2025.07.28 Monday
先週のような個展があると、私は1年に1回は東京銀座に出かけて行きます。教職を退職してからバスや電車で通勤することがなくなりましたが、先週は横浜から銀座まで毎日バスや電車を乗り継いで、午前11時にギャラリーに到着し、午後6時半までそこで過ごしていました。ギャラリーには画廊主や事務をやっている方もいらっしゃるのですが、私は教職を退職してから時間があるため、ずっとギャラリーにいるようにしています。いろいろな人が私を訪ねて来るので、さまざまなご意見をいただきたいのと、旧交を温める目的もありました。人がいない時間帯は、自分の作品をじっと見ているため、創作上の自問自答やら自戒することもあり、私にとっては決して楽な時間ではありません。この非日常空間は誇らしくもあり、また個人的には疲れる時間でもあるのです。個展も20回目ともなれば慣れて良さそうなものだけれども、自分が創り上げてきたものは作者だけには癒しを与えてはくれません。通常の工房でやっている創作活動も厳しい時もありますが、ギャラリーでじっと過ごす時間よりも気は楽かもしれません。それを実感したのは今日の工房で過ごした時間でした。今日は新しい作品作りのために土練りを行ないました。空調設備のない工房は蒸すような暑さで、土を練っていると汗でシャツが滲んできて、また額から汗が滴ってきましたが、炎天下で作業をしている建築現場の人からすれば、まだマシな状況かも知れず、朝9時から夕方3時過ぎまで作業を続けてきました。これがいつもの日常で、私の気持ちは忽ち安定しました。昨日はあれこれ考えを巡らせるだけに終始してしまいましたが、今日は陶土という素材に触れ、手を動かしながら考えをまとめ、また土練機から出てくる混合土を足腰を使って菊練りを実践していきました。来年は平面作品に主眼を置いたとしても、私はまず肉体行為から生まれる彫刻が初めの一歩だろうと思っています。
2025.07.27 Sunday
日曜日になりました。昨日まで私は東京銀座で個展を開催し、自分の創作に一区切りをつけたところで、現在取り組んでいる新たな作品に今日から眼を向けていこうとしています。昨日までの個展で、私は壁に掛けた作品が思っていたより好評だったことがあって、次のステップとしては、この「痕跡A」と「痕跡B」を発展させてみようという気持ちになっています。これは完全な平面作品とは言えず、油絵の具で塗装した下地に炭化した杉板をコラージュしたもので、画面と板材の間に隙間を作っています。これに照明があたると微妙な影が画面に落ち、油絵の具で描いた掠れた抽象画面との相互空間が面白い効果を齎すのです。もちろん計算して効果を狙ったのですが、これをさらに発展させる余地が充分あると判断しました。新作では従来の陶彫作品の他に、こうしたレリーフの作品を重点的にやっていこうと考えています。さらに重層的な空間を得ることができれば、この壁掛けの作品のシリーズ化も可能です。さて、今日は個展開催の疲れもあって、工房での制作は休止し、横浜の中心地で開催しているグループ展を見てきました。昨日個展搬出を手伝ってくれた美大生2人を連れて行きました。出品していたのは私の元同僚で、美大生たちが中学校時代に美術を教わっていた恩師に当たる人でした。モダンアート展の会員でもある彼の世界は、毎年のように簡潔化していて、余分なものを削ぎ落し、それでも主張するところが強くなって、深化を続けているように思います。とくにデカルコマニーで表現された内臓をイメージする部分と余白の空間が鬩ぎ合い、快い緊張感を生み出しているのです。今後、平面作品に本腰を入れていこうとする私の作品にとっても、彼の発展や深化は参考になるし、平面上の余白とは何かを考える上で、私の次なる課題になっています。
2025.07.26 Saturday
東京銀座のギャラリーせいほうでの個展が今日で最終日を迎え、18時から搬出作業を始めました。今回の個展でも多くの皆様に見ていただいて、貴重なご意見もいただきました。個展は20回目でギャラリーせいほうとの付き合いも20年を迎えました。画廊主の田中さんも私も20年前は若かったなぁとお互いを振り返っていました。私は作品を通して最初からずっと陶彫を使った架空都市を作っていて、その展開の中で今も満足のいく世界がひとつもなく、課題ばかりが浮き彫りになる結果になっています。自分が求める世界はまだ何かが不足していて、それが何なのか自分でも分からなくなっています。それを探るべく次の作品へと進んでいくのだろうと思っています。さて、18時になると運搬業者2人とスタッフ5人、家内がギャラリーに集合し、作品の解体と木箱に収納する作業を始めました。スタッフの中にいつも手伝ってくれる後輩の彫刻家の他にもう一人男性彫刻家が来てくれたので、箱詰め作業はスムーズに進みました。