2025.09.28 Sunday
日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。先週は運慶の仏像を鑑賞したので、ふと信仰と芸術についてNOTE(ブログ)にしようかと思ったのですが、タイトルが仰々しすぎて、論文みたいになるのを避けて、身近なコトバで「祈る・創る・捉える」ことを書いていこうと思っています。美術という概念がなかった昔の日本では、仏像は信仰の対象でした。それでもある水準に達した仏像は多くの人に敬われていたことは確かで、その水準とは何だったのか、そこに人々の美意識が働いていたと考えるのは我が国の仏像史を見ても間違いではなさそうです。美意識は美術という西洋伝来の概念以前に、人間に備わっていた能力で、古代からそうした美に近づこうと試行錯誤したのが創る行為だったのだろうと思います。全ての事象を美しいと感じる心は、脳の発達とともに人間に備わったもので、人間同士のコミュニケーションや行動をもコントロールしていると私は考えています。人間が何かに祈るという行為も古代から続いているもので、特定宗教を持たない私も、危機を感じた時は心中で何かに向かって祈り、また救済を求めてしまいます。これは信仰心と呼べるもので、宗教宗派が興る前から人間に備わっているのではないでしょうか。そうした祈る行為と創る行為が結びつき、それぞれの宗教に見られる宗派ごとの芸術作品が生まれてきたのでしょう。近代になって創る行為は宗教から切り離され、美意識そのものを主張するような時代がやってきました。私が日々やっている創作活動は、まさに美意識だけに支えられている行為で、それ以外にどんな説明要素をもたない作品なのです。祈ることと創ることは長く一体となっていたものが、近代になって創ることが独立したと捉えることは出来るでしょうか。様々な資料を読み尽くせば、それはそう短絡的なものではないと思っていますが、今日のNOTE(ブログ)は何も参考資料を頼らずに、私が仏像を見た後で博物館から自宅までの帰り道に、雑駁ながらあれこれ考えたことを記したものです。薄っぺらな捉えであることを重々承知で書いてみました。
2025.09.27 Saturday
週末になりました。定番として土曜日は今週の振り返りを行ないます。今週も相変わらず毎日工房に通ってましたが、漸く涼しくなってきたので、新作の窯入れをしようと思いました。新作はかなりの数の陶彫部品の成形や彫り込み加飾が終わって乾燥が進んでいます。ただ、焼成をしなければ陶彫作品は完成とは言えず、まず第1号の窯入れを水曜日に行いました。水曜日は丸一日かけて乾燥した陶彫部品に仕上げと化粧掛けを施しました。ひと夏越した化粧土は、水分が蒸発していて、もう一度水を足して攪拌をしました。夕方には陶彫部品を窯に入れて一段落しましたが、毎回窯入れは祈りたいような気持で焼成を開始します。現在作っている陶彫作品の部品が大きいので、窯には1点しか入れられず、土台となる陶彫部品6点の焼成には6回分の窯入れが必要となります。またその日に窯入れをしてしまうと、電気の基本料金の関係で翌日の電気が使えず、工房での作業は中止になります。そういう訳で木曜日は東京の博物館と美術館に出かけました。家内が用事があったため、展覧会巡りは私一人で行きました。上野公園は観光客や児童の遠足等で賑わっていました。東京国立博物館の「運慶」展も東京都美術館の「ゴッホ展」もきっと混んでいるだろうと予想を立てていましたが、やはり大変な混雑ぶりで、私は鑑賞者の間を縫って作品を鑑賞してきました。運慶の仏像もゴッホの絵画も私には旧知のものばかりで、新鮮味に欠けるかなぁと思いきや、久しぶりに観る名作はやはり記憶のアップデートがあって、何度も感動を与えてくれるものだなぁと思いました。創作行為は人間でしか出来ないもので、そこにその作者の精神性が見られ、この人は一体何を求めて鑿を振るい、また絵筆を動かしていたのか、その行きつく先を考えるのは、とても楽しいことだと私は考えます。求めてやまなかったものは、作者の生きる意味だったのか、命のカタチだったのか、懸命に探っていったものを鑑賞者は追体験をし、その意欲を戴くことで私たちにも活力が漲ってくるのでしょう。
2025.09.26 Friday
昨日、上野にある東京国立博物館で開催されている「運慶 祈りの空間ー興福寺北円堂」展に行ってきました。本館特別五室に国宝仏像7躯が配置された空間は、荘厳な雰囲気が漂い、量感溢れる運慶の造形に魅せられました。過去に幾度となく運慶の仏像を見ていても、また新たな感動がやってくるのが運慶ワールドの定番で、写実の中に魂が籠っていると私は感じています。図録より仏像の知的背景を探りました。「中尊弥勒像は厳しい表情、印相や内衣といった奈良時代の如来像に通有の表現が特徴で、天平古像を模したことが明らかである。体部は胸を張りながらも首を前に突き出してやや猫背とするが、斜側面や側面から見ると正面からはうかがえないほど、たっぷりとした量感を持つことに驚かされる。自然と構えた右手も、絶妙な計算の上であることが理解される。古像の復興という課題を、写実を基本とした新様式を駆使しながら解決した傑作である。」さらに四天王像について。「弥勒像台座墨書によると、四天王像の頭仏師は東方(持国天)を法眼湛慶、南方(増長天)を法橋康運、西方(広目天)を法橋康弁、北方(多聞天)を法橋康勝というように、運慶の子息四兄弟が担当していたようだ。この四天王像の破格とも評すべき激しい動勢と怒りの表現が、弥勒、無著・世親とどのように響きあうのかが、本展の一番の見どころといってよい。」そして二羅漢像について。「二羅漢像(無著・世親)の名称については議論のあるところだが、この墨書に『世親』『无著』とあることから鎌倉復興時には無著・世親像として造立されたことは明らかである。」(児島大輔著)運慶とはどんな人物だったのか、形態の捉えを誰に学んだのか、解剖学なんて発想のなかった時代に、この肉感を彫り出したのは単に才覚だけで可能だったのか。私は大学時代、覚束ない人体塑造に自分の立体感覚のなさに嘆いていた時がありました。そんな中で勇気づけられていたのは、ロダンやブールデル、果てはミケランジェロだけだったのではなく、体躯が衣の下に脈打っている運慶の仏像だったのでした。今回は本来の祈りの空間ではなく、場所を博物館に移した運慶の仏像は、あの日私が見た美術作品としての像そのもので、懐かしさが込み上げてきたのも納得の瞬間でした。
