2025.06.30 Monday
今日で6月が終わります。毎日を記録している小さな手帳を見ると、今月は来月に迫った個展搬入等の準備に費やす一方、来年の新作に取り組んだ1カ月でした。6月は30日間あって、そのうち28日間を工房に通いました。工房に行かなかった2日間は、教え子を連れて川崎市立民家園を散策した日と、家内を誘って海老名に映画鑑賞に行った日でした。今月はとくに暑かった印象があって、例年なら梅雨の季節のはずなのに真夏日が続いていました。どうやら気象庁によると関東でも真夏日の日数を更新しているようで、農作物の影響が心配されます。空調設備のない工房での作業は厳しく、とくに夕方は工房に暑さが籠るので早めに作業を切り上げる日もありました。7月もこの気温が続くのかと思うと憂鬱な気分になります。昨年も暑い中で作業をやっていましたが、思うように集中できないモヤモヤ感が残る制作になっていました。個展搬入のために陶彫作品を入れる木箱は15個以上が必要で、板材や垂木の追加購入をしなくてはなりません。日程的な余裕はあるので、来月に入っても搬入準備を継続していきます。ギャラリーから送っていただく案内状は先日ギャラリーに届けましたが、自宅から送る案内状の宛名印刷をそろそろやらなくてはなりません。明日から7月なので気を引き締めていこうと思います。今月の鑑賞は、前述した川崎市立民家園を散策してきました。どの民家も大黒柱の立派さに木造建築の心髄を見た思いがしました。今年の私の作品に実家の大黒柱を使っているので、気持ちがピリリと震えました。展覧会では「オディロン・ルドン展」(パナソニック汐留美術館)、「寿 直人の変な人…?」展(ギャラリーQ)に行ってきました。映画鑑賞では「国宝」(TOHOシネマズららぽーと)、「JANK WORLD」(TOHOシネマズ海老名)に行ってきました。鑑賞としてはまずまず充実していたように思います。読書では近代絵画史に纏わる書籍を読み終えて、西洋美術の近代から現代に至る潮流を改めて理解する機会を持ちました。理解の度合いが年齢によって違うことも感じ得て、自分を振り返る絶好の機会でもありました。
2025.06.29 Sunday
日曜日になりました。日曜日には創作活動に関する話題を取り上げています。先日まで近代絵画史に纏わる書籍を読んでいて、改めて西洋美術が現在の自分を形成する上で、いかに大きな影響を及ぼしているか、とりわけ彫刻をやっている私には避けて通れないものがあることを実感しました。高校時代の最後になって急遽大学の彫刻科を志望した私は、空間の中に立体を構成している造形を一から学び、その骨格の関係性を木材と針金で作っていくことが新鮮であり、またその視点が育っていない自分は、他の学生より見劣りする塑造しか出来ないことが残念でなりませんでした。現在の彫刻科の学生は、さまざまな素材を使って、個性的な空間解釈を試みておりますが、私にはひとつのことがなかなか成就出来ないもどかしさがあって、他の素材へ眼が移ることはありませんでした。木材と針金で作った心棒に粘土をつけて筋肉の在り方を模索することで、私の4年間は終わってしまいました。そのモデリングでさえ上手くいかなかった私が、石彫によって美しい均整の取れた人体を彫り込んだミケランジェロを初めとするルネサンス時代の彫刻家や、さらに時代が遡ってギリシャ・ローマ時代の彫刻家は、一体どんな空間把握力や表現力をもっていたのだろうと、泣きたいくらいの信じられない気持ちになっていました。実際にそれを対面で見てみようとヨーロッパに旅立ち、イタリアやギリシャで見た人体石彫は、案の定私を圧倒していました。でもその時には、私に別の彫刻方法論が芽生えていて、西洋美術とはやや違う感性が育ち始めていました。それは平面的要素を含んだもので、レリーフ状の造形が私を捉えていました。ギリシャの遺跡で感じた土地全体にわたる大地に彫り込まれた溝による空間。それは土地の上に堂々と立つ石彫による人体や柱ではなく、溝が齎す空間とでも言ったらいいのか、大地を境に下に掘られたマイナス空間なのでした。そこを発想の根源として現在の私の造形が生まれてきたのだろうと述懐しています。
2025.06.28 Saturday
週末になりました。毎週土曜日にはその週の振り返りを行なっています。今週は日々工房に通いましたが、6月なのに真夏のような気温になり、空調設備のない工房で作業をしながら過ごすのには、なかなか厳しい時間帯がありました。身体が暑さに慣れていないせいもあって、熱中症にならないように気をつけていました。今週は来月個展で発表する新作の陶彫作品を収める木箱が10個以上完成したので、陶彫作品をエアキャップで包みながら木箱に収めていきました。梱包はどのくらい木箱が必要か、様子を見ながら進めていきたいと思います。月曜日は印刷されてきた個展案内状を500部持参して、東京銀座のギャラリーせいほうに行ってきました。ちょうど私が学生時代に野外彫刻展で活躍されていた「土谷武展」をやっていて、感慨深いものがありました。その後、銀座通りを歩いてギャラリーQで開催中の「寿 直人の変な人…?」展を見てきました。出品していた竹中直人君は私の高校の同級生です。彼は俳優や映画監督として活躍していますが、大学ではデザインを学んでいて、それが発揮されていた展覧会だと思いました。会場に本人は不在でしたが、その場でラインのやり取りをして感想を述べました。水曜日の夜には図録を撮影したカメラマン2人が自宅にやってきて、図録の色校正を行ないました。毎年やっていることですが、こういう機会があると自分の個展が近づいているなぁと感じます。個展も今年で20回目ですが、毎回新しい発見があるので、その度に刺激を受けています。自分の作品の発展のためには必要なことなんだと自覚しています。金曜日は梱包で不足していたエアキャップの追加購入に量販店に出かけました。梱包が始まれば何かと必要なものがわかってきて、よく量販店には出かけて行きます。夜の読書は近代絵画に纏わる書籍を読み終えました。次は美術分野以外の書籍に手を出そうかどうか迷っていますが、もう少し西洋美術に揺蕩っていたい願望があり、次の書籍を自宅の書棚にあるものに決めました。
