2025.06.23 Monday
今日は午前中、工房で7月個展準備のための木箱作りを行なっていましたが、午後になって東京銀座のギャラリーせいほうに出かけ、個展案内状を500部置いてきました。ギャラリーせいほうでは「土谷武展」を開催していて、この展覧会も私は楽しみにしていました。私が学生の頃は、野外彫刻展が盛んに行われていて、そこで見た土谷ワールドに憧れにも似た不思議な気持ちを抱いていました。当時の私は鉄も石も手をつける余裕がなく、専ら粘土による人体塑造に明け暮れていましたが、鉄や石のもつ素材の魅力に内心そわそわしていたのでした。「土谷武展」にはいろいろ人が来ていて、本人が亡くなって20年以上経っているにも関わらず、その人気を物語っていましたが、この会場で私は元神奈川県立近代美術館館長だった水沢勉氏にお会いしました。よく図録などの書籍に本人が写っているので、私は水沢氏がすぐ分かり、自己紹介の後で美術談義をさせていただきました。ひと世代前の彫刻家の話を興味深く聞いたり、宇部の野外彫刻展の運営にも話が及び、楽しい時間を過ごさせていただきました。あぁ、今日はギャラリーせいほうに案内状を届けに来て良かったなぁと思いました。もうひとつ、今日は銀座に来る用事がありました。高校の同級生である俳優の竹中直人君が、しりあがり寿さんと2人展をやっていて、それをラインで知らせてくれたのでした。銀座1丁目にあるギャラリーQで「寿 直人の変な人…?」展は、スケッチや水彩、陶芸などを展示していました。気持ちがふと軽くなるような軽妙洒脱な世界。私とは真逆な世界観ですが、これもアートとして鑑賞者の心に入り込む方法のひとつだなぁと思えて楽しく拝見しました。同展に関しては別稿を起こそうと思います。私にとって久しぶりに訪れた銀座は、相変わらず外国人観光客が目立っていましたが、洒落た店舗が多く、また老舗もあって、いい具合のバランスを保っている街だなと感じました。来月の個展開催中はここに暫く通うことになります。
2025.06.22 Sunday
日曜日になりました。日曜日は主に創作活動について述べていますが、今回は昨晩自宅に届いた7月個展の案内状について書いていきます。個展の作品を紹介する図録もそうですが、案内状も大切なアイテムだと私は思っています。この案内状に関して私には忘れられない思い出があります。20代後半、私はオーストリアの首都にあるウィーン国立美術アカデミーに在籍していました。私がいた頃アカデミーで人気があったのは絵画のクラスで、当時欧州美術界を席巻していたのはウィーン幻想派の5人の巨匠たちで、そのうちルドルフ・ハウズナーとアントン・レームデンがクラスを持って教壇に立っていました。私が知り合ったベネディクト・フェリンはハウズナー教室にいて、ヒマラヤの山麓を背景に民族衣装に身を固めた老婆を描いていて、衣裳の襞と老婆の皺で緻密に表現された絵画は、人目を引く出来栄えでした。彼はアジアの風俗文化に興味があったらしく、高地に住む人々の風貌を自らのテーマにしていました。私が驚いたのは彼の絵画に対する考え方で、おそらく個展があって、そこに向けて作品を準備していた頃に彼を訪ねたら、オリジナル作品に少々手を加えてはそれを画像に収め、画像として作品がどのように映っているかを確かめていたことでした。オリジナルよりまず案内状に使う画像の見栄えを気にする彼に、どうしてそんな本末転倒なことをするのか尋ねたら、個展に人が来るかどうかは案内状を見て判断するので、まず案内状の質を高めることだ、オリジナルは二の次だという答が返ってきました。これに私は混乱して作品の持つ内容はどうなるのだと思っていましたが、現在となってはSNS全盛の時代にあって、何かと写真に収め、インスタ映えを目的にしている風潮は、まさに40年前に私が見た光景そのものなのです。私もオリジナルであるアナログ作品とカメラマンが撮るデジタル作品を等価に扱っていて、当時フェリンのやっていたことと変わりはないことに気づきました。展覧会の広報にはバエる画像を選ぶのは当たり前のことと言えます。
2025.06.21 Saturday
土曜日になりました。今週を振り返ります。今週は7月個展に向けて、作品梱包用の木箱作りを行なっていました。木箱作りは創作活動ではないため退屈な作業ですが、作品を保存するためには大切なもので、売れない彫刻家である私はこうしたことを丹念にやっていかなければならないのです。陶彫は木材や石材に比べれば、衝撃が加われば割れてしまう物なので、それを保護するためにも木箱は必要です。昨年より今年は作品数が少ないので、木箱数も少なくて済むかなぁと全体を見積もりながら大工仕事をやっていました。陶土の残りが少なくなってきたため、栃木県益子町にある明智鉱業に陶土800㎏を注文し、火曜日の午後にそれが届きました。倉庫に陶土が潤沢にあると心が満たされます。来年に向けて頑張ろうと思えるのは単純な思考だなぁと思いますが、そうした幸福感が創作へのパワーになっていると感じています。創作へのパワーは、何も陶彫制作に限ったことではなくて、それは鑑賞の機会を持つことでも充当できます。今週の木曜日に海老名にある映画館へ家内とストップモーション(コマ撮り)映画「JANK WORLD」を観に行きました。機械の防護服を身に纏った人形や奇怪な生命体、それを取り巻く空漠とした風景を全て手作りし、しかも少しずつコマ撮りで撮影していく表現技法は、気が遠くなるほど大変な作業で、創作活動をしている私には痛いほどよく分かっています。前作「JUNK HEAD」を観た時もそう思いつつ、次第に物語に惹き込まれていく面白さを知ってしまった私は、今回も期待して映画を観に行きました。本作も期待通りで、さらにスケールが大きくなっていたことに感銘を受けました。私の陶彫制作もそうですが、他人がどう考えようが、自分がこれをやりたいと思うことで、何事にも代えがたい生き甲斐を感じてしまうのです。それは何としても私は実践すべきであると考えています。話は変わりますが、制作と鑑賞とは別に今週は自宅に関する事件がありました。2階の出窓の受けになっている木材の部分にどうやら害虫が発生しているらしく、住宅メーカーに連絡をして修理をしてもらうことになりました。結構大がかりになるのですが、自宅は築30年が経っているので仕方がないのかもしれません。
