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  • 「チマブーエ」について
    「芸術家列伝1」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 平川祐弘・小谷年司訳)の「チマブーエ」について、気に留まった箇所をピックアップいたします。「(チマブーエは)サンタ・マリーア・ノヴェㇽラ寺のために聖母像を描く。ルチェㇽライ礼拝堂とバルディ・ダ・ヴェルニオ礼拝堂の間にかけられている絵で、これまでに描かれた人物画のなかで最大のものである。まわりの天使は、チマブーエが、いまだにいくばくかのビザンチン風を残し持っていたとはいえ、徐々に現代の様式、画法に近づきつつあることを如実に示している。こんな立派な作品を見たことのなかった連中は、すっかり驚嘆して、チマブーエの家から寺院まで絵を運ぶのに、大騒ぎでラッパを吹き鳴らし、荘重な行列をしたという。~略~今や、それらの作品を通して、チマブーエの名声はますます上がり、フィレンツェにあるサンタ・マリーア・デル・フィオーレ寺の建築にあたって、当時のすぐれた建築家であったアルノルフォ・ラーポとともに設計を受けもつようになる。しかし、齢すでに60歳を越えたチマブーエは、1300年、絵画芸術を事実上蘇生させたのち、あの世へみまかった。多くの弟子を残したが、後日大成するジョットをそのなかに数える。」チマブーエが「芸術家列伝1」の最初に取り上げられているのは絵画の革新者第一号としているためでしょうか。「ジョットの名声の陰にかくれてしまったのは、弱い光が強い輝きの前では見えにくくなるのに例えられよう。チマブーエが絵画革新の一番手であったにしても、そこから出たジョットこそ、端倪すべからざる高い目標を定め、天賦の才にめぐまれ、深い考えをもって向上に向上を重ね、後世、われわれの世紀が日常目のあたりにしている芸術上の偉大な成果をもたらした人々に、真理の扉を開いた人物である。現代のおいては、画家たちの奇蹟や超絶技巧を日常見なれているので、人間が作った作品が、人間業というより神業であっても驚かなくなってしまっている。」ここでいう現代とはヴァザーリの生きた時代(1511-74)のことを言っているとつけ加えておきます。今回はここまでにします。
    「芸術家列伝1」読み始める
    自宅の書棚を眺めていたら、先日東京池袋のジュンク堂書店で見つけた「芸術家列伝1・2・3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 平川祐弘・小谷年司訳)があり、今日から読み始めることにしました。この書籍を知った経緯として、私はイタリア・ルネサンス期に活躍した芸術家の生涯を扱った物語を読んだ時に、本書は頻繁に登場していた資料であり、実際にイタリア・ルネサンスの芸術家に疎かった私には、いずれこの時代を網羅的に学ぼうと思っていたのでした。私でも有名な3人の巨匠(ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ)は知っていて、教職に就いていた時には、美術鑑賞の時間に必ず生徒たちに教えていた芸術家たちでした。他に私が関心を持った芸術家はボッティチェㇽリとピエーロ・デㇽラ・フランチェスカくらいでしたが、これは私の個人的な趣向を越えるものではありません。イタリア・ルネサンスはギリシャ・ローマ時代(古典古代)の文芸復興という意味を成すものですが、14,15世紀のイタリア半島にある諸都市において文化の変革運動があったことは疑う余地はありません。さらに線による遠近法(透視図法)や光の描写が確立され、近代に脈々と続く西洋美術の画法が構築されたことで、日本における西洋美術優位の位置を占める結果となりました。それは私にとって重要なことだと理解しています。何と言っても現在私がやっている彫刻という概念は、西洋美術そのもので、そこを多少日本流にアレンジしていても、その視点は西洋の美学にあると言っても過言ではありません。私は学生時代から仏像を見ても、そこに西洋彫刻の視点が存在していて、それが証拠に彫刻的な肉付けが顕著だった運慶の仏像が理解しやすかった点が挙げられます。そんなイタリア・ルネサンスで活躍した芸術家たちを取り上げている「芸術家列伝」を楽しみに読んでいこうと思っています。書籍の中に著者ジョルジョ・ヴァザーリに関する説明もありました。ヴァザーリとはどんな人物なのか、ここにも興味があります。
    7月は案内状宛名印刷から始まる
