってみます。「私が試みるのが、徹底してモノを削ぎ落とした無地のキャンバスのような建築です。そこに光や風といった自然の断片が引き込まれるときに生まれる空気、その生命力に、人間の魂に訴える力を期待するのです。~略~私は想像力次第で逆境もチャンスとなり得ることを、その原動力はその建築を求めるクライアントとそれに応えるべく奮闘する施工者ー関わる人、皆の思いの強さにかかっているのだということを、改めて教えられました。」
    六本木の「安藤忠雄展」
    建築家の展覧会は、他の芸術分野に比べると図面や模型がほとんどを占めるため、空間的な面白みを感じないことが多いのですが、先日見に行った東京六本木の国立新美術館で開催している「安藤忠雄展」はまったく展示の様子が異なり、アナログで巨大な模型や鉛筆デッサンを思わせる壁画のような図面やデジタルな建築映像によって、思わず惹きこまれる展覧会になっていました。安藤氏本人が図録の中で書いていることが、そのまま建築家としての苦しかった歩みを物語っているように思えます。「最初の10年くらいは、まず設計の仕事が中々得られない、かろうじて見つかっても敷地も狭く、予算も乏しい…といった状況で、その逆境をいかに乗り越え、自分なりの思いを実現できるか、建築を職業としていくこと自体が挑戦でした。」ここではその一部の紹介に留めますが、独学で建築を学んだ安藤氏が、持ち前のバイタリティと優れた感覚で難題に挑戦していく姿勢は、人生観として見習うべきところが満載です。批評家からの文面の中にも安藤建築の独特なアプローチを見つけることが出来ます。「多種多様な意匠の引用をアイロニカルにコラージュしてみせる磯崎新流のポストモダニズムに対し、一切の無駄を省いたミニマルなコンクリート打ち放しの壁がハードボイルドな印象を与える安藤建築をモダニズムの延長としてとらえることもできるだろうが、都市への広がりをいったん切断するそのラディカルな姿勢ゆえにそれをポストモダンとみなすというのがここでの私の見方である。~以下略ですが、ベネッセアートサイト直島に話題が移行したところで、~建築家はそこで派手なデザインによって自己主張しようとはしていない。地形や眺望を見極めて最適な軸線群を選ぶ。それらに沿って、それ自体としてはシンプルな幾何学的形態の建築を自然に埋め込むように配置する。ただ、内部に眺望や光や風がうまく取り込めるようさまざまな工夫を凝らす。それによって、外延的にはさほど大きくなくとも内包的にきわめて豊かな空間が生み出されるのだ。」(浅田彰著)個々の展示物については機会を改めて書こうと思っています。