2025.03.30 Sunday
日曜日になりました。いつもなら日曜日のNOTE(ブログ)には創作活動に関わることを書いていますが、今回は趣向を変えます。先日の朝日新聞「折々のことば」にあった英国の作家のことが気になり、これを取り上げることにしました。「自己を信じて疑わぬというのは罪であるばかりか、それは一つの弱さなのだ。G・K・チェスタトン」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「異常を見破るのは尋常の人で、異常な人は異常を異常と思わない。つまり『徹底して現世な人びとには、現世そのものを理解することさえできぬ』と英国の作家は言う。同じように国家もその正気を保つには、異変を察知するアンテナ、いいかえると己の傲慢に反逆し、それを是正していく装置を内蔵していなければならないだろう。『正統とは何か』(安西徹雄訳)から。」現在の国際情勢を言っているようで、自国第一主義を掲げる超大国が、己の傲慢を是正することが今後あるのだろうかと思ってしまうのは私だけではないはずです。また自分に対しても、私は異変を察知するアンテナを持っているだろうかという問いかけをされているようで、襟を正そうという気持ちになります。内容はさておき、今回取り上げた記事にG・K・チェスタトンという名前があって、私はこの名前に反応してしまったのがNOTE(ブログ)に取り上げた理由です。自分が中学生の頃に友人と競って読んだ推理小説の中にG・K・チェスタトンという著者名がありました。G・K・チェスタトンの「ブラウン神父」のシリーズが大好きだった私は、著者名だけは忘れずにいたのでした。巧妙に仕掛けられた謎に挑むブラウン神父。その種明かしに私は興奮しつつ、創作された物語の面白さを堪能していました。リアルな物語を創作し、その中に事件解決の鍵を潜ませるというテクニックに私は夢中になっていました。また、記事内容の他に彼はこんなコトバを残しています。「唯物論者には、完璧に磨き上げられた機械のごとき彼らの宇宙に、ほんのひとかけらの精神性も奇跡も受け入れる自由がない。」
2025.03.29 Saturday
週末になりました。今週を振り返ってみたいと思います。春は三寒四温と言うけれど、ここ数日の気温の上下動は激しいものがあって、とにかく身体が疲れます。陶彫制作ではここまでやろうと思ったことが、そこまでやれずに翌日に回すことがよくありました。気温によって陶土の乾燥具合が変わってきて、前日に水を打っていた陶土がやや硬くなってしまうこともありました。今週は古木材の調整彫りもやっていましたが、陶彫と木彫双方の作業に夕方は疲れが出て早めに切り上げることもありました。毎日工房に行って同じ時間帯に作業をしていると、毎日の素材の変化に気づいて、その時の陶土の手触りによって作業が変わっていきます。陶土の状態は湿度によるところが大きいので仕方がないのです。今週は木曜日に家内と映画館に出かけました。今月はよく映画を観ています。映画「教皇選挙」は米アカデミー賞脚本賞に輝いた映画で、密室の中で執り行われる宗教行事に、私は興味がありました。宗教そのものは信仰を具現化したものですが、それが組織化されて大きくなり、政治力を持ったところに、こうしたトップを決めるドラマが生まれてくるのだろうと思います。何と言ってもキリスト教は世界最大規模を誇る宗教で、バチカンから戦略的に全世界に布教を広めていった歴史があります。安土桃山時代に我が国にも宣教師がやってきた記録があるくらいです。勿論「教皇選挙」は架空のドラマで、ドキュメンタリーではありませんが、地位や名誉を得たいという人間にとって、それがビジネスであろうと宗教であろうと関係なく欲望が渦巻いていることが映画で語られていました。面白いところに着眼した映画だなぁと思いました。金曜日は如月会の懇親会があって、私は久しぶりに元校長だった人たちと交流をしてきました。金曜日は懇親会に気持ちを入れ込んでしまったので、この日の工房での作業は休みました。気候のせいがあるのかもしれませんが、今週は妙に疲れた印象です。
2025.03.28 Friday
教職を退職すると、人づき合いは減っていきます。嘗ては仕事上の懇親会がよくありました。先生方と情報交換がスムーズにできること、風の通しのよい職場であること、そうしたことが組織を運営する上で大事なことであったことは言うまでもありません。とりわけ管理職になってから、先生方に誘われれば、私は断ることはありませんでした。飲食代も私が多少多めに負担しました。飲み会の席でさまざまなことをお願いされたこともありました。それがコロナ禍になって、私の退職時の懇親会はなくなりました。歓送迎会もありませんでした。そんな懇親会という日本人独特な文化の中から、組織はどうあるべきかという議論も生まれましたが、今は昔のように令和の世代に懇親会はあるのでしょうか。今日は2月にグループ展を開催している横浜市立中学校退職校長会のメンバーが、懇親会を企画してくれました。昨年から同会のグループ展に参加している私は、最近人づき合いが減ったこともあって、今年も喜んで参加させていただきました。