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  • 「ミケランジェロ」について・8
    「芸術家列伝3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)の「ミケランジェロ」について、幾つかに分けて気に留まった箇所をピックアップしていきます。この章の後半は本書の著者ヴァザーリとミケランジェロの交流について書かれています。「すでにパウルス三世時代にコージモ公は、ミケランジェロがサン・ロレンツォ寺聖具室を完成すべくフィレンツェに戻るよう説得できるかどうか知るため、トリーボロをローマに派遣していた。しかしミケランジェロは、年をとってもはやきつい仕事はできないと語り、多くの理由をあげて断わり、ローマを離れられないと固辞した。それで、トリーボロは最後にサン・ロレンツォ寺図書館の階段制作を要請した。ミケランジェロはそのための多くの石材を用意させていた。だが模型もなかったし、形に合った確実さといったものもなかった。床面に煉瓦でいくつかのしるしや、その他土製の略図はあったが、適切な最終的な解決案は見出されていなかった。それでトリーボロは公の名前など語りながらいろいろと頼んだのだが、ミケランジェロは覚えていないというほかは何も答えなかった。コージモ公はヴァザーリに、この階段をどんなふうに完成したらいいのか言ってよこすよう、ミケランジェロに手紙を書くむね命じた。おそらくは、ミケランジェロがヴァザーリに抱いていた友情や愛情から、階段を解決に導き、完成させる方策を何か言ってくるにちがいないと思ったからであった。~略~またこの頃、ミケランジェロはヴァザーリにこう書いてきた。ユリウス三世が死に、マルケルスが即位したが、ミケランジェロに敵対する派の連中は、この法王が新たに即位したことから、再び彼を悩ませ始めたというのである。コージモ公はこれを聞きつけ、いたく立腹し、ジョルジョ(ヴァザーリ)に手紙をしたためて、こう伝えさせた。ミケランジェロはローマを離れ、フィレンツェに住むよう戻ってきたほうがよい、公のほうは、彼の計画に基づく建造について、ときおり忠告してもらうほかは何も頼まないし、ミケランジェロのほうは、自ら何もやらないとしても、公から欲しいものを手に入れればよい、というのである。また新たに、コージモ公の個人秘書リオナルド・マリノッツィ氏を通して、公やヴァザーリの書簡が届けられた。だがマルケルスが死に、パウルス四世が即位すると、再び元のようになったので、ミケランジェロは法王の足に口づけをしに行き、多くの申し出を受けた。サン・ピエートロ寺建造の完成が望まれ、またその遂行の義務があるとも思われたので、彼はローマに留まることにした。」今回はここまでにします。
    週末 陶彫3段目の制作
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。昨日のNOTE(ブログ)で少し触れましたが、現在作っている陶彫作品は、6点の土台となる陶彫部品が向かい合う構成にしようとしています。6点にはそれぞれ2段目の陶彫部品を積み重ねていく予定です。2段目はまだ全部出来ているわけではありませんが、先週からさらに上に積む3段目の陶彫部品を作ることにしました。この3段目をもって完成形になりますが、私にしてみれば、この3段積みの作品は比較的大きなスケールになります。「発掘シリーズ」の源泉が遺跡となった建造物群からきているので、印象としては建築のような、また橋桁のようなものになります。土台の陶彫部品も2段目も3段目も文様を彫り込んであり、そこに窓のような穴を開けています。これは焼成をするために空気を通り易くした配慮ですが、それが建造物の窓のように見える効果もあるのです。作品の重量も彫刻には大切な要素で、上の段にいくほど軽量にしています。複数の作品で構成する空間造形は、重力との闘いになります。とりわけ私の作品は陶彫によるものなので、軽量にすることには限度があり、また自らの表現にはある程度の厚みが必要になるため、重量のある作品を作ることは初めから決めているのです。