    7月になりました。今月は毎年東京銀座のギャラリーせいほうで個展を開催しているため、私にとっては年度変わりのような心持になり、ここで心機一転して次のステージを迎える重要な1カ月となるのです。まさに7月に始まり、7月に終るのが私の創作活動の1年間です。その第一歩は個展の広報で、案内状の宛名印刷を行うことです。毎年、東京銀座まで足を運んでいただける方や、たまたま東京に用事があってギャラリーに立ち寄っていただける方、初めて彫刻をご覧になられる方、事情はさまざまですが、自分の1年間の創作活動の成果を見て、感想を述べてくださるのは自分にとって無上の喜びなのです。さて、個展開催の7月ですが、実際は来年の個展に向けての制作が始まっております。個展開催の間、私はギャラリーにおりますが、その他の日程は次年度の制作工程を始めています。私はひとつの作品が終わる前に、次の作品のイメージが湧きあがってきて、作品梱包の退屈さを紛らわせるために、次の新しい作品に挑み始めます。次年度の作品は先月からやっていて、次のステージを思い描いているのです。今月は先月に続いて真夏日が続くようで、工房に長く留まれないものとして、制作工程を組んでいこうと思っています。今月は美術館鑑賞やら映画鑑賞もやっていきます。教職に就いていた頃は、7月と8月は夏季休暇を取っていて、創作活動だけではなく旅行も満喫していましたが、今となっては人が混雑する時期を避けて、気温が涼しくなってからどこかへ行くことも可能です。飼い猫もいなくなった今年はどこかに旅行しようかと家内と話し合っているところです。物価高もあって以前のように頻繁に海外に出かけて行くことはないのかもしれませんが、「発掘シリーズ」のイメージが枯渇する前に、もう一度海外の世界遺産が見たいなぁと希望しています。
    真夏日更新の6月を振り返る
    今日で6月が終わります。毎日を記録している小さな手帳を見ると、今月は来月に迫った個展搬入等の準備に費やす一方、来年の新作に取り組んだ1カ月でした。6月は30日間あって、そのうち28日間を工房に通いました。工房に行かなかった2日間は、教え子を連れて川崎市立民家園を散策した日と、家内を誘って海老名に映画鑑賞に行った日でした。今月はとくに暑かった印象があって、例年なら梅雨の季節のはずなのに真夏日が続いていました。どうやら気象庁によると関東でも真夏日の日数を更新しているようで、農作物の影響が心配されます。空調設備のない工房での作業は厳しく、とくに夕方は工房に暑さが籠るので早めに作業を切り上げる日もありました。7月もこの気温が続くのかと思うと憂鬱な気分になります。昨年も暑い中で作業をやっていましたが、思うように集中できないモヤモヤ感が残る制作になっていました。個展搬入のために陶彫作品を入れる木箱は15個以上が必要で、板材や垂木の追加購入をしなくてはなりません。日程的な余裕はあるので、来月に入っても搬入準備を継続していきます。ギャラリーから送っていただく案内状は先日ギャラリーに届けましたが、自宅から送る案内状の宛名印刷をそろそろやらなくてはなりません。明日から7月なので気を引き締めていこうと思います。今月の鑑賞は、前述した川崎市立民家園を散策してきました。どの民家も大黒柱の立派さに木造建築の心髄を見た思いがしました。今年の私の作品に実家の大黒柱を使っているので、気持ちがピリリと震えました。展覧会では「オディロン・ルドン展」(パナソニック汐留美術館)、「寿 直人の変な人…?」展(ギャラリーQ)に行ってきました。映画鑑賞では「国宝」(TOHOシネマズららぽーと)、「JANK WORLD」(TOHOシネマズ海老名)に行ってきました。鑑賞としてはまずまず充実していたように思います。読書では近代絵画史に纏わる書籍を読み終えて、西洋美術の近代から現代に至る潮流を改めて理解する機会を持ちました。理解の度合いが年齢によって違うことも感じ得て、自分を振り返る絶好の機会でもありました。
    週末 溝が齎す空間について
    日曜日になりました。日曜日には創作活動に関する話題を取り上げています。先日まで近代絵画史に纏わる書籍を読んでいて、改めて西洋美術が現在の自分を形成する上で、いかに大きな影響を及ぼしているか、とりわけ彫刻をやっている私には避けて通れないものがあることを実感しました。高校時代の最後になって急遽大学の彫刻科を志望した私は、空間の中に立体を構成している造形を一から学び、その骨格の関係性を木材と針金で作っていくことが新鮮であり、またその視点が育っていない自分は、他の学生より見劣りする塑造しか出来ないことが残念でなりませんでした。現在の彫刻科の学生は、さまざまな素材を使って、個性的な空間解釈を試みておりますが、私にはひとつのことがなかなか成就出来ないもどかしさがあって、他の素材へ眼が移ることはありませんでした。木材と針金で作った心棒に粘土をつけて筋肉の在り方を模索することで、私の4年間は終わってしまいました。そのモデリングでさえ上手くいかなかった私が、石彫によって美しい均整の取れた人体を彫り込んだミケランジェロを初めとするルネサンス時代の彫刻家や、さらに時代が遡ってギリシャ・ローマ時代の彫刻家は、一体どんな空間把握力や表現力をもっていたのだろうと、泣きたいくらいの信じられない気持ちになっていました。実際にそれを対面で見てみようとヨーロッパに旅立ち、イタリアやギリシャで見た人体石彫は、案の定私を圧倒していました。でもその時には、私に別の彫刻方法論が芽生えていて、西洋美術とはやや違う感性が育ち始めていました。それは平面的要素を含んだもので、レリーフ状の造形が私を捉えていました。ギリシャの遺跡で感じた土地全体にわたる大地に彫り込まれた溝による空間。それは土地の上に堂々と立つ石彫による人体や柱ではなく、溝が齎す空間とでも言ったらいいのか、大地を境に下に掘られたマイナス空間なのでした。そこを発想の根源として現在の私の造形が生まれてきたのだろうと述懐しています。