2025.05.29 Thursday
昨日、東京六本木にあるサントリー美術館で開催中の「酒吞童子ビギンズ」展を見てきました。サントリー美術館が所蔵する重要文化財で、1522年に北条氏綱の依頼によって狩野元信が描いた「酒伝(呑)童子絵巻」は、最近解体修理が終わったらしく、かなり鮮明な絵巻になっていました。物語としては、鬼に誘拐された娘たちを救うため、源頼光とその家来による鬼退治を描いたもので、今まで物語に接することのなかった私にも分かり易さが伝わってきました。さらに酒吞童子の出生に纏わる絵巻が発見されて、それは神話の世界にも通じるものでした。すなわち、スサノウノミコトによって退治されたヤマタノオロチの亡魂が、伊吹山に飛んで伊吹明神となり、その息子として生まれたのが酒吞童子だと言うのです。「酒吞童子絵巻」にはサントリー本の他に、独ライプツィヒ・グラッシー民族博物館が所蔵する住吉廣行の描いたものがあって、サントリー本はこのライプツィヒ本とともに展示されていて、それらを比較して見ることができたのも幸いでした。サントリー本もライプツィヒ本も共通点があって、いずれも婚礼調度として絵巻は使われていたようで、両方とも姫君の所持品であったことが、私は何とも不思議な感じを持ちました。若い娘たちが誘拐され、血なまぐさい顛末がある絵巻が、どうして嫁入り道具になったのか、私には解せないところでしたが、図録の解説には、徳川家との縁を繋ぐ由緒の品として、絵巻が嫁入り道具に使われたことが記されていました。つまり、物語の内容を楽しむためではなく、「酒吞童子絵巻」という存在そのものが重要であったと考えられると解説は結んでいました。それはともかく、私はやはり「酒吞童子絵巻」の物語性に面白みを感じ、鬼が群衆になった個性的な表現に、何とも現代風な奇想を認め、そのキャラクターに親しみを持ちました。私は幼い頃から怪奇趣味があるので、その心が満たされた展覧会でした。
2025.05.28 Wednesday
美術館に行く日は、通常なら工房で窯入れを行ない、窯以外のブレーカーを落としているために作業が出来ない日を選んでいました。今日は来年に向けての新作を開始していて、まだ陶彫第一号が出来ていません。窯入れもないのに、今日は工房の作業を休んで、東京の美術館を2ヶ所回ってきました。私は今年7月に発表する作品が全て出来上がったところで休息を取らず、間髪を入れずに次作の制作に入りましたが、気分転換を兼ねて今日は展覧会に作品鑑賞に出かけたのでした。最初は東京六本木にあるサントリー美術館で開催している「酒吞童子ビギンズ」展に立ち寄りました。酒吞童子とは鬼のことです。平安時代に都で美しい娘たちを次々に誘拐していた酒吞童子が源頼光とその家来たちによって退治される物語は、現代のアニメにも通じていて、その展覧会の広報を見た時には「鬼滅の刃」の原型ではないかと、私は勝手に思い描いていました。展示されていた絵巻物は修復が終わったらしく、絵が鮮明になり、それだけに物語に惹き込まれる要素が充分あり、私は時間をかけて楽しんでいました。詳しい感想は後日に回します。次に向かったのは新宿で、巨大な駅のターミナルに困惑しながら、行きつ戻りつしながらSOMPO美術館に辿り着きました。ここで開催されている「藤田嗣治 7つの情熱」展で、私は久しぶりに藤田ワールドに触れました。藤田嗣治の独特な人物描写と、淡い色彩、それに私が好きなところはモデルの吊り上がった眼とキリリと引き締まった唇の表情が何とも魅惑的なのです。本展は小品が多かったのですが、子供のシリーズが充実していて、私は堪能できました。これも詳しい感想は後日に回します。東京の展覧会を巡ったのは久しぶりな気がします。今月は個展の図録用写真撮影があったために、とにかく作品を完成させなければならず、撮影が終わるまでは美術館に行く暇がなかったのでした。今日は本当に気晴らしになって、また明日から陶彫制作に励むことができるなぁと思っています。
2025.05.27 Tuesday
「近代絵画史(下)」(高階秀爾著 中公新書)の「第15章 マティスとフォーヴィズム」について気になったところをピックアップしていきます。「フォーヴの画家たち、ことにその中心的存在であるマティスにとって、セザンヌと新印象主義とが決定的な役割を演じたという事実は、はなはだ暗示的である。実際、マティスによる色彩の表現力の発見は、たとえば1904年に南フランスで描かれた《豪奢・静寂・逸楽》の画面にはっきりとうかがわれるように、新印象主義の色彩分割の技法に直接由来するものであるし、《サント・ヴィクトワール山》の画家について言えば、マティスはすでに1890年代から、他の印象派の画家たちとは違うセザンヌの歴史的意味を、はっきりと見抜いていた。」ここで、フォーヴィズムと称された時期を探ります。「『印象派』の場合と同じように、『フォーヴィズム』という名前も、批評家の悪口がもとになって登場してきた。しかし、その仲間は、印象派やナビ派のように、はっきりときまったグループを形成していたわけではない。1905年のサロン・ドートンヌは、カタログによれば参加した画家の数は397人、出品作品1625点という大がかりなものであったが、たまたま主催者側が、それらの作品のうち、似たような傾向の若い画家たちを会場のグラン=パレの二つの部屋に集めたために、彼らが『野獣』の仲間としてクローズアップされるようになったのである。」マティスについて。「これらきわめて多様な個性の持主であるフォーヴの画家たちのうち、グループのなかで代表的な存在であり、歴史的にも最も重要な役割を果たしたのは、アンリ・マティス(1869ー1954)であった。彼は、仲間のうちで最年長であったばかりでなく、造形表現上のその大胆な試みによって他のフォーヴたちに大きな影響を与えた。しかし、それでいながら、彼は、『野獣』という呼び名から連想されるような奔放な激情の画家ではなく、むしろ明晰な知性の画家であった。たしかに彼は革命家であったが、醒めた革命家であった。そして、革命家としての彼の情熱は、古い秩序を破壊することよりも、新しい秩序を創り出すことの方に向けられた。その点で、マティスは、同時代のカンディンスキーに似ていると言えるかもしれない。」今回はここまでにします。