メンバーはそれぞれ激務を経験してきた元校長だったために、当時のエピソードには事欠かない話題がありますが、皆さんが高齢になって身体の体調が芳しくなく、持病の話が中心になっていました。私も血糖値の値に心配があって、今日も飲酒はやめていました。元々私は飲酒をあまり好まない方でしたが、ドクターストップもあって、退職後はまったく飲酒はしていません。それでも皆さんと交流しているのは楽しいと感じます。横浜市に生徒による事件が多発していた時期を乗り越えてきた自負もあるのでしょうか、皆さんとは不思議な連帯感が生まれてしまうのです。如月会はいつまで継続できるのでしょうか。私の世代として新しく一人書道で入ってきましたが、美術科は相変わらずいません。現職校長でさえ横浜市は一人しかいないので、グループ展運営は厳しい状況です。美術科教員が管理職になりたがらないのが要因とも言えます。
2025.03.27 Thursday
今日の午前中は工房で陶彫制作をしていました。午後になって家内を誘い、鴨居にあるエンターテイメント系映画館に映画「教皇選挙」を観に行きました。春休みのせいか、昼間の上映にも関わらず老若男女で混雑をしていました。観終わった感想としては、密室劇にも関わらず大変面白い内容で、よくぞこんな映画が作れたなぁと思いました。図録から物語の筋になるところを拾います。「映画『教皇選挙』は、カトリック教会の最高位にしてバチカン市国の国家元首でのあるローマ教皇の死去を受け、有力候補者が後任を争う政治スリラーだ。選挙中、投票者・候補者となる枢機卿たちは外部から完全に隔絶された環境で生活することになる。これぞ、ミステリーにふさわしい密室空間だ。教皇は死去直前に何をしていたのか、水面下で起きている陰謀の主は誰か、そして候補者たちの秘密とは…。本作では殺人事件こそ起こらないが、外に出ることも、外の様子を知ることもできない中で、人々の思惑と疑心暗鬼の圧力がどんどん高まってゆく。」(稲垣貴俊著)エピソードの中で私は女性が登場する場面に気を留めました。「アグネスは選挙中の宿泊所の管理を担当している。出番はそれほど多くないが、序盤から要所要所でアグネスをはじめとする修道女たちがトルテリーニなど食事を作る準備をしたり、枢機卿団を眺めたりする短いカットが挿入され、こうした女性たちの見えにくい仕事なしに教会は成り立たないが、あまり男性の聖職者たちはそれを気にかけていないらしいということが示唆される。アグネスはコピー機もろくに使えないトマスを助けるが、これもふだん男性聖職者が事務作業を修道女などにやらせていることをさりげなく示す場面だ。そんなアグネスが、自分たちはふだん目に見えない存在だがちゃんと意志も頭もあり、女性の尊厳は守られるべきであるということを主張するスピーチは、短いがこの映画の根幹に深くかかわっている。枢機卿団が気にもかけていなかった修道女が実はものごとを良く見通しており、教皇選挙に影響を及ぼすくらい賢かったということがわかる。」(北村紗衣著)本作はさまざまなことを投げかけてくる秀作で、最後の結末はここでは申せませんが、かなり印象に残るドラマであることは間違いありません。
2025.03.26 Wednesday
昨日の朝日新聞夕刊に掲載されていた記事は、イギリスの画家オーブリー・ビアズリーの「サロメ」をテーマにした作品「孔雀の裳裾」について考察されたものでした。私は先月の20日に三菱一号館美術館で開催されている「異端の奇才ービアズリー展」を見ていて、この夭折の天才にただならぬ気配を感じていました。「オスカー・ワイルドが新約聖書を換骨奪胎した仏語の戯曲の英訳版挿絵である本作。サロメの体は兵士に覆いかぶさるように流線形を描き、マントの裾には孔雀の羽根があしらわれている。ホイッスラーがロンドンの個人宅で手がけた『孔雀の間』のジャポネスクな室内装飾に、ビアズリーは心酔した。彼はまた日本の春画も所有しており、浮世絵の着物や左右非対称な構図からも影響を受けたとされる。兵士が掲げる炎のようなものは、20歳そこそこのビアズリーがサイン代わりに愛用していたマークだ。本人いわく、男女の性器が結合した状態をデザイン化したものだそう。『時代の寵児のワイルドに見いだされて、粋がってたんですね。デカダンスの堕天使のように自己プロデュースして、偽悪的に奇才を演出している』と、三菱一号館美術館の加藤明子・主任学芸員。『サロメ』の挿絵では他にも、性的な要素を勝手に追加してみたり、酷く太ったワイルドの似顔絵を紛れ込ませたりと、やりたい放題。出版社から何度もボツを食らい、ワイルドからも嫌われ、お騒がせ画家は醜聞とともに名を売った。」(田中ゑれ奈著)ビアズリーは短命なことで画家生命の限界が分かっていたのか、タガが外れたようにきわどい表現を特徴として、世間を炎上させていました。私は歌劇「サロメ」をウィーンに移り住んで、あまり時間が経っていない頃に、国立歌劇場の立見席で観ました。ドイツ語もストーリーも分からず、おまけにリヒャルト・シュトラウスの現代的な曲調に、終始心が落ち着かず、とても楽しい観劇とはならなかったのですが、刺激的な舞台演出は理解できました。その時の記憶とビアズリーの世界が重なって、おどろおどろしいものとして今も脳に刻まれています。日本では味わえないバタ臭い世界だったなぁと思っています。