2025.07.13 Sunday
日曜日になりました。日曜日は創作について述べていますが、高温多湿な工房の中で、今日は新作の陶彫制作に励んでいました。後輩の木彫家がやってきて黙々と木を彫っていたり、来週に迫った個展搬入のために業者が梱包された荷物を見に来たりしました。暑さは頭をボーとさせる反面、私にはざっくりした新作イメージが立ち上っていくのを認識することもあります。私は古代の出土品のように見える陶彫を使って、都市遺跡の発掘現場を何とか立体作品に昇華させようとしています。それは40年前に旅したエーゲ海沿岸に広がるギリシャ・ローマ時代の都市遺跡の発掘現場を見た時の、何とも言えない衝撃と感動であり、そこからあの情景を象徴する立体造形をどのように作っていくのか、私の挑戦が始まったのでした。時折思い出すのは、遺跡が山の中腹にあるトルコの小さな町で、モスクから拡声器で流れるコーランの祈り声が朝の目覚ましのように感じられ、町を闊歩する馬の蹄の音が騒々しかったことでした。その旅は1985年の8月から9月にかけての2カ月以上にわたり、安宿に泊まりながら遺跡をわたり歩いていましたが、残暑が厳しく肌が黒く焼けていました。日本と違い、乾いた暑さのためか太陽を遮るものがなく、日差しの強い中を時にはヒッチハイクをして遺跡に辿りついたのでした。現在の暑い工房の中で思い出すのは、そうした遺跡までの行程で、まるで陽炎のように揺らめく風景の印象です。またある日は宗教行事に遭遇し、大勢の信者たちが野外で食事をとっている場面で、食事を振る舞ってもらったことでした。宗教のことなど何も知らない私は、ただ馳走になって、イスラム教の情け深さを感じたこともありました。そんな中で創作イメージを捻りだした私は、あの時の陽炎の風景を忘れられず、猛暑の工房においても、創作行為が頭を擡げてくるのです。あれから40年が経ち、私のざっくりしたイメージは確実に具現化されてきていると感じています。
2025.07.12 Saturday
週末になりました。今週を振り返ります。今週も真夏の暑さで工房には長く居られず、朝9時から夕方3時までの作業時間を短縮して過ごしていました。工房内では、冬にはその寒さに耐えられず、現在は夏の暑さにも耐えられない年間の状況について、創作活動の意欲とは別のところで、作業の中断をやむなしとしていて、かなり残念だなぁと思っています。汗を絞っても大丈夫だった若い頃と明らかに私の身体の具合が違っていて、翌日に疲れを持ち越すこともあります。急変する天候にも身体と心が追いつけず、創作の中に今一歩入り込めないジレンマがあると感じています。それでも創作活動一本の生活では、毎日の継続が出来るため、完成のイメージが途切れることがありません。来年に向かって現在進行している陶彫作品は、日々確実に具現化していて、それが遅々として進まぬ状況の唯一の救いになっています。新たなイメージは現行の発展の中でこそ豊かな輝きを持つものだろうと思います。まだ身体が動くうちに教職を退職出来てよかったと思えることもあります。今週は今月21日から始まる東京銀座のギャラリーせいほうでの個展に備えて、全ての作品梱包が終了しました。実はこんなに早く梱包が終了したことは今までなかったかもしれません。陶彫作品を収めた木箱は昨年の半分程度なので、仕事量としては少なくて済みました。明日運搬業者が積み荷の確認に来ますが、昨年に比べれば余裕があると言えます。ただ、作品のイメージするところは昨年以上に深化していると自負しています。来年に向けた作品は、さらに深化したものと思っていて、同時並行で新たな作品に挑んでいるのは、今月21日から始まる個展に展示する作品群を、もう過去の作品という位置付けにしてしまっているところもあります。作品世界の深化は絶え間なく起こるものなので、私はこれでよしとしているのです。
2025.07.11 Friday
昨日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「幸福な家庭はすべてよく似よったものであるが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である。 トルストイ」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「ロシアの作家の小説『アンナ・カレーニナ』(中村白葉訳)の書き出しだ。幸福については定義をしないまま、味なことを言う人が多い。歌人・演劇家の寺山修司は逆に、『不幸はいつも同じ顔をしているが、幸福の顔は、それぞれ違っている』と書く(『幸福論』)。幸福を一つの達成と考えるか、目的とは無関係な悦びと捉えるかの違いか。」私は哲学書にある幸福論を読むことを避けてきました。3人の哲学者(ヒルティ、アラン、ラッセル)の「三大幸福論」を書店で一度は手に取ったものの購入には及びませんでした。幸福とはこういうものだと定義されると、反撥を覚えるかもしれないと感じていたからです。人は生きていく上で幸福になりたいと希望するのは、誰しも同じで私にもそれはあります。それは地位、名誉、財力とは違うものだろうと私は思っていますが、それでは幸福とは何なのか、面と向かって考えたことはありません。幸福論とは別の厭世論に、まず私は興味関心を抱きました。幸福論や楽観主義より、その真逆に位置する厭世主義の方が私には分かり易かったこともあり、その時は感情としてよりは、純粋な学問として厭世論を受け入れたのでした。ショーペンハウアーをよく読み、その中で論じられていた幸福論もありましたが、ショーペンハウアー流の幸福の捉えが私には妙に納得がいくものがありました。それを知らなかった若い頃は幸福の境地という桃源郷があって、そこに到達したいとボンヤリと考えていましたが、現実としてそんなものは夢幻に過ぎないと当時から思っていました。今回の記事から私の心に響いたのは、「(達成しようとする)目的とは無関係な悦びと捉えるか」という文章で、自分の真の目的に達成しようとする道程に幸福感があるならば、それはそれでいいのではないかと思ったことです。通過点が私にはピンとくるのです。