2025.06.20 Friday
「近代絵画史(下)」(高階秀爾著 中公新書)の「第22章 シュルレアリスム」について気になったところをピックアップしていきます。「すでにダダの運動のなかに潜在的にひそんでいた新しい表現への可能性を大胆にひとつの美学にまで高めたのがシュルレアリスムであるが、その美学の形成にあたって、最も重要な役割を果たしたのは、詩人のアンドレ・ブルトン(1896-1966)であった。ブルトンの考えていた美学の根本原理は、『シュルレアリスムと絵画』のなかに述べられている『驚きはつねに美しい、驚くべきものはすべて美しい、驚くべきもの以外に美はない』という言葉に、端的に示されている。その『驚き』の世界を創り出すために彼が用いたのが、オートマティスムであり、偶然性の利用であり、デペイズマンであった。」ここで4人の画家に注目しました。まず、エルンスト。「豊かな創意に恵まれた彼のコラージュによる《百頭女》のシリーズや、木の破片、葉っぱなどの上に紙をおいて鉛筆でこするといういわゆる『フロッタージュ』の手法によって浮かび出て来る新しいイメージや、彼自身『デカルコマニー』とよぶ粘着性の強い絵具を画面に押しつける手法による森林風景などにも、一貫して認めることができる。」次にダリ。「ダリの名前とともに名高いその『偏執狂的批判的方法』というのは、本質的には、たとえばオートマティスムのような『受動的』方法によって無意識の神秘を探ろうとする初期のシュルレアリストたちのやり方とは逆に、もっと積極的に想像力に働きかけることによって、個人の心の最も奥底の部分に眠っているイメージを甦らせようとするものである。」3人目はマグリット。「ダリが《内乱の予感》や《記憶の固執》に典型的に見られるように、ぐんにゃりした柔らかい有機的イメージを好んで用いたのに対し、マグリットは逆に、きり立った岩塊とか、ガラスなど、無機質な硬質のイメージをもっぱら登場せしめており、それによって、ダリの作品には見られない乾いた爽やかさを画面にもたらすのに成功している。」最後はミロ。「彼は早くから、故郷のカタロニアの風景、大地、農場、さらには太陽、月、星などの自然の存在を好んでテーマに取り上げ、奔放な造形力を駆使しながら、自己の見出した自然の世界を、画面に翻訳していったのである。事実、彼の作品では、一見きわめて抽象的に見えるようなものにおいても、しばしば日月星辰や、あるいは女性、動物などを象徴する形が登場して来るが、ほとんど記号化されたそれらの形は、ミロにとって、自然とのつながりを保証してくれるものである。」今回はここまでにします。
2025.06.19 Thursday
今日は工房での作業を休んで、海老名にあるエンターテイメント系映画館に、ストップモーション(コマ撮り)による映画「JANK WORLD」を観に行きました。実は2021年4月16日付のNOTE(ブログ)に、横浜のミニシアターで観た本作の先駆けとなる映画「JUNK HEAD」の感想があります。それによると「物語は至って簡単で、人類は地下開発の労働力として人工生命体マリガンを創造し、そのマリガンが自らのクローンを増やして人類に反乱を起こします。人類は地下世界で独自に進化するマリガンの生態調査をすることになり、主人公パートンを地下に派遣することになったのです。そのパートンが地下で出会う様々なマリガンの種族や異形生物との関わりがドラマとなり、映画全編にわたって描かれていました。」とありました。本作は前作より1000年以上前の物語で、人類がまだ肉体を持っていた頃、初期のマリガンと会合を開くところから始まり、そこにマリガンの原始宗教信者によるギュラ教団から襲撃を受けることになります。描かれている世界は生態系が崩壊し、人類は遺伝子操作によって環境適合性を推進しますが、マリガンが存在する地下世界では、マリガンはクローンを増やして、人類が把握できないほど勢力を拡大していました。核戦争が身近に迫る現代では、これは単なるお伽噺ではなく、未来の地球を予見しているのではないかと思わせる世界観があって、おぞましい描写が次から次へ出てきます。ただし、映画技法がストップモーション(コマ撮り)なので、現実世界にみる残虐性は薄れていて、むしろアートとしての奇抜性や創意性が目立った作品になっていると、私は感じました。第一作の「JUNK HEAD」に比べると、全体の情景が大きく造形されていて、登場する生物も多様化していて、私の眼からすれば楽しさが極まっていましたが、予見された未来は息が詰まるほど閉塞的で、少しずつ世界が終焉に近づいている感覚はありました。これは三部作なので、最終作品が残されていますが、世界は果たしてどうなってしまうのか、監督の頭の中には最後に何が描かれているのか、興味は尽きません。最後に技法的なことを言えば、本作は大変手間暇かかる労作で、キャラクターの造形も緻密に作られていて、その熱意に感動を覚えます。映画がヒットし、スタッフが増えることを願ってやみません。