Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 「聖画像崇拝再確認」について
    「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第2章 16世紀における近代世界システムの形成と『世界文化市場』の成立」に今日から入ります。本章は2つの単元から成っていて、今回は「トレント公会議の聖画像崇拝再確認」を取り上げます。「ルターの主張は、中世的な民衆信仰の外在的形態を廃し、個人の霊魂に信仰の主体を置こうとする近代化の動きであったと考えられるが、古来からの民衆の信心形式を継続することを重視するカトリック教会は、この攻撃を致命的なものとして受け取った。~略~トレント公会議では、聖人、聖遺物、聖画像の再確認が行なわれ、これらを擁護する言説や文化が『対抗宗教改革』運動の重要な部分を占めることになった。~略~教会と教皇および聖職者が、信者に対して、義認されるのは、人のおこない、すなわち、七つの『秘蹟』によっているのだと教えてきたその教義が否定されてしまったことになり、信仰上の動揺は非常なものがあった。~略~公会議は、秘蹟においては信仰のみが有効だとするルターに抗して、秘蹟は執行されることをもって有効であるという『有効なしるし』の教義を明確にした。ミケランジェロの《最後の審判》は義認に関して曖昧な表現をとっているとされるが、それはこの作品が1541年に完成したからであって、誰かはわかっていないが彼の助言者も彼自身も、疑認論について明確な概念があったのかどうか不明である。」本文に登場する義認とは何か、義認とは、キリスト教において、罪ある人間が神によって義(正しい)と認められることを指すものです。また秘蹟の説明もしておきます。秘蹟とはキリスト教で、神の恩寵を信徒に与える主要な宗教的儀式のことです。 ギリシア正教では機密と称し、ギリシア正教とカトリック教会では洗礼・堅信・聖餐・告解・終油・叙階・婚姻の七種があります。「綜合的にみてトレント公会議は新旧の論争の的となった教義を明確に再定義したことでカトリック教会の危機を救ったということができる。しかし、その後教会は会議で決定した事項を遵守し、実行する必要があった。そのために現代の教皇は、新しいエネルギーに溢れた各地の信心会の協力や、トレントで描き出された理想的な司教像を実践する優秀な高位聖職者らの献身的な努力を動員しなければならなかった。」今回はここまでにします。
    映画「ペリリュー 楽園のゲルニカ」雑感
    今日の朝日新聞夕刊に表題の評論が出ていました。戦後80年の今年を代表する映画として、主人公は絵を描くのが好きな一等兵で、本作は「砲撃と殺し合い、苛酷な飢えと病、敗戦を知らずに洞窟に立てこもる日本兵の悲劇」という情景が全編にわたっていて、自然豊かなパラオ島を舞台に、絵を通して主人公が兵士たちを記録をしていく物語が展開されていきます。本作を知ったのはやはり先日の朝日新聞の映画評で、こんな一文が私に刺さりました。「戦争には国を守るという国体防衛のヒロイズムが付きまとうが、前線に送り出された者は恐怖と飢餓の根源的な試練に直面し、個人の生存本能と国家の理想の間で引き裂かれる。無残な死に方が何度も登場し、アニメだから直視できるが、感受性も無傷ではいられない。覚悟のいる企画である。」今日の夕方、家内を誘って横浜の鴨居にあるエンターテイメント系映画館で本作を観て、既読の映画評が具体的な描写になって眼の前にやってきました。主人公は上官から命令されて、仲間の最期の勇姿を遺族に向けて書き記す「功績係」をやっていて、どんなに惨めな最期でも、果敢な勇姿に仕立てていました。物語が進むうちに敵である米軍との関わりよりも、一緒に戦っている仲間とのやり取りの方に厳しい状況が描かれており、主人公には生き延びて帰国したい厭戦的発想もありました。国のため命を惜しまない上官や仲間もいれば、主人公に共感する友達もいて、複雑な関係の中で、主人公が米軍に投降する際にそれを味方に拒まれて殺されかけたりもしました。戦争が終わっていたにも関わらず、投降しない34人の兵士たちに望郷の念を抱かせたのは、主人公が書き残した兵士たち一人一人の記録で、それによって兵士たちの出所が判明し、日本で待つ家族たちが彼らに手紙を送ってよこしたことが契機になりました。観終わった後で、本作は名作だろうと私は感じました。これは実写やリアルなアニメ描写であれば、とてもまともに見られない場面もあり、3頭身の愛らしい人物キャラクターであるからこそ、かなり強烈な描写もソフトにアレンジされていると思いました。
    新聞記事より「下の方こそいとおしい」
    今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「老後は下の方こそいとおしい。 阿刀田高」この言葉からは何を意味しているのか分からず、著者の鷲田精一氏のコメントを読むまでは謎が解けませんでした。コメントを読んで、思わず笑えたのは私一人ではないでしょう。解答のコメントを載せます。「と聞いて下方を見ないこと。昔の小学校の『通信簿』のことだ。上に並ぶのは国語、算数、理科、社会、下の方に図工、音楽、体育。親は上方の成績ばかり気にかけた。が、老いてから思うのは、絵が描けたら、ピアノが弾けたら、山を歩けたらといったことばかり。自分はどれもだめだと作家は言う。『年老いて人生への悔いがないでもない』と。『90歳、男のひとり暮らし』から。」通信簿の教科の並んでいる順番はどう決められたのだろう、教職に長く居ながらそんなことを気にしたことがなかった自分は、改めて上方に位置する教科と下方に位置する教科の重要性を思わざるを得ませんでした。