2025.07.10 Thursday
「芸術家列伝1」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 平川祐弘・小谷年司訳)の「マザッチョ」について、気に留まった箇所をピックアップいたします。「いかなる分野の仕事であれ、秀でた人物が出現するとき、多くの場合たった一人だけでないのが自然の摂理である。通常、同時に好敵手があらわれ、たがいに技を競い合い切磋琢磨し合うようにある。~略~あたかも、この説の正当性を証明するかのように、フィレンツェにおいてそれぞれの分野で抜きん出た才能を持った人々、フィリッポ・ブルネㇽレスキ、ドナテㇽロ、ロレンツォ・ギベルティ、パーオロ・ウッチェㇽロ、マザッチョが時期を同じくして競うがごとく輩出したのであった。」マザッチョの画風と人物について述べた箇所があります。「絵画におけるぎこちなさ、不完全、困難な表現を克服した先達の一人に数えることができる。美しいポーズ、動き、高貴性、躍動感、全く自然で均衡のとれた立体感を生み出したのも、マザッチョをもって嚆矢とする。~略~まったくもって風変わりな、無頓着な性格で、絵画一筋、自ら奉ずるところも少なく、他人を一切気にしなかった。俗事には一切かかずらおうとせず、服装には無関心、他人に金を貸しても、よほど本人が困らなければ返却の請求もしなかった。本名のトンマーゾの代わりに誰からも、きたないトンマーゾ、すなわちマザッチョと呼ばれていた。悪い性格のためではなく、性すこぶる善良で、奇行が多かったためである。」マザッチョの業績について触れた箇所がありました。「聖ペテロの洗礼の物語のなかで、多くの受洗者にまじって、寒さに凍えふるえている裸の人物の評判が特に高い。浮彫りの効果も美しく、優美に描かれているため、古今の画家から常に高い評価を受けてきた。それゆえ、多くの画家、大家が今日にいたるまで礼拝堂に絶えず通ってくるのである。~略~マザッチョの作品はすべて賞賛された。26歳の若さで彼を見舞った死が、現世から彼を奪わなければ、さらに大きな芸術上の収穫をあげたであろうと多くの人々は考えている。いや確信してやまない。運命の神のねたみか、あるいは美しいものは長続きしないのが当たり前なのか、花の盛りにマザッチョは世を去った。死はあまりに突然で、毒殺以外に原因はみあたらないとする人にも事欠かない。」今回はここまでにします。
2025.07.09 Wednesday
「芸術家列伝1」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 平川祐弘・小谷年司訳)の「ウッチェㇽロ」について、気に留まった箇所をピックアップいたします。「パーオロ(ウッチェㇽロ)は、およそいっさいの時間を無為に過ごすことなく、常に芸術の最大の難問を追い求めて、建物の平面図や、建築物の側面図から、遠近画法を引き出す方法を完成の域にまで高めた。それは屋根や軒蛇腹にまで及ぶもので、線を交叉させ、その線が中央に集中し、そこで消滅するよう工夫してあり、その中央は視座に応じて、高低いずれの点なりに最初から決めておくのであった。それで要するにこの難問に非常に熱中したあげく、ついに画面で人物がきちんと足を据えたところに人物を置く、その方法や法則を発明したのであった。すなわち画中のどこで人物を次第次第に縮めればよいのか、そして遠ざかるにつれて人物も短縮すればよいのかーこうしたことは元来は偶然まかせに行われていたことであったが、ウッチェㇽロはまた丸天井の交線やアーチについても同じように方法を発見した。梁と格間の間にはいりこんでゆくように描くことで天井に遠近をつける方法や、また家の壁の尖った角に、その角に沿って曲がっていながら、しかも遠近画法を用いたデッサンによってその角度を修正した、円柱の列を描いた。そうした問題に熱中するあまり、ウッチェㇽロはほとんど世間と交際もせぬ、野蛮人のような、ひとりぼっちの人となり、何週間も何箇月も家に閉じこもって、人前に姿を見せなかった。」それでもウッチェㇽロの業績は大きかったようです。「パーオロ・ウッチェㇽロは変人であったけれども、自分と同業の職人たちの才能をよく認め、よく愛した。そしてそうした人たちの名が後世に伝わるよう、自ら画筆を取って、長い板に5人の秀でた芸術家たちの肖像を描き、彼らを記念してその板絵を自宅に大事に取っておいた。その一人は画家ジョットで、ジョットは芸術の光であり、芸術の始めなのである。次に建築面ではフィリッポ・ブルネㇽレスキ。彫刻面ではドナテㇽロ。そして遠近法と動物画の面ではパーオロ・ウッチェㇽロ自身。そして数学面では友人ジョヴァンニ・マネッティ。ウッチェㇽロはこのマネッティとしばしば会っては、ユークリッドの諸問題を論じたのであった。」ルネサンス期に遠近法が確立されましたが、その立役者がウッチェㇽロでした。今回はここまでにします。