ただし、ここまで作っても現時点ではまだ1点も焼成をしていません。つまり、陶彫部品が1点も完成していないわけです。陶彫作品は窯入れをして、高温で焼成することにより、最終的な完成形になります。土練りにしろ、成形にしろ、彫り込み加飾も最終工程である窯入れのためにやってきていて、窯から出されて漸く完成した陶彫作品を眺められることになるのです。この焼成と最終工程は、私の手の及ばないところで窯内にいる炎神によってその完成度が左右されます。そこが作者としては難しいところであり、また面白いところでもあります。これを本当に自分が作ったのかという変容した姿に魅力を感じられるのが陶彫作品の醍醐味でもあるのです。
    週末 陶彫&出窓修繕工事の完了
    週末になりました。定番として土曜日は今週の振り返りを行ないます。今週の前半は猛暑が続いていましたが、週半ばに台風が発生し、横浜でもどしゃ降りになりました。やや涼しくなったのですが、今日は台風一過で猛暑が戻ってきました。一体いつになれば涼風が立つのか、蒸し暑い工房での制作は慣れることはありません。今日の土練りで汗びっしょりになりました。台風の合間を縫って先週から続いている出窓修繕工事がほぼ完了しました。2階にあったお洒落な出窓はなくなりましたが、築30年以上の自宅なので、それでも良しとしています。修繕工事の外側の塗装と最終点検が来週に残っていますが、業者さんたちにはしっかりやっていただけたと思っています。陶彫制作では土台となる6点の陶彫部品と、その2段目に積み上げる陶彫部品4点の成形と彫り込み加飾が終わりました。2段目は残り2点を残すのみになっています。3段目に積み上げる陶彫部品も2点やっていますが、中途半端に制作を続けているのは、陶土の手元に残った分量によるもので、分配を判断してやっているのです。というのは私が使う陶土は混合陶土なので、その都度、割合を決めて土練機にかけていて、混合陶土を作るにも時間がかかります。しかも工房内の温度や湿度によって陶土の硬化状態が変わるので、気候による困難さは、陶土を素材にしている以上、条件としてついてまわるものなのです。とくに時間のかかる彫り込み加飾は、全て終わらないうちに陶土の表面が硬くなってしまうので、濡れ雑巾で表面を覆って対応しています。これだけ暑いと急激な乾燥によって罅割れることもあり、仕上がった箇所も水を吹き付けて、場合によってはビニールで保護しています。陶彫は陶芸と違い、無理な形態をしているので、徐々に全体が乾燥していくように配慮しています。それでも罅割れは生じてしまいます。まだ窯入れをしていないので、どの程度の作品が完成に漕ぎつけられるのか分かりませんが、鎧を纏ったような陶彫の完成形を思い描きながら、今週も頑張っていました。
    「ミケランジェロ」について・7
    「芸術家列伝3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)の「ミケランジェロ」について、幾つかに分けて気に留まった箇所をピックアップしていきます。今回は建築に関する箇所です。「法王パウルスはボルゴの城塞構築に着手し、この会議に、アントーニオ・ダ・サンガㇽロともども、多くの貴顕たちを招集した。法王はミケランジェロも参加するように望んだ。フィレンツェのサン・ミニアートの丘周辺につくられた城塞が、ミケランジェロによる考案であることを知っていたからである。多くの議論ののち、ミケランジェロは自分の意見を尋ねられた。彼はサンガㇽロや他の多くの人たちと意見を異にすることを素直に述べた。それでサンガㇽロはミケランジェロに、彼の専門は彫刻や絵画であって築城術ではないと言った。ミケランジェロはこれにこう答えた。自分は彫刻や絵画のことはあまり知らない。だが築城術のことは長いこと考えたこともあったし、作った経験もあるのだから、知りもしないサンガㇽロや彼の一族のだれよりもよく知っていると思える、と。そして多くの人を前にして、サンガㇽロがその点で多くの誤りをやったことがあるのを指摘した。」