2025.05.26 Monday
「近代絵画史(下)」(高階秀爾著 中公新書)の「第14章 ドイツ表現主義」について気になったところをピックアップしていきます。まず表現主義とは何か、これに触れます。「最も優れたかたちでは、グリューネヴァルトの強烈な神秘主義や、カスパール・ダヴィッド・フリードリヒの汎神論的ロマン主義となって登場してきた。ドイツ表現主義の画家たちが、多かれ少なかれロマン主義の落とし子であることも、またノルデやベックマンが意識的にグリューネヴァルトに霊感を求めたことも、決して偶然ではない。~略~彼らは、世紀末の画家たちからその『表現』様式のみならず、既成の権威の否定と新しい芸術の創造という『革命的精神』をも受け継いだ。彼らが、フランスのフォーヴの画家たちと同じように、オセアニアやアフリカの未開人たちの芸術に強い関心を示し、さらに『青騎士』の仲間たちの場合に見られるように、子供の絵のなかに『創造的』価値を見出して、積極的にそれを評価するようになるのは、彼らのこの『革命的精神』と無縁ではない。」次に「ブリュッケ」について。「『ブリュッケ』(橋)という名称自体が、過去と未来とをつなぐものという意味で選ばれたものであり、新しい時代の芸術家としての彼らの誇りと自覚とを十分に物語っている。同じ表現主義と言っても、たとえばバルラッハが明白に中世への傾斜を示し、ノルデがいわば時代を越えた永遠の魂の深淵を造形化したのに対し、『ブリュッケ』の画家たちは、その青春の情熱をすべて『現在』に注ぎ、そのことによってドイツにおける最初の20世紀旗手となることができたのである。~略~『ブリュッケ』の歴史的意味は、何よりも意識された前衛芸術運動としてのグループ活動そのものにあったと言える。造形的な面から見れば、同時代のフォーヴの画家たちの方が、はるかに大胆な革新を試みていた。そのことは、現代に対する鋭い社会的意識をつねに感じさせるキルヒナーの裸婦と、純粋に造形的な問題を追求したマティスの裸婦とを比べてみれば、明らかであろう。キルヒナーのその鋭敏すぎるほどの社会意識は、グループを支える活力となった一方、晩年にいたるまで彼に憑きまとって離れず、ナチスの登場以後ついに彼を自殺にまで追いやってしまうほどのものだったのである。」最後にカンディンスキーを取り上げます。「モスクワに生まれて最初法律と経済学を学んだワシリー・カンディンスキー(1866-1944)は、その残した業績から見れば、疑いもなく20世紀絵画における最も重要な革新者のひとりであるが、しかし、年齢から言えば、きわめて遅く登場した革命家であった。彼が法律の専門家としてのアカデミックな道を棄てて画家を志したのは、すでに30歳になってからであったし、完全に具象的形態を離れた抽象作品を描くのは、ほとんど50歳に近くなってからである。」今回はここまでにします。
2025.05.25 Sunday
日曜日になりました。昨日、個展の図録用写真撮影が終わりました。これによって今年の7月に開催予定の個展に出品する作品は、全て完成しました。作品が出揃ったところで、気分としては休息をとりたいところですが、私が今までやってきた習慣として、間髪を開けずに次作に取り組み始めることにしています。ひとつ終わって休息をとってしまうと、そこで制作が途切れてしまう恐れがあります。私がやっていることは社会的なニーズがなく、いつ制作をやめても誰も困ることはなく、さらに自分の制作姿勢を保つために、完成翌日から新作に取り組み始めることを信条にしているのです。そこが3年前まで就いていた教職と異なるところで、創作活動は自分が勝手にやっている自由な活動のため、休まないことが自分なりの工夫なのです。創作活動をどう継続していくか、けじめをつけたいところで、それをせずに即時次なる課題に立ち向かうのです。休息は、新作が調子に乗ってきたところでとります。幸い新作のイメージは既に湧いてきているので、まず、その第一歩を踏み出します。今日は朝から後輩の彫刻家が工房にやってきていて、木彫を始めていました。彼は昨日、図録用写真撮影に協力してくれていましたが、今日は自らの制作に精を出していました。私は彼に背中を押されながら、新作の土練りから始めました。暫く陶土に触っていなかったので、保存状態が気になり、やや硬くなった陶土を細かくして水を打ちました。先週は平面作品に取り組んでいたために、陶土はビニールで包んだまま放置していました。陶土を扱っていると、陶土は世話が必要な生きものだなぁと感じることがあります。乾燥具合を確かめながら成形や彫り込み加飾をやっていくので、自分の制作姿勢とは別に、陶土の乾燥具合でも休息がとれない事情があります。昨日の疲労があることも承知の上で、今日は無理のない時間で制作に励みました。