中学校では上方の4教科に外国語を加えて主要5教科という呼び方をしている時期がありました。今でもそう呼称する昭和生まれのベテラン教師がいるかもしれません。主要5教科は社会に出てどんなふうに役立つのだろう、これは学習の基礎基本だと私は疑いもなく生徒に言っていました。最低必要限の知識は5教科によって補えるのは事実です。日本人の識字率が高いのはこの成果を裏付けるものです。下方の教科は主要ではないという位置付けですが、実技教科と呼ばれるもので、情操教育の一端を担うものです。感情を表現したり、さまざまな体験型の授業もこれに含まれますが、老後になると、寧ろこうした教科で培った思いが自分の生きがいになるケースもあると考えられます。私の場合は図工美術です。私は自分の生涯で何度も美術があって良かったと思っていて、下方の教科に位置するものが、自分の心を支えているのです。
    「カトリック教会の融合政策」について
    「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第1章 16世紀における近代世界システムの形成と『世界文化市場』の成立」は6つの単元からなっています。今回は「5 カトリック教会の『融合』政策」と「6 『融合』論を超えて」の最後の2つの単元を取り上げます。まず、「5 カトリック教会の『融合』政策」から。「信仰の対象であるイエスや聖母の『異民族化』が、教会の方針として一般的に見られるようになったのは、20世紀の1930年代以降であるが、その発端は、本論が対象とする16世紀、17世紀に、『偉大なる伝統文化をもつ』国である日本と中国で、そこに布教した宣教師の創意に始まったのである。~略~16世紀当時、帝国と教会は先住民を野蛮または素朴とみなし、政治的には植民地化し、文化的には強制的にキリスト教を移植した。しかし、同じ時代にあっても、ポルトガル布教圏の日本、中国では、かれらはこの両国を『高度の文明をもつ独立国』として認識し、有利な交易を行なうが植民地化はせず、文化的には『既存の文化を尊重し、西欧文化をこれに適合させる』という政策をとった。」次に「6 『融合』論を超えて」には「信仰における普遍的なもの」という副題がついていました。「キリストこそキリスト教の唯一の神であり、聖母は二義的な存在である。聖書はマリアについてイエスを生んだ母であるという以外にはこれを崇敬するための記述は一切していない。」それではなぜ聖母を信仰の対象としたのか、こんな論述がありました。「聖母は、太古の母神から、生命の授け手、万物の豊穣という本質を譲り受け、キリストの助け手として教会によって召還された女性であった。民衆の信仰心の基層に残る大地母神への信仰をすくいあげ、キリスト教の中心に、生命の授け手であり、母性の象徴であるマリアを置くことによって、本来は家父長的であり、男性中心であり、女性嫌悪であるユダヤーキリスト教を、より調和的な、より慈悲に満ちたものにすることに成功したのである。~略~世界布教の開始期にあたる対抗宗教改革期は、このドグマがルターらの聖母崇敬否定論によって危機に陥った時期であった。したがって、これに対抗したカトリック教会は、聖母崇拝のあらたなキャンペーンを張る必要があり、16,17世紀はこの近代化された聖母図像の一大興隆期となったのである。このことが、布教における聖母の優勢を導きだした教会側の理由であった。」今回はここまでにします。
    「世界布教、土着文化等」について
    「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第1章 16世紀における近代世界システムの形成と『世界文化市場』の成立」は6つの単元からなっています。今回は「2 世界布教と世界文化」と「3 土着文化とキリスト教文化の関連」と「4 カトリック教会側の布教美術政策とグアダルーペの聖母」の3つの単元を取り上げます。まず「2 世界布教と世界文化」から。「地中海世界に生え育った『文化』が、はるかアメリカ、アジアの地に種子を蒔かれ、根を下ろし、どのような事実を実らせるのかという問題が提出される。16世紀以降の非ヨーロッパにおけるすべてのキリスト教文化は、基本的にこの枠組みで考察されるのである。」次に「3 土着文化とキリスト教文化の関連」です。「(植民地で形成された美術)の過程は支配者側と先住民側のあいだの困難な交渉であって、そこには『植民地の現実』を生きた先住民が創意を生み出したとしても、その過程は単純化できるものではないとする。このことは、世界に移植されたキリスト教美術を研究する場合にきわめて正鵠を得た議論である。~略~(聖母像を選出した理由として)聖母像が異教徒の宣教にあたってもっとも多用された聖像だからであり、また、対抗宗教改革期のカトリックが、もっとも厳密に規制した定型図像だからである。したがって、聖母像という模範型が、その地域の政治的社会的状況、その地域の伝統文化、あるいはその他の複合的な歴史的過程にしたがって、どのように変容するかが明らかになるのである。」最後に「4 カトリック教会側の布教美術政策とグアダルーペの聖母」から。「スペインからの入植者、メキシコで生まれたスペイン人、土着民という複雑な人種的構成からなるメキシコという国家のなかで、かれらを統合するものは『土地』しかない。『サボテンの上に立つ母なる女性』は西欧人にとっては聖母であり黙示録の女であるが、土着の人間にとってはトナンツィンである。現地のインディオ、ファン・ディエゴへの聖母の出現は、科学的には証明できない『神話』である。~略~外来の聖母ではなく、『わが大地に降り立った聖母』こそ、この広大な土地に住む多種多様な人種を統合できたのである。」今回はここまでにします。