次に本書の著者ヴァザーリが登場します。「法王ユリウス三世はこの年、サン・ピエートロ寺建造に関する法王パウルス三世の教書を認証した。サン・ピエートロ寺建造について、ミケランジェロはまたサンガㇽロ派の連中にひどい悪口を言われたが、法王はそんなことを何も聞こうとしなかった。実際の話、彼はこの建物に生命を吹き込んだのだと、ヴァザーリが法王に教示したのである。さらにミケランジェロの判断を仰がずには計画について何も進めることがないよう、法王に働きかけた。法王はそれを常に守った。彼の忠告を求めずにはジューリア別荘に何も作らなかったし、ベルヴェデーレでもそれに守った。そこには、ベルヴェデーレ中央の主壁龕にかつてブラマンテが制作した、それぞれに八段あって一方が進み登り、他方が内に曲り下る半円形のものに代わって、現在の階段が作られたのである。ミケランジェロがその計画を行ない、胡椒石の欄干を持つ四角形階段を作らせた。今日もそこにあり、非常に美しいものである。ヴァザーリはこの年、フィレンツェで『画家・彫刻家・建築家列伝』の書物を印刷しおえた。彼は生きている者たちの誰の伝記をも書かなかった。年老いた人でも例外ではなかった。ただし、ミケランジェロは例外であった。彼に一冊を献じたところ、彼はたいそう喜んで受け取った。」今回はここまでにします。
    「ミケランジェロ」について・6
    「芸術家列伝3」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 田中英道・森雅彦訳)の「ミケランジェロ」について、幾つかに分けて気に留まった箇所をピックアップしていきます。まず「メディチ公の墓廟」についてです。「だれもがさらに感嘆させられたのは、ジュリアーノ公およびロレンツォ・デ・メディチ公の墓廟である。その制作を構想するに際して、彼は、大地だけでは彼らの偉大さに対して誉ある墓廟を与えるのに十分ではないと考え、世界のあらゆる部分、四つの彫像ーその一方に彼は『夜』と『昼』を、他方には『曙』と『夕』を置いたーがそれを取り巻き、彼の墓所をおおうようにしたのである。これらの彫像は、仕草のいとも美しい形態や念入りな筋肉の扱い方によって、たとえ彫刻術の伝統が失われようとも、それを元の光明に戻すに十分なほどである。他の彫刻にまじって、二体の武装した統治者がある。一方は思慮深い容貌をした思索家ロレンツォ公で~略~もう一方はジュリアーノ公で~略~いとも神々しい。」次にシスティーナ礼拝堂にある「最後の審判」です。「ミケランジェロは、パウルス法王が見にきたときにはすでに作品の四分の三以上を仕上げていた。その際、法王のお供で礼拝堂にいた儀典長の謹厳居士たるピアージョ・ダ・チュゼーナ氏は、どう思うかと聞かれたので、いとも荘厳な場所にたくさんの裸体像を描いたのはなんとも不敬なことだ、裸体像はふまじめにもその恥ずかしいところまで見せている、法王礼拝堂用の作品ではなく、風呂屋か宿屋むきの作品だ、と言った。おかげでミケランジェロは不愉快になった。それで報復してやろうと思い、彼が出ていくや、以前には別に彼を見たことなどなかったのに、地獄のミノスの姿にして、実物大に描きこんだのである。~略~さてこの頃のミケランジェロは、この仕事用の高い足場から落ちたことがあった。それで脚を痛めたのだが、苦痛と怒りから、だれにも治療してもらおうとしなかった。そこで、当時彼の友人で、機転のきく医者であり、また彼の才能にも大いに敬服している人物であったバッチョ・ロンティー二先生なるフィレンツェ人が、彼を案じ、ある日家を訪ねていった。~略~ミケランジェロはやけくそになっていたので、バッチョ先生は、全快するまで決して彼を見捨てようとはせず、そばを離れなかったのである。彼はこの傷が回復するや、仕事に戻った。そして引き続きこれに専心し、2,3カ月で最終完成にまでもっていった。彼は制作した絵にたいへんな力を注いだので、ダンテの言葉『死せる者は死せる者のごとく、生ける者は生ける者のごとくなりき』を立証したほどである。」今回はここまでにします。