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  • 20冊目の図録に思う
    今晩、図録用の撮影をしてくれたカメラマン2人が、完成した図録を持って自宅にやってきました。図録は色校正をするときに一度見ていますが、やはり刷り上がった図録を見るのは何とも言えない気持ちになります。今年の図録で20冊目です。最初から意図したわけではないのですが、私は1冊目から20冊目まで同じサイズで作っていて、ページ数も構成もほぼ同じに統一しています。ただ、毎年作品が異なるので画像の雰囲気はガラリと変わっています。過去の図録を開くと、その時苦労したことが浮かび上がってきて、自分がいかに全力で取り組んできたか、また課題も見えてきて、私自身は懐かしむ気持ちにはなりません。自分の作品に満足しないからこそ、翌年に繋げられるし、自分が紆余曲折しながら歩んできた道が見えています。図録のクオリティは高いと思いつつ、今年の作品もそうですが、造形世界がまだここだけでしかないと感じることが自己満足が得られない原因です。広く存在感のある造形世界をどう作っていくのか、どう演出していくのか、自分には課題が山積みしていると実感する由縁です。図録の最終ページに私自身の画像を載せています。20年も経てば年老いるのは分かっていますが、今年は笑顔で撮影してもらっているので、やや柔和な感じを持ちます。いつぞやは飼い猫トラ吉と一緒の写真を載せていました。トラ吉はもう虹を渡ってしまっています。手伝っていただけるスタッフたちも様変わりしていて、野外撮影の際に作品設置の場面を撮影してもらうのは、いい記録になっていると思っています。展示を企画していただいている東京銀座のギャラリーせいほうも長いつきあいになっていて、20回もやらせていただけたことに感謝しています。
    「ピエーロ・デㇽラ・フランチェスカ」について
    「芸術家列伝1」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 平川祐弘・小谷年司訳)の「ピエーロ・デㇽラ・フランチェスカ」について、気に留まった箇所をピックアップいたします。「彼は数学、幾何学および正面体の図学的処理に関して、傑出した大家とみなされていたが、老年になってからの失明、それに続く死のために、優れた業績や、書き上げられた論文は公にされなかった。論文は今もなお故郷のボルゴに残されている。この人の名誉を全力を傾けて推輓すべき人物が、すべてをこの人から学んだのであるから当然そうすべきであるにもかかわらず、邪な悪意を抱いて、師ピエーロの名を闇に葬ってしまった。そして師にのみに捧げられるべき栄光を、すなわち、数学などの前述の学問ばかりでなく、絵画にも秀でていた善良なる老師の全業績を、自分の名、フラ・ルーカ・ダル・ボルゴを冠して出版することによって横取りしようとしたのであった。」私は本書を読む前にピエーロ・デㇽラ・フランチェスカの生涯を綴った伝記を読んでいました。このエピソードはこの大家を語る上で重要な位置を占めているようです。絵画に関する記述を拾います。「ローマでの作品を完成した後、ピエーロは母が死んだためボルゴに帰ってきた。ボルゴでは、町の本寺の正面扉の裏に壁画で二人の聖人を描き上げ、美しさで評判になった。サン・アゴスティーノ修道会の僧院では、主祭壇用の絵を描いて大きな賞讃をうけた。つづいて、通称同志団と呼ばれる信仰団体の寺に、壁画『慈悲の聖母』を描いた。さらにはコンセルヴァドーリの宮殿に『キリストの復活』を描くが、これは、この町のなかではもちろんピエーロの全作品の最良のものとされている。~略~ピエーロは研究熱心であった。とりわけ遠近法の造詣は深く、ユークリッド幾何学を完全に把握していた。正面体上に描かれた曲線を、いかなる幾何学者よりも明瞭に理解しており、この分野でのすべての光明はピエーロの手によって灯されたといえる。というのは、幾何学上の正面体について論文を著わしたフランチェスコ派の僧、ルーカ・ダル・ボルゴ先生はピエーロの教え子だったのである。ピエーロは死間近の老年期には、すでに多くの本を書いていた。巨匠の死後、本を手に入れた前述のルーカは、それをそのまま横取りして、自分の著作として印刷させたのであった。」今回はここまでにします。
    週末 陽炎の風景に思う
    日曜日になりました。日曜日は創作について述べていますが、高温多湿な工房の中で、今日は新作の陶彫制作に励んでいました。後輩の木彫家がやってきて黙々と木を彫っていたり、来週に迫った個展搬入のために業者が梱包された荷物を見に来たりしました。暑さは頭をボーとさせる反面、私にはざっくりした新作イメージが立ち上っていくのを認識することもあります。私は古代の出土品のように見える陶彫を使って、都市遺跡の発掘現場を何とか立体作品に昇華させようとしています。それは40年前に旅したエーゲ海沿岸に広がるギリシャ・ローマ時代の都市遺跡の発掘現場を見た時の、何とも言えない衝撃と感動であり、そこからあの情景を象徴する立体造形をどのように作っていくのか、私の挑戦が始まったのでした。