2025.06.03 Tuesday
「近代絵画史(下)」(高階秀爾著 中公新書)の「第16章 フォーヴの画家たち」について気になったところをピックアップしていきます。ここでは私が注目した3人の画家を取り上げます。まず、ヴラマンク。「ヴラマンクは、絵画によって何よりもまず『自己』を表現しようとした。絵画は、彼にとっては、ひとつの秩序ある自律的世界というよりも、彼を陶酔させるスピード感や彼の愛好したヴァイオリン演奏と同じように、生命表現の手段であった。彼は、マティスのように絵画のために生涯を捧げたのではなくて、生きるために絵画を選んだのである。このような画家が表現主義者になるのは、むしろ当然のことであったろう。激しい原色の乱舞のなかでさえ洗練された調和の感覚を失わなかった多くのフランスのフォーヴの画家たちのなかで、ヴラマンクだけが粗野なまでの色彩の不協和音と誇張された醜怪な表情によってドイツ表現主義の画家に近いものを感じさせるのも、決して不思議ではない。」次はドラン。「性格的にもヴラマンクより穏やかで、伝統的な表現をもよく消化していたドランは、フォーヴ時代の鮮烈な色彩の作品においても、故意に不協和音をぶつけ合うようなことはせず、印象派や、とくに新印象派の美学を通じて学んだ色彩の調和を画面に生かして、見事な色彩の抒情詩を歌い上げた。その点においても、ドランは、マティスと多くの共通するものを持っており、事実マティスから、少なからぬ影響を受けている。」最後はルオー。「ルオーのこの激しい表現主義も、第一次大戦以降、しだいに落ち着いた、静かな世界へと移っていった。おぞましい人間像のかわりに、神や聖女が登場し、風景も優しさを取り戻すのである。~略~それに応じて、表現技法もずっと落ち着いた入念なものとなり、豊かなマティエールに支えられた厚塗りの油絵具が、まるで七宝焼や陶器の肌を思わせるような深い輝きを湛えて、画面いっぱいに豊麗な色彩世界を展開して見せる。」今回はここまでにします。
2025.06.02 Monday
毎回、個展を開催する時には、私は必ず図録を用意しています。幾度となくNOTE(ブログ)に書いていますが、私の彫刻は陶彫部品を組み合わせてひとつの作品にする集合彫刻で、展示する度にスタッフ数人がかりで作品を組み立てるのです。展示が終われば、作品を解体して、それぞれの陶彫部品は木箱に収めてしまいます。その作品は個展以外に容易に見せることができず、作品全容を見せるためには画像として記録しておく必要があります。そういう意味で図録は必要不可欠です。アナログをデジタルにする際は、撮影の視点等が関係するので、自分では撮影をせず、費用が発生してもカメラマンにお願いしているのです。他者の視点を入れることで作品の世界が広がることを期待しているからです。実際に私が見慣れている作品が、やや角度が変わって画像に収められ、私には新鮮に映ります。今回は20回目の個展なので、図録も20冊目になります。私は最初の1冊目から同じサイズ、同じページ数にしてシリーズ化した図録を作っています。レイアウトもほぼ同じですが、毎回作品が異なるので、図録の雰囲気は毎回新鮮なものに仕上がります。場所は工房の野外と室内を使っていて、それぞれに陰影の効果が違います。立体作品は置かれる場所によって違う様相になり、それが面白味でもあるのです。まさに空間演出の装置というか、周囲の空気を巻き込んで、物質以外のところにも充分存在感を示しています。今晩は2人のカメラマンが自宅にやって来て、家内と私を加えて4人で図録に掲載する作品写真を選び、そのレイアウトを考えました。今回は平面作品もあり、久しぶりに作った小品「陶紋」シリーズもあって、バリエーションに富む構成になりました。今回の目玉になった「発掘~跨橋~」は実家の大黒柱を再利用しているので、デジタルではその素材感を強調し、木目を美しく目立たせた画像を個展の案内状に使うことにしました。実は「発掘~跨橋~」の影の主役は大黒柱です。年輪が語る凝縮した時間が何とも素敵なので、私はこれを生かす方法を考えながら作品を作っていました。アナログな彫刻作品だけではなく、図録も作品の一つと私は考えています。
2025.06.01 Sunday
日曜日になりましたが、今日は6月の初日でもあります。来月に個展を控えた1ヶ月でもあり、今月はその準備をやらなくてはならないのです。個展搬入準備の梱包は、まず「発掘~跨橋~」の古木材をエアキャップのついたシートで包むことから始めます。平面作品「痕跡」も同じエアキャップのついたシートで包みます。陶彫作品は木箱を作って、そこに収めていきます。毎年のことで6月は梱包に明け暮れていますが、それだけでは退屈するので、新作も併せて作っていきます。先日から来年の陶彫作品を作り始めました。今日は朝から新作作りをやっていて、今まで以上にサイズが大きい陶彫作品に挑んでいました。今月は愈々梅雨入りですが、陶土は湿度が高い方が良い状態を保てるので、梅雨入りは歓迎なのです。私自身は梅雨が苦手ですが、陶土中心に回る制作では仕方がありません。