2025.06.27 Friday
「近代絵画史(上)」及び「近代絵画史(下)」(高階秀爾著 中公新書)を読み終えました。あとがきにこんな文章がありました。「『ゴヤからモンドリアンまで』、すなわち19世紀初頭から第二次大戦までのおよそ150年間の西欧の絵画の歴史を述べたものである。この時期が、長い西欧絵画の歴史においても、最も豊かな、そして最も多彩な変化に富んだ重要な時代の一つであったことは、おそらく誰しも異存のないところであろう。」本書の上巻と下巻を通して、また本書の前に読んでいた「名画を見る眼 Ⅰ・Ⅱ」(高階秀爾著 岩波新書)をも含めて、私は学生時代から散らかし放題だった西欧美術の知識が、本書を通してひとつの潮流としてまとまったように感じています。私たち日本人は、明治時代に西洋美術の概念が西欧から入ってきて、学校教育における図画工作・美術の土台としました。つまり、美術作品を見る眼をそこで養い、西洋美術の評価基準で作品を判断する考え方を教え込まれたと私は考えています。それが良いとか悪いとか言っているわけではなく、これは文明の最先端に追いつくために日本政府が採った方策でした。現在は東洋を含めたグローバルな視点が存在していますが、それでも私の学生時代はやはり美術の本流は西欧にありという風潮がありました。私も例外ではなく、高校時代の最後になって私は彫刻の魅力に憑りつかれてしまって、自分の熱情を鎮めることが出来なかったのでした。つまり、私たち日本人は従来からある学習指導要領を紐解いてみても、少なからず現在に至るまで西欧の影響があると考えて間違いはなさそうです。先達がフランスやイタリアに留学し、そこで仕入れた芸術の精髄を日本に持ち帰ってきたのは、つい最近のことだったと認識しています。そこまで無視できない造形概念であるならば、とりあえずそれらを学んでみようとしたのが、自分の学生時代の記憶でした。それをこの歳になって再確認する機会を得ました。近代絵画史の中でも、文中でNOTE(ブログ)に取り上げた画家については私なりに濃淡があって、個別に知識を仕入れた芸術家も少なくありません。自分の中では総体的に美術史を捉えることが困難だったために、本書がそれを補ってくれたと理解しています。さて、もう少し西洋美術に親しんでいたいという私の思いがあって、次は何を読もうか思案している最中です。
2025.06.26 Thursday
「近代絵画史(下)」(高階秀爾著 中公新書)の「第24章 抽象絵画への道」について気になったところをピックアップしていきます。本書はこれが最後になります。「抽象絵画が歴史のなかに市民権を認められるようになってから、多くの人々がこれら世紀末の画家たちに抽象の先駆を求めるようになったのも、当然のことであった。ただそれらは、あくまでも『先駆』であって、意識的な抽象表現の追求ではなかった。ゴーギャンのいう『抽象』にしても、ドニの『色彩で覆われた平坦な面』にしても、現実の対象から完全に切り離されたものではなかった。少なくとも彼らは、『抽象』や『平坦な色面』を語った時、モンドリアンやドローネのような世界を予想していたわけではない。あらゆる再現的なものへの暗示を拒否した文字どおりの抽象絵画が歴史の仲間入りをしてくるのは、20世紀のことなのである。」抽象絵画の代表格として2人の画家を取り上げます。まず、ドローネ。「ドローネが、印象派を思わせるような明るい原色を自由に駆使して『窓』から見えるパリ風景などを描き出していたため、モンマルトルの仲間たちは彼のことを『印象派への逆行』と非難したが、しかし、ドローネが印象派の色彩表現に強く惹かれたことは事実としても、彼の『窓』はもちろんモネの『自然に向かって開かれた窓』ではなく、さまざまな色彩がそれ自身の法則にしたがっておたがいに響き合い、高め合う豊麗な交響的世界なのである。」次はモンドリアン。「モンドリアンにとっては、色彩も、ゴッホやフォーヴの画家たちにおいてそうであったようにそれ自体の表現力を主張するものではなく、あくまでも全体の『均衡』になかでしかるべき位置を与えられることによってはじめてその役割を発揮するものである。その結果生まれてくる『純粋な色と線との純粋な関係』こそが、彼にとっての『純粋な美』の世界なのである。モンドリアンのこのいささか厳し過ぎるほどの『理論』は、1920年代から30年代にかけての彼の最も幾何学的な作品群のなかに見事に造形化されているが、しかし彼自身は、その後晩年にいたって、とくに第二次大戦の危機とともにイギリスを経てアメリカに渡ってから、《ブロードウェイ・ブギー・ウギー》に見られるようにその『理論』の厳しさを柔らげ、あらためて感覚的な喜びに身を委ねるようになっていった。」今回はここまでにします。