時折思い出すのは、遺跡が山の中腹にあるトルコの小さな町で、モスクから拡声器で流れるコーランの祈り声が朝の目覚ましのように感じられ、町を闊歩する馬の蹄の音が騒々しかったことでした。その旅は1985年の8月から9月にかけての2カ月以上にわたり、安宿に泊まりながら遺跡をわたり歩いていましたが、残暑が厳しく肌が黒く焼けていました。日本と違い、乾いた暑さのためか太陽を遮るものがなく、日差しの強い中を時にはヒッチハイクをして遺跡に辿りついたのでした。現在の暑い工房の中で思い出すのは、そうした遺跡までの行程で、まるで陽炎のように揺らめく風景の印象です。またある日は宗教行事に遭遇し、大勢の信者たちが野外で食事をとっている場面で、食事を振る舞ってもらったことでした。宗教のことなど何も知らない私は、ただ馳走になって、イスラム教の情け深さを感じたこともありました。そんな中で創作イメージを捻りだした私は、あの時の陽炎の風景を忘れられず、猛暑の工房においても、創作行為が頭を擡げてくるのです。あれから40年が経ち、私のざっくりしたイメージは確実に具現化されてきていると感じています。
    週末 梱包終了&新作へ
    週末になりました。今週を振り返ります。今週も真夏の暑さで工房には長く居られず、朝9時から夕方3時までの作業時間を短縮して過ごしていました。工房内では、冬にはその寒さに耐えられず、現在は夏の暑さにも耐えられない年間の状況について、創作活動の意欲とは別のところで、作業の中断をやむなしとしていて、かなり残念だなぁと思っています。汗を絞っても大丈夫だった若い頃と明らかに私の身体の具合が違っていて、翌日に疲れを持ち越すこともあります。急変する天候にも身体と心が追いつけず、創作の中に今一歩入り込めないジレンマがあると感じています。それでも創作活動一本の生活では、毎日の継続が出来るため、完成のイメージが途切れることがありません。来年に向かって現在進行している陶彫作品は、日々確実に具現化していて、それが遅々として進まぬ状況の唯一の救いになっています。新たなイメージは現行の発展の中でこそ豊かな輝きを持つものだろうと思います。まだ身体が動くうちに教職を退職出来てよかったと思えることもあります。今週は今月21日から始まる東京銀座のギャラリーせいほうでの個展に備えて、全ての作品梱包が終了しました。実はこんなに早く梱包が終了したことは今までなかったかもしれません。陶彫作品を収めた木箱は昨年の半分程度なので、仕事量としては少なくて済みました。明日運搬業者が積み荷の確認に来ますが、昨年に比べれば余裕があると言えます。ただ、作品のイメージするところは昨年以上に深化していると自負しています。来年に向けた作品は、さらに深化したものと思っていて、同時並行で新たな作品に挑んでいるのは、今月21日から始まる個展に展示する作品群を、もう過去の作品という位置付けにしてしまっているところもあります。作品世界の深化は絶え間なく起こるものなので、私はこれでよしとしているのです。
    新聞記事より「幸福とは何か」
    昨日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「幸福な家庭はすべてよく似よったものであるが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である。 トルストイ」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「ロシアの作家の小説『アンナ・カレーニナ』(中村白葉訳)の書き出しだ。幸福については定義をしないまま、味なことを言う人が多い。歌人・演劇家の寺山修司は逆に、『不幸はいつも同じ顔をしているが、幸福の顔は、それぞれ違っている』と書く(『幸福論』)。幸福を一つの達成と考えるか、目的とは無関係な悦びと捉えるかの違いか。」私は哲学書にある幸福論を読むことを避けてきました。3人の哲学者(ヒルティ、アラン、ラッセル)の「三大幸福論」を書店で一度は手に取ったものの購入には及びませんでした。幸福とはこういうものだと定義されると、反撥を覚えるかもしれないと感じていたからです。人は生きていく上で幸福になりたいと希望するのは、誰しも同じで私にもそれはあります。それは地位、名誉、財力とは違うものだろうと私は思っていますが、それでは幸福とは何なのか、面と向かって考えたことはありません。幸福論とは別の厭世論に、まず私は興味関心を抱きました。幸福論や楽観主義より、その真逆に位置する厭世主義の方が私には分かり易かったこともあり、その時は感情としてよりは、純粋な学問として厭世論を受け入れたのでした。ショーペンハウアーをよく読み、その中で論じられていた幸福論もありましたが、ショーペンハウアー流の幸福の捉えが私には妙に納得がいくものがありました。それを知らなかった若い頃は幸福の境地という桃源郷があって、そこに到達したいとボンヤリと考えていましたが、現実としてそんなものは夢幻に過ぎないと当時から思っていました。今回の記事から私の心に響いたのは、「(達成しようとする)目的とは無関係な悦びと捉えるか」という文章で、自分の真の目的に達成しようとする道程に幸福感があるならば、それはそれでいいのではないかと思ったことです。通過点が私にはピンとくるのです。