今月も毎日工房に通って作業をしていく予定ですが、美術館や映画館に鑑賞に出かける機会を増やしたいと思っています。とくに映画は理屈なく楽しめる娯楽性の強い作品があり、そうしたものも観ていきたいと思っています。このNOTE(ブログ)は自分の創作に纏わるものを中心にして書いていますが、アーカイブを通読すると、娯楽的要素が少ないなぁと感じます。この話題を書くべきかどうか悩む時もあり、他人のアップしている記事や画像を覗くと、かなり気儘に自由に情報を挙げていて、羨ましいと感じるとともに、自分はこれでいいのかなとも思います。気楽な話題を挙げるとすれば、私の年齢にして、現在流行しているアニメをよく見ていることです。教え子の中にアニメに精通している子がいて、私の趣味に合いそうなアニメをラインで知らせてくれるのです。日本のサブカルチャーは世界を席巻していて、その凄さを私は実感しています。それを身をもって感じているのは、教え子のおかげです。オタク文化を私は好意的に受けとめていて、その浸透力に驚くばかりです。
2025.05.31 Saturday
週末になりました。いつもなら今週の振り返りを行なうところですが、今日が5月の最終日なので、今回は今月を振り返ってみたいと思います。今月は個展の図録用写真撮影が24日(土)にありました。この日まで私はフル稼働で制作に励んでいました。おかげで個展に出品する作品全てが完成し、ホッと胸を撫で下ろしました。これで今年の7月に東京銀座のギャラリーせいほうで20回目の個展が出来るという安堵感もありました。その後は疲労が徐々に出てきましたが、何とか撮影翌日から私は新作に取り組み始めています。美術館にも28日(水)に鑑賞に出かけられました。今月は31日間あるうち30日間は工房に籠っていました。工房を休んだ一日は前述した通り、東京の美術館2ヶ所を回ってきました。「酒呑童子ビギンズ」展(サントリー美術館)、「藤田嗣治展」(SOMPO美術館)の2つの展覧会は、なかなか魅力的な展示が多数あって、私の心を捉えました。今月は映画や観劇がなかったので、来月は実技と鑑賞をバランスよくやっていきたいと思っています。日々の疲労を解消することで言えば、今月は新しいマッサージ機が届いたことです。新型のマッサージ機を、私と家内は交代しながら毎晩使用していて、とても重宝しています。一日のうちで心地よい時間帯があるのは幸いだなぁと思っています。読書は西洋絵画史に関する書籍を読んでいて、旧知のことでありながら、再度自らの知識を確認しています。若い頃に仕入れた知識でも、この年齢になってもう一度学び直すのは、そこに新たな視点が加わって興味関心がさらに増すことを知りました。また現時点での自分の創作を見直す機会も訪れて、自分が培ったものを広い視野で考えると、私のやっている現代彫刻は果たしてどうなのか、自分の造形哲学を再構築することも必要だなと感じることもありました。学ぶことは終わりがないと改めて感じ入った次第です。
2025.05.30 Friday
先日、東京新宿にあるSOMPO美術館で開催されている「藤田嗣治展」に行ってきました。昔から藤田嗣治ワールドを私は度々味わっていて、機会があれば仏ランスにあるシャペル・ド・ノートル=ダム・ド・ラ・ぺ(平和の聖母礼拝堂)に行って、画家本人による建築設計、ステンドグラス、装飾、フレスコ画を見てきたいとさえ思っています。本展は副題に「7つの情熱」とあり、それは自己表現・風景・前衛・東方と西方・女性・こども・天国と天使の7つの主題に分けて、藤田ワールドを読み解くものです。作品は比較的小品が多かった印象でしたが、質の高いものもあって、私の眼は時折釘付けになりました。画家本人が暮らした当時のパリの芸術界の潮流にも敏感に反応している作品もありましたが、私はやはり淡い乳白色の上に緻密な線描で表現された人物像が大変気に入っていて、その女性像を見た時に、あぁこれがフジタだと納得した次第です。図録の中にこんな文章がありました。「藤田の生涯のいかなる時も、繰り返し表現と変化を重ねるほどにその人生につきまとい、彼を最も魅了し、主題以上に最低限求められるものとして彼が一番大切にしていたのは、線の美しさを明確にすることであった。この流麗で、しなやかで、表現力に富む美しい線は、彼を成功に導いた。その美はいたるところに、油彩画はもちろん小さなデッサンにも存在する。これらの線は彼の情熱の美のベクトルであり、藤田の大望とはすなわち、他の芸術家たちよりも巧みに線を描くことであった。」(シルヴィー・ビュイッソン著)その中で私は1927年に描かれた「友達、ユキとマド」や「枕の上の裸婦」に見られる白っぽい画面に注目しました。白は混じりけのない白ではなく、桃色や緑色、青色、黄土色がほんのわずか混ぜ合わされ、微妙な陰影となって画面を覆っています。線描は極細の筆が使われたのでしょうか。日本画のようでもあり、乾いた雰囲気もあり、その独創的な味わいはまさに藤田ワールドそのものだなぁと感じました。