女子たちも手際よく作業をしていて、今まで幾度となく搬入搬出をやってくれていた成果がよく表れていました。私は集合彫刻を作っているため、一人では設置も解体も出来ません。他者の手を煩わせることになる迷惑な作品群なのですが、皆が嫌な顔ひとつせず気持ちよくやってくれたことに感謝です。彫刻は私一人で作っているものですが、発表になると多くの人の手が入ります。彫刻とはそういう媒体なのかもしれませんが、私に良好な繋がりがあるのなら、その恩恵を受けたいと思っています。横浜の工房に戻り、作品を保管場所に降ろすと作業は完了します。その後でスタッフたちを連れて、近くのレストランで夕食を馳走して、それがボランティアに対する僅かばかりの謝礼です。毎回同じことの繰り返しですが、それがルーティンになっているのです。
2025.07.25 Friday
「芸術家列伝2」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 平川祐弘・小谷年司訳)に今日から入ります。本書の「ボッティチェㇽリ」について、気に留まった箇所をピックアップいたします。「(ボッティチェㇽリは)フィレンツェ市中のさまざまな邸のために自分の手で円い絵を作り、また裸の婦人像もかなりたくさん作ったが、そのなかの二枚の作品が今日でもコージモ公の別荘であるカステㇽロに伝わっている。その一枚は『ヴィナスの誕生』で、微風にはこばれてヴィナスがキューピッドたちとともに海辺へ着くところであり、他の一枚は、ヴィナスが美の三女神によって花の冠を授けられているところの絵で『春』を表わしている。この二つの作品は彼の手でまことに生き生きと優雅に描かれている。」私は20代の頃、フィレンツェにあるウフィツィ美術館でこの絵を見て、感動を覚えたのを記憶しています。また教職に就いていた頃は、美術鑑賞の授業で必ず取り上げて、生徒に説明していました。本書ではさらに「三王礼拝(マギの礼拝)」に触れた箇所がありました。「サンドロ(ボッティチェㇽリ)がその絵に登場する諸人物の顔をどれほど美しく描いたかは筆舌につくしがたいほどで、その顔はさまざまな態度を示している。あるいは正面を向き、あるいは横顔を示し、あるいは四分の三むこうを向き、あるいは顔を下へ向け、また老若に応じてさまざまな態度を示しているが、どれもこれも彼の腕前のすばらしさのほどを見る人に感じさせずにはおかないような工夫の数々であった。三人の王の宮廷の人々はそれぞれ区別して描かれているので、誰がどの王に仕える人であるかはっきりと理解される。色彩という点からも、デッサンという点からも、構図という点からも、たしかに驚嘆すべき作品で、実に見事な出来ばえであったから、今日でも画家たちはその前へ来るとみな感心して足をとめてしまうほどである。」今回はここまでにします。
2025.07.24 Thursday
今日も私は東京銀座のギャラリーせいほうの個展会場にずっといました。鑑賞者がやってきては、いろいろな話が出来るのを私は幸せと感じていますが、今日のエピソードは私にとって考えさせられたものでした。欧米人と思われる若い女性が一人、ギャラリーにやってきて、私の作品をじっくり眺めていました。あまりにも熱心に見ているので、私は声を掛けました。彼女は日本語が出来ない観光客で、英語のやり取りの後で、出身国がスイスだと判明しました。それならドイツ語だろうと思い、私がドイツ語で話したら、彼女は堰を切ったようにドイツ語で喋り出し、私はもう少しゆっくり話してくれないかと話を遮りました。おそらく日本旅行中は英語でやり取りしていた彼女は、母国語の気安さがあったのだろうと思います。私は1980年から85年までオーストリアのウィーン美術アカデミーに在籍していたことを伝え、もう40年も前のことで、ドイツ語をほとんど忘れていることもつけ加えました。彼女はバーゼルの美術アカデミーでグラフィックデザインを学び、ベルンで印刷関係の仕事をしているそうで、残り数日でスイスに帰ることが私にも理解できました。そこまでのコミュニケーションは良かったものの、彼女が一番私に聞きたい事、それは作品の制作動機やらコンセプトで、これらをドイツ語で私が説明しなくてはならず、現状では語学の壁があって無理な欲求としか言いようがありませんでした。ウィーンにいた頃は、当時の薄っぺらな作品コンセプトをドイツ語で難なく言えていたものが、現在の私は確固たる作品コンセプトができているのに、ドイツ語の語彙が出てこず、さらにドイツ語の感覚も失われていて、話したくても話せないジレンマに陥りました。40年で失ったものは語学とそれに纏わる異文化理解でした。夕方、アフリカの大使館に勤める従姉妹がギャラリーにやってきて、そのことを話したら、変換アプリを使えばいいのに、と言いました。成程、そこまで頭が回らなかった私は古い世代なんだなと思いました。