2025.09.25 Thursday
昨日、新作の第1回目の窯入れを行ないました。成形や彫り込み加飾が終わった作品は、乾燥用の作業台に置いてあって、窯入れの準備は整っていましたが、夏の猛暑の中では窯を焚こうという気が起こらず、第1回目の窯入れは今月後半になってしまいました。私の工房は電気の基本料金の関係で、焼成中は他の電気が使えず、作業はストップしてしまいます。それを利用して私はさまざまな展覧会に出かけていくのが定番になっています。窯入れが久しぶりだったので、こうした状況での展覧会巡りも久しぶりになりました。今日は東京上野にある東京国立博物館で開催されている「運慶」展と、東京都美術館で開催している「ゴッホ展」に行きました。鎌倉時代の仏師運慶の仏像を私は度々見ていて、懐かしい人に会いに行くような気分で出かけましたが、巨躯7体が並んだ東京国立博物館本館は、緊張感漂う壮麗な空間に変わっていました。思えば学生の頃、私は日本美術に退屈を覚えていましたが、運慶の仏像に西洋彫刻の趣を感じて、仏像が一気に好きになったのでした。言わば自分の日本美術開眼のきっかけを作ってくれたのが運慶だったのです。無著菩薩・世親菩薩の両立像に、私は思わずお久しぶりですと呟いてしまいました。詳しい感想は後日改めます。次に向かったのは東京都美術館の「ゴッホ展」で、平日にも関わらず混雑していました。日本人がゴッホが好きなのは分かっていたのですが、私にもゴッホに纏わる思い出があります。私が中学校1年生の時に、美術の授業で水彩による風景画の課題が出ていました。私は中学校の正門の近くにあった大きな樹木を描いていて、水彩絵の具を普通に塗らず、線を描くように何本も重ねるように色を変えて樹木を描きました。それを見て女性の美術教諭が、これはゴッホみたいと評してくれたので、その言葉で私は忽ちゴッホのファンになったのでした。そのやり方はその後うまくいかず、私のゴッホ熱は冷めてしまいましたが、私が大学生の頃に再びゴッホの絵を見て、骨太の人物像が描かれていたことで、その彫塑的な表現に惹かれました。輪郭をしっかり線描したのは日本の浮世絵の影響なのか、それとも印象派の延長として新たな表現を探っていたのかよく分かりませんが、私にとってゴッホは馴染みのある画家であることに間違いはありません。これも詳しい感想は後日改めます。今日は充実した一日でした。
2025.09.24 Wednesday
「廃墟論」(クリストファー・ウッドワード著 森夏樹訳 青土社)の3つ目の章は「忘れられない廃家」という題がついています。本章で気を留めた箇所は作家エドガー・アラン・ポーに纏わる話題です。「ディケンズの小説では、人間の精神を表現するのに建物という物質的な存在が象徴として使われている。それはたとえば、ミス・ハヴィシャムの悲しみや不毛な心は、レンガや石となって凝り固まっていた。ところがエドガー・アラン・ポーの『アッシャー家の崩壊』では、建物と所有者の類似性はさらにいちだんと濃密さを増す。館とそこに住む一族は、近辺の農民たちにとってまったく同一のものに思えた。しかし、この物語の語り手の発見によると、館を形作る石の方がそこに住む人間よりも、いっそういきいきと生気を帯びているという。~略~ロデリック・アッシャーは何年もの間、一歩も館の外へ出たことがなかった。そのため彼は、先祖の家のもつ独特な霊気に徐々に毒されていった。『灰色の壁や塔、それにそれらが見下ろす薄暗い沼の形(フィジック)が、結局のところ、彼の倫理感(モラル)の形成に影響を及ぼすことになった』。何世紀にもわたって、館の霊気は『一族の運命を左右し、…彼を今、目の前に見るような人間にー現在の彼に作り上げたのである』。」この作品はポーによる文学上のゴシック主義と称されているようです。「『彼は幻影にとりつかれている心、混乱した頭を暗示し』ようとした。1923年にこう書いたのはD・H・ローレンスである。ローレンスは『アッシャー家の崩壊』に見られる地下への脅迫的ともいえる執着が、ポーを『穴蔵や地下室、そして人間の魂が持つ恐ろしい地下通路への冒険家』にしたことを認めている。ポーは『自分自身の魂が崩壊する過程』を白日の下へさらした。そしてそれは21世紀の人類が陥ることになる精神神経症を予示するものとなった。ポーはまたフロイトをも予想していたといえる。考古学を精神分析のために必要な類推の手立てと見なした、あのフロイトを。~略~人間の魂はこれまで古典文学によって、確固不動のものとされてきたわけだが、その魂の深奥に地下室や塔、それに中世の廃墟の影などが触れうる、あるいは届きうることを建築家に示したのは、他ならぬ小説家たちだった。しかし文学やその解説などをもってしても、ポーが描いた建築に関わる描写の生彩に富んだ表現には、なお解きえぬ謎めいた部分がある